第10話 帰港するのはあたしのところ

 中学生の頃、映画デートをすれば、恋人までの道は平坦でままっすぐであると言われたことがある。実際は映画デートなんて、互いの距離を測りかねている段階であり、一秒でも長く時間を潰したいだけの児戯でしかないのだが、あたしは前者の伝説を真実にするため、シアターを出るときに歩くんの手を自然に握った。それも保護者ではなく、おねえさんでもなく、恋人としての握り方で、である。歩くんも当然のように指を絡めている。あたしの世界は恋愛映画よりも華やかで優美なものになっている。――もう、今日の夜にはウエットティッシュなど不要のキスを味わえるのであろう――。あたしはそんな近未来の幸せを早くも噛み締めながら、「フードコードでジュースでも飲もうか」なんて歩くんを誘ってしまうのであった。


 土曜日のフードコートをいささかナメていたかもしれない。大勢のファミリーやカップル、学生たちが群がっている。あたしは空いている席を必死で探して、なんとか確保した。ホッとして、思わず歩くんから手を離し、その手で歩くんをそっと寄せてしまう。――もう、社会秩序おまわりさんに捕まっても悔いはないかもしれない。


「おねえちゃん、僕、オレンジジュースがいいな」

「わかった。ストローは二本でいいわよね?」

「え? なんで?」

「え? なんで?」


 歩くんの疑問を疑問で返して、このフードコートでの至福を狙おうとするが、歩くんのちょっとだけ嫌そうな顔を見てしまい、あたしの目論見は破綻してしまった。――え、なんで?


「だよね~。おねえちゃん、何を言っているんだろうね」


 あたしはそそくさと売店に向かい、オレンジジュースとエナジードリンクを買って、歩くんの前で、無言でキメていくのであった。


 やけエナジードリンクを飲んでいると、あたしのLa Vie en rose薔薇色の人生の花びらが散ってしまったのを嘲笑うかのように、先程のウザい女子たちがやってきた。


「あ、歩くん!」

「あれ、中川さんたち。ここに来てたんだ?」

「うん。そうなんだ。三人で恋バナ? してたんだよ」


 ――どうせ乳臭い恋バナだろ? あたしはそんなセンテンスをうっかり漏らしそうになるが、なんとか堪えて、年上の女性の威厳を保つ。映画を観終わったからか、歩くんには心の余裕が出来たらしく、中川さんたちとの会話を楽しんでいる。


 あたしはそんな歩くんを連れ去りたいのだが、無理強いはバッドエンドの発端になってしまう。あたしは大人として行動の優先順位をつけていくことにする。まずは、歩くんとお子様女子たちが会話をしている時間を最大限に利用するために、歩くんのオレンジジュースのストローを、持ってきてあった新品にそっと交換する。そして、歩くんのストローをエナジードリンクの缶に突っ込むと、吸ったり吐いたりして歩くんのDNAを楽しむ。この遺伝子の口付けだけで妊娠できないかな、と目の前にいる小学生たちもびっくりな淡くせつない保健ファンタジーを夢想してしまう。


「でね、でね!」


 中川さんの紅潮した頬が基礎体温の高さを物語っている。――おまえのようなクソガキがメス犬みたいな顔をして発情しやがって! あたしはストローを噛みながら、あらゆる汚い言葉をかき集めてしまった。


 そんな一見、「中川ペース」な時間に見える中、あたしはテーブル下で中川さんの笑顔に頬を緩ませている歩くんの手を、しっかりとあたしの太ももに触らせて続けて、彼の帰港を促しているのであった。


(続)

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