第35話 次の段階

「ラッキー。二人きりだね、桃華」


 女子トイレのドアを開けてすぐ、渚はそう言って笑った。

 確かに今、ここには誰もいない。

 けれどドアを隔てただけの廊下からは賑やかな話し声がする。いつ、ドアが開いたっておかしくない。


「桃華、顔赤くない? 体調悪いの?」


 からかうように言って、渚が私の顔を覗き込んでくる。

 ぶわっ、と昨日の記憶が頭に浮かんで、何も言えなくなった。


「本当に顔赤い。大丈夫?」


 絶対、顔が赤い原因なんて分かっているくせに。


「今日、体育なくてよかったけど……応援団の練習があるから、着替える時大変だね」

「渚のせいでしょ」

「うん、私のせい」


 悪びれもせずに渚は笑った。

 昨日、渚は私に大量の痕をつけた。胸元だけなら下着で隠れるが、渚は鎖骨周辺にまで痕をつけてきたのだ。


 私が拒めないことを、からかっているみたいだった。


「……とりあえず、コンシーラーで隠したから」

「そうなんだ。汗かいただろうけど、とれてない?」


 渚がいきなり私のワイシャツのボタンを上から二つ外した。


「コンシーラー、ちょっと落ちてない?」


 言いながら、渚が私の鎖骨を指でなぞる。


「ちょっと渚……」

「ごめんごめん。二人きりだったから、つい」


 ボタンを慌ててとめた後、渚は軽く頭を下げた。


 絶対、この状況を面白がっている。

 二人きりだけど、いつ誰がきてもおかしくないのに。


「さすがに今日は練習、頑張らないとね」

「うん」

「私はもう演舞覚えたけど、桃華はどう? 覚えてないところもある?」

「……まあ。前の人の動きを見たら、なんとなくは分かるけど」


 応援団として覚えなければならないことはそれなりにあるし、体育祭が終われば次は定期テストがやってくる。

 いろいろとやるべきことは多いが、私の頭の中は渚一色だ。


 チャイムが鳴った。そろそろ、教室に戻らなければいけない。


「教室、戻ろっか」


 渚が私の手を引く。結局、私も渚もトイレには行っていない。

 別に、行きたかったわけじゃないけど。


 二人きりになるためだけに、渚は私をここに連れてきたの?


 渚の考えていることが分からない。


 どうすれば、私はちゃんと渚の恋人になれるんだろう。





「いよいよ、明日が本番だね」

「うん、正直、やっと終わるのかって感じ」


 疲れきった顔で私が言うと、渚がくすっと笑った。

 渚と一緒に応援団に入ったことに後悔はない。でも、かなりきつかったのも事実だ。


 そりゃあ、1回目の人生じゃ入らないわよね。


 渚が応援団で草壁と親しくなってしまうのを知っていたから、私も応援団に入れた。

 その選択は合っていたと思う。


 渚と草壁の距離は少しずつ縮まっているけれど、あくまでも友達としてだ。

 二人の間に恋愛感情があるようには見えない。


 それより問題は、渚自身よね。

 前の渚は、私のことを普通に友達として扱っていたから。


「渚」

「なに?」

「……体育祭、頑張ろうね」


 とにかく、渚と草壁が付き合わないように……ということばかりを気にしていた。

 でもきっと、それだけではだめだ。


 そろそろ、次の段階に進まなくては。


 渚が、私に告白してくれるように。

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