第8話 暗闇の中で何かをまさぐるイベント(通称、映画鑑賞)Ⅰ
夢のような朝食が終わると、歩くんに映画を観に行かないかと提案した。本来であれば、この家に閉じ込めて様々なことを施して歩くんを骨抜きにしたいのだが、彼はまだ小学校高学年。色気だけですべてを満足することは出来ない年頃だ。残念ながら今のところ、あたしよりもトレーディングカードの方が、何倍も魅力があるのではないだろうか。
ということで、外に出て彼のご機嫌を取ることにした。あたしもデートだと思えば楽しめるし、悪いことではない。案の上、彼はこの提案を喜び、観たかった映画のタイトルを連呼する。そのタイトルを聞いて児童モノであることは確定した。どうやら保護者の立場で見なければならないようだ。あたしは小さい溜め息をついてから、保護者スタイルの洋服を選ぶことにした。
自分の支度が終わると和室に戻る。歩くんはママが用意した服を適当に選んで着ていた。「今日も半ズボンは……ダメ?」と諦め気味に尋ねると、「今時こんな半ズボンはかないよ? それに寒いし」と冷酷なセリフが返ってきた。あたしは昨日の半ズボンは今夜の密やかなご褒美にしようと決意をし、そっと洗濯物用のカゴに入れる。
歩くんは映画がとても楽しみなようで、あたしの腕を引っ張るように家を出ようとする。あたしはそんな歩くんの勢いに押されながら、パンプスを踏みつぶして履いて家の鍵をかけた。外は寒く、歩くんの息が白く広がる。拡散されたその霧のようなものをすべて吸い込みたいと思いながら、あたしはさりげなく彼の手を握り、バス停へと歩きだした。
映画館に着くと、思わぬ出来事に遭遇した。昨日話に出てきた中川さんとやらが友人らしき二人と一緒に来ていたのだ。中川さんは目ざとく歩くんを見つけると、女の顔を作ってこちらへと向かってきた。まだ初潮も迎えてなさそうな小娘に色気を使われて不愉快極まりないが、あたしは一応、保護者役を演じることにした。
「歩くん。この人誰?」
悪意を持った者同士の知覚は過敏なようで、中川さんは、あたしを不審者を見る顔つきをしながら歩くんに問うた。挨拶なしの挑戦的な尋問に、あたしは少しだけ感心しながらも、歩くんの腰に手を回した。
「こんにちは。中川さん。いつも歩くんがお世話になっているようで」
ニッコリとしながら、こちらはお前の名前を知っているんだぞと威嚇の一撃を与える。微かながら動揺の色を隠せない中川さん。そんな程度の恫喝であたしに挑んできた愚かさを、身を以って知るがいい。
「……どうも」
負け犬のようにコックリと頭を下げる。愉悦に浸りたいところだが、歩くんが少し気まずそうな顔をしているので、この場を収める方向に持っていってやることにする。この盛りのついたメスガキどものためではなくて、歩くんの面子を潰さないためである。
「歩くんは、何の映画を観たいんだっけ?」
歩くんは「えっ」と小さな声を上げる。あたしは小声で、「中川さんたちも誘ってあげたら?」と伝える。無論、そんなことは御免であるが、あたしの予想としては――。
「中川さん。俺、これから映画観るから。じゃあな」
そそくさと去ろうとする歩くん。思春期特有の恥ずかしさが先行して、クラスメイトの女子たちとは別れたいのであろう。あたしの読みは正解だった。
あたしは中川さんたちに、「それでは」と言ってから、歩くんに背中を押されながら去ることする。中川さんたちは鼻白みながらも、軽い挨拶だけを残して反対方向に歩いていく。――三人で負け惜しみでも言うがいい。
それにしても、歩くんも立派な男子であった。彼が使った一人称の「俺」を聞いて、あたしの胸はキュンとなってしまったではないか。――レコーダーで録音できなかったのが、とても残念だ。
(続)
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