第8話

それから三日して井上から電話が入った。

電話の内容は福島システムへセンサーを追加する見積り依頼だったが、電話の後ろから怒鳴り合う声が聞こえていた。

漏れ聞こえる言葉から今回のどんでん返しで揉めているのは間違いなかった。

おそらく敦賀のリースアップを山下で進めてきた人間がいたのだろう。

山下電機の担当が強気でいたのは強い協力者が施設防護内にいたからか。

施設防護システムは警備会社十社の出資でできている。

江角は施設防護に入社した完全なプロパー社員だが、今いる社員には出向者も多い。

出向者の中には、給料をもらっているわけでもない会社に対する愛社精神の薄い人間もいるのかも知れない。

そんな人間が予算を超えた契約をしようとしているのを見ていられず江角が動いたとすれば、それは江角らしいと佐藤は思った。

佐藤は相変わらず二日に一回は施設防護を訪れていたが、江角に会う機会はなかった。

そんな日が十日ほどあって、江角から佐藤へ電話が入った。

「佐藤さん。今日、ちょっと来れる? 森さんと一緒に」

佐藤は受話器を持ったまま森に行ける時間を確認した。

「二時でよろしいですか?」

「うん、いいよ。じゃ、それで御願い」

「承知しました」

森と二人で江角を訪ねると

「あのさぁ、申し訳ないんだけど、後三百まけてもらえない?…って話を、うちの副社長がしに行きたいんだけど。お宅の松田さんに」

松田は営業本部長で佐藤の会社の営業トップだ。次期取締役と言われている。

「えっ、うちの松田に? 副社長が? いや、三百万の話で副社長がわざわざおいでになる必要はないと思いますけど」

森は少々慌てた。

施設防護の副社長と言えば、大手警備保障会社の元専務で、うちの社長とも面識があるレベルの人である。うちの営業本部長の方が社会的には明らかに格下だ。

三百万の値下げ交渉をする為に、格下相手に出張ってくるべき人間じゃない。

「それが…申し訳ないからどうしても自分が行くって」

「真摯な方でいらっしゃるんですね、ほんとに。分かりました。その段取りを付ければいいんですね」

「頼んますよ。それで、ほんとに決まりだから」

「有り難う御座います」

会社に戻り、綾川に報告する。

綾川は

「そうか」

と言い、少し考えてから

「じゃあ、近藤さんと吉川さんに電話するから、先に稲木君と矢田君に電話しておいた方がいいな」

近藤は精査部長、吉川はシステム企画部長だった。

ここは上で一気に事を進めようという事か。確かに先方の副社長が出てくるのだ、四の五の言っている場合ではない。

佐藤は、そう思った。

森はすぐさま稲木と矢田に電話した。

上で決められたら従うしかない。

だからこそ担当者のプライドを傷つける訳にはいかない。

今後の仕事を円滑に進める為にも、何としても綾川が電話する前に話しておかなければならない。

幸い二人とも在席し、これから綾川がすることを事前了解した。

綾川もそれを分かっている。

電話を掛けたのは、森の電話が終るのを見計らってからの様だった。

もうこの案件は担当者の手を離れた。

後は、先方の副社長が来社し本部長と面談する段取りをするだけだ。

佐藤はそう思った。

少しして綾川が部屋を出ていきがてらに森を呼んだ。

「森君、行くよ」

「はい」

森は駆け出すように席を離れたが、営業の部屋を出る時に

「佐藤君の話もしておくからな」

と言った。

営業本部長なんて入社した時に一度見たきりで俺の事など覚えてるわけがない。森課長は俺に気を使う必要なんてないのにと佐藤は思った。

三十分ほどして綾川と森が戻ってきた。

戻るなり森は江角に電話をした。

佐藤は、もうこれで本当に自分の役割は終わったと感じた。

後は森や綾川の仕事だ。

「佐藤君、副社長は明日来るから。僕と部長で対応するからね」

森の言葉でそれを確信した。

それでいいとも思った。

自分はさしたる仕事をしたわけじゃない。

たまたま顧客の部長が困って頼ってきたが、それは自分をではなく会社をだ。

その話を纏めたのは森で、後ろからサポートしたのは綾川。

自分は何もしていない。実際単なるメッセンジャーボーイだ。

まだ駆け出しだからそれも仕方ない。

佐藤はそう思い、山下から依頼されたセンサー増設の見積もりを纏め始めた。

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