第28話(渚視点)初めての感情

 桃華の瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。

 顔色の悪さと相まって、まるで捨てられた猫のように見える。


「行かないよ。おばさんがくるの、一緒に待ってるから」

「……本当?」

「うん」


 ぎゅっと桃華の手を握ってやる。安心したのか、桃華はようやく笑った。


 明らかに桃華は、私が草壁と話すことを嫌がっている。

 でも、なんで? 草壁のことが好き……なわけないよね?


 想像するだけでぞわっとする。それに、もし草壁のことが好きなら、行かないでという言葉は彼に向けられていたのではないか。


 まあ、そんなに大胆になれないだけかもしれないけど。


「じゃあ俺、2人の荷物持ってくる。教室に置きっぱなしだよね?」

「あ、うん。ありがとう、草壁」


 私が草壁の名前を口にしたその瞬間、私の手を握る桃華の力が強くなった。


 やっぱりこれは、勘違いなんかじゃない。

 桃華は、私が草壁と仲良くなることを嫌がっている。


 もしかして……男子となんて全然話さなかった桃華が草壁と仲良くなったのと、なにか関係ある?


 思えば桃華の草壁に対する態度は、最初から特別だった。

 なぜか桃華は積極的に、彼と仲良くしようとしていたような気がする。


 私はそれを、桃華が草壁を好きだからじゃないかって、そう怖がったりもしたけど……。


 草壁が保健室から出ていった。それでも、桃華の手は緩まらない。


「桃華、教えて? なんでそんなに、私が草壁と話すのを気にするの?」


 正面から桃華の顔を見つめる。

 私は、幼馴染の動揺を見抜けないような間抜けじゃない。

 だけど残念ながら、幼馴染の心を全て覗ける魔法使いではない。


「……それは」


 桃華の声は震えていた。泣きそうな目で、私を見つめている。


「草壁って、ちょっとむかつくところはあるけど、いい奴だよね」


 ビクッと桃華が身体を震わせた。


「それにまあ、モテるのも納得って感じの顔してるし」

「……急に、なに?」

「桃華は、草壁が好きなわけじゃないんでしょ? だったら、私が狙ってもいいわけじゃん?」


 全部嘘だ。

 草壁のことを意外といい奴だと思ったのは本当だけれど、それだけ。

 恋愛的な意味で草壁に興味はない。というか、それどころじゃない。


 だって桃華が……よく知ってると思ってた幼馴染が、最近、見たことない顔をするんだもん。


「……やめて」


 桃華の瞳から、涙が一粒溢れた。


「お願いだから……そんなこと、言わないで」


 桃華が縋るような目で私を見つめている。

 頭が良くて、いつも落ち着いていて、私よりずっと大人びている桃華が。


 ぞくっとした。


 初めて抱く感情に、自分でも戸惑っている。


「草壁と……誰かと、付き合ったりなんてしないで」


 桃華の目から、さらに大量の涙が溢れた。


「誰かの物になんて、ならないでよ……」


 ガラッ、と保健室の扉が歩いて、二人分の荷物を持った草壁が入ってきた。

 先生に会釈してから、草壁が私たちに近づいてくる。


「えーっと……これ、どういう状況?」


 至極真っ当な草壁の質問に、私は答えることができなかった。

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