第29話 必殺「脅迫返し」(後編)
翌日の放課後。
雁登と共に生徒会室へ向かおうとしていた甘利は、同じクラスの生徒に声をかけられた。
「甘利さん、二階堂先生が呼んでるよ。運んでほしい資料があるから、D113まで来てって」
「D113? なんでそんなとこに?」
「分かんない、私も又聞きだから。とにかく、早くって」
「分かった。ありがと」
「私もついていく?」隣にいた雁音が言う。
「いらない。先行け」
「大丈夫? タイミング的に、規律秩序委員会の罠だったりして」
「ビビリだな、桃香は。あいつらが手出しできる訳ないだろ。ちょっとでも変に動いたら、こっちはあいつらを即解散に追い込めるのに」
「お前、あんなくだらない記事を書いておいて、赤間が仕返しに来ないとか本気で思ってんの?」
「声がデカいぞ!」
「お前の方がデカい。バカ」
「私が思うに、籾木にとって赤間はただの手駒、番犬みたいなものだ。あいつに構って、裁判をする前から不利な状況にはなりたくないはず。ブレーンは籾木か松永だから、赤間1人で罠を仕掛けるなんて出来っこない。
もし籾木主導で動いたって、その時は動かぬ証拠が向こうから来るわけだ。私にアザなりたんこぶなりが出来れば、奴らはおしまい。まあそもそもとして、あいつらにそんなことする度胸はないだろうけどな」
「フラグにしか聞こえないけど、まあ、確かに考えすぎか。なにかあったらすぐ連絡しなよ。助けに行ってやるから」
「そんなことするか! さっさと行け、バーカ」
◇
D113には誰もいなかった。
顔だけを部屋の中に入れて見回した後、近くに二階堂先生がいないか探そうと後ろを振り返って、甘利は「あがっ…!」と声を上げた。
「まさかほんまに来るとはな」
奈緒はそう言うと、相手との距離を縮めようとする。甘利は後ずさり、教室の中に入ると、もう片方の扉に向かって駆けた。
目当ての扉は甘利が着くより早く開き、今度は紫陽里が入ってきた。紫陽里は甘利に向かって軽く会釈すると、後ろ手でドアの鍵を閉める。
最後に奈緒の後ろから和歌が入ってきて、背後にある扉の鍵を閉めた。
「甘利さん、こんにちは」そう言って、和歌は目を細める。
甘利は教室の隅へ走ると、柱を背に立った。
(も、桃香の言う通りだった…!)
少女は鞄の中からスマホを取り出すと、震える手で薬師寺に連絡しようとする。だが不運なことに、スマホの充電は切れていた。
「仲間を呼ぶんか?」奈緒が言う。
「おう、呼べ呼べ。来たやつからウチと喧嘩や」
甘利は身体の震えを必死で隠しながら、自分を取り巻く少女達を睨みつける。気を大きく持たなければ、立っているのもやっとだった。
「よ、呼ぶか! お前らなんて、私だけで十分だからな!」
「へえ、そうなんや。ちな、何発までなら立ってられるん?」
(耐えろ。泣くな、泣くな、泣くな…)甘利はなんとか涙を堪えた。
「お前、よくもウチのことを散々に書いてくれたな」
「な、なんのことだよ」
「新聞や、新聞。お前が犯人ってことはもう知ってんねん。いまさら白を切るな、ボケェ!」
「う、うるせぇよ! お前らバカだよ。大バカだ! わ、私は生徒会会計だぞ。こんなことしてタダで済むと思うな。このことを話せば、お前らなんて裁判を待たずに解散だ! ざまあみろ、あ、赤間ァ! いつまでも私が、お、お前なんかに気押されるなんて思ったら大間違いだからな!」
「甘利さん」和歌が口を挟む。
「甘利さんが新聞部を脅して記事を書かせたということは、大羽先輩が証言済み。それを話せば、貴方も立場が悪くなるんじゃない?」
「それがなんだ。生徒会とお前ら、他の生徒達はどちらの証言を信じると思う? 大羽先輩だって、お前らのために証言なんかするもんか。そんなことをしても、生徒会に目をつけられるだけだからな。どう転んだって、お前らの負けだ。お前らは自分で墓穴を掘ったんだ。バーカ、バーカ!」
(こいつぁ…)奈緒は思う。(お手本のような小物や)
「そう。残念だわ」
和歌はそう言うと、奈緒に向かって頷いた。
(ほ、ほんまにやるんか…?)奈緒は目で言う。
(弱虫)相手も目で返す。
◇
「分かった。ほなウチの負けや。ごめんなさい」
奈緒はそう言うと、お手上げというように両手を胸の前で上げた。
「い、今さら遅いんだよ! すぐに祝園に報告してやる。そこをどけ」
「ま、待ってや。な? 今ここで土下座するからさ、それで許してくれんか?」
「気持ち悪いな! そんなことしたって意味ないっての。いいからさっさとそこどけって!」
「そこをなんとか、な? な?」
卑屈な笑みを顔に貼り付けて、奈緒は床に両膝をつける。
「ウチ自慢の土下座やねん。見たら人生が変わるレベルの凄技やで」
「勝手にやってろって!」
「土下座するウチを見てくれ、頼む! 見てくれ! ウチを見てくれ!」
「お、お前やっぱり変態だな! キモい、こっちくんな! 触るなぁ!」
すがってくる奈緒を甘利が蹴り飛ばすと、相手はいとも簡単に地面に倒れ、その辺を転がった。
カシャッ、カシャッ! 連続したシャッター音がしたのは、それとほぼ同時だった。
慌てて音の出処を探る甘利が目にしたのは、紫陽里が手に持つスマホの液晶画面を覗き込む和歌の姿だった。
「どんな感じ?」と和歌。
「悪くない。ちょっと大袈裟だけど、まあ動画もあるし」紫陽里が答える。
「お、お、お前ら! 今なにしたんだよ」
「これでおあいこよ。紫陽里、見せてあげて」和歌は答える。
紫陽里は先ほど撮った数枚の写真を甘利に見せた。そこには甘利に蹴られ、ボールのように地面に転がる情けない奈緒の姿が写っている。
紫陽里は動画も見せた。動画だと、奈緒の転がり具合が余計に目立つ。
「こういうのもあるわ」
そう言って、和歌はスカートのポケットから手のひらサイズの機械を取り出した。
スイッチを押すと、そのボイスレコーダーが喋り出した。自慢げに罪を自白する、甘利の声で。
「あ、あ、あ…」
甘利の涙腺はもう殆ど耐えられそうにない。
「私達の言葉を信じてもらえないなら、本人の言葉に頼るしかないもの。この映像も役に立つんじゃないかしら。ちょっと手を加えれば、謝罪しようとする生徒を蹴り飛ばす生徒会役員にしか見えないし」
「け、消せよ! どっちも消せ!」
「甘利さんが記事について謝罪せず、かつ大羽さんの証言を不問にしない限りは、これを消すわけにはいかない。大丈夫。甘利さんが条件を呑んでくれれば、このデータは無用になるから」
甘利は最後の力を振り絞った。生徒会役員としての矜持を、このごろつきJK共に見せつけなければならない。
「お前らの要求になんか乗るものか。い、いいさ、やれよ! 私の首が一つ飛んだ所で、なにも変わらない。祝園や薬師寺がお前らの罪を糾弾するだけだ。どう足掻いたってお前らは終わりなんだ! ざまあみろ! バー──」
「だったら、このデータをもっと面白いことに使いましょう。ネットにあげるっていうのはどう? そうすれば世界中の人に見てもらえる。住所も、学校の成績も、好きな食べ物も、交友関係も、下着の色までバラされちゃうかも」
甘利の目から涙が溢れた。もう限界だった。
「お…、お…、お…」
「お?」
「お、お前らは嘘つきだ! 規律秩序委員会は、困っている生徒を助けるんじゃないのか!」
「生憎、規律秩序委員会は活動を停止中なの。このデータを消したいのはやまやまだけど、活動を再会するまで、私達は甘利さんの力になることは出来ない。ごめんなさいね。それまでは、この動画を内輪で観て楽しむしかないわ。それで、約束の方は?」
「もっ、桃香ぁ…、桃香ぁ…!」
甘利はしゃがみ込み、膝を抱えて泣き出した。
奈緒は全身の埃を払いながら、子供のように泣きじゃくる少女を見て思う。
(これじゃどっちが悪役か分からん…)
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