第3話 天使の羽衣
サドルへの愛を示してから家に入ると、手を洗い終わった歩くんと廊下で遭遇した。とても暑そうな顔をしている。
「暑いかしら?」
「うん。ちょっと。暖房が効いているのかな」
「どうかしらね」
わざとらしくとぼけるが、室温は異常なまでに暑くなっている。それはそうだ。あたしはエアコンをフルにかけ、石油ストーブを二台もつけている。広くもない一階は隅々まで暑さで満たされていた。
「歩くん。学校から帰ってきたばかりなところに自転車乗ってきたのでしょうし、汗をかいたでしょう。とりあえず、着替えるといいわ」
「え?」
あたしは一階の和室から歩くん用の服を持ってきて差し出す。それはあたしの好みである、ダボダボな白い半袖シャツ、ジーンズ生地の半ズボン――太もも部分が大きめな穴になっているもの。そして、白いソックス。
「あの、さい――」
「おねえちゃん。今日からあたしのことは
「あ、うん」
有無を言わさず押し込む。
「で、何が言いたかったのかな?」
「コレ、今着るの?」
「そうだよ。汗かいたでしょう? 今の服はお洗濯しないと」
歩くんママの用意したものではないのだから、ここで歩くんの戸惑いに正当性を与えるわけにはいかない。歩くんにこれを着せるために、バイト先の店長の不倫の誘いやセクハラに耐えて頑張ってきたのだ。本当は白のブリーフもあるのだが、それはお風呂のときに用意することにした。
何事にも性急さは副作用を産む。しかし、ここぞという時には勝負をかけなければならない。あたしにとって、歩くんにこれらの服を着せることは、この二泊三日の中での大事な初戦なのである。負けるわけにはいかないのだ。
「別に着替えなくても」
「ううん。早く着替えちゃうか?」
辞退という選択肢を与えないよう、あたしは歩くんの背中を軽く押して和室に入れる。服を手渡して、そっと戸を閉めてから、「脱いだものはお洗濯をするから、そこにあるカゴに入れてね」と声をかける。戸をはさんで濁った「うん」という返事にあたしは満足をして、戸を開けたい気持を抑えながら、小さな王子様のお着替えを待った。
「いい……」
嘘偽りのない本音というものを抑える術がわからないあたしは、ついそう漏らしてしまった。歩くんは「これ、ちょっと子供っぽくない?」と子供らしい恥じらいをしながら抗議をするが、あたしが褒めまくって歩くんの気持ちを上げていくと、悪くない気がしてきたらしく、「おねえちゃんは着替えないの?」なんて、少しくだけた言葉を出すようになった。
あたしはわが意を得たりとばかりに、「じゃあ、おねえちゃんも着替えてくるね?」と言ってから、軽いジャブを放つ。
「よかったら、歩くんがおねえちゃんの服を選んでくれると、嬉しいなあ」
冗談を装いながらも真剣な声のあたしに、畳に座っている歩くんは、すらりと伸びた足をバタバタさせながら、赤面して拒絶した。あたしは歩くんの太もものつけ根がブルブルと振れるのを眺めながら、フフッと歩くんママの笑いをマネて、大人の余裕を演出してみせるのであった。
(続)
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