第7話

 夕方、お見舞い客がひと段落した後、爽夏ちゃんの部屋に行った。部屋の扉には「面会謝絶」の札がかかっている。


 翌日の朝食前にも爽夏ちゃんの病室に行ってみた。表札はなく、白いベッドがポツンとあるだけだった。


 いつも美しく飾られていた花も、一緒にやっていた夏休みの宿題も、夢のように消えてしまった。


 爽夏ちゃんは、一体どこへ行ってしまったのだろう? 爽夏ちゃんと仲のいい細川さんに聴いても、落ち着いたら連絡するとメールがあっただけなのと心配していた。


 あれから爽夏ちゃんが言ってくれたことを考えてみた。兄のこともあるし父と同じ医者になることは考えないようにしていたけど、爽夏ちゃんが背中を押してくれたことで勇気をもらえた。


 どこまでできるかわからないけど、医学部を目指してみようと思う。一言ありがとうと言いたかった。


 爽夏ちゃんは登校日にも現れなかった。朝のホームルームで担任教師があっさり、万城目さんはお父さんの都合で転校しましたと言った。


 持って帰っていた教科書を入れようとすると、机の奥になにか引っかかるものがあった。手紙だった。


 差出人欄は空欄で、封に弱そうなゾンビのハンコが押してある。表に「未来のお医者様へ」とだけ書かれていた。


〈光希君へ

連絡できなくてごめんね。

突然だけど父の仕事の関係で、転校することになりました。


助けてくれたこと、一緒に勉強したこと、本当にありがとう。


光希君はきっと立派な精神科医になれると思う。

患者第一号の私が言うんだから、間違いない笑


    爽夏〉


 手紙の他にはいつの日だったか爽夏ちゃんが「ゾンビの神様を冒涜した罪でおごれ」と言っていた、映画のチケットが二枚入っていた。こんなの、誰と観に行けばいいんだよ……。


 マンションに大量のゾンビが押し寄せる。


 鉄製のドアが、今にも壊れそうになっている。


 それまで仕事人間だったお父さんが妻に先立たれゾンビウィルスに侵され、いつ発症するかわからない恐怖に怯えながらも、2歳の女の子と5歳の男の子を様々な困難に立ち向かいながらも育てるといった内容の映画だった。


 襲い掛かるゾンビの白濁した白目が、最高に気持ち悪い。戦闘力も迫力も全然違うのに、暑かったあの夏の日、蝉の声に包まれながら弱そうなゾンビに追いかけられたことを思い出した。目から溢れる汗に類似した水分で、さっきから頰が冷たい。


「えっ? いつもポーカーフェイスの光希君でも泣くことあるの? それもこんなシーンで?」

 といった面持ちで、一緒に映画を観ている蓮君が心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。


 ごめんなさい。自分でもなんでこんなシーンで泣いているのか、よくわからないのです。


 そうだ……いつか兄や母ともゾンビ映画を観に行こう。ゾンビじゃなくてもいい。とにかく映画を見に行こう。幼い頃みんなで観に行ったみたいに。父さんはもういないけど。ポップコーンを買って。最近は塩キャラメル味なんてのもあるらしい。


「でもいい映画だ……」

 蓮君も確かにそう言った気がした。

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