第27話 行かないで

 目を開いた時、私は保健室のベッドにいた。見慣れた天井と、少しだけ薬っぽい匂いを感じながら上半身を起こす。


「無理しないでいいから!」


 すぐに渚の声が聞こえた。


「大丈夫? なにか飲む?」


 それから、草壁の声も。


 ゆっくりと周りを見回す。保健室の先生は今いなくて、ベッドの脇には二つ椅子が置かれていた。


「……えっと」

「桃華、急に倒れたんだよ!」


 泣きそうな顔で渚が顔を覗き込んでくる。ぎゅ、と腕を掴まれて、わずかに頭が揺れた。


「意識はあったけどずっとうなされてて、その後は寝ちゃって……私は救急車呼ぼうって何回も言ったんだけど」

「……救急車とか、大袈裟だよ」


 大袈裟じゃないよ、と言いながら草壁がベッドに近づいてきた。

 こんな状況だからか、渚も草壁の言う通りだよ、なんて言う。


 その様子を見てよけいに頭が痛くなった。


「まあ、寝てるだけだろうって先生が言ったから、こうして様子見してたんだけどね」


 草壁の言葉に頷く。立ち上がろうとすると、渚に止められた。


「まだ寝てて。桃華、倒れたんだよ?」

「でも……」

「ていうか草壁! 早く先生呼んできてよ」


 渚が言うと、分かった、と言って草壁が保健室を出ていった。


 どうしよう。

 ちょっと前まで、渚は草壁とこんな風に話していなかったはず。

 私が倒れちゃったから……その間に、渚が草壁と仲良くなっちゃった?

 どうしよう。どうしよう、どうしよう。


「桃華、やっぱり顔色悪いよ。頭痛い?」


 渚が顔を近づけてくる。

 渚の匂いに草壁の匂いが混ざっている気がして、吐き気がした。


「……あいつと、なにか話したの?」


 聞いちゃだめ。聞かない方がいい。分かっているのに、問い詰めてしまう。


「あいつって……草壁のこと?」


 嫌だ。渚が草壁の名前を口にしただけでぞわっとする


「まあ、普通に喋ったけど……」


 言いながら、渚がじっと私を見つめた。まるで、私の心の中を覗き込もうとするみたいに。


「桃華、もしかしてさ」


 渚が私の顔を覗き込む。

 唇が触れそうなほど近い距離に、心臓が騒いだ。


「私があいつと話すの、嫌なんだ?」

「……それは」


 口の中の水分が急速に失われていく。


「なんで? なんで桃華、私があいつと話すのが嫌なの?」


 渚が草壁を好きになってしまうのが怖いから……なんて言えない。

 その可能性が、ほんのわずかでも渚の中に生まれるのが怖いから。


「教えてよ、桃華」


 がらっ、と音を立てて保健室の扉が開いた。先生と草壁が保健室に入ってくる。


「先生連れてきたよ」


 渚が草壁へ視線を向ける。たったそれだけのことに、泣きそうになった。


 嫌だ。ねえ、渚、やめてよ。

 草壁のことなんて見ないで。


「かなり顔色が悪いわね」


 先生が近づいてくる。私は、頷くことしかできなかった。

 早くこの空間から逃げ出したい。渚を連れて、草壁から遠く離れたところに行きたい。


「親御さんに電話する?」

「あ、えっと……はい」

「分かった。貴方たちはもう帰っていいわよ」


 先生が言った瞬間、私はとっさに渚の腕を掴んでいた。

 だめ。2人で行かせるなんて、絶対にだめ。


「……行かないで、渚」

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