第11話 不和

「くそ! くそぉぉぉっ!」


 ワンダが必死に戦斧を振り回すが、私達を包囲している空飛ぶ悪魔には届かない。


「もぉ、嫌だよぉ……」


 アリスに至っては、遂に魔法を唱える事すら諦めて、べそをかいて座り込む始末。

 マリアさんだけは諦めず、皆に各種祝福の魔法をかけて力を与えて戦力の増強を試みるが、それでは埋まらぬ実力差がある事は明白だった。

 突破口があるとすれば勇者だけなのだが……。


ズドドドゥッ!


 先ほどから、悪魔達の放つ氷魔法を避けるのに精いっぱいの様子だ。

 勇者は魔法で反撃を試みる度にアモンに邪魔され、アモンを退けようとする度に悪魔達の魔法によって邪魔をされる。なにより私達の事が気になって、集中力を欠いているのが致命的だ。

 そして私は、何もできなかった。

 手にしたショートソードが空の悪魔達に届く筈もなく、またワンダの様に悪魔達の放つ魔法を弾く腕力だってない。女盗賊である私は、もともと戦闘要員ではないのだ。


「うわぁっ!」


 ワンダが悪魔の魔法を受けて、また弾き飛ばされた。

 強力な魔法を何度も受け止めるだけの力があるのは流石だが、今その力は悪魔達を楽しませる事にしか役に立ってはいない。

 悪魔達はニヤニヤと笑いながら、ワンダが起き上がるのを待ち構えている。


(このままでは、もたない……)


 私はそう直感していた。

 先ほどから悪魔達は、勇者に氷魔法ばかりを浴びせかけている。勇者は魔法そのものはその都度はじき返しているもの、魔法によって周囲が冷やされる事までは防げていない。

 勇者との距離は5メートル以上離れているのに、私でも肌寒いと感じるのだ。勇者の体力は、寒さによって確実に削られているに違いない。


ズドドドドッ!


 遂に私の予感したとおり、悪魔達の氷魔法に勇者が呑まれた。それは剣で氷を弾き返し損ねたというより、体力を消耗しきって勇者が動けなかったように見えた。


「大児ーーっ!」


 ワンダが叫ぶ。


「おにいちゃん……」


「山並……様……」


 アリスとマリアが真っ青な顔で、か細い声を漏らす。

 勇者は倒れ伏したまま、もう動こうとはしなかった。


「ククククク」


 勝利を確信したアモンとその親衛隊達の笑い声が私の耳に容赦なく入り込み、頭がぐわんぐわんと揺れるような、そんな感覚にすら陥っていた。そして、まさにその時だった。


ドゥッ!


 無数のファイアーボールが後方から油断した悪魔達を襲い、ヒュンヒュンと矢が雨のように浴びせかけられる。振り返るとそこには、ジーバーグ軍の大部隊が集結していた。


「小癪な!」


 数名の部下を撃ち落とされ顔を歪める魔将軍アモンに、更なる不運が襲い掛かる。


バシュンッ!


 倒れた筈の勇者が、光の槍をアモンに向かって放っていた。

 その巨大な光の槍はアモンの右側頭部をかすめ、彼のヤギの角と頭皮の一部をこそげ落とす。もしアモンが首を傾けてかわしていなかったのなら、奴のクロヤギの頭は消し飛んでいた事だろう。


「死んだふりをしていたのか! このタヌキがぁ!」


「昔から仮病は得意だったんだよ!」


 勇者は続けて雷の竜を両の掌から放つ。


「ぐあぁぁぁっ!」


「ひぃぃぃぃっ!!」


 アモン自慢の親衛隊は雷の竜に飲まれ、バチバチと嫌な音を響かせながら次々と消し炭へと姿を変え、焦げる臭いと共に黒く染まり消え去っていく。


「くそおぉぉぉっ!」


 そう叫びながらアモンは生き残った親衛隊数名と共に、飛び去って行く。それはあっという間の事だった。なんとあっけない事かと呆れたが、よくよく考えれば敵ながらその引き際は見事という他ない。追撃するかどうかを悩む暇すら、奴は私達に与えてくれなかったのだから。

 もっとも結果的にみればもう少しあがいた方が、アモンにとっては良い結果となったのかもしれないが。


「助かったよ、ありがとう」


 そう言ってジーバーグ軍の方に振り返った勇者の顔は、勝利者のものとはかけ離れていた。

 頬を伝う涙の跡は彼がいかに追い詰められていたかがにじみ出ており、その表情も勝利の余韻に浸る満足げなものではなく、むしろ安堵がにじみ出ていた。


「大丈夫ですか、山並様。いったい悪魔達の魔法をどうやって防いだのです?」


「いや、あえて防がなかったんだ。

 あの程度の魔法なら、直撃してもなんとか耐えられそうだなと思ったから……」


 マリアさんにハンカチで顔を拭かれながら、勇者が力なく笑う。

 が、少し足元がふらついてるところをみると、何度もできる芸当ではなかったのだろう。早速ハンカチをしまったマリアさんが、回復魔法をかけるべく杖を手にしている。


「ありがとうございます! よくここが分かりましたね」


 アモンが炎の魔法で開けた大穴を乗り越えてやってきたジーバーグの隊長は、先ほど私達が魔王軍から助けた部隊の人だった。


「アルメリア本隊が魔王軍隊長部隊に総攻撃をかけるとおっしゃっていましたので、我々もその鮮烈に加われないかと確認を取ってみたのです。すると、そんな作戦はないとすぐに分かりましてね。

 勇者様を嵌める罠だと気づき、近くの部隊を集め、こうしてお助けに参ったのです。

 いや、危機一髪でしたな。間に合って本当に良かったですよローザさん!!」


 彼に続いて大穴を乗り越えて来るジーバーグの部隊は、数え切れないほどの人数だった。


「勇者様が魔将軍アモンの部隊を打ち破ったぞーーっ」


『オーーーッ!!』


 隊長の号令でジーバーグの勝鬨(かちどき)がラーナの森に響き渡る中、マリアさんが一人私の後ろへと歩み寄る。


「今日は、ワンダとアリスのせいで危うく大切な勇者様を失うところだったわね。

 戦闘でも足手まといになるばかりだったし、いっその事、魔物に殺されてくれないかしら、あの二人……」


 耳元で囁くその声は、およそ聖職者とは思えぬ冷たいものだった。



         *      *      *



 その夜、またアルメリア軍の施設を抜け出した私は、オカサオの町のバーを目指していた。今日の戦いで芽生えた強烈な不安、それを私はどうにか紛らわしたかったのだ。

 確かにマリアさんの言う通り、ワンダもアリスも偽情報を見抜けず、それが故に勇者を死地に送り出す結果となった。彼女達はそれぞれ剣術指南役、魔術指南役として勇者に付けられたのだが、それも剣術と魔法を勇者がマスターしてしまった今となっては役割を終えている。

 合理的に考えるならば、あながち間違いともいえないのだが、しかしマリアさんの言う通り魔物に殺されでもしたら、勇者はどうなるのだろう? アモン親衛隊に私達が嬲られていた時にみせたあの勇者の泣きそうな顔……、私達の誰か一人でも死ぬような事があれば、彼はどうにかなってしまうのではないだろうか?

 勇者を独り占めにしたいマリアさんは、その事が見えていないのかも知れないが。


(これは、もうどうしようもないかもしれない……)


 そんな考えが、私の脳裏をよぎる。これまでもマリアさんとワンダの間に勇者を巡る確執はあった、しかしもうマリアさんの抱くそれはアリスも巻き込んだ殺意へと変っている。表向きは平静を装っていたとしても、水面下で心がバラバラのパーティなど脆い。

 これまでは勇者の圧倒的な力に支えられて、それでもなんとかやってこられたが、勇者に対抗しうる力を持つ敵が現れた今、これからも無事にいられるとは思えなかった。


(そもそも、あの勇者さえちゃんとしていれば……)


 確かにワンダとアリスは偽情報を鵜呑みにしたが、勇者の決断はそれ以下だったのだ。

 常に周囲の顔色ばかりを伺い、波風を立たせぬことばかりに心を砕いていて、今どういう作戦を立てるべきかなど考えもしないのだから。だからワンダの気迫に押されて、自ら死地へと赴く決断を最終的に自分自身でしたのだ。


(なんであんなのが勇者なのよ……)


 私はそんな事を考えながら、バーのドアを潜った。


「また会ったわね、おじいさん」


 バーのカウンターには、先日会った身なりのいい初老の男性がいた。私は彼への挨拶を済ませると、その隣の席に着いてマスターに酒を注文する。

 別にこのおじいさんが気に入ったわけではない、今は話を聞いてくれる人がいるなら誰でも良かった。


「”お兄さん”だろ」


 老人は自分でそう言ってケラケラと笑う。その自分で言ったベタベタのネタを、自分だけおかしくなって笑ってしまう……、私からみれば、それはもう老人の感性なのだが。


「ね、知ってる? この国の食べ物が毒まみれだってこと」


 言うなと言われてはいたが、これはこの国に来てから私がずっと誰かにバラしてやりたいと思っていた事の一つだった。


「ああ、知ってるよ。まぁ、体に悪いが、毒というほど酷くもないと思うけどね。

 それに、もともと人間の体には多少の毒なら、なんとかしちまう力があるのさ。この能力を最大限に発揮できるようにしてれば、大抵なんとかなるよ」


 老人は事も無げに言う。


「その能力を上げるにはどうするの?」


「まずは、暗い事を考えない事だね。ほら、気落ちした途端に病気が悪化したとか、そんな話あるだろ?

 ”病は気から”と言ってね、いつも明るくしてれば多少の毒も病気もなんとかなるもんさ。

 次に体をちゃんと動かす事だが、姉さんは気を付けなくても大丈夫かな。

 そして最後に、栄養をしっかり取る事だね。ここいらの店で出されるような、味だけにこだわった料理だと栄養不足になるから、それを補うためのポーションを僕は作って売ってるのさ。

 もし、健康が気になるなら、姉さんにも一度それを持って来てやろうか? 二回目以降は代金を貰うけどね」


 そう言って老人はまたケタケタと笑った。彼の言う”いつも明るくしている”とはそういう事なのだろう。

 そしてこの老人の身なりがいいのは、恐らくはそのポーションとやらで儲けているおかげなのだろう。

 けれど、今の私にとって老人の提案は、決して魅力的なものではなかった。


「いらないわ。だって、あたしは明日にでも死ぬかもしれないんですもの。

 今更健康に気を付けたって、無駄になるだけよ」


 我ながら、よくこんな自暴自棄な言葉が口から出たものだと、言った後に呆れてしまった。


「んん? もしかして、こないだ話していた勇者さんの魔王退治に関わる事かい?」


「そうよ……」


 私はこの老人に、今日の戦いの話を聞かせてやった。

 魔将軍アモンに殺されそうになった事。勇者が周囲の目ばかり気にして、作戦を考えようともしない事。仲間達の折り合いが悪く、このままではパーティが内部から崩壊しかねない事。

 老人は私の話を黙って聞いていたが、一通りの話を聞き終わってからゆっくりと口を開いた。


「……なぁ、姉さん。なんでそんな勇者を神様は、遣わされたんだろうね? 100年前に魔王を討伐した勇者様は、知恵も兼ね備えた豪傑だったと伝えられているのに、なんでだと思う?」


「なんでって?」


「意地悪をしたのかな?」


「神様がそんな事する訳がないじゃない……でも、もしかして試練を与えるつもりだったのかな?」


「じゃあ、なんのための試練?」


「それは……わかんないわよ、神様のお考えになる事なんて」


 老人は、そこで少し複雑な表情を私にみせた。


「姉さん、神は和を好み、悪魔は不和を好むって知ってるかい?」


「いいえ……でも、そうなのかも……、言われてみれば、そんな事をどっかで聞いた気がするわね」


 私は小難しい神の教典などはあまり読んだ事はないのだが、それでも”和”を……、つまり”争わない事”を諭す教えがその中に書かれていたのを、辛うじて思い出す事が出来た。


「100年前の勇者様が魔王退治をしてから、人はずっと争い事ばかりして不和を繰り返してきた。最終的にアルメリアが勝利した覇権争いの戦争なんて、その典型さ。

 つまり100年もの間、神を崇めながら、悪魔に与(くみ)する事ばかりしてきたんだよ僕等は。だから、これは試練というより、仕方なかったんじゃないかな、と僕は思うんだ」


「人間が悪魔に近づき過ぎたから、完全な勇者を遣わす事ができなかったって事?」


「たぶんね。

 なぁ、これから僕はちょっと奇妙な事を言うけど、姉さん信じる気はあるかい?」


 私にそう問いかけた老人は、なぜだか少し照れくさそうな笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る