第2話 少年の温もり
待望の週末がやってきた。歩くんママが予め荷物をあたしの家に送ってくれており、ほとんど身一つの歩くんが我が家にやってくる予定だ。
母はその手際の良さに驚きつつも、久しぶりの温泉旅行に胸を弾ませていた。早朝からガスや水道栓のある場所や、冷蔵庫の中のもので食べて良い品物のこと、留守中は固定電話には出ないことなど、細かいことをクドクドと言ってくるが、どれもあたしの頭の上を素通りしていった。――あたしの頭の中には、今日の放課後に一旦家に帰ってから自転車でやってくる歩くんのことしかないのだから。
「それじゃ、行ってくるわね」
「うん。せっかくなんだから、歩くんママと楽しんできてね」
「ありがとう。それじゃ。くれぐれも戸締りだけは――」
「もういいから!」
あたしは急かすように母の背中を押して、トランクを持たせる。母は苦笑しながらも迎えに来たタクシーに乗り込んで行った。
小さな王子様がやってきたのは、夕方の四時を過ぎた頃。黒い子供用自転車にまたがった歩くんが、あたしの自宅である一軒屋の門前に現れた。
長袖のシャツと黄色いマフラーという薄着な格好を見て、あたしは彼の代謝能力の素晴らしさに羨ましさを感じる。――あたしだってまだ十代の大学生なのに、歩くんのような身体の若さや柔軟性には驚きを隠せない。真冬でも素足に靴下で過ごしていた高校生時代が自分にもあったことなんて、とうの昔のことのように思えてならないのだ。
「いらっしゃい歩くん」
「こんにちは。これから、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる歩くん。黄色のマフラーが垂れ下がる。
「こちらこそ。さあさあ。ここは寒いから、早く中に入って手を洗ってね。洗面台を使うといいわ。家には何回か来ているから、場所はわかるよね?」
「うん」
あたしの言葉に何の悪気も感じない歩くんは、スタスタと歩いてドアを開けて入ろうとする。あたしは歩くんの後姿、もっと正確に言えば、お尻に視線を定める。どこかアンバランスで色気のない薄いお尻。ジーパン越しにでもわかるような、無骨でいながら幼稚なフォルムがとても美しいと思った。
あたしはそんな歩くんの後ろ姿に飛びついてお尻をなでくり回したい気持を堪え、本体の使命を果たすことにする。――歩くんの自転車のサドルを愛でるのだ。
歩くんが家に入ったのを確認してから、合成樹脂と思われる黒いサドルに頬を寄せると、僅かに熱が残っている。温かいまではいかないが、歩くんの座っていた聖なる痕跡は健在であり、いとおしく感じるには十分な状態だ。
あたしは十秒程度ずつ、両頬をサドルにくっつけると、ため息を漏らしてしまう。身体の上半身には、本来であれば走ってはいけないような、いかがわしい電気のような痺れが発生する。
チークをサドルに擦りつけた後、最終目的地たるサドルの先頭部分への礼拝をすることにした。そこは彼の大切なものが鎮座していた場所。歩くんの家からあたしの家まで自転車で十五分。その十五分の時間、この丘に何回、歩くんが持つ生命の源が接したのだろうかと思うと、たまらない気持になる。
あたしは周囲を見渡して誰もいないことを何度も確認すると、その聖地に短い時間ではあるが、キスをした。――願わくは、歩くんのそこが、未来のあたしのものになりますように。
(続)
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