第16話 魔王ザルメザッハ
魔の大陸アローシュナに上陸してから一日目は呆れるほど順調だった。モースペンの城に続く森に魔物の姿はなく、天候にも恵まれ、進軍は本当に快調だった。恐らく魔物達はアルメリア軍の陽動に引っかかってジーバーグの南の島タワールへ出払っているのだろう。
おかげで夕方には魔王のいるモースペンの古城近くまで接近でき、私達はここでアルメリア軍と共に夜営の準備に取り掛かっていた。
夜のうちに魔王軍がタワールから引き返して来たとしても、もう手遅れだろう。いくらここからタワールが近いといっても、船で一日、上陸してから半日以上の道程となるのだ。
(明日、全てが終わる……)
私は夕日に染まる、モースペンの古城を見上げた。それはアルメリアで見た城とは比べ物にならないほど小さく、朽ちてみすぼらしかった。
(あれは……マリアさん?)
ふと見かけた、賑やかな野営地を隠れるように出ていこうとするその人影は、私に気づいてこちらを向いた。
「あ、ローザさん」
「マリアさん、一体どこへ行くのですか?」
「今日のお祈りがまだでしたので、これからしようかと。ほら、ここだと騒がしくて静かにお祈りできませんので……」
マリアさんはそれだけ言うと、白とエメラルドグリーンの法衣をはためかせて森の中へと消えていった。
(大丈夫かな?)
私が気になったのは、彼女の顔色だった。魔王の居城を目の前にして不安になったのか、今までに見た事がないくらいマリアさんの顔は青ざめていたのだ。
(うーん、気になるけど今更マリアさん一人の調子が悪くても、問題ないわよね)
マリアさんの様子がおかしかったのは少し前からずっとだし、今はアルメリア軍の神官戦士達も同行しているのだ。彼女一人が明日の決戦に参加できなくなったとしても、大した問題ではなかった。
* * *
その翌朝、モースペン城に向かうアルメリア軍を迎え撃ったのは、ゴブリン(緑の小鬼)の大隊だった。
「ぐぎゃあああっ!」
ゴブリン達の惨めな叫び声が、森に響く。魔術を使う者やら、体格に優れる亜種やらもいる混成部隊だったが、一大隊で千を超えるアルメリア軍に敵う筈もない。
そんな、楽勝とも思える戦いの最中だった。
ブンッ!
近くで空気が揺れたの感じ咄嗟に振り向くと、いつの間に忍び寄ったのか赤い帽子を被ったゴブリンが、私めがけて刃を振り下ろしていた。これはレッドキャップと呼ばれるゴブリンの亜種で、暗殺を得意とする種族らしい。
ガキィッ!
「大丈夫か、ローザ」
咄嗟に私を庇ったワンダの肩から血が滴る。身にまとった赤紫の鎧のおかげで軽傷で済んだようだが、レッドキャップは手負いのワンダに標的を変え、手にした鎌状の刃を再度振るう。
ザシュ……
が、次の瞬間ワンダの戦斧は、鎌の柄ごとレッドキャップの首を引き裂いていた。
「ワンダ大丈夫!」
駆け寄る私に、ワンダは何事もなかったかのように笑っている。
「こんなかすり傷で大袈裟だなローザは。
それより、狙われたのはおまえなんだぜ。勇者パーティの実質的な指揮官がローザと知れているのかもしれない。おまえこそ用心しろよ。、
おーいマリア、傷を治してくれ!」
ワンダは近くにいたマリアさんに声をかけるが、マリアさんはいつもに増して浮かぬ様子だ。
「ごめんなさい、魔王との決戦に備えて魔力を温存したいの。このポーションで治療しといて」
「なんだよ、いつもに増してケチ臭いなおまえ」
ワンダはマリアさんに口を尖らせながら、差し出されたポーションを受け取る。
普段のマリアさんなら、この程度の怪我はすぐに治してくれるのだが、やはり昨日の夕方から様子がおかしい。とはいえ慎重なマリアさんの事だから、本当に魔力を温存したいだけかもしれないし、私はその疑いを口にするのを止める事にした。
「勇者殿、手筈通り精鋭72名をお預けします。
残りのゴブリン部隊は、我々が殲滅しますので、裏門へ急いでください」
軍に同行していた参謀補佐官のジェイクが、勇者に駆け寄るなりそう告げた。正門のアルメリア軍本隊が囮となり、痛みの激しい裏門を私達勇者パーティと、それを補佐する精鋭部隊が破る算段なのだ。
勇者に預けられる精鋭部隊の内訳は、無詠唱魔法をマスターした魔術師21名・精鋭神官戦士23名・歴戦の戦士達が28名とそうそうたるメンバーだ。中でも特筆すべきは神官戦士達で、マリアさんと同レベルの神官であるうえに、戦士としても一流。最も数の多い精鋭戦士にしたって、ワンダさんと同レベルの腕前だった。
「了解です! ご武運を!」
勇者はそう答え、精鋭部隊と共に本体から離れ、目立たぬ脇道を選んで裏門へと向かった。
* * *
モースペン城裏門へと続く道は、獣道といって差し支えないほど細く、そして凸凹で走りにくい場所だった。
私はふと本隊の方を振り返ったが、もう金属のぶつかり合う音も、魔物達の悲鳴も聞こえてこない。恐らくはゴブリン部隊の殲滅は終了し、もう正門へ進軍しているのだろう。
(今日も晴れてくれてよかった……)
わたしは天を見上げほくそ笑む。魔物達の中には光を嫌う者も多く、陽光が照りつけるこの空は、明らかに私達にとって追い風だった。この森の中では木々に遮られ、日の光がほぼ届かないが、モースペン城近くの森は切り開かれているのだ。魔王軍にとっては不利な事このうえない。
「なんだあれは?!」
先頭を行く兵士達が騒いでいる。モースペン城裏門への森の出口を、一体の獣人が塞いでいたのだ。
「我が名は魔将アヌビウム! そなた等の命もらい受ける!!」
猫の首と黒い肌を持つ獣人がそう叫んだ瞬間、私達の周囲を灰色に発光する魔物達が取り囲んでいた。
「これは!!」
驚きの声を上げる勇者を、猫の首が笑う。
「貴様等に殺された、同胞たちの恨みを知るがよい!!」
(こいつ! ネクロマンサー!!)
ネクロマンサーとは、死霊使いの事だ。口ぶりから察するに、奴は恐らく我々が倒した魔王軍の霊を召喚したのだろう。
「アモン!!」
勇者が驚愕し、叫ぶ。彼の周囲に現れた無数の魔物の霊の中に、ヤギの頭と翼を持つ悪魔の姿が混ざっていたからだ。
「うおおおぉぉぉっ!!」
「きゃあああぁぁぁっ!! なんなのよこいつ等!!」
続いてワンダとアリスが悲鳴を上げる。彼女たちの周りにも大勢の魔物達が姿を現し、取り囲んでいた。
「なんだ! こいつらぁぁっ!!」
「神官戦士はどうしたぁぁ! はっ、早く浄化の魔法を!!」
私達に同伴している精鋭部隊達も、自分達の数十倍の霊を目にして、混乱している。
彼等の言うように神官戦士の浄化の魔法は、ネクロマンサーの天敵だ。格上の術者が死霊を操ったとて、神官得意の浄化の魔法の前では無力なのだから。
しかし、浄化の魔法には長い祈りが必要となる。それが完了するまで自分達の数十倍の悪霊達から神官を守り通さねばならないのだが、彼等は混乱していて神官戦士をかばうどころではなく、また仮に混乱していなかったとしてもそれは困難な事だったろう。
「ほぅ……」
アヌビウムが私の方を見て、目を細めている。私の周囲には奴の召喚した悪霊が寄り付かなかったからだ。
恐らくそれは、私が戦場で魔物を殺していなかったからだろう。それが証拠に、戦場で最も多くの魔物を殺した勇者には、大量の悪霊達が群がっている。
それに対して私は、ジーバーグの戦場で魔物を一匹も殺していない。私はショートソードを使って魔物達を追い払いはしたが、それが命のやり取りにまで発展した事はなかったのだ。奴等が、生前の恨みで襲う人間を選んでいるならば、私に向かって来よう筈がない。
そして、その見解が正しいのならば、もう一人だけ死霊に襲われない人物がここにいる!
「マリアさん、私が援護します! 早く浄化の魔法を!!」
そう、マリアさんもまた、戦場では魔法で味方の傷を癒し、あるいは補助する事に徹していたため、魔物を一匹も殺してはいない。今は彼女だけが、浄化の魔法を使う事が出来るのだ。
彼女が神官戦士達のように、戦場でメイスを振るう腕力がなかったのは、幸運だった。如何に魔将アヌビウムのネクロマンサーとしてハイレベルでも、彼女一人の力で容易にこの盤面をひっくり返す事が可能なのだから。
「マリアさん?! 早く!!」
私はショートソードを抜いてマリアさんの盾となるべく前に出たのだが、彼女は一向に浄化の魔法を唱えない。
「何をやっているの、マリアさん! このままではみんなが……」
マリアさんの方を振り向いた私は絶句した。彼女の体から、どす黒い影のようなものが噴き出していたのだ。
「マリアよ、その女盗賊を殺して魔王様への忠誠の証とせよ」
ビシュンという鋭い音と共に、肩に痛みが走る。マリアさんの持つ神々しい金の杖から、黒い雷が放たれて私の肩をかすめたのだ。
「マリアさん、なぜ!?」
「あなたが、私から山波様を奪ったからよ……」
黒い霧をまとったマリアさんの顔が、悲し気に歪んでいる。
私達は完全にしてやられたのだ。
魔王ザルメザッハは、人の心を操り調略を得意とする魔王。この魔王にとって、マリアさんは格好の獲物であったに違いないし、彼女を通じて私達の作戦は筒抜けだった。ここで魔将アヌビウムが待ち構えていたのも、勇者を抹殺する確かな策があったからに違いないのだ。
マリアさんは、再び私に向かって杖を振りかざす。黒い煙の様なものが金の杖を覆い、その先端へと集中していく。
「誤解よマリアさん!
私は勇者様に惚れていないし、勇者様もマリアさんを愛していたのよ!
勇者様は私に、どうマリアさんに告白すべきか、相談していたくらいなのよ!!」
「え?」
私が勇者にその気がなかった事以外、全ては咄嗟の嘘だ。しかしマリアはその一言で、力なく杖を下げる。
(今だ!)
私はショートソードを握って、マリアに突進する。
あの黒い煙は、恐らく魔王の力。それを纏ってしまった彼女に、浄化の魔法を期待する事はできない。もう彼女は引きかえせないのだ。
嘘がバレれば殺される以上、私にも選択肢は残されていない。
(こんなことなら……)
マリアに到達するまでの数歩が、その時の私には長く長く感じられた。
(……一言告げておけば良かった)
マリアは、魔王に魂を売った今でもなお迷っている。もし私が勇者にその気のない事を教えて誤解を解いていれば、結果は違っていた筈だ。いや、そこまでせずとも勇者にしていたように、彼女に対しても心の中で祈ってやっていたのなら、もしかしたら少しは結果が違っていたのかもしれない。
私の後悔を乗せた刃は、そのまま垂直にマリアに突き刺さる筈だった。
(!!)
刃は、マリアから数センチのところで止まっていた……。いや違う、私の手首がなにか見えないものに掴まれていた。
「逃げろローザ!! おまえだけでも!!」
ワンダの声が辺りに響く。周囲を見渡すと勇者も、アリスも、アルメリアの精鋭部隊達も皆ダランと手を下げて、ただ虚空を見つめたまま動かなくなっていた。
そんな中、悪霊達に取り囲まれたワンダ一人だけが、斧を振るって必死の抵抗を続けていたのだった。
「ふむ、我が幻術を跳ね除けるとは、アヌビウムをもってしてもあの女の心に恐怖を植え付けられなかったとみえる。これは恐れ入った」
いつの間に姿を現したのだろう? 私の目の前には背の高い金髪の美青年が立っていた。その美青年の姿は人間と殆ど変わらなかったが、二つある右目だけがひたすらに不気味に輝いていた。
「くっ!」
その男に手首を捻じられた私は、ショートソードを離してしまった。私の手を離れた剣は、湿った土に吸い込まれるようにして地に突き刺ささる。
「アヌビウムご苦労だった」
「ハハッ!」
アヌビウムがうやうやしく男に礼をするのを見て、私は確信した。これが魔王ザルメザッハなのだと。
アヌビウムが頭を下げるのにならい、マリアもこの男の前に手をついて頭を下げている。
「既にこの城の正面に集結したアルメリア軍には、勇者が敗れる様を私の幻術で見せた。とはいえ、それだけでは真偽を疑う者も出てくるだろう。
盗賊の女よ、貴様が生き証人となり勇者の敗北が真実である事をアルメリアに知らせるのだ」
シュウウゥゥゥ……
魔王が手を触れると、私の肩の傷が塞がっていく。
「さあ、行くがよい」
魔王は私から手を離した。
「いいから行けローザ! 俺達に構うなぁ!」
躊躇する私に向かって、悪霊達に取り押さえられたワンダが叫ぶ。
「ごめんワンダ!」
私はそう叫んで彼女に、そしてアリスと勇者に背を向けて、涙でにじんだ景色の中を駆け出していた。
私の完敗だった。
勇者とアルメリア軍の力にばかり気を取られ、最も心を闇に染め上げていたマリアから私は目を背けた。逆に魔王はマリアこそ勇者を倒す切り札として目を付けていた。これが、この戦いの勝敗を分けてしまっていたのだ。
そして皮肉にも、私が願っていたとおり”勇者と共に死ぬ運命”だけは変えられていた。私が今日まで一心に願ってきた通りに、無事に帰りたいという思いだけは叶っていたのだ。
もし私が勇者と、そして仲間と共に魔王を倒す事を願っていたのなら、それが叶えられていたのかもしれない。
§ § §
●アルメリア歴369年2月末
第二の勇者、海川=辰夫が女神より遣わされる。
●同年3月
勇者パーティ唯一の生還者ローザが、パーティ壊滅の報をワーシール城に持ち帰る。 そして第二の勇者、海川=辰夫との謁見を求めた彼女は、一目これを見るなり「これは女神の与えた試練である」と喝破した。
曰く、女神が不完全な勇者ばかりを再三にわたり我々に遣わすのは、かの者を一人前に育ててみよという試練であり、その従者には勇者を一人前に育て上げる気概と、とりわけ人格に優れる者を厳選すべきである、と。
王はその進言を受け入れ、ローザを次の勇者パーティにも加わるよう命じたが、彼女はこれを固辞。これまでの働きを労う500万マニーを受け取って城を後にした。
●同年10月
魔王の居城モースペンを二代目勇者パーティが攻略。魔将アヌビウム・裏切り者マリアの討伐にも成功したものの魔王ザルメザッハは逃亡。その後、魔王の行方も生死も不明である。
王が不在となったアローシュナ大陸の魔物達はその勢力を著しく後退させ、主導権を巡る争いも頻発し衰退していった。
尚、モースペン城内に残された資料と遺留品から、先代勇者山並=大児とフューリー家の末娘アリスの死亡を確認。マリアの下僕として地下牢に繋がれていたワンダは、無事救出された。
●アルメリア歴370年2月
アルメリア王が病に倒れ、後継者問題に国が揺れ始める。
●同年6月
後継者問題は悪化しアルメリアを二分する内戦へと発展。その背後に魔王ザルザメッハの暗躍を疑う説も広まったが、確証はない。
●同年9月
覇権国家アルメリアの分裂により、世界各国は再び覇権戦争へと突入。その戦火は広まるばかりで収まる気配がない。
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