第4話 変身!

「い、いいんですか、金貨なんて頂いて……」


 夕日で赤く染まる高級宿の部屋の前で、ベッドメイクに来た若いメイドが戸惑っている。勇者に法外なチップを手渡されたのが、その原因だ。


「ああ、構わないよこれくらい。 親切に教えてくれたお礼さ」


(わっかりやすいなぁ、コイツ)


 ベッドメイクに来たメイドに、二言三言町の事を……それも割とどうでもいい事を聞いただけで、わざわざ金貨をチップにはずむなんて気前が良すぎるのだ。が、そもそもこの男、丁重に出迎えてくれた宿の主人とは目すら合わせず、廊下で挨拶してくれた掃除のおばちゃんにも返事をしなかった。

 若い女性……それも美人にのみ優しく接するのは、下心以外になにがあるというのか? そしてこういう男に限って、興味の失せた女性に対する態度が途端にぞんざいになるのもお約束だ。


(このメイドさんも、それが良く分かっているんだろうなぁ)


 金貨を受け取ってそそくさとこの場を立ち去った彼女の顔には、勇者に対する警戒心がにじみ出ていた。


「あの、ゆぅ……、山並様、私は用事があって町に出てきます。食事も外で済ませてきますので、帰りを待たなくても大丈夫ですよ」


「先に風呂へ入ってたのはそういう訳か。でも今から町に何の用があるんだい?」


 いつもの調子で”勇者様”と言いかけた私に対し、メイドにフラれた冴えない男は苦笑いを浮かべている。


「これを黒く染めるんです。これでもまだ盗賊が持つには色が目立ち過ぎますから。

 それに私はワーシールの町が初めてですので、いろいろと調べておきたいんですよ」


 白いショートソードを片手に説明する私に向かって、勇者は深く頷いた。


「なるほどな、盗賊ってのも大変なんだ。気を付けて行って来いよ」


「はい」


 外出許可を勝ち取った私は、心の内をを悟られぬように気を付けながら、うきうき気分で宿を後にした。あの勇者から離れられると思うだけで、呆れるほどに足が軽くなっている。


(さっきのメイドさんの方が、うちのパーティのみんなよりまともなんだよね、困ったことに)


 武器屋に向かって歩を進めながら、すっかりリラックスした私はそんな事を考え始めていた。


 ワンダは恐らく男性経験が殆どない。手が早そうにみえるが、自分と同格か、それ以上の強さを持つ男にしか興味がない彼女にとって、恋愛対象となる男性は極端に限られてしまうからだ。でなければ、あそこまで男を見る目がない訳がない。


(まさか、おぼこって事もないとは思うけど……いやでも、まさか……ね)


 むしろワンダは同性にモテるタイプだから、そっちの方を経験してる可能性すらあって恐ろしい。


 マリアさんに関しては、お堅い性格のうえに高位の女僧侶なのが恐らく原因なのだろう。私やワンダと同じくらいの……、つまり二十歳前後の娘が教会で高位に上り詰めるのは並みの努力ではなかったろうし、浮いた話が一つあるだけでその地位が消し飛んでしまうのが教会という世界だ。恋愛どころか男に近づくだけで立場が危うくなりかねぬ、とてつもない禁欲生活だったことが察せられる。

 そんなマリアさんにとって神から遣わされた勇者は、聖女として恋愛が許された唯一の男なのだろう。仮に勇者と子をなしたとて、教会は彼女を追い出すどころか聖母と称えるに違いないのだから。

 長年の禁欲生活で膨れ上がった欲求不満も、本来知的な筈の彼女の判断を狂わせ勇者に傾倒する一因となっていそうだ。


(まぁ、それでも性格バーサーカーなワンダよりは、マシだと思うけど……)


 アリスに関しては、名門貴族フューリー家の末娘なのだ。世間知らずというだけだろうし、あの歳で男を見る目が肥えているわけもない。


(結局、まともなのは、あたしだけか……)


 いや私とて、まともと言うには世間擦れし過ぎていると思うのだが、それは女盗賊故の性(さが)とも言うべきものだ。こればかりは致し方ない。



         *      *      *



バサッ!


 人気のない裏路地で私は着ていたシャツを脱いで裏返す。この灰色のシャツはリバーシブルになっており、裏地は鮮やかな緑にピンクの線の入ったオシャレ着になっている。

 鮮やかに変わったシャツを羽織り直した私は、続いて手鏡と化粧道具をポケットから取り出した。

 紅を唇に塗り、目元を薄く塗り、後ろ頭で結わえた紫の髪をほどいて肩まで垂らし、最後に金の髪飾りを刺せば完成だ。


(変身完了っと)


 別人へと姿を変えた私は、颯爽と大通りに戻ってこの町の中心を目指して歩き出す。


(あらあら駄目じゃない、隣に恋人がいるのに)


 こちらを振り返る男性を見て、私は思わず優越感に浸ってしまう。

 やはり女の最大の武器は色気。そして私がそれを最高に生かす事のできる戦闘スタイルは、今のこの姿なのだ。

 この町の中心、そこにある王城と貴族街に近づけば近づくほど富裕層が住んでおり、高級な店が建ち並ぶようになる。王宮から私達に支給された金は潤沢で、そこで遊ぶ金を捻出するのも訳はなかった。

 先ほど鍛冶屋に預けてきたショートソードが黒く染まるには、まだまだ塗料の乾かす時間がある。それまで、高級街のオシャレな酒場で時間を潰そうと、そう考えて私は……いや、やはり正直に言おう。この町に滞在する一か月の間だけ恋人になってくれる男を、遊ぶための男をそこに探しに行こうと私は目論んでいるのだ。


 男遊びと聞くと、異性はもとより同性からも引かれるものだが、それが女盗賊とあらば事情は少し違う。冒険者パーティにおける盗賊の役割は、罠よけ、開錠、探索、そして情報収集。その情報収集において女の色気は大いに武器となるのだ。

 女盗賊が情報を聞き出すために色気を使うのは当たり前で、体を貼ってハニートラップを仕掛ける事すらザラにある。そんな女盗賊にとって男遊びは、むしろ修行の一環なのだ。よって今更私が男を漁ったところで、後ろ指をさされる心配などありはしない。

 もっとも、今私が求めているのは盗賊修行の相手ではなく、ストレス解消の相手だ。

 あの不愉快な勇者と一か月もここで冒険者パーティをやっていくのだ、とても私の身が持つとは思えない。一か月間、遊びと承知で私に付き合ってくれる男を見つけなければ、やってらんないのである。



         *      *      *



「あちらのお客様からです」


 注文もしていないのにマスターが私の前にカクテルを差し出したのは、バー”猫の吐息”のカウンターに座ってすぐの事だった。落ち着いた雰囲気の渋いカウンターテーブルに置かれたグラスには、鮮やかな赤いお酒がわずかに揺れていた。

 マスターに促されるまま私が右を向くと、身なりの良い若い男がこちらに手を振っている。


(ウフフ)


 私は彼に笑顔を返すと手袋を外し、グラスを口元に運んで斜めに傾ける。


(甘い……)


 女性向けのカクテルをチョイスしたのだろう。それは甘くて飲みやすい、やわらかな酸味のあるお酒だった。


「と、隣いいかな?」


「ええ」


 男は少し落ち着かない様子で、隣の席へ腰を下ろした。


「俺はジョシュア=マーダック……マーダック商会って知ってるかい?」


「いいえ」


「そうか、この辺じゃ見ない顔だもんな。

 この町じゃ有名なんだぜマーダック商会は、宝石の取引なら町一番なんだから。俺はそこの跡継ぎなんだよ」


「ええええーー、凄いんですねーー」


 私が驚いてみせると、男は少し照れたように頭をかいた。

 昔はこういう男の出自の良さを自分と比較してルサンチマン(嫉妬・恨み)を抱いたものだが、今の私にはどうでも良かった。なにせ、こういう男は女盗賊にとって格好の獲物となるのだから。儲けさせてくれるお得意様に対して、唾を吐く商売人はいないものだ。


「で、君はなんていうんだい?」


「私はローザよ。勇者様のお供をしている女盗賊」


「え?!」


 勇者の話は町の人達の耳にも入っているのだろう、途端にジョシュアの顔が強張る。


「う・そ」


「脅かさないでくれよローザ」


 彼はすぐに微笑んで、私を許した。


「昔冒険者してた事はあるけど、今は気ままな一人旅の最中よ」


「そうか……」


 ジョシュアは一瞬だけ真顔に戻り、少し肩を下ろした。


「あら、旅行者だと不都合だったかしら? それとも元冒険者っていうのが、気に障ったの?」


「い、いや、そんな事は……」


(誤魔化しているのが、バレバレだよジョシュア)


 でも、そこが彼の美点なのかもしれない、嘘をつけない素直でかわいい人だ。

 女を口説くために家の名前を切り札にするのなら、駆け引きを考えそのタイミングを測るべきなのに、彼は真っ正直に最初から名乗っている。

 旅行者を敬遠したのだって、真面目に恋人を探していたからだろう。折角恋人になれたとしても、すぐに町から出て行かれては困るし、大商人の跡継ぎなら恋人を追っておいそれと家を留守にするわけにもいかない。


(とはいえ、このまますぐにサヨナラというのも、ちょっと素っ気なさ過ぎるわね)


 私は少しグラスを傾けて、切なそうな表情を作る。


「恋人探しの旅の途中だったとしたら……どう?」


「え?!」


 思わずひっくり返るのではないかという勢いで飛びついてきたジョシュアの声のせいで、笑みが漏れてくる。


(からかい甲斐があるわね)


 クスリと笑ってから、私はジョシュアの目を覗き込んだ。


「ねぇ、あたしのどこがそんなに気に入ったの?」


「それは……美人だし、かわいいし、その……一緒に喋ってても楽しいし……」


(あら、せっかく下ろした髪も、手に入れるのに苦労した金の髪飾りも、風呂上りに付けた香水も、綺麗に手入れした手先も、着替えた服も、自然に仕上げたメイクも褒めてくださらないの? もっとあたしをよく見て欲しいのに……)


 男が鈍感で気が利かないのはよくある事だから別に怒りはしないが、それでもガッカリしてしまう。その場の熱が冷めてしまうほどには。


「それだけ?」


「……もう一つあるよ。俺の家の名前を聞いても涼しい顔をしているところさ」


「え?」


「マーダック商会の名前を出すと、大抵の女性は態度を変えるんだよ。なんていうか、こう上手く言えないんだけど、なんか気持ち悪くさ。そういう女性とは付き合えないと思ってたんだ。

 けど君にはそれがなくて、欲がないっていうか、家ではなく俺自身を見てくれているっていうか……、俺口下手で、なんて言っていいか分からないけど」


 それは一部誤解はあるものの、正鵠(せいこく)を得た言葉だった。私だって金は欲しい贅沢もしたいが、今欲しいのは彼の資産ではない。だからこそ、私を抱いてくれる男としての彼を、先ほどから品定めしていたのだ。


「褒めてくれてありがとうジョシュア」


 私はグラスの酒を一息で飲み干した。


「ご馳走様。今夜は楽しかったわ、また会いましょう」


 そのまますぐに席を立って、私はその店を後にした。窓から店の中を伺うと、可哀想にカウンターに取り残されたジョシュアがしょげているのが見える。


(ごめんねジョシュア。でも、あなたなら焦らなくても、いい女(ヒト)がすぐにみつかるわよ……)


 私だって、将来恋人をつくるならジョシュアのような誠実そうな男の人を選ぶ。けれど、今私が探しているのは”遊びと割り切って付き合ってくれる男”なのだ。彼の様に一途な人を、遊びたいだけの女が本気にさせたら、その先は破滅的な別れが待っているだけだ。

 もし無事に魔王を討伐し、褒美の2500万マニーを手に入れた後なら、今度は本気の恋をするためにジョシュアに会いに来てもいいかもしれない。私のような女を、彼が受け入れてくれるならばの話だが。


「さぁて、次いってみよっか」


 私は新たな釣り場を探して、再び街を歩き始めた。

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