第36話 ここでボケて(後編)

「ハロォー、こんにちはぁー。『あゝなんでも放送局』のぉー、お時間でございますぅー。明日は学校がお休みなので、今週は今日でおしまぁーい。皆さーん、一週間お疲れ様でしたぁー──」


 奈緒はチラと、防音ガラスの向こうにいる和歌を見遣った。


 カンペとして、相手はスケッチブックをこちらに見せてくる。


『キレない。手を出さない。頑張るやでまんねんがな!』


「キモいねん、ボケ」という言葉を奈緒は飲み込むと、頷き、阿南に向き直った。


「──というわけでぇー、今日のゲストさんをお呼びしまぁーす。1年D組のぉー、赤間奈緒さんでぇーす。わぁー、パフパフドンドーン!」

「ど、ども。赤間です」


「初めましてぇー、赤間さぁーん。髪も目もぉー、すんごく明るい色 ぉー、してるんですねぇー。染めたりぃー、コンタクトを入れてるぅー、訳じゃないんですよねぇー?」

「どっちも地の色や」


「すごーい、カワイィー。それってぇー、やっぱりぃー、鬼の血なんですかぁー?」

「は?」


「だってぇー、赤間さんはぁー、鬼なんですよねぇー? みんなそう言ってますよぉー」

「鬼な訳あらへんやろ!」


「あらへんやろぉー?」

「えと、人間です…」


「そんな喋り方なのにぃー?」

「個性や、これは! 人には色んな喋り方があんねん。どんな喋り方してもええねん!」


「人とかぁー、食べないんですかぁー?」

「食べるか!」


「あとあとぉー、このご時世でぇー、ベタな縞々のパンツを履いてるってぇー、本当なんですかぁー?」

「さっきから言わせておきゃ…!」


 阿南の襟元を掴もうとして、奈緒はハッと、防音ガラスの向こうを振り向いた。


『落ち着いて。怒っちゃダメ』


 和歌のカンペにはそう書いてあった。


「う、嘘や、嘘! その、ふ、普通のパンツや。みんなと同じ色の…」

「へぇー、そうなんですかぁー。やっぱりぃー、噂は噂ですよねぇー」


 阿南は満足げに頷きながら、手元にある紙をめくった。


「もっと赤間さんぉー、掘り下げたいんですがぁー、今日は他にぃー、聞きたいことがあるのでぇー、そっち行きまーす。こちらもぉー、皆さん気になってるんじゃないでしょうかぁー。ズバリぃー、規律秩序委員会のことですよねぇー。今更なんですけどぉー、どんな委員会なんですかぁー?」


「それは…」


 奈緒は再び防音ガラスの方を向く。


委員会は…」

「規律秩序ってぇー、言いたいんですかぁー?」


「そう言うた! そ、それでウチらの委員会は、が守られている中で、生徒達が楽しく自由に暮らしているかを見守ることを目的としてるんや」


「具体的にはぁー? そもそもぉー、規律と秩序ってぇー、どういう意味なんですかぁー?」

「それはやなぁ…」


 目を凝らして、奈緒はカンペを読む。


「ええと、ウチらが言うってのは、生徒達が自由に楽しく暮らせる場、皆が暗黙の内にリスペクトし合える場が作られ、守られている状況のことや。つまりは、生徒達自身がその空間を作り、保持するという意識にある状態を維持し、また促進させるのが、ウチらの任務…」

「へぇー。はぁー」


(ヤバい…)


 奈緒は思う。相手もそっちのけで、阿南は自分の手の爪を眺め始めていた。


 カンペを読みながら、奈緒は表情で和歌に訴える。


(どうにかせえ! 話がおもんなすぎて、このままじゃ強制終了や!)


 防音ガラスの向こうの和歌は頷くと、カンペを紫陽里に渡し、別の紙に何かを書き始めた。にっこりと笑いながら、和歌は紙を見せてくる。


『ここでボケて』


(ボケはお前じゃ! アホ! バカ! 地獄に落ちやがれ! 二度と人に生まれ変わるな!)


 見兼ねた紫陽里はカンペを和歌に返すと、今度は自分が新しく書いてみせた。奈緒はその短い文面を確認すると、阿南に向きなおる。


『赤間さんの自由に』


 カンペにはそう書いてあった。


「大丈夫ですかぁー? 赤間さーん」


 一瞬悩んだ後、奈緒は心の中で、臆病な自分を袋叩きにした。


「だ、大丈夫や。ごめん、ちょっとむせてもうた」

「お大事にぃー。いやぁー、とっても有意義な時間をぉー、ありがとうございましたぁー。今回の放送でぇー、規律秩序委員会の新たな一面を知れてぇー、すんごく勉強になったと思いますぅー。それじゃあぁー、来週のゲストさんはぁー…」


「ちょっと待ってくれ! さっきのは全部嘘や。忘れてくれ」

「えぇー! 嘘ぉー!?」


「せや、こっからがおもろいねん。絶対、聞いてくれ」


 奈緒の額に汗が光った。阿南はそれを見ると、小さく何度か頷く。


「えぇー、気になるぅー。教えてくださぁーい」

「あ、あんな。…ウチらの委員会はな、この学校を変えてやんねん」


    ◇


「変えるってぇー、どんな風にぃー?」

「もっともっと、学生1人1人に寄り添う感じにするんや。今のままじゃ、この学校にいる連中は、本当に幸せとは言えへんやろ。助けてくれる人間がおらへんねん。その、あれや。それこそ、があらへんから」


「規律と秩序ってぇー、ルールのことですよねぇー? 校則だったらぁー、今でも多いぐらいぃー、ありますけどぉー」

「こう、規則を作って、行動を制限するんとちゃうねん。ウチらの、ウチらが守りたいんはもっとこう、人そのものやねん。わ、分かるか?」


「なんとなくぅー。続けて下さいぃー」

「ええと、校則があればやな、廊下を走らないとか、乱暴をしないとか、悪口を叩かないとかは制限出来る。でも、それだけや。それだけやったら何にもならへんのやと、ウチは思う。もし悪さをする奴がいるんやったら、ウチらは罰するだけやのうて、そいつに寄り添わなあかん。…て、委員長が言うてた気がする」


「えぇー、悪い人でもぉー、助けるんですかぁー?」

「ま、まあ、限度はあると思う。でも、誰にだって悩みや悲しみはあるはずや。頭の良いヤツも悪いヤツも、オシャレなヤツもダサいヤツも、太いヤツも細いヤツも。問題の大小に関わらずや。だからウチらは、そんな連中を助けたい。そいつらの傍にダッシュして、『大丈夫や!』って声をかけてやるんが、ウチらの仕事や」


「し、知らんけど」恥ずかしそうに、奈緒は付け足した。


   ◇


「「「ギャハハ!」」」


 昼休みの1年D組。昼食を食べていたあるグループの中から、大きな笑いの声が起こった。


「赤間のヤツ、メチャ頑張ってしゃべんじゃん」と黒崎。

「すごいすごい。一生『規律秩序委員会』って発音できてないけどけど」と弓。


「頑張ってんね、アイツ」


 黒崎の振りに、梅子は「う、うん」と答える。奈緒のことが心配で、箸は全く進んでいなかった。


(頑張れ、奈緒ちゃん…!)心の中で、少女は強く祈った。


「でもさ、ヤバくね?」


 新しくピーナッツサンドの小袋を開けながら、青島が言う。


「これ、完全に生徒会に喧嘩売ってんじゃん。いーの? 年明けたら裁判しょ、アイツら。今暴れてさ、裁判やる前に潰されんじゃね?」


「ホントだ、ヤバ」と黒崎。

「えー、いいじゃん。面白いし」と弓。


『でもぉー、それってぇー』


 青島の声を聞いていたかのように、スピーカーの向こうが喋り始める。


『生徒会にぃー、喧嘩を売ってないですかぁー? だってぇー、自分達が生徒会に変わるってぇー、ことですよねぇー?』

『えっ、いや、どうなんやろ。そんな気はないと思う。多分やけど。ウチらはただ、あぶれてるヤツらを助けたいだけなんやし、生徒会を叩きのめしたいとかそんなことは微塵も思ってへんけどな。えっ、どうやろ。もしかしてウチ、失言した? アカン、やってもうた!』


「「「ギャハハ!」」」


 1年D組に、再び景気のいい笑いが響き渡る。


「もうおせーだろ、バカ」と青島。

「マジでウケる。裁判になったら、絶対赤間のこと応援してやろ」と黒崎。

「裁判ってさ、客が声出してもいいんだっけ?」と弓。


(奈緒ちゃん…)スピーカーを凝視しながら、梅子は思う。


 何か自分にも、規律秩序委員会の手助けが出来ないものだろうか。


   ◇


 阿南は右手に巻いた腕時計を素早く確認すると、眉を顰めた。


「ごめんなさぁーい、もうお時間みたいでーす。すっごく楽しかったですぅー」


「そ、そんならよかった…」


 疲労困憊という風に、奈緒は答える。


「最後になにかぁー、皆さんにコメントありますかぁー」


 奈緒は防音ガラスの向こうを覗いて、カンペを読んだ


「ええと、その、めっちゃ頼みにくいんやけど…。今度の裁判で、ウチらを弁護してくれる証人が必要やねん。それで、その、証人を募集してます。やってもええって人がいたら、連絡してくれ」

「そういうのってぇー、内密に手配するんじゃないんですかぁー?」


「いや、あの、なんというか、こっちから連絡するのが忍びなくてやなぁ…」


「アッハー!」阿南は両手を口に当てる。


「規律秩序委員会の活動にぃー、救われた人の中でぇー、自分と同じような境遇の人をぉー、救うためにぃー、まだまだ規律秩序委員会がぁー、必要だって思う人はぁー、手を貸して欲しいなぁー、ってことですよねぇー?」

「そ、そういうことや。難しいけどな。だから、力を貸してほしいねん」


「という訳でぇーす。今日は本当にぃー、ありがとうございましたぁー。やぁー、楽しかったぁー」


   ◇


「お疲れ様、赤間さん」


 防音室から出てきた奈緒に、和歌は言った。


「とても良かったわ。作戦通りね」

「どこが作戦通りやねん。途中から全部まる投げしやがって。知らんで。我ながら、大炎上案件ちゃうか」


「大丈夫。スマホの着信画面がにほちゃんからの着信とメールの通知で埋まっている以外は、静かなものよ」

「はあ…」


 寿命を一週間は減らした。と奈緒は思う。


「ありがとう、阿南。難しい時に助けてくれて」


 遅れて部屋から出てきた阿南に、紫陽里が声をかける。阿南は奈緒達を眺めた後、にっこりと微笑む。


「こちらこそぉー、すんごく盛り上がってぇー、助かったよぉー。頑張ってねぇー、裁判ぅー。応援してるからさぁー」


「あれ」奈緒が言う。


「どっちにもつかないんちゃうかったんか?」

「アッハー! 覚えられてるぅー。恥ずかしいぃー」


 嬉しそうに、阿南は手をぱちぱちと叩く。


「だってぇー、規律秩序委員会がぁー、いてくれたらぁー、いつか私もぉー、お世話になるかなぁーって。大事だよねぇー、転ばぬ先の杖ぇー、ってやつぅー?」

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