第13話 夜の王子様、乳母を翻弄する
明日にはガラスの靴は消滅し、王子様は自宅へと帰ってしまう。彼の恋心を「年上のおねえさんへの思慕」から「本物の恋」に格上げしておく必要がある。たとえ中川さんらに誘惑されようとも、フラフラできないような強靭な楔を地中深くに打ち込まなければならない。
だが、正直に言えば、あたしには少年の恋心を掴む術がわからない。食い気や色気で靡いてくれるような「いやらしさ」を歩くんは持っていない。精々、あたしの慎ましやかな胸をチラ見する程度のスケベさしかないのである。どうしたら彼を完全にあたしのものにできるのか。これまで考えてきたが、明確な答えは持ち合わせていないのだった。
しかしながら、この機を逃しては永遠に歩くんを得ることはできないだろう。あたしの幸せはあたしの努力にかかっている。あたしは愚かとは思いながらも万全な下着を用意し、薄着をする。エアコンリモコンの温度上昇ボタンを連打して部屋を温める。あたしの志を成就させるには電気代など安いものである。
「おねえさん」
「あら、歩君。おねえさんではなくて、
「そうだった」
歩くんは何も意識しているようには見えない無邪気な笑顔をしている。――あたしがこのまま抱きついて、布団という天国に導いて帰さなかったらどうするつもりなのだろう――。あたしは彼の無防備さに僅かに呆れながらも、彼のパジャマズボンの袖を少しずつ捲っていく。半ズボンへと変化させようというあたしの愚かな魂胆を歩くんは看破して、「そんなに、今日観た映画のような半ズボンが好きなの?」と問いかけてきた。「いいえ。あたしが好きなのは半ズボンではなくて、半ズボンの歩くんなんだよ」と言いたかったが、無敵の変態性を曝け出すにはまだ早い。あたしは曖昧な笑みを浮かべながら職務を遂行する。一折、二折してゴールを目指す。
「彩花さんのも捲ってあげる」
いかなる天使が舞い降りてくれたのか、歩くんは突如そう言うと、あたしのパジャマに手をかけた。――そんなことしなくても、お望みであれば素っ裸にだってなりますよ――。あたしはそう言いたいはしたない自分を宥めながら、歩くんを抱きしめようとすると――。
「ん? んん?」
おかしなことに、抱きしめてきたのは歩くんだった。彼はそのままあたしごと布団に倒れ込むと、疲れきったのか目を閉じて、そのままあっさりと眠ってしまう。
「ええええええええ!?」
あたしは彼に抱かれながら、頭の中で「!?」を繰り返し浮かべている。どういうことなのだ? 歩くんから襲ってくるとは!? あ、いや、寝てしまったけれど。
戸惑うも、その後はあたしの期待する展開は訪れるどころか、彼のとんでもない一言によって、あたしの世界のすべてが崩壊してしまう。
「――ママ。おっぱい」
あたしはその言葉が幻聴であることを、何度も何度も臨んだが、それが認識できる日本語であることは否定できなかった。
「ええ……」
その夜、あたしは一睡もできなかった。ただ、歩くんに抱きつかれたまま、歩くんママ代理として、夜の務めを果たすしかなかったのである。
(続)
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