第39話 ほんまごめん(後編)
「ない! ないないない!」
場所は生徒会室。
押収したPCを操作しながら甘利は叫んだ。額は汗で光っている。
「絶対あるはずなのに。生徒の個人情報とか、ヤバい業者とのやりとりの履歴とか、脅迫メールとか。隠したんだ、絶対にそう! 誰かがガサ入れをバラしやがったのかも! 許せない! 内申点をマイナスにしてやる!!!」
「落ち着いて」生徒会長の椅子に座していた祝園が言う。
「小さくてもいいから、見つけたものを教えて」
「画像ファイルだけ」悪戦苦闘の甘利に代わって雁登が答える。
「大したものじゃない。世界中の、色んな種類の猫の写真しか入ってない」
「気持ち悪いぞ、あの泊ってヤツ! 猫の画像を集めるなんてイカれてる!」と甘利。
「猫だぞ? お前、本当に女子高生なの?」と雁登。
祝園は表情一つ変えず、生徒会長の机を挟んで立つ奈緒に向き直った。
「正直、あの女がここまでとは思わなかった」
太い眉毛が美しい少女は言う。
「手書きの書類は全部ハズレだったから、重要なのはPCなんだろう。なのに、何一つ見つからない。多分、隠したんだ。でもどうやって? 我々の捜索は秘密だった。部屋に入られてから情報を消すなんて不可能。何かがおかしい。甘利の言う通り、こちらの動きがバレていた?」
(マズい)
意識が遠くなり、白目を剥きそうになるのを堪えながら、奈緒は思った。
(監視カメラやら盗聴器の件がバレたら、ウチは終わりや。逮捕された挙句、最後は下着まで世間に晒される…)
「赤間さん。文化祭の時、私は君に頼んだ。籾木と規律秩序委員会にとって不都合な情報を知っていたら、それを教えて欲しいと。結局、なんの音沙汰もなかったけれど」
(マズい)奈緒は思った。
(か、完全に忘れてた…)
「まあ、色々と事情があったんだろう。今日呼んだのはそれについて。赤間さん、君が知っていることを、我々に全部教えてくれ。我々は裁判に向けて勝つための準備を進めているけれど、決定打がないんだ。規律秩序委員会が、文字通りの犯罪行為を行っているという明確な証拠が見つからない。それが見つかれば、連中を完膚なきまでに叩き潰すことが出来るのに」
「あー、ええと…」
甘利と雁登はPCから顔を上げ、応接ソファに座る水野も、ジッと奈緒の返答を待っている。
奈緒は完全に、敵に包囲されていた。
「答えにくいのは分かる」
歯切れの悪い相手に変わり、祝園は言った。
「心配してるんだね? もし君が不正行為に加担していても、それは追及しないと約束する」
「は、はあ…」
「もしくは、そうだな。赤間さんが我々に協力したことを知って、籾木達が報復に出るもしれない。大丈夫。そうなった時も、我々が全力で君を守るよ。籾木が負けさえすれば、連中の背後にいる、理事長の学園への介入だって暴かれるんだ。相手の力が強大とはいえ、倒せない敵なんていない。生徒達は必ず、私達を支持してくれるから」
「へ、へえ…」
「頼む、赤間さん。正義と理性が勝利するために、どうか我々に手を貸して欲しい。一緒に、私達の明るい学園生活を取り戻そう」
◇
(生徒会に情報を売れば、少なくともウチの罪は不問になるんか…)
奈緒は自分の脳みそが、珍しくブオオンと轟音を立てて動き出したのを感じた。
(祝園の実家がどれほどのもんかは知らんけど、あの眉毛や。多分、籾木に仕返しをされても、力になってくれるかもしれん。そうすればオカンは心置きなくバレーボールを続けられるし、オトンは…、オトンは…。まあなんとかなるやろ。男やし)
脳をフル回転させたお陰で、奈緒は文化祭の時に、祝園に言われたことも思い出した。
「君の協力で委員会が解体された暁には、誰も君の事を『赤鬼』と貶めるような人間はいなくなる」
確かに祝園はそう言った。
(いや、新聞でウチを鬼呼ばわりしてたんは生徒会やけど…)
規律秩序委員会が解散されれば、日々の面倒くさい仕事からも解放される。毎日梅子と下校して、当たり障りのない、絵に描いたような学校生活が送ることができる。
松永に、泊に、そして籾木。頭のおかしい連中ともおさらばだ。
(それこそがウチの夢見てた、最高の生活…!)
奈緒は思う。そう思うと同時に、また別のことを考えてしまう。
規律秩序委員会がなくなったら、誰が困った生徒を助けるのか。
(そ、そんなん、他の誰かに任せたらええやん)
奈緒は自分に言い聞かせる。
(先生とか親とか、カウンセラーとかお医者さんとか、その辺にいくらでも代わりはおるやんか)
でもその内の誰も、屋上に登った生徒に気が付かなったから? その内の誰も、深夜の体育倉庫に学生が忍び込んでることを知らなかったら?
(それは…)
校内でラップをしたいと言う生徒を、大人は許すか? キモいメールを送ってくるのは、そもそも大人の方じゃないか。
幽霊が出るだなんて話を誰が信じる? 一体どこのバカが、二つ返事で学食に虫を置いたりなんかする?
(そんなアホはおらん…)
規律秩序委員会以外の一体誰が、癖の強い、イかれた少女共と付き合える? バケモノには、バケモノをぶつけるしかないのでは?
(ち、ちゃう! ウチはまともや! あいつらとは違う)
嘘つき。赤間奈緒、お前は嘘つきや。
(お前はウチ自身の声やろがい! なんでウチに歯向かうねん! 頭使えや。どう考えても、生徒会につくんが真っ当やんか!)
ふん。頭を使こたから、ウチが出て来たんやんか。ウチがうざいんやったら、さっさとウチを締め出して太眉に全部話せ。それでしまいや。
でも、これだけは言うとくで。やっぱり、お前は嘘つきや。
だってお前は籾木達と過ごしてて、退屈したことなんか一秒もなかったんやからな。
◇
「あ、赤間、動かなくなったぞ…?」
「死んだ?」
甘利と雁登がそう言った矢先、「あー…」と、奈緒は諦めたように、溜息を吐いた。
生徒会役員達は祝園を除き、互いに顔を見合わせた。祝園は辛抱強く、相手の返事を待っている。
「ほんまごめん」奈緒は言った。
「ウチには出来ん。協力は無理や…」
ほんの一瞬祝園は目を見開いて、またすぐに元に戻った。
「考え直した方がいい」祝園は言う。
「なにか弱みを握られているなら、手を貸す。今日、答えを出さなくてもいい。裁判まで時間はある。よく考えて、それから改めて──」
「いや、ほんまごめん」
奈緒は相手を遮る。
「多分やけど、気持ちは変わらん。あんたらに協力は出来ん。だから、もう勘弁してくれ」
「なぜ、どうして?」
「わからへん。自分でもよく…」
「なにかこちらに至らない点があるなら言ってほしい。他に願いがあるなら、それも遠慮せずに言ってくれ。我々に出来ることなら、なんでもやろう」
「なんもない。生徒会はアレやけど、少なくも、アンタそのものにはなんの落ち度もない。せやけど、この話はこれっきしにしてほしい」
祝園はまだ何かを言おうとしたが、やめ、「分かった」とだけ言った。
「無理もない。誰もあいつの恐ろしさを知らないから。私が…」
殆ど独り言のように、机を見ながら祝園は言う。
「じゃ、じゃあ、帰ってもええかな?」
「長い間引き止めてしまって申し訳ない。もう結構」
「ほ、ほなさいならー…」
「さようなら。次は、裁判で」
◇
「あっ、赤間っち来たっすよ!」
白い息を吐きながら、瑞稀は言った。
場所は正門。すっかり陽が落ちた寒空の下で、和歌、紫陽里、瑞稀の3人は奈緒が校舎から出てくるのを待っていた。
「な、なんやお前ら」困惑したように奈緒は言う。
「早よ帰れや。風邪引くぞ、ダボ」
「赤間さんが心配だったから」と紫陽里。
「生徒会をコテンパンにしたんじゃないかって。返り血を浴びてないってことは、大丈夫だったんだね」
「黙れ、カス」
3人に近づいて、奈緒は足を止める。
和歌が紫陽里の後ろに隠れるようになっているのに気がつき、「そいつは何してん?」と声をかけた。
「ほら、和歌」紫陽里は和歌の背中を押す。
和歌は奈緒とは視線を合わせずに、「…お疲れ様、赤間さん」と言った。
「それで、生徒会は赤間さんになんの用だったの?」
「別に、なんでもあらへん」
「本当? 本当に?」
「てか、監視カメラで見てたんやろ? PCがなくなってもタブレットとかでさ」
「モミモミが見るなって言ったんす。プライバシーの侵害だって」瑞稀は口を尖らせる。
「どの口が言うてんねん…」
「本当に、大丈夫なの? 生徒会に、何もされなかったのね?」
相手が余りにもしつこいので、奈緒は話し始めた。
「へえ」とか「凄いっす。まるで映画っす!」とか、紫陽里と瑞稀はそんなことを言って奈緒の話を聞いたが、和歌は1人、痛みに耐えるように目を瞑っていた。
「じゃあ、生徒会に協力するの?」
奈緒が途中まで話した所で、まるで他人事のように、紫陽里が尋ねた。奈緒は相手の呑気な問いかけに呆れつつ、答える。
「アホ。あいつらは敵やんか。誰がそんなんと協力すんねん」
和歌は目を開き、そこで初めて奈緒の顔を直視した。
「本当?」和歌は尋ねる。
「本当に、本当に本当に生徒会の話を蹴ったの?」
「たり前やん。そもそも、なんであんなムカつく連中の味方せなあかんねん。お前らも酷いけど、あいつらはもっとや。それに、ウチは家族を人質に取られとる。あいつらは弱みを握られててもなんとかなる言うとったけど、そう簡単にいくか? せやろ?」
「人質? なんのこと?」
「忘れんなや! ウチがこの委員会に入ることになった一番の理由やんか!」
「忘れてないわ。赤間さんを試したのよ」
「くたばれ」
「ウフフ」と、和歌は安心したように笑い声を出す。
「良かった良かった。流石は赤間さん」と紫陽里。
「でも、勿体無いっす。このままスパイで通しておけば、裁判で盛り上がっただろうに」と瑞稀。
(結局、ウチらはもう死ぬまでこいつらから解放されへんのかもしれん)
奈緒は思う。
だが同時に、3人のいない人生というものが全く想像できないのも事実だった。
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