第31話 誰も見てないから
「桃華、ちょっときて」
理科室へ移動する途中で、急に手を引かれた。
「なに?」
「ちょっと、ジュースでも買いに行こうよ」
次の授業まで、あまり時間はない。
自動販売機は1階で理科室は2階だから、今から買いに行けばギリギリになってしまうだろう。
でも、笑顔で渚に誘われたら、断れない。
「うん。喉渇いたの?」
「まあ、そんなとこ」
そう言って、渚がにっこりと笑った。
♡
「どれがいいと思う?」
渚は自動販売機をじっと見つめた後、私に聞いてきた。
自動販売機のラインナップは普段と変わらない。お茶や水、そしてスポーツドリンクが主。
コーラやヨーグルトも売っているけれど、喉が渇いている時の選択としては微妙だろう。
「お茶にしたら?」
「桃華はどれが飲みたい?」
「……私?」
教室に戻れば水筒もあるし、そんなに喉が渇いているわけじゃない。
まあ別に、付き添いでなにか買ったっていいんだけど。
「コーラ、かな」
どれかと言われば、なんとなく炭酸が飲みたいような気がする。
「了解」
渚は自動販売機にスマホをかざし、コーラを一本購入した。
「一緒に飲もうよ」
ああ、そうか。
渚は別に、喉が渇いていたわけじゃなかったんだ。
「お金、半分出すよ」
「いいよ。その代わり、次は桃華が奢って」
次があることが嬉しくて、ついにやけそうになってしまう。
「ねえ、桃華」
「なに?」
「これ、どうやって一緒に飲む?」
悪戯好きな子供のような顔で笑って、渚は私の手をぎゅっと握った。
「桃華はさ、口移しでなにか飲んだことある?」
少し緊張したような、それでいてからかうような眼差し。
やっぱり渚の真意が分からなくて、戸惑ってしまう。
「……ないよ」
「じゃあ、私とやってみない?」
楽しげに笑って、渚はペットボトルの蓋を開けた。
「私も初めてだから」
「……もしかして、ここでする気?」
「いいじゃん。誰もいないし」
誰もいないといっても、ここは学校だ。それに、いつ誰かが飲み物を買いにやってきてもおかしくない。
「嫌なの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ決まりね」
全然、嫌じゃない。だけど、渚が何を考えているのかが本当に分からない。
からかってる? でも、からかうためにここまでやる?
「桃華、早く。早くしないと、誰かに見られちゃうよ」
それでもいいの? と笑った渚の顔が妙に艶っぽくて、どきどきしてしまう。
「……分かった。どっちが口移しするの?」
「私。桃華は口開けてくれたらいいから」
そう言って、渚がコーラを口に入れた。目を閉じようかとも思ったけれど、もったいなくてやめた。
見たことない渚の顔、もっと見たいし。
口を開けて、渚からのキスを待つ。ゆっくり近づいてきて、渚の唇が私の唇に触れた。
口内に液体が流れ込んでくる。いつものコーラの味とは少し違う。
わずかに生温かくて、渚の味がした。
「ん……」
口からこぼれてしまわないように、必死に飲む。正直、美味しさなんて全然分からなくて、飲むことに精一杯だった。
「ちゃんと飲めたね」
そう言って笑うと、渚はもう一度私にキスをした。今度は口移しでもなんでもない、ただのキスだ。
「……渚」
「なに? 二人きりだし、いいじゃん」
「ここ、学校だよ」
言いながら、分が悪いな、というのは自覚している。
こんな顔で言ったって、どうせ照れ隠しにしか見えないだろうから。
「別にいいでしょ。どうせ、誰も見てないから。あ、それとも……」
渚が近づいてきて、私の頬をそっと撫でた。
「桃華的には、見られてる方がいい、とか?」
「ちょっと……!」
「ごめんごめん、冗談。そろそろ戻ろっか。さすがに遅れちゃうし」
私の手を引いて渚が走り出す。文句の一言でも言ってやろうかと思ったけれど、結局何も思いつかなかった。
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