第4話

「何が好きなの?」


「え?」


「だから、ゾンビ映画」


「えーと。バイオハザードとか28日後……とか」


「最近のばっかり! まあ悪くないけど。でもやっぱりゾンビ映画って言ったらジョージ・A.ロメロの三部作でしょ!」


 意外にも釣れたみたい。今日は運がいい。でも万城目さんのいつもの雰囲気とはずいぶん違うな。まあいいか。


「まだ観てないです……」


「ナイト・オブ・ザ・リビングデッドもゾンビも死霊のえじきも観てないなんてあなたモグリでしょ? お詫びに来月から始まる紫門魁シモンカイ監督の最新作おごりなさい」


 ええ⁈ 今なんとおっしゃいましたか? なんたる急展開。ゾンビ様、ありがとう。


「お詫びって……なんのお詫び?」


「ゾンビの神さまに冒涜を働いたことへの。塩キャラメル味のポップコーンもつけてね!」


 でもあの……今の状況わかってますか? ゾンビだってこの高さから落ちたら頭打って首もげて、脳みそ飛び出して復活するのは難しいんじゃないでしょうか?


「ゾンビでもキャラメルでもニラレバでもなんでもおごりますから……」


「ますから?」


「こっちに……戻って来てください」


「じゃ、引っ張ってください」


 万城目さんがほっそりとした美しい両手を伸ばした。迷ってはいられない。僕は車椅子に立った。白くて細い指が僕の指の間に入ってくる。


 しなやかで温かで柔らかい手をしっかりと握りしめる。その瞬間グイッと引っ張られて、危うく頭からフェンスの向こう側へ落ちそうになった。


 しかし片足が車椅子のアームに引っかかって助かった。危なかった……場合によっては二人一緒に下に落ちていたかもしれない。胸がドキドキしてきた。


 細い華奢な肩と腰を支え、熱を帯びた身体を受け止める。万城目さんの桜色の唇が耳元に触れるほどに近づき、ありがとうとささやいた気がした。ふんわり何かの花の香りがしたが、すぐに消えてしまった。


「あっ、はらわた飛び出しちゃった!」


 万城目さんがポッケから白くて長いものを投げた。ヒモのようだった。本当に何をしようとしていたのやら。なにげなく彼女を見るとちょうどはらわた付近から鮮やかな血が流れている。


「あっ!血が‼」


 思わず叫んでしまった。


 車椅子に立ったまま、万城目さんは驚いたようにお腹を見た。そしてそっと手の平で血を触り、色でも確かめるように見つめ、なぜかペタリと自分のほっぺに触れた。手を伸ばし僕のほっぺにも触れた。

 

 なんだか今にも泣きそうな大きな目で僕を見つめて来るものだから、拒絶できなかった。気がつけば僕の下半身辺りにも血が付いていて、ちょっとしたホラー映画のようだった。


「きゃー感染するう」


 万城目さんが突然車椅子から飛び降り、ヨロヨロしながら走り出した。


「走っちゃダメですよ!本当にはらわた飛び出て大変なことになりますよ!」


「捕獲してくださいい〜いやこの場合コロした方がいいかも〜」


 初めて万城目さんの笑った顔を見た気がした。小さな子どものような笑顔だった。


 ゾンビのモノマネなのか、「コ、コロシテ〜」と言いながら空を仰ぎ、腕をユラユラと上下に振りながら歩いている。かなり弱そうなゾンビだ。


 あの猟奇殺人現場で生き残った少女は、一体何を見たのだろうか?


 辛い記憶を忘れるためにわざと明るく振舞っているのかもしれない。


 そう思うとせめて万城目さんが退院するまでは、なにか力になりたいと思ってしまうのだった。

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