第2話 入浴シーン

「俺は反対ですよ、オーリン殿!」


 真っ先にその提案に異を唱えたのはワンダだった。

 彼女は同席の私達勇者パーティを代表するかのように、会議室の机に両手をついて前のめりになって、オーリン戦士長と対峙した。


「大児はまだ、実戦を経験していないんです!

 いきなり前線に送って魔王軍との戦わせるのは、リスクが高過ぎます!」


「いや、あれほどのお力なら前線に投入しても問題もないだろう。それに勇者様の初陣の舞台は、魔王軍との最前線こそふさわしかろう。

 ワンダは少し慎重に過ぎるのではないか?」


 が、ワンダの気迫を目の当たりにしても戦士長は引く気配がない。ひょっとして勇者の前線行きは、上からのお達しなのだろうか?


「ですが、勇者様が前線に来たと知れれば、魔王軍の集中攻撃の的になります。万全の態勢を整えておくべきかと……」


 マリアさんも、聞き分けの無い戦士長を止めるべく参戦した。もちろんあの勇者をいきなり激戦に立たせる事には、私だって反対だ。

 鎧を引き裂いてみせた勇者の剣技は凄まじかったが、動きまわる敵に剣を振るった事はない筈だ。剣術指南のワンダが不安を示しているのも、恐らくはそれと無関係ではないだろう。

 魔法にしたって鎧相手にやったように、あんな気取ったポーズで放つ事など実戦でできよう筈もない。

 ようするに、実戦での勇者の真価は未知数なのだ。そんな状態で一緒に最前線になど行きたくはない。


「あたしもハンターイ! いきなり戦場なんてヤターー!!」


 続いてアリスまでが癇癪を起すと、流石の戦士長もうなだれた。


「アリス=フューリー嬢まで……、分かりました、勇者の前線行きは一か月先延ばししましょう。

 それまでに、勇者様を実戦に慣れさせておいてください」


 うなだれたまま、戦士長は城の会議室を後にした。


「みんな俺のためにありがとう! ありがとう!!」


 戦士長が退室すると、会議中ずっと置物だった勇者が思い出したかのように口を開く。


(お前のためというより、お前が信用ならないからみんな反対してたんだけどな)


 まぁ、勘違いしてもらってた方がこちらとしても都合はいい。


「でも、なんで戦士長はあんなに急いでいたんでしょう? そんなに前線は危険な状態なんですか?」


 思わず私はそんな不安を口にしていた。もし前線崩壊が迫っているのなら、それに間に合うように勇者を届けるのも私達の役割となるのだ。


「いや、よくやってるよ前線部隊は。戦士長が焦ってるのは別の理由さ」


(え?)


 ワンダは私に向かって、悲しそうに目を細めた。


「あの人の部下も、友達も、前線で死んでいるんだからな」


「そう、ですよね……」


 これは、私の想像力不足だった……返す言葉もない。


「まぁ、いずれにせよベストコンディションの大児を前線に送るのが最善なんだ、今は仕方ないさ……。

 という訳で大児! 明日から冒険者としてモンスター退治に付き合ってもらうからな!」


「おお、冒険者! モンスター退治っていうと、やっぱスライムからか!!」


 泥臭い冒険者生活などこの勇者は嫌がるだろうと思っていたのに、これは意外だった。

 しかし、なぜスライム退治? あれは周囲を腐食させる能力のあるモンスターだが、外皮が弱く簡単に駆除できる害獣でしかない。スライム退治など面倒なだけで身入りの少ない退屈な仕事を、なぜわざわざやりたがるのか?


「おいおい、いくら初の実戦だからって、スライムは相手にならないだろ」


 私同様、ワンダも呆れ顔だったのだが……。


「アリスもスライムがいいーー!!」


 まーた、あの我儘だ。


「しっかたねぇなぁ~~」


 ワンダが折れるのが早いのは、このお嬢様に説得が無駄だとよく知っているからだろう。


「ところで魔王ってどんな奴なんだ? 魔王軍についても俺はまだ殆ど何も聞かされていないんだけど……」


 ああ、それをこの勇者に教えるのも私達の役目ってことになってるのか。


「じゃあ、それについては私から説明いたしますわね」


 ワンダとアリスのやりとりを静観していたマリアさんが、そのお役目を負うべく名乗りを上げた………………


 魔王ザルメザッハ、ここから海を隔てた西の大陸アローシュナに100年ぶりに現れた魔王だ。先代魔王が勇者に討たれて以降、アローシュナ大陸では次期魔王の座を巡って争いが続き、そして100年もの間、この大陸を統一する者は現れなかった。

 時を同じくして人類もまた、魔王の脅威が去ったのをいいことに、国同士が世界の覇権を争って戦いを繰り返すようになり、今は我が国アルメリアが覇権国家の地位を得ている。ただしそれは、アルメリアが圧倒的であるからではない。

 今の平和は、世界各国の絶妙なパワーバランス(戦力の均衡)の上に成り立っており、その中にはアローシュナ大陸の魔物の勢力すら組み込まれていた。アルメリアはその力の均衡を利用し、最低限各国を脅せるだけの戦力的優位と、それに裏打ちされた経済力で世界の覇権を維持し続けていたのだ。

 が、しかしこのパワーバランスは、100年ぶりに誕生した魔王ザルザメッハによって打ち砕かれた。魔物の大陸アローシュナの統一と勢力拡大、それはアルメリアの覇権のみならず、人類全体にまで及ぶ危機へと発達しつつあった。

 また、とりわけ厄介なのは、ザルメザッハが幻術を得意とする魔王であった事だ。人の心の隙間をみつけて取り入る事に長けたこの魔王は調略が上手く、各国の有力貴族や王族の中にも、密かにアローシュナと内通する者がどれだけいるか分からぬ状況であった。


「覇権争いなんてしないで、100年前に徹底的にやっつけとけば面倒はなかったのに」


「ま、まぁ、そうかもしれませんけど……」


 勇者の一言に、マリアさんがたじたじとなる。こればかりは、この勇者の言う事が正しいのだから仕方がない。

 むしろ、人類がこんな有様なのに、見捨てずに勇者を遣わしてくれた女神様には感謝せねばならないだろう。勇者の人となりには、大いに不満があるとしても。


「まぁ、魔王が幻術使いで助かったよ。 精神攻撃は厄介かもしれないけど、直接対決に持ち込めば楽に勝てるって事じゃん!」


 果たしてそうだろうか? 知略に富む者と相対した事が、この勇者にはあるのだろうか? 実戦すらまだ経験した事もないというのに。


「おっ、いっちょまえの口を利くようになったじゃんか大児!」


「お兄ちゃん、さっすかーー!!」


 思いもよらぬ勇者の頼もしい言葉に、ワンダとアリスは素直に喜ぶが、私にはどこかうわっついた物に思えてならなかった。



         *      *      *



 ワーシール城の風呂は、大理石できた広く豪華なものだった。


「ふーー」


 湯船に身体を漬け、手足を思いっきり伸ばす。

 王と謁見した緊張も、勇者に余計な気を遣った神経の疲れも、この湯に全て溶かしてしまいたい。


「ようっ!」


 湯船に浮かんだまま仰向けになって上を見上げると、ワンダが仁王立ちになっていた。


(腹筋割れてるよ、この人……)


 筋肉質な女の人って胸まで筋肉になるって言うけど、この人は胸もちゃんとある。筋肉と脂肪が奇跡的なバランスを保ち、女としての美しさと、鍛え上げられた肉体の美しさを両方を兼ね備えているのだ。


(嫉妬しちゃうな~~)


 私だって体には自信があるが、彼女のそれと比べてしまうと、まだまだ幼過ぎるというか、貧相に見えるというか……止めよう、これはそもそも比べちゃいけないやつだ。相手は赤毛のグラマーモンスターなのだから。


「はしたないわよ、ワンダ!」


 マリアさんが私の隣でワンダを叱りつけ、アリスは我関せずとばかりに湯船をバシャバシャと泳いでいる。


「よっと」


 マリアさんの言葉も耳に入らぬ様子で、ワンダは私の左隣に腰を下ろした。バシャンという音と共に、わずかな飛沫が私の頬に当たる。

 右に座るマリアさんも、細身な割に出るとこは出ている理想的なスタイルをしているのだが、やはりワンダのド迫力なスタイルと見比べると一歩及ばぬ印象を受けてしまう。


(あ、この機会に聞いておいた方がいいかな)


「ねぇ、ワンダさん。 勇者様の剣術に何か問題があるんでしょうか?」


 先ほど会議室で聞きそびれた事を、私は口にしていた。


「ん?」


 私の言葉が意外だったのか、ワンダは目をパチクリさせている。


「だって、魔王軍と戦うのに反対していたから……」


「ああ、あれかぁ~~。 まー大児の剣の腕なら、問題ないよ。

 けどな、あいつ腰がすわってないんだよ」


「腰がすわってない?」


「実は昨日の夜に、大児と二人きりになる機会があったから、あいつに迫ってみたんだよ」


「せ、迫るってワンダ! 勇者様になにを!!」


 マリアさんが頬を赤らめ、立ち上がって抗議する。湯船につかる私の頭上を飛び越えて、彼女の声はワンダに降り注がれている。


「だってさー、剣を教えてる時、どさくさに紛れて俺の胸とか尻とか触ってくるんだぜアイツ。

 だから、こっちから誘えばイチコロだと思ったんだよ」


(いやそれ駄目だろ! 最悪でしょ! 本人が納得してるなら、あたしが口を挟むことじゃないかもしれないけどさ)


 細かい事を気にしない性格の人とも会った事があるが、この人ほど大雑把なのは見た事がない。


「えーーっ、お兄ちゃんそんな事しないよーーっ!!」


 アリスが泳ぎを中断して、ワンダを睨みつけている。


「そりゃ、お子様の身体を触ってもつまんねーだろーしなー」


 ワンダはうつ伏せになって、風呂のへりに肘をついた。


「で、あいつに関係を迫ってみてわかったのは、度胸が足りてないってことさ。大児の奴、普段に比べてありえねーほど奥手なんで、一発でわかったぜ。

 だから冒険者をさせて、度胸をつけさせる事にしたんだよ。あのまま戦場に出したって、使い物になるとは思えなかったからな」


 私の右隣りで、マリアさんがワナワナと震えている……。


「勇者様ったら、ワンダにまでそんな事を……」


(え? マリアさんにも手を出してんのあの勇者?

 というか、マリアさんまであんな勇者に気があるの? なんで? マリアさんだけはまともだと思っていたのに……)


 だが、うつ伏せのワンダはマリアさんが眼中にない。


「まぁ見てなって、冒険者生活を一か月も続けさせれば度胸がついて、食べごろになる筈だからよ」


 ワンダは嬉しそうに口元を緩めているが、マリアさんの目がそれとは対照的に吊り上がってて正直怖い。


「と、ところで勇者様の身だしなみの乱れが気になったのですが、注意してあげた方が良いのでしょうか?」


 ワンダとマリアさんが険悪な雰囲気になりそうだったので、私は咄嗟に話題を変える事にした。


「あれでも、結構マシになったんですよ」


 と、マリアさん。話題を変えた甲斐あってか、幸い声だけは落ち着いたものに戻ってきている。


「え? あれで?」


「ええ、それとなく注意はいたしましたので。

 勇者様は、元の世界で殆ど人と会わない生活をしておられたので、身だしなみは苦手なのだそうです」


「人に会わないって、世捨て人みたいに隠遁生活でもしておられたのですか?」


「さぁ、そこまでは……、勇者様もあまり話したがらないものですから」


「まぁ、いいじゃねぇかそんな事は」


 ワンダはうつ伏せのまま顔を横に向けて、風呂場全体に響くような声を出した。


「どうしても知りたいなら、俺が聞いておいてやるぜ。一か月後にベッドの上でな!」


 マリアさんの目は、先ほどより鋭く吊り上がっていた。

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