花火の人
青いひつじ
第1話
4年ぶりに会う目の前の彼女は、あの頃より少し上質そうな眼鏡をかけていたが、ほんのり残る面影に、ほっとした。
「あの頃、急にいなくなってごめん」
「もういいって。なんとなくしか聞いてかなかったけど、大変だったんでしょ」
「まぁ、それなりに」
この街も、あの頃と全然変わっていない。
「さくら、おかえり」
今となれば、全部、古い傷だ。
あの頃、私はの心は野良猫が路地裏に身を隠して暮らすように臆病だった。
太陽が登れば分厚い仮面をかぶり、夜はバレないように月から逃げて、道を歩いた。
高校2年の夏、この街を離れた。
引っ越してからも、ともちゃんには数ヶ月おきに、安否を知らせていた。
「いなくなった大変だったよー。さくら女子から嫌われてたから変な噂流れてさぁ」
「どんな?」
「それ聞く?」
「気になる」
「もの好きだねぇ。援交してたとか、妊娠したとか、親に捨てられとか、夜逃げしたとか?その他色々」
「すごいねぇ。半分合ってる。みんなの調査力、週刊誌レベルだ」
「そういうお気楽なところが嫌われてたよね」
「まぁ、私、顔も可愛かったしね」
「許したばっかだけど、腹立つわぁ。そんなんだから私しか友達いないのよ」
「ともちゃんがいればいいよ」
「あら、恥ずかしい」
中学生の時、母親が再婚した。
新しい父親は、母には優しく、私には時々暴力を振るった。
それでもその人のことが大好きな母を、私は変な宗教にでもハマったんだと思っていた。
狭い世界で、私たち家族の噂はすぐに広まり、中学2年の夏から、私はいじめにあった。
そんな時でも、何も聞かず一緒にいてくれたのが、ともちゃんだった。
彼女は、心が脳を経由せず口に直結しているタイプで、私とは違う理由で女子から嫌われていた。
「そーいえばさぁ、あの人とはどうなったの?」
「あの人?」
「あの人。えーと、高校ん時の、花火の人」
「あー、懐かしいね。別に、なんもなかったよ」
「うそだぁ。あんなに嬉しそうだったのに?」
「そうだったっけ。覚えてないやぁ」
「好きだったの?」
「それも覚えてない」
「引っ越してから連絡してないの?」
「こっちから突き放したのに、今頃会いたいなんて、さすがに虫がよすぎるよ」
「まぁ、確かに。でも、さくらと仲良くしてくれたってすごいことだよね」
ともちゃんの言う通りだ。
彼は普通に友達もいて、頭もそこそこ良くて、女子からもそこそこ人気がある、そこそこ良い男の子だった。
彼と話してると、不思議と自然体でいられて、気取らなくてよくて、不安がどこか遠くへ吹っ飛んでく感じがした。
なんの根拠もなく、この先大丈夫かもと思えた。
路地裏から顔を出して、陽だまりで休憩するように、心地よかった。
そして次第に、彼が私に好意を抱いていることに気づいた。
私は、ほんの少し、彼の気持ちを利用していたのかもしれない。
「あの人、私のどんな過去を知っても、嫌いにならないって言ったの。真っ直ぐで、最後の日まで、ずっと信じてくれたんだ」
私には、その真っ直ぐさが眩しすぎて、踏み込まれるのが怖かった。
独りに慣れすぎて、急に2人にはなれなかった。
信じた途端に離れられたら、私は壊れてしまうかもしれないと思った。
あの時の私は、必要とされていない、捨てられた子だったから。
高校1年の冬、私は母に、遠くで暮らしたいと伝えた。
もしかしたら、母も私と一緒に来ると言ってくれるのではないかと、心の隅っこで期待していた。
そんな私に、母は「いってらっしゃい」と言った。
私は驚いた。
その言葉を聞いた瞬間、不思議なくらいに、雲がかっていた心が晴れていったから。
1人膝を抱えたら、少しだけ涙が出たが、迷いや未練はなく、私はこの街を離れることを決めた。
「今日、ともちゃん家泊まっていいの?」
「あー、それね。お姉ちゃん家でもいい?旦那と旅行行くって言って、子守頼まれちゃって」
「女の子だよね?あきさん美人だし、絶対可愛いじゃん」
あきさんのマンションは、あの河川敷の近くにあった。
「あ!さくらやん!めっちゃ久しぶり!」
「あきさんお久しぶりです!ゆいちゃん、初めましてー!」
「はじめましてー!!さくらちゃんかわいいー!」
ゆいちゃんは、あきさん似のきれいな顔をしていた。
「あれ?旦那は?」
「もう、駅行ってる。んじゃ、ゆいのことよろしくね!」
リビングは、男性と女性の匂いが混ざったような、初めての匂いがした。
「あきさん、関西弁になってた」
「旦那が関西人だからね。バンドマンなんだって。私は数年後に離婚するとみている」
「それは偏見でしょ。
うえー冷蔵庫なんもないねー。コンビニでも行ってこようかなー」
「ゆいもいくー!!」
「さくら、ゆいお願いしてもいい?あと、牛乳も買ってきてー」
「はーい。ゆいちゃん、行こっか」
柔らかい小さな手を繋ぎ、夕焼けに染まる河川敷を歩く。
ゆいちゃんが、向こう側を歩く人に手を振ると、その人は振り返してくれた。
「やったー!」
「へへ。よかったねぇ」
懐かしい道。
川を跨ぐ大きな橋がシルエットになって、たちまち橙色と黒色の世界へと変わる。
昔は、それを眺めるのが好きだった。
でも、あの頃から、この道に来ると思い出す、ただ1人の人がいる。
予想外だったことは、この街を去る前に、恋をしてしまったこと。
覚えてないなんて嘘で、思い出さないようにタンスの奥にしまっていた。
「花火の人かぁ」
「はなびのひとー?だれぇ?」
「えー、内緒」
ずっと言えなかった。
寒い冬の日、声をかけてくれてありがとう。
全部、全部、秘密にした。
多分、あなたが私を好きになる前から、私があなたを好きだったことも。
今はただ、どこかで笑っていてほしいと、遠くから願っている。
花火の人 青いひつじ @zue23
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