第5話

精査部というのは、工場から上がってきた見積りと営業の交渉状況とを確認し、最終的な受注金額を決める部署で、オーダーメイド製品の価格はこの部署が決めている。

「森ちゃん、凄いじゃないこれ。よく拾ったね」

精査部の稲木が言った。

「これは佐藤君が掴んできたものですよ」

「へえ、若者、よくやった」

それから、佐藤、森、矢田の三人で金曜日からの経緯を稲木に説明した。

「それで、九億五千万か。予算は分かってるの?」

「いや、それは分かりません」

「そう、何とか聞けないの?」

「どう、佐藤君」

「難しいと思います。江角部長は人情とか義理には厚い人ですけど、その辺りは固い人ですから。一線は決して超えないんです。それに、やっぱりあの会社の人ですから。見積り見て、ひっくり返すかどうか決めるつもりだと思います」

「そう。ちょっと待っててくれる」

そう言うと稲木は会議室をでてデスクに向かい、電話をし始めた。

十分ほどして戻ってくると

「俺の感覚では、九億一千万までは下げられそうだな」

稲木は言った。

「先方さんどんくらいの予算考えてるのかなぁ。まぁ、何にしても九億一千から九億五千の間だね」

「佐藤君、さっきの話を稲木さんにして」

森が佐藤に言った。

佐藤は一瞬躊躇した。

矢田に話す前は、江角の事は誰よりも自分が知っていて江角の何気ない言動を自分なら読み取れると自信を持っていたが、その話をした時の矢田の反応を見て自信を無くしていた。

ただの勘だろうと言われたらそのとおりである。

そして稲木は理詰めで全てを決めるシビアな人間である。

以前、営業状況を報告する際、佐藤の掴んできた数字が曖昧だと酷く叱責されたことがあった。

どうせ、自分の勘など何の当てにもならないと一笑にふされると思った。

それでも森に言われたので、先ほど矢田に話した話を稲木に話した。

それを聞いた稲木は

「佐藤さん、江角部長って人のタバコの銘柄は何?」

と佐藤に聞いた

「えっ? ロンピですけど…?」

「へぇ、どのくらい吸うの?」

「一日三十本は吸ってますね、あの感じなら」

「趣味は?」

「ゴルフとマージャンですね。特にマージャンは毎週土曜日雀荘へ行くようです」

それから稲木は江角について、自宅の場所から誕生日、好きな食べ物、酒の趣味、出身大学、家族構成と佐藤に聞いた。

佐藤はそれらの情報が何の役に立つのかは分からないまま、問われた事に答えていった。

そして稲木はしばしじっと佐藤を見つめてから言った。

「そう、分かった。ちょっと時間頂戴。見積りは明後日出すんだよね? 明日十時にまた三人で着て。矢田ちゃん大丈夫だよね?」

「大丈夫っすよ」

営業の部屋に戻ると、森と佐藤はそのまま営業部長のデスクへ行った。

これまでの経緯を報告した。

その報告には佐藤の感覚的な話しも含まれている。

黙って聞いていた部長の綾川は

「森君、施設防護の核施設はうちと、西芝と山下でシェアしてたな?」

「ええ、そうです」

「山下のもう一か所は高浜だっけ?」

「ええ、高浜も山下電機がやってます」

「山下は、うちや西芝と違ってプラントメーカーじゃない。施設防護の物件は自前で全部は作れないから仕事としては重い筈だな。これ、もし敦賀がうちにひっくり返ったら、山下、施設防護から撤退するかもな。そしたら高浜ももらえるかも知れんな」

「あ、そう考えるとそうですね」

「あくまでも可能性の話だが、そういう視点でこの物件を見た方がいいな。いいかこの物件取れよ。敦賀だけじゃない、高浜も合わせた二物件でいくらって話だ。まとまらない様なら俺が出るから。八億九千くらいでいけるといいな」

「えっ」

思わず佐藤の口から声が出た。

「俺は佐藤君の感覚を信じる。それで箸にも棒にも掛からなかったらしょうがない。しかし真面目にやってきた営業マンの感覚はバカにしたもんじゃない。それは俺がよく知っている。俺も少し当たってみる」

席に戻ると佐藤は森に言った。

「部長は私を信じてくれるんですね」

「そうみたいだな。それより流石綾川さんだ、二つ取れる可能性を取るか捨てるかで社内を説得するってのは思い付かなかった。それに部長が動いてくれるのは有難い」

「部長が会議に出てくれるって事ですか?」

「いや、違う。この件は九分九厘決まるまで僕らでやる。この件はまだ何もハッキリしていないだろ。まだダメな可能性の方が高い。そんな会議に部長を出す訳にはいかないさ。部長がお出ましになる時は良い結論が出る時だからな。絶対に部長を空振りさせてはだめなんだ。だから空手形も僕らが切る」

「そういうものですか。じゃあ、部長が当たってみるというのは?」

「おそらく山下の情報を集めるんだろな」

「どうやってですか?」

「営業部長ともなればあちこちに顔が利く。会社を超えて顔が広いのさ」

その日は営業としてそれ以上この件に関してやれることはなく、別件の処理などをして過ぎた。

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