第15話 魔の大陸アローシュナ

 アモン討伐の祝勝会は、豪華なものだった。無論、オカサオのアルメリア軍の陣地で行われたのだから、宮殿の舞踏会とは比較にならない。が、ここが前線である事を思えば、とても考えられぬ破格のものだった。

 服も、料理も、酒も、そして参加している将校達の身分も、一流といって差し支えない。もっとも、建物だけは狭く、些末で三流以下。飾りつけで誤魔化している状態なのだが。

 私は酒のグラスを片手に、二階のテラスで一人で夜空を楽しんでいた。

 やんごとなき身分の貴族、それも軍属の者と話が合う訳でもなく、また顔見る度にセクハラしてくる勇者と一緒にいても、折角の酒や料理が台無しになるだけだ。一人で星を肴に酒を嗜む方が、どれだけマシかわからない。


「よう」


 不意に声をかけて来たのは、ワンダだった。

 赤紫の鎧を纏って赤い髪を戦場にたなびかせる普段の姿に見慣れているため、白いドレス姿で髪をアップにまとめた彼女には、どうしても違和感を抱いてしまう。


「なんだよ?」


「ドレス姿のワンダも素敵だなって」


 ハハっと彼女は、私を笑う。


「お前だって、赤いドレスなんて派手なのは普段着ないのに、よく似合ってるじゃねーか」


 ワンダはそう言いながらグラスを掲げ、私も自分のグラスをそれに合わせる。


チン……


 涼し気な音色を立てたグラスから、ワンダは酒を一気にあおる。


「今日の主役は大児って事になってるが、俺はお前こそが一番手柄だと思っている」


「あたしは、なにもしてないわよ」


「はは、戦闘ではな。けど、指揮はしていたろ。

 それに気付いてるか? 今の大児の本命が自分だって」


「え?」


「ローザ、おまえって、ほんとにそういうとこだけぬけてるな」


 ワンダは笑うが、私はあの勇者に全く興味がないだけなのだ。あいつが自分に惚れてると知ったところで、気持ち悪いと思うだけだ。


「まー、でも、お前の方にはその気がないみたいだし、大児がお前の言う事ならよく聞いてくれるのも好都合だ。

 暫くは、このままお前に大児の手綱を預けておくとするよ」


「いいんですか?」


 ワンダは、勇者を狙っている。自分があの勇者を落としてみせると公言してはばからなかった。私に勇者がなびいた事は、面白くないものとばかり思いっていたのだが。


「大児は、移り気が激しいからな。こっちを振り向かせる機会はいくらでもあるさ。

 魔王討伐の後だってそのチャンスは何度でもありそうだし、今はマリアが邪魔ばっかしてきて、どうにもなんねぇ。

 だから、今はローザに大児を預けておいた方が、なにかと上手くいくんだよ」


 ワンダは片手を、私の肩に置いて力を入れる。


「だから、これからもしっかり頼むぜローザ」


 それだけ言うと、彼女はすぐに一階のパーティ会場に戻ってしまった。

 二階から見下ろすと、ワンダが料理の皿に向かって駆けて行くのが見える。普段からよく食べる人だとは思っていたが、こんな時でもお構いなしだ。ドレスを纏っていても、彼女食い気は何も変わらないのだ。


(あの勇者の本命は私か……まいっちゃったな)


 さっきのワンダの言葉を思い出し、私は頭を抱えた。勇者に好かれたいなどと思っていないのもそうだが、それよりもマリアさんの私を見る目が気になったからだ。

 ワンダ同様、マリアさんも勇者を狙っているのは知っている。しかも、彼女は嫉妬深く、恨み深い性格だ。ワンダの様にあっけらかんと、それを受け入れられる性質ではないだろう。


(今のうちに、”私にはその気がない”って言っておいた方がいいのかな?)


 もう一度階下を見下ろすと。パーティ会場の端で一人で料理をつまむマリアさんの姿がちょうど目に入った。普段と変わらぬ神官服姿の彼女は、近くで貴族出身の将校達に囲まれて歓談するドレス姿のアリスとは対照的で、少し寂しそうにすら私には見えた。

 もし彼女と話をするのなら、今が絶好の機会だろう。


(ま、いいか……)


 が、私は少しの間悩んだが、結局は彼女に話しかけるのを止めた。

 いつぞや馬車で話した時のように、彼女の感情がひょんな事で爆発するのも怖かったし、今のままでも勇者パーティは十分やっていけるだろうと、そう思えたからだった。

 私はすぐにマリアさんから目を逸らし、パーティ会場の音楽をそれとなく耳にしながら美しい星空を楽しむ贅沢を再開していた。



         *      *      *



 アモン亡き後、ジーバーグの魔王軍は総崩れ状態だった。全く統制が取れていないどころか、時には仲間内で揉めて殺し合いにすら発展してしまう。

 考えてみれば、もともと奴等は乱暴で残虐な性格の持ち主ばかりなのだ。圧倒的な力で彼等を征する者がおらねば、そうなってしまうのは必然なのだろう。

 そしてアルメリア軍も、ジーバーグ軍も、そして私達勇者パーティも、そんな魔物達を蹴散らすなど造作もない事だった。魔物達一体一体の力が強くとも、それだけでは軍として戦えるわけもないのだから。


「これで、ジーバーグの魔王軍も終わりだな」


 南の海の向こうに小さく見えるタワールへ、空を飛んで逃げる魔物達を見送りながら、勇者が呟く。

 アモンが死んでからジーバーグを開放するまでにかかった時間は、僅か一か月ちょいだった。そのあっけなさには、私も驚くばかりだった。


(この調子なら、魔王討伐もすぐに済むのかな?)


 私は、ふとそんな事を思いながらみんなの顔を見渡した。


 勇者は、私にセクハラしてくる以外、特に今は問題となるような行動はしていない。それに、勇者に惚れたワンダやマリアさんが彼に身体をまさぐられたって平気な顔をしていたのも、セクハラ癖を付ける一因となったのだ。あのセクハラは憎ったらしいが、勇者一人の責任とも言い切れない。

 いや、それでも……、それら全てを加味しても本気で腹立たしいし、やっぱしこれだけは容赦できないのだがっ!

 もとい、……勇者については、もう考えるのを止めよう。かまけた分だけ時間の無駄だ。


 ワンダは、前よりも生き生きしている。

 勇者への接近をマリアさんに邪魔されて悶々としていたり、積極的に魔王軍と戦いたいのに肝心なところで臆病なアリスや慎重なマリアさんに邪魔されてイライラしてばかりだったのだが、今は嘘のようにスッキリしている。


 わがままばかり言っていたアリスも、アモンにしてやられて懲りたのだろう。今はあの頃と比べれば大人しいし、私の言う事にも従ってくれる。

 もっとも、歳に見合わぬ貴族独特の尊大さを発揮する事も稀にあるのだが、それも許せる範囲に収まってくれていた。


 マリアさんは……


(うーーん)


 マリアさんだけは、一人で沈んでいるふうだった。表面上はにこやかに振舞っているものの、なんというか彼女の周りだけは空気が重く感じられるのだ。

 もしこれが、私への誤解と嫉妬が元であるのなら、彼女と少し話をした方がいいのかもしれない。

 が、しかし、今の私達はアルメリア軍と共に行動しているのだ。彼女一人に構うより、アルメリア軍との仲介役に徹した方が、私としても楽だし効率的に思える。


(マリアさんの事は、後回しでもいいか……。常識のある人だし、例え思いつめていたとしても、滅多なことはしないでしょ)


 それにその時の私は、直前に耳にした”魔王軍に連戦連勝した報を聞いて気を良くした国王が、私達への報酬の金額を2500万マニーから4000万マニーに上げた”というニュースで頭が一杯だった。


(魔王討伐が終わったら、どんな生活をしようかしら……)


 私はマリアさんの事はすぐに忘れ、そんな事を考え始めていた。



         *      *      *



「我々は、タワールではなく、直接アローシュナ大陸を目指す!」


 マーク=ザッハード総司令が、その日の作戦会議で発した第一声は意外なものだった。アローシュナ大陸に最も近いタワールを橋頭保(きょうとうほ)とし、大陸に攻め込むのが戦略的に定石だったからだ。

 ジーバーグからアローシュナに伸びる補給線の距離と不安定さを考えれば、タワールを無視するのはリスク以外のなにものでもない。


「ジェイク参謀補佐官!」


「ハッ!」


 総司令の指名により、ジェイクが勢いよく起立する。


「実は、アローシュナ大陸の南端、モースペンの城に魔王ザルメザッハが姿を現したのです。恐らくは、魔将軍アモンが戦死した事によって崩壊した前線を立て直すために直接指揮を執る気なのでしょう。

 我々の狙いは、この機会に一気に魔王の首を採る事にあります。

 幸いモースペン城は、修理も済まぬまま放置されていた古城。今から補修したとて、たかが知れています……」


 ジェイクの説明によれば、アルメリアとジーバーグの連合軍は、タワール解放に向かうと見せかけてジーバーグから船を出し、その途中で進路を変更、一気にアローシュナ大陸に向かう計画のようだ。

 ジーバーグ軍の半数は、囮としてそのままタワールに向かう船団となり、これに魔王軍が欺かれている間にモースペンを落とす算段だ。


「……幸いモースペンの地形は、我々も把握済みであります。攻め込むのは容易でしょう。

 が、しかし首尾よく攻め込んだとて魔王を直接倒せるのは恐らく勇者殿のみ! くれぐれもご油断召されぬよう! ご武運をお祈りします!」


 ジェイクのその一言と共に、会議に出席していた軍の司令官達が一斉に胸に手を当てて起立し、勇者に敬礼を送った。



         *      *      *



 アルメリア軍のアローシュナへ直接攻め込む作戦は、図に当たっていた。

 タワール侵攻と見せかけた事も、航路を読まれぬようにあえて岩礁地帯近くを通った事も幸いしたのだろう。

 一日半の航路で遭遇した魔物は、岩礁近くに生息していた大ウミヘビの化け物のみだが、それも勇者の放った雷の矢であっという間に黒焦げになってしまって、こっちの被害は一切なしだ。

 唯一問題があったとすれば、勇者とアリスがまた船酔いになった事くらいだろうか……まぁ、それすら波が穏やかだったので、軽症で済んでいた。


「なぁんだ、大した事ないじゃない」


 魔の大陸アローシュナに上陸して、船酔いが抜けきっていないアリスが最初に言ったのがそれだった。

 ”魔の大陸”と聞いていたので、そこはどんな恐ろしい魔境なのかと私も身構えていたのだが、ぱっと見は大して他の大陸と変わらない。気になる事があるとすれば、見慣れない植物がいくつか生えているくらいのものだろうか。

 今日は天気も良く、ここが魔の大陸と知らなければピクニックでもしたいほどに、のどかな光景だ。私達に続いて続々と船団から降りてくるアルメリア兵達にも、全く動揺は見られない。彼等は船旅の途中でアローシュナ大陸行きを知らされ、船の中では不安で一杯だったにも関わらずだ。


「魔王のいるモースペン城というのは、あれかしら……」


 マリアさんの指さす先には森が広がり、その木々の中に塔のてっぺんがかすかに覗いていた。その古城の塔はやけにみすぼらしく、千人を超えるアルメリア兵と共に上陸した勇者にとって、さしたる障害になるとは思えなかった。

 周囲のアルメリア兵達も、その塔を見上げて安堵の声を漏らしている。恐らく彼等は、魔境の中にそびえ立つ堅牢な城を想像していたのだろう。

 そんな大勢のアルメリア兵に囲まれて、私もまた周囲の弛緩した空気に流され今から勝利を確信するほどであった。

 勇者と共にアモンに殺される心配をしていたのが、今では遠い昔の事のようだった。

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