第8話 メインヒロインは私?
ローゼルースの港で待っていたのは、オーリン戦士長の部下だった。オットーと名乗ったこの兵士は、任務のため本国に残るオーリン戦士長の代わりに私達と共にジーバーグ行きの船に乗り込む手筈だった。
出航は明日になるため、私達はひとまずこの兵士に、ローゼルースの宿へと案内された。
「まず、ジーバーグの戦況を教えてくれ」
宿の大部屋に通されたオーリン戦士長は、オットーにそう切り出した。この部屋には宿の従業員すら一人もおらず、机と椅子が人数分規則正しく並べられていた事から、予めこの戦況報告のために人払いをして準備しておいた事が伺える。
「ハッ!
現在ジーバーグの南半分が魔王軍の手に落ち、我々はその奪還作戦を遂行中であります! しかし兵の消耗が激しく、戦況は決して芳しいものではありません。一刻も早い勇者様の到着を皆が心待ちにしております!」
ジーバーグは魔族の大陸アローシュナに最も近い島国の一つだ。南北に伸びた細長い列島国家でアルメリアとは同盟国という事になってはいるが、実質的な力関係をみると従属国と言った方が適切かもしれない。
ジーバーグの南にもタワールという小さな島国もあったのだが、今は魔族によって占拠されている。もしジーバーグの北半分すらも魔王軍が平らげるような事になれば、人類はアローシュナ大陸への足掛かりの一つを失う事になる。
「そうか……、他にも何かあるかオットー?」
報告を受けたオーリン戦士長の声は重い。
「細かい指示はジーバーグに着いてから、マーク=ザッハード司令官から通達される筈ですが、今のうちに注意しておかなければならない事が一つあります」
私達の前で直立不動の姿勢のまま、オットーが話を続ける。
「ジーバーグに着いても現地の食事を口にしないでください。必ず我々が用意したものを食べて下さい」
「ええっ!」
オットーさんのその言葉に、思わず声が漏れた。
ジーバーグは非常に料理がおいしい国だと聞いていたから、私は密かに楽しみにしていたのだ。このろくでもない勇者のお供でたまったストレスも、ジーバーグの美味しい食事で解消できるものと当てにしていたくらいなのだ。
「一年ほど前、我が国で禁止された調味料が幾つかあったのを知っているな。錬金術師達の作った例の調味料だ。
あれをまだ、ジーバーグでは禁止していないのだよ」
オーリン戦士長がオットーに替わり説明を付け加える。
最近になって数年前に錬金術師の作った調味料の幾つかが、人体に悪影響を与える事が判明し、これを使用する事がアルメリアでは禁止されていたのだ。
健康な者でもこの調味料を接種し続けると老年には体を痛め、また若い者でも体調を崩す事が多くなる事例が報告されたためだ。
この調味料の使用を禁止してから、アルメリアにおいて各所の医療費の負担は激減している。
「でも、それが禁止されたのって一年以上も前ですよね。アルメリアとジーバーグは仮にも友好国なんですし、なぜ未だにそんなものをジーバーグでは使用し続けているんでしょうか?」
マリアさんの疑問はもっともだ、私がジーバーグの立場ならすぐにでも禁止している。
「我々アルメリアは軍事力と経済力で世界の覇権を握っています。
アルメリアで禁止して調味料が売れなくなれば、我々の経済を支える商人達の力がその分だけ失われてしまう。商売の一つが潰れる訳ですから。
だから外圧をかけてジーバーグでは禁止しないように働きかけ、むしろ積極的に購入するように仕向けているのです。他にも我が国では禁止された有害な農薬などもこの国では未だに使わせています。
また、我が国ではこれらの商品を禁止する事で医療費を減らす結果に繋がりましたが、アルメリアの医療産業はその分どこかで損を取り戻さなければなりません。
ジーバーグ国民には気の毒ですが、我が国の医療産業を支えるためにも不健康になってもらう必要もあるのです。
当然ジーバーグの一般国民はこのことを知りませんから、現地に着いても無暗に吹聴しないでください。我が国の国益にも反しますので」
「ちょっと酷くないか、それ」
勇者が眉をしかめる。これには私も同意せざるを得ない。
「おにーちゃんそれは仕方ないの。弱いままウジウジしてたジーバーグ国がいけないんだから。アルメリアはジーバーグと違って努力して強くなったから、それくらいの恩恵があって当然なの。
そもそもジーバーグ国は、アルメリアが血を流して魔王軍から守ってあげてるんだから、文句なんて言えないの。もしアルメリアにお金がなくなってが弱くなっちゃったら、ジーバーグだって守ってあげられなくなっちゃうんだよ。
ジーバーグの国民だって、知ろうとさえすればこの程度の事いくらでも分かるのに、自分で自分の身を守ろうともしない怠け者なんですもの、自業自得だよそんなの」
これはアリスの言い分だが、本当に貴族の娘らしい考え方だ。
庶民に対しても、貴族はなんのかんのと理由を付けて彼等貶めては無理難題を押し付け、自分達を美化・正当化して美味しいところを根こそぎ奪っていく。それは自分達のやらかす、どんな非道な行為に対してだって例外ではない。
本当に貴族……いや、彼等に限らず権力者という連中は、己の利害のためなら良く舌が回るものだ。
「うーーん」
勇者はアリスの言葉に納得しかねるようだが、反論する言葉もみつからぬらしく、そのまま黙りこくってしまった。
もっともこれ以上抵抗を続けたところで、ディベートの能力もなければ、この世界の事情に口を挟めるだけの知識もない者に勝てる道理はない。相手はガッチガチに理論武装をしているうえに、それは実際の外交の場で磨かれた理屈で組み立ててられてきたものなのだから。
こうしてローゼルースの戦況報告は、後味の悪そうな勇者をそっちのけにしたまま、あっという間にお開きになってしまった。
(少し眠いな……)
退屈な大部屋から解放されてすぐに、私は思わず大きなあくびをしてしまう。勇者も私につられてあくびを漏らしているところをみると、やはり寝不足なのだろう。
(今夜はぐっすり寝る事ができそうね。この町には昨夜のアダインの村と違って、狼が出る事もないんだから……)
* * *
翌日、私達が乗り込んだジーバーグ行きの船は、100人以上乗客を見込める大仰なものだった。もっとも今回この船に乗る客は私達だけで、それ以外は戦地に送る大量の食糧やら、武器やら、医薬品やらと、それらを積み下ろしする人夫達だけなのだが。
「海が綺麗だねローザ」
出航してすぐ、勇者が馴れ馴れしく私の肩に手をまわしてきた。船員達の手伝いや、アリスが船に持ち込んだ荷物の整理に追われているためマリアさんやワンダの姿もここになく、今この甲板には勇者と私と数人の水夫がいるだけだ。
(なんなんだ、いきなり?)
あまりに突然の勇者の距離感の地下さに、私は戸惑う。
船の広い甲板から見下ろす海は美しく、潮風も心地よいのに、隣にいる勇者だけがただただ不快だ。
「あの、山並様……、いきなりどうされたんですか?」
「いやぁ、もっとローザとも仲良くしたいな、なーんて思ってね……」
そう言いながら私の瞳を覗き込む勇者を見ただけで、背筋に悪寒が走る。
「は、はぁ……」
勇者に対して、私は親しく振舞った事は一度もない。せいぜい業務用スマイルを絶やさぬようにしていただけだ。
にも関わらず、勇者はなぜ急に私に接近してきたのだろう?
(ひょっとして、あれか?)
昨晩一人で狼退治に出かけた勇者を追った事を、勘違いされたのかもしれない。本当に私が勇者の事を心配して追ってきてくれたのだと勘違いして、私が自分に気があるものと思い込んでいるのかもしれない。
(まさか……! でも思い当たる事ってそれくらいしか、ないよわよね……)
勇者がまた馬鹿な真似をしないように心配して後を追ったのだ、と本当の事を言えたならなんとスッキリする事か。
「あの、折角ですが山並様、今のうちに船の中も見学しておきたいので、失礼しますね」
私は肩から尻に向かってゆっくり移動していた勇者の右手を振り払うように踵を返し、不快な甲板を後にした。
傍から見れば、勇者が話しかけた途端に私が逃げたように見える筈だ、甲板から海を見下ろして数十秒も経たず船室に下りるのだから。これで私の方にはまるでその気がない事を、勇者が察してくれるのならいいのだが、あの鈍い男にそれは期待できないだろう。
不味い事に、このまま勘違いされたままだと勇者を露骨なまでに狙っているマリアさんやワンダと衝突してしまう可能性も否めない。
(どうしたものか、あの勇者……)
色ボケ勇者がこの忌々しい勘違い状態から醒めないままで、何日も一緒に航海をしなければならないなんて、本当に冗談ではない。
私は船室への階段を下りながら、頭を抱えていた。
* * *
出航初日の私の不安とは裏腹に、ジーバーグへの航海は快適なものだった。なんとあの勇者も、我儘なアリスも船酔いで倒れてしまったのだ。
マリアさんとワンダは勇者の看病、私はアリスの看病に付き合う事になってしまったが、例え海を眺めるだけの何事もない毎日を送るのだって、退屈だったに違いないのだ。これで良し、としておくべきだろう。
当初の予定通り8日の船旅の末に私達がたどり着いたのは、ジーバーグのオートキ港だった。まだ前線からは遠い場所なのだが、ここにジーバーグのアルメリア軍司総令部が置かれていた。
昼にここへ到着した私達は、出迎えの兵達に連れられ、オットーと共に戦略会議室へと向かった。
「ようこそジーバーグへ勇者様。私はジーバーグ作戦司令部将校ジェイクと申します」
ここにはジェイクの他にも士官らしき人物が何人かいたが、その席順からどうやらジェイクの地位が最も高い事が伺える。私は部屋を一通り見渡してみたが、なぜかマーク=ザッハード司令官は不在のようだ。
「早速ですが、勇者様には馬車ですぐに南に向かい、オカサオの町で魔王軍を迎え撃ってもらいたい」
勇者との握手を終えたジェイクは、そう話を切り出した。
「オカサオ? あいにく私達はジーバーグの地理には明るくないのですが……」
マリアさんが勇者の脇からジェイクに質問する。
「オカサオは南方にあるジーバーグ第二の都市です。
今は前線を支えるため後方支援都市に半ば造り替えられておりますが、それでも街の賑わいは健在です。
勇者様御一行には、そこで遊撃隊として活躍してもらいたい。現地の各部隊には勇者様の到着は既に知らせてありますので、前線の隊長達からの救援要請がある筈です。勇者様には、それに随時対応して頂きたいのです」
「遊撃隊? 軍司令部の作戦には参加しなくていいのか?」
ワンダが腑に落ちぬ顔で尋ねる。
「なにぶん、勇者様の実力がまだこちらでは未知数なので、司令部としても作戦に組み込みにくいのです。
ですから、戦場で遊撃部隊としての活躍をまずは拝見して、本格的な作戦への参加はそれからという事にしたいのです」
遊撃部隊として独自の判断で動くという事はつまり、この勇者の判断に任せるという事になる。今までの思慮足らずの行動からするとそいつは不安でしかないのだが、しかし今ここでジェイクにそれを訴えてもあらぬ誤解を招きそうだ。
「さ、すぐにオカサオにご案内しましょう。馬車を待たせておりますので、お急ぎください」
流石に前線司令部ともなると、行動が迅速だ。ジェイクにより、私達は追い立てられるように総指令部の建物を後にした。
「ローザも一緒の馬車に乗らないか?」
「いえ、ジェイクさんやオットーに、戦場の事をもっと詳しくお伺いしておきたいので……」
私は勇者の誘いを体よく断って、ジェイクさんと現地部隊に帰還するオットーさんと共に後ろの馬車へと飛び乗った。
どうやら勇者は、私との距離感がまだ狂ったままているらしい。考えたくはないが、戦地に着いても勇者がこの調子のままとなると、魔王軍討伐にまで影響が及びかねない。
マリアさんもワンダも、そしてアリスまでも勇者の気を引こうと躍起になっているのに、当の勇者までが私にご執心とは、他人が聞いたら呆れかえるに違いない。仲間内で三角関係……いや四角形以上の複雑な関係を抱えたままで敵軍相手に命のやり取りをするなど、とてもできるうるものではない事は、まだ肌で戦場を味わっていない私でさえ想像に難くはないのだから。
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