第37話 ギプスと七面鳥

 引っ越して数ヶ月。


 相変わらず、奈緒はこの街に慣れなかった。


 灰色のペンキを薄く塗ったような空を見上げながら、少女はスタジャンのポケットに手を突っ込む。


 駅は人でごった返していた。これから電車に乗る人、もう降りた人。


 かれこれ5分は路線図を睨んでいる人に、奈緒と同じように誰かを待っている人。


 少女は揺れ動く人の色彩から曇天の寒空へと目線を移し、「はあ」と白い息を吐く。


 集合時間の15分前に和歌と紫陽里はやってきた。


「こんにちは、赤間さん」


 赤く染まった鼻をして和歌は言った。丈の長い濃いベージュのコートを羽織り、頭には黒のベレーを被せている。


「そんな格好で寒くない?」


「別に」奈緒は答える。


「お前こそ、鼻もほっぺも真っ赤やで」

「冬はいつもこうなの」


「ドン引きするぐらい肌が白いもんな」

「ありがとう。嬉しい」


「褒めてへんねん、ダボ」

「赤間さんも、そのスタジャンすごく似合ってるわ」


「へいへい」

「ファッション業界がざわめくんじゃない? 大丈夫?」


「頭使ってモノ喋れ」

「写真、撮ってもいい?」


 奈緒が答えるよりも早く、カシャッ!という音が和歌のスマホから出る。


「せめて答えさせろや!」


 灰色のチェスターコートを羽織った紫陽里は、そんな2人を微笑ましく見守る。


   ◇


 集合時間ちょうど、和歌のスマホにメールが入った。


『そこから見てロータリー右横。郵便局近く』


 指示通りに、和歌は視線を滑らせる。郵便局手前にある1本の木の影に、サングラスをかけた1人の少女が立っていた。


「雁登さんだわ」


 和歌はそう言って、遠くの不審者に手を振った。すぐにまたメールがくる。


『手を振るな』


「怒られちゃった」スマホを見ながら、和歌は呟く。


「このまま距離を取ってついてこいですって」


 サングラスをかけた雁登が歩き出したので、奈緒達はそれに従った。


「なんやねん、コレ」歩きながら奈緒。


「多分、私達と会っている所を、他の生徒に見られたくないんだよ」と紫陽里。


「アホくさ。映画の見過ぎや」


「ウフフ。でも楽しいわ」奈緒が言う。


 駅前を離れて住宅地へと入れば、辺りは静かになった。


 土曜の昼下り。時折、近くの公園から小さな子供達の遊ぶ声が聞こえる。


「そういや、誰かの家に行くんはこっちに来て初めてやな」と奈緒。


「そうなの?」和歌が尋ねる。


「吉野さんの家には行かないの?」

「行かへんな。お互い遠いし、別に行く必要もあんまないしな。無理に押しかけて、嫌われたくもないし」


「呼ばれたら行くの?」

「呼ばれたらな。なんやかんや楽しいやろし」


「ふうん。そうなの」


 少し間があって、


「…そうなの」


 とある家の前で雁登は足を止めた。


 サングラスの少女は振り返って和歌達の姿を確認すると、一足先に門扉をくぐって行く。


 和歌はその家の『由水』という表札を確認すると、インターホンを押した。


「はい」由水とも雁登とも違う、若い女の声が返ってきた。


「籾木です」と和歌が言うと、「今、開ける」とインターホンは言った。


 扉が音を立てて開き、中から首の長い少女が顔を出す。


「入って」


 少女に誘われて、和歌達は家の中へと入る。玄関で靴を脱ぎながら、奈緒は少女が着ている服をマジマジと見た。


 お手製と思われる厚手のセーターには、『僕を食べてね!』と吹き出しを付けた七面鳥(?)が編み込まれていた。


(ダッさ…)


 口に出さなかった自分自身を、奈緒は密かに褒めた


  ◇


 七面鳥のセーターを着た少女は、奈緒達を由水の部屋へと案内した。


「わあ、こんにちは!」


 訪問者達に対して、由水は朗らかに挨拶をした。由水は部屋の隅に置かれたベッドに横たわり、右足にはギプスを巻いていた。


 ベッドの枕元近くに七面鳥の少女、足元付近に雁登、残ったスペースに奈緒達が座れば、部屋はもうパンク寸前。


「直接会うのは初めてですね」


 和歌が言った。


「1年L組の籾木和歌です。こちらは松永、こちらは赤間です。よろしくお願い致します。由水先輩、鷲尾先輩」


「丁寧にどうもどうも。ごめんねぇ、こんな狭い所に」


 上体を起こしながら由水は言った。鷲尾と呼ばれた七面鳥の少女は、起き上がった由水の背中を支えるようにクッションを置いた。


「とんでもありません。こちらこそ、大勢で押しかけてしまってご迷惑をおかけします。あの、つまらないものですが…」


 和歌がそう言って持参した菓子の包みを取り出すと、「なになに!?」と由水は声を上げた。


「お菓子を持ってきました。ご家族でお食べになってください」

「ありがとう! 嬉しい!」


 由水が受け取ろうとするのを、鷲尾が遮る。


「これ…」


 和歌を睨みつけながら、七面鳥の少女は言う。


「人が食べていいもの? カエルとか、虫とかじゃないでしょうね?」


「大丈夫です。中身はただのクッキーなので」

「材料は? 粉末にした化物じゃないの?」


「違うと思います。多分」

「もしこれを食べて楓が病気になったら、責任取れる? まず先にそっちで毒味をして。赤間なら毒を食べても勝てるでしょ?」


「彩、誰だって毒を食べたら死んじゃうよ」と由水。


「ごめんね、籾木さん。ありがとう、夜になったら両親も帰ってくるから、その時食べる。でも、カエルの肉も食べてみたかったなぁ」


「お怪我が良くなり次第、ご馳走します」と和歌。


「本当? やったぁ! 早く怪我を治さないとだねぇ」


(バカにしやがって)奈緒は思う。(あのアマ、ダサいセーター着とる癖に…)


 由水に戻る。


「先日の放送の話、聞いたよ。反響も凄かったんだって? 阿南もメールで喜んでたよ。赤間さん、凄いねぇ。外見だけじゃなく、度胸もあるんだねぇ」


「は、はい」


 いきなり話を振られて、慌てて奈緒は答えた。


「その、必死というか、ほんま、頭真っ白で。あの、せ、生徒会の文句を言うつもりはないんです。ほ、ほんまです…」

「なんとも思ってないよ。少なくとも、私は。楽しいじゃん。でも、なにせ沢山の人が聞いてたからねぇ。よく思わない人も、いたかもねぇ」


 由水はそう言って、雁登を見る。


「放送の時、祝園さんはどうだったんだっけ?」

「食事の手を止めて、黙って教室のスピーカー睨みつけていたそうです。聞いた話ですが」


 雁登が答える。


「祝園さんの友達情報なんだね」

「祝園のクラスメイト談です。アイツ、友達いないんで」


「ヌフフ。そんなこと言っちゃダメだよ。雁登さんと甘利さんは、祝園さんの友達じゃん」

「違います」


「え?」

「はい?」


   ◇


 数秒間、気まずい沈黙が流れた後、今度は鷲尾が口を開いた。


「悪いけど、楓を休ませたいから手短にお願い。雁登、本題は?」

「はい。単刀直入に言いますが、弾劾裁判を取りやめるよう、由水先輩の口から祝園を説得してくれませんか?」


「説得? 私が?」


 由水が答える。


「やろうとした所で無意味でしょ? だって、私不在の間に祝園さんが決めたのに。生徒会長がいない間は、副生徒会長が階級1位なんだよ。分かるよね? 第一、総会にかける前に、生徒会中でも多数決を取ったでしょ?」

「はい。私と鷲尾先輩は反対しましたけど」


「聞いたよ。でも、決まったものはしょうがないよね。校則に書いてあるんだから。今更、私1人の力で覆せない。そんなことしたら独裁じゃん。歴史好きの雁登さんなら、よーく知ってるよね?」

「けど、今回の件は余りに性急だし、強引です。雛…、いや、甘利がやった事を逆手に取られれば、生徒会が弾劾裁判を行う正当性そのものがなくなります」


「それも聞いた。新聞部の大羽を脅したんだって? 凄いねぇ、甘利さん。やることがもうギャングだもん」

「そう思うんならアイツらを止めてください。それが出来るのは、由水先輩だけです!」


「うーん、私はそうは思わないけどな…」


 そう言って、由水は視線を和歌へと移した。


「ねえ、籾木さん。籾木さんはどう思う? 弾劾裁判、取りやめてほしい?」


(なんや、コイツ)奈緒は片方の眉だけを器用に吊り上げる。(なにを当たり前のことを言うとるんや?)


「そうですね」


 和歌は答える。


「私達委員会の是非は置いておいて、今回の騒動で、関係のない方々を巻き込んでしまっていることについては、本当に申し訳なく思っています。ですので由水先輩が仲介役になって、内密に話し合いが済めば良いとは思います。それがベストな結果でしょうから。だけど…」

「だけど?」


 和歌は少し俯き、間を作った。顔を上げた時、少女の口元は喜びに溢れていた。


「ハッキリと言います。だけど、だけど私はすごく楽しみです。全校生徒を前に、私達のフィロソフィーを披露することが出来ることが。沢山の人に迷惑と手間をかけることを承知で、私の愚かな胸は、真っ向から裁判に挑みたい気持ちでいっぱいです。私達のやってきたことが間違っていたか、そうでないかを、みんなに問いたいんです」


 紫陽里は誇らしげに、奈緒と雁登と鷲尾は化物を相手にしているかのように、和歌を見る。


 由水は目を輝かせて、「わぁ…」と口の中で呟いた。


「カッコいいねぇ、籾木さん。スゴいスゴい。それを聞いてとっても嬉しい。実はね、最初からこの弾劾裁判を止める気なんてなかったんだ。学生同士が自分の気持ちを曝け出して、ぶつかるなんて、すっごく楽しそうでしょ? 邪魔しちゃいけないよ」


「なんやと!」


 奈緒は声を荒げて、片膝を立てた。


「さっきから黙って聞いてりゃ無責任な奴め! なんやねん、お前。生徒会長ちゃうんかい! 学生同士が争うとるんを、見せものみたいに言うなや!」

「ごめんね。でもお互いに遠慮し合って、本音を出さないよりずっといいと思うんだ。本気で殴り合ってこそ、真の人間関係が気づけるんだよ。スクラップアンドビルドってやつ? 合ってる?」


「きしょいねん、この自己満が! 全部お前の自分勝手やないか! 生徒会のボスなんやろ? 生徒を守って、生徒の傍におるんがお前らの仕事やないんかい!」

「違うよ、赤間さん。生徒会の仕事は生徒を守ることじゃなくて、校則を守ること。生徒1人1人より、大事なのは校則。規律秩序委員会とは役割が違うよ。ね、彩? 雁登さん?」


 鷲尾と雁登はなにも言わない。


 そんな2人を見ながら「私達はもっと早く、そのことに気づくべきだったよね」と由水は呟く。


「ねえ、籾木さん。規律秩序委員会って、困っている生徒を助けてくれるんでしょ? だったらさ、私のために弾劾裁判を受けてよ。私は、弾劾裁判が見たく見たくて堪らないよ」


「お前、そんなに血ィ見たいんか!!!」


 奈緒を手で制止して、和歌が言う。


「分かりました。私達は全ての生徒の味方です。任せてください。生徒会長のためにも、最高の裁判にしてみせます」


「ええんかいな!」奈緒は和歌に抗弁する。


「当然。それが私達の存在意義だから」


 そう言って、和歌は目を細めた。


「酷い頼みだってことは分かってる。ごめんね。せっかく来て貰ったのに、なんの役にも立たないどころか、こんなお願いまでしちゃって」と由水。


「構いません。お陰で、覚悟が決まりました」

「スゴいなぁ。規律秩序委員会はホントに──」


 言い終わらぬ内に、由水は咳き込む。そんな少女の背中を、鷲尾が優しく撫でる。


「大丈夫? 由水」と紫陽里。


「風邪でも引いた?」

「いや、違うと思う。昨日、歌いすぎちゃったんだ。ね、彩?」


 不承不承というように、鷲尾が頷く。


「それなら良かった。それで、今回はなんで怪我したの? 二本松はどうせ階段からジャンプしたんだろうって言ってたけど」


「失礼な!」由水は声を荒げる。


「そんなことする訳ないじゃん! 今回はフツーに、スキーをしてて転んだだよ」


「スキーて…」奈緒が言う。


「怪我したんは一ヶ月半も前やんか。そんな時期に、もうスキーかい」

「うん。雪が降るのが待ちきれなくて、土の上を滑ったんだ。そしたら、痛かった!」


 奈緒は絶句して、まだ由水の背中をさすっている鷲尾を見やった。悲しそうに、鷲尾は項垂れている。


(もうウンザリや…)奈緒は思う。


(この学校、マジでマトモなヤツが1人もおらん)


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