第49話 2人よろよろ

 外では、もう陽が沈みつつあった。


 大講堂の周辺では、一連のショーに興奮冷めやらぬ生徒達が鼻息荒くたむろしている。


「ねえ、ちょっと」そんな生徒の1人に、祝園は声をかけた。


「籾木達はどっちへ行った?」


「えー、どっちだろ?」話しかけられた生徒は、隣の友人に尋ねる。


「トイレかな?」

「違うよ。部室棟の方じゃね?」


「ありがと」


 祝園は、足早にその場を去った。


 大講堂から離れれば人影は殆ど無かった。段々と足元が見えなくなる中を、コートも羽織らずに祝園は走った。


 目的の集団はすぐに見つかる。暗がりで祝園は目を凝らした。途中で別れたのか、小堀と佐々の姿はなかった。


「籾木ィ!!!」


 少女の絶叫に離れた所にいた4人は立ち止まり、振り返った。


「お化けっ!」瑞稀が声を上げる。「いや、アレは…」と紫陽里は目を凝らす。


「…祝園さん」最初に気づいたのは、和歌だった。


 祝園は大股で4人に近づいていく。


「モミモミ、ヤベーっすよ。タイマンじゃないすか?」と言う瑞稀に、「んな訳あるかい」と呆れたように奈緒が応じる。


 紫陽里は何も言わず、和歌を庇うように一歩前に出た。祝園は無言のまま、もう少女達の目の前まで迫っていた。


「大丈夫よ」和歌は小さくそう言って、今度は自分が紫陽里の前に歩み出た。


 紫陽里は心配そうに、形の良い和歌の後頭部を眺める。


 祝園は歩みを止め、相手の顔を見つめた。殆ど夜なので、目を凝らさなければ相手の顔はよく分からない。


「こんばんは」


 和歌の挨拶に、祝園は答えなかった。2人の少女は言葉もなく見つめ合う。和歌は臆さず、薄暗い闇の中微笑んで、相手の言葉を待った。


「いや、なんか喋れや」と奈緒がツッコもうとした、まさにその時だった。


 バチィン!!! 


 その音は、冬の乾いた空気によく響いた。


 突然の衝撃に姿勢を崩して倒れそうになった和歌を、紫陽里がなんとか支える。和歌は震える手で、ヒリヒリと痛む自分の左頬を押さえた。


   ◇


「ざまあみろ!!!」祝園の言葉は、殆ど悲鳴だった。


「痛いだろ! でもこんなもので、お前は絶対に悲鳴をあげるなよ! 逃げられると思うな。絶対に私が、お前を追い詰めて──」


 祝園が言い終わる前に、奈緒は相手の襟を掴むと、無理やり後ろへと2、3歩下がらせた。


「何してくれとんじゃ、ボケェ!」


 祝園の耳が震えた。視界には奈緒の顔しかなかった。


 歯を剥き出し、鼻腔を広げ、瞬きもせずにこちらを睨みつける少女の姿に、祝園は脇の下が熱くなるのを感じた。


「手ェ、出しよったな!? ウチらの委員長に!」


「先に出したのはそっちだ!」負けじと祝園も言い返す。


「コイツが先に人を痛めつけた! 良い子だったのに、何もしてないのに。コイツが、コイツがやったんだ! あの子の、誰も助けてくれなかったあの子のために、私だけは、絶対にコイツに復讐してやる!」

「証拠を出せや! 籾木がイジメに関与したっていう、証拠を出さんかいゴラァ!」


「証拠なんているか! コイツは逃げた、逃げたんだ! それだけで十分! お前も、泊も、松永先輩も目を覚ませ! 良い加減に気付け! コイツは、悪魔なんだぞ!」


「知っとんねん、そんなこと!!!」


 だが声量には、やはり奈緒の方に分がある。


「承知の上や、そんなもん! でもそれでも、籾木はやってないって言ってんねん! せやから、ウチはそれを信じるんや! コイツはな、これまでどんなしょーもない頼みにも頷いて来た。どんな奴だって見捨てなかった。どんな見返りだって求めんかった。ウチは、それを横で見てきた。全部見てきたんや! だからな、今度はウチはコイツの頼みを聞いてやるんやないかい!」


「バカげてる!!!」祝園も諦めない。


「バカ! バカバカバカ! どうして分からない! 後で絶対後悔する。騙されてるんだよ! 化けの皮なんてすぐに剥がれるんだ。手遅れになっても知らないぞ! 誰も、お前らを救ってはくれないぞ!」

「そん時はそん時や。そん時は、籾木ぶん殴る」


 奈緒はそう言って、相手の襟を掴む手に力を入れる。そして片方の手で握り拳を作ると、ゆっくりと腕を上げた。


「おい、クソアマ。女の顔を殴ったら、どうなるか分かってるんやろな?」


「向こうも女の子だよ」と紫陽里が言う一方で、瑞稀は目を輝かせる。


「な、殴れよ! よく分かった。お前も、籾木の仲間なんだ。だったら、もうやりたいようにやればいい。でも、私は絶対に屈しない。非道になんか屈するものか。私でなければ救えない子達の為に、私は立ち続ける。例え1人でも、私以外の全部を敵に回しても、私は絶対に勝ってみせる!」


 祝園は覚悟を決め、震える目を閉じた。


 弾力性のある相手の頬めがけて、奈緒は腕を振り下ろした。


 だが「やめて奈緒ちゃん!」と言う和歌の叫びのせいで、奈緒の一撃は相手の頬に風を送っただけで止まった。


 目を開け、静止したままの相手の拳を見た祝園は自力で立つ力を失い、その場に座り込んだ。


 息急き切った甘利と雁登が着いた時、祝園は地面に膝をつき、小刻みに肩を振るわせていた。


 異様な状態の祝園と、自分の頬を押さえている和歌を見て、雁登は「ああ…」とため息を吐く。


「おい、ゴミカス共」こちらを見て呆然としている甘利と雁登に、奈緒は言った。


「コイツをどっかにやれ。お前らのお仲間やろ、後始末せえ。目障りや」


 雁登は祝園に近づくと、肩を貸し、相手を立たせた。


「ごめん」と謝る雁登に、奈緒は答える。


「ごめん、で済むかい。裁判までやって、ほんで決着もついたって言うのに、コイツはなんや。そっちのチビ(甘利)がウチのことを散々こき下ろした時でも、こっちは手を出さんかった。せやのに、コイツはなんや。顔を叩きよった。女の顔を、や。分かってんのか? もし傷が残ったら、ただでは済まへんぞ」


「ごめん」祝園の代わりに、雁登が答える。


「今はそれしか言えない。後で埋め合わせはする。祝園にも、謝らせるから」


「いるかそんなもん!!!」奈緒は声を荒げる。


「二度とウチらの前にソイツのツラ見せんな! これぐらいで済んだんわな、同性やからや。もしお前が男やったらな、【自主規制】を【自主規制】してやる所やったぞクソボケが! 分かったらはよ連れてけ! くたばれ、アホ!」


 震える祝園の身体を、雁登と甘利は両脇から支えて歩かせる。そうして3人の少女達は静かに、奈緒達の前から消えた。


 ◇


「赤間っちって、ほんとにほんとに女子高生っすか?」


 祝園達がいなくなった後、瑞稀が言った。


「失礼なこと言うな。ウチの地元じゃ普通の挨拶や。『またお会いしましょうね』くらいの意味やし」

「嘘か本当か分からない所がタチ悪いっすね」


 紫陽里に支えられ、和歌はよろよろと立ち上がる。その様を見て、「大丈夫かいな…」と奈緒。


「大丈夫よ。これぐらい」と和歌。

「いや、全然大丈夫じゃない」と紫陽里。


「紫陽里、大丈夫よ。これぐらいなん──」

「保健室に行って、ちゃんと冷やそう。処置が不味いと後が残るかもしれないし。それにさっきよろめいた時、腰も打ったよね? 脳も心配だな…」


「過保護すぎんか?」と奈緒。


「赤間さんがさっき言った通りだよ。『ウチらの委員長』は大事にしないと。私と瑞稀は荷物を取ってくるから、赤間さんは先に和歌を連れて行ってあげて。じゃあね」


 紫陽里はウィンクを後に残し、瑞稀を連れ立って去っていく。


「嵐みたいな奴やな」と言う奈緒の言葉に、「冬だものね」と和歌。


「おぶったろか?」

「おんぶ? してくれるの?」


「そらお前、負傷者やからな」


 奈緒の背中は広く、暖かかった。首筋に顔を近づければ、鬼の子が普段使いしているシャンプーの匂いもする。


 和歌はすんすんと、音を立てぬように鼻を動かす。


(このぐらいなんてことない。だって私、負傷者だし)


「おい、お前」


 不意に奈緒は足を止めた。「な、なに?」と和歌は慌てて答える。


「保健室って、どこにあるんや…?」



 




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