第30話 形勢逆転

「桃華、もう体調はいいの?」


 顔を合わせるなり、渚はそう言って私の顔を覗き込んできた。


「うん。いっぱい寝たから」

「よかった。でも、無理はしない方がいいよ。今日は応援団の練習、一緒にサボっちゃわない?」


 明るく笑った渚は、びっくりするくらいにはいつも通りだ。

 でも私は、昨日のことが頭から離れなくて、ぎこちない笑みで応じてしまう。


「……もし、断ったら?」

「えー? 草壁でも誘っちゃおうかな」


 渚の顔を見れば、冗談を言っているだけで、本気じゃないことくらい分かる。

 だけど私には、この冗談を笑って流せる余裕なんてない。

 私の頭の中には、幸せそうに笑う二人のツーショットが何枚も刻み込まれてるんだから。


「今日の練習、サボるから」

「だよね。どうする? 草壁も誘う?」

「……二人がいい」

「了解」


 軽やかに渚が笑った。完全に主導権を握られてしまっている。


 私のせいで、渚が前よりも草壁に興味を持っちゃったかもしれない。

 だけど、恋愛対象って意味じゃないよね?


 分かっているのに、不安で鼓動が速くなる。


「桃華、行きたいところとかある?」

「涼しいところがいいな。暑いから」

「カフェとか? それとも、うちにくる? 今日、弟が帰ってくるまで誰もいないよ」


 渚の笑みがやたらと挑発的に見えるのは気のせいじゃないはずだ。


 私のことからかって遊んでるの?


 たぶん渚は、私の好意にもう気づいている。草壁への異常な嫉妬心に気づかれてしまったのだから。

 まあ、私がこんなに渚のことが大好きだってことはバレてないだろうし、恋愛的な意味だって伝わってるかどうかは微妙だけど。


「二人っきりになりたくない?」


 甘えるように、渚が腕を組んできた。

 汗でべたついた肌同士がくっついて、なんだか落ち着かない。


 渚が私のことをからかってる可能性はある。

 だけどそんなことをして、渚に何のメリットがあるんだろう?


「桃華」

「……なに?」

「二人っきりになれたら、また、キスする?」


 にっこり笑った渚が何を考えているのか、本当に分からない。

 分かるのはたった一つ。

 私が、渚とキスをする誘惑に勝てないということだけだ。


「する」





「はい、これどうぞ」


 席に着くと、草壁が凍ったスポーツドリンクをくれた。

 近くのコンビニで買った物だろうか。まだかなり冷たい。


「いいの?」

「うん。体調はもういいの?」

「ありがとう。昨日はゆっくり寝たから、体調は問題ないよ」


 スポーツドリンクを飲もうとペットボトルの蓋を開けたけれど、凍っていてまだ飲めなかった。

 そんな私を見て草壁が笑ったところで、ねえ、と渚が会話に入ってくる。


「私はないの?」


 スポーツドリンクを見ながら、渚が拗ねたようにそう言った。


「まあね。桃華ちゃんだけ特別」


 私を見て、草壁がにっこりと笑う。甘い笑顔が気まずくて、そっと目を逸らしてしまった。


「ふうん。じゃあ桃華、一口くれない?」

「……いいけど。まだ、凍ってて飲めないよ」

「いいの!」


 渚は半ば強引に私からペットボトルをとりあげた。そのままペットボトルに口をつけたけれど、もちろん全然飲めていない。


「桃華と間接キスしちゃった」


 得意げな顔でそう言うと、渚は私の肩に手をおいた。


「私と桃華、特別に仲良いから」

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