第7話 美しき山の数々

 朝になったようで、あたしの大満足な夜の戯れを知らない歩くんは先に目覚めたらしく、「おねえちゃん」と声をかけてきた。あたしはまだ夢の中にいたが、どうやら歩くんを抱き枕と勘違いしていたようで、歩くんを抱きしめて寝てしまったようだ。


「おねえちゃん、苦しいよ」


 歩くんの吐息が胸元にかかるのが温かくて、あたしは現状維持を望んでしまう。しかし歩くんの脱出したい気持ちは強いらしく、聞き分けのない猫のように、あたしの胸からピュっと、離れてしまった。


「寒いよぉ。歩くん」


 あたしは惨めになったような声を出して、いたいけな少年の翻意を促す。歩くんは数秒迷ったが、掛布団の存在に気がついたようで、あたしにそっとそれをかけてくれた。――違う、そうじゃない。あたしはどこかで聞いたことのあるようなセリフを心の中で吐いてしまう。


 今日は土曜日で歩くんの学校もお休みだ。なので、まだこの戦いの敗北を受け入れる必要はない。あたしは歩くんの手を引いて、あたしのお布団の中といういかがわしい魔界へと引きずり込んだ。歩くんは単なるだと思っているのか、ケタケタと笑いながらあたしのなすがままになる。純粋さは時として危険なことをこの少年はまだ理解していないようで、あたしは歩くんをくすぐりながら、己が愉悦を満たしていく。時折、ところに触れてしまうが、彼は身体をくねらせながら笑い声をあげるだけだ。こんな土曜の朝が永遠に続けばよいと、あたしはそう願いながらも、母や歩くんママが見たら卒倒しそうな、禁断のスキンシップをしまうのであった。


 昨日のカレーを褒めたことで、料理への自尊心をくすぐってしまったらしく、歩くんは「朝は僕がおにぎりを作ってあげる!」と言い出した。あたしはそんなご褒美を彼の方から授けてくれることなど、まったく予想をしていなかったので、思わず、「素手で!? 素手で握ってくれるの!?」と心の声をそのまま出してしまった。その結果、「もしかして、嫌? ラップがあるのなら……」なんて、歩くんの清らかな気持ちを消沈させてしまうことになってしまったが、あたしは全力で否定をして、彼のモチベーションの回復に努める。――何が何でも、歩くんの素手で握ったおにぎりを食べたいのだ。あたしは、最終手段として彼を抱きしめながら、「おねえちゃん、歩くんの(素手で握った)おにぎり、食べたいなぁ」と耳元で囁く。出来るだけ腹に力を入れて引っ込め、胸があたるようにして懇願したのである。


 あたしの欲望から出た失言をチャラにできたようで、歩くんは気を取り直して、おにぎりを握ってくれるようだ。どうやら、調理実習で学んだ腕前を披露したいらしい。


 今時の調理実習ではご飯をラップに包んでから握るのではないのかと思ったのだが、そうではないらしい。歩くんの小学校がセレウス菌を怖れた最新の教育にアップデートされていないことに感謝をして、あたしは材料のご飯と具になりそうなものを用意してから、キッチンに立つ歩くんの勇姿(主に手元)を眺めることにした。


 歩くんは目分量でご飯を手に乗せると、まだ熱かったのか眉をしかめる。その苦悶の表情がたまらない。幼稚なセクシーさを醸し出しているが、彼には彼なりの可愛らしいプライドがあるらしく、「熱い!」なんて大声を上げずに、黙って具の鮭を入れて握りだした。


 とはいえ、かなり熱いのであろう。時折、おにぎりになる手前のご飯の塊を片手だけで交互に持つことで熱からの避難をしている。なんと可愛らしいことか! 彼の掌に滞在する時間が長ければ長いほど、あたしにとってはご褒美であるのに、そんなことに価値観のない歩くんは、ひたすらに熱と戦いながらおにぎりを一つ、二つと作り上げていく。形も大きさもバラバラなおにぎりが出来上がる度に、あたしは彼との間に出来た、愛の結晶の出産シーンを想像しながら、「すごいね!」「がんばったね!」「歩くん。可愛らしいおにぎり赤ちゃんだよ!」などと言いながら、とんでもない夢に向かって祝ってしまうのであった。


(続)

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