第28話 必殺「脅迫返し」(前編)

「ギャハハ!」


 ギャル3人衆の笑い声が昼休みの教室に響いても、奈緒は気にせず梅子と会話を続けていた。


 だが、「ギャハハ、ウケる! イーヒヒッ、ヒヒッ。ヒグッ、グハッ。ヒッ、ヒッッ、ヒヒハハハー!!!」と来られては、流石の奈緒も音の出どころを睨んだ。


 その内の1人、猫目の弓はそれに気づくと、他の2人を連れて奈緒達の席へと歩いて来た。


「ちょっ、赤間。これ見てみなよ」猫目は言う。


「なんやねんそれ」

「今日出た学内新聞。ヤバいよ、ヒヒッ!」


『鬼か狂人か、赤間奈緒の秘密大公開! 新聞部独占スクープ!』


 奈緒は眉を顰めつつ、見出しの下にデカデカと描かれた下手くそなイラストとキャプションを読みはじめる。


『赤間奈緒。その名前を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 不良、狂人、鬼、乱暴者、目立ちたがり、変態、不審者etc…。だが実際、赤間奈緒という人間とは何者なのだろうか?


 我々は彼女を恐れてヒソヒソと囁き合っているが、その殆どは恐怖と偏見だらけの憶測である。今回新聞部は、赤間奈緒の事をよく知るという人物協力の元、彼女の完璧で詳細なプロフィールを完成させた。諸君、一字たりとも読み飛ばさぬように!』


 スペースを開けて、 


『これが赤間奈緒の身体だ!


髪の毛…元は普通の色だったが、度重なる非行を神が罰する内に段々と明るく癖毛になった。

目…人類史上類を見ない目つきの悪さ。眼光だけで虎を気絶させたこともあるという。

口…この世に存在する全ての悪辣な言葉がここから出てくる。罵詈だけで熊を泣かせたこともあるという。

首…中に鉄骨が入っているので太い。刀も銃も効かない。

手…人を殴るためだけにある。鮮血を浴び過ぎて常に真っ赤。

腰…あり得ないぐらい回らない。

足…信じられないくらい上がらない』


「なんやこれ!!!」


 奈緒は叫び、新聞をくしゃくしゃに丸めた。


「殺してやる! 書いたやつも、許可したやつも、印刷したやつも、全員皆殺しや! 絶対に許さへんぞ!」


「落ち着きなって」八重歯の黒崎が言う。


「最後までちゃんと読みなよ。すぐキレすぎ、赤間」


 奈緒はくしゃくしゃの紙をもう一度開く。最後のキャプションを見落としていた。


『足…単純にくさい』


 細切れになった新聞が、雪のように床に降った。何度も何度も、奈緒はそれを踏みつける。


「…後悔させてやる。ウチに喧嘩を売ったこと、この学校に入って来たこと、新聞部なんかに入ったこと、生まれて来たこと全部。舐め腐りやがって。ウチの啖呵を冗談やと思ってるらしいな。梅、新聞部まで案内してくれ。そっちがその気ならやったろうやないか。カチコミや」

「ま、待って、奈緒ちゃん。ダメだよ、そんなことしたら」


「人を散々侮辱してる上に、アホほどおもろないことを書いてるんや。ウチの怒りは、至極真っ当やと思うけどな」

「う、うん。私もひどいと思う。でも、一回落ち着こう? 今のままじゃ、本当に人を殴っちゃうよ」


「それのなにが悪いねん!」


「いや、悪いっしょ」と青島。


「梅ちゃみの言う通り、落ち着けって。今カチコミなんてやったら、新聞に書いてあることは事実ですって認めてるようなもんじゃん」

「うっさいわ。ていうか、お前らもウチのこと馬鹿にしてたな? 済ました顔しやがって。丁度ええ、お前らから血祭りに上げたろかい!」 


「あきらか嘘だから笑ったんじゃん。現実の赤間とかけ離れ過ぎてるからウケたってだけ。それともなに? 赤間の足ってマジで臭うの?」

「に、臭うかい! アホ!」


「多分…」と奈緒は小声で付け加えた。


「な、奈緒ちゃん。こんな煽りに乗っかっちゃダメだよ。ね? 今は落ち着こう。じゃないと、相手の思う壺だよ」と梅子。


「そうそう。休み時間もじきに終わるしさ。放課後行ってみりゃいーじゃ? 人も少ないし暴れ放題っしょ?」青島に戻る。


「ふんぐ。ぎぎぎ…」

「新聞のは誹謗中傷って分かるけど、赤間がホントに女子高生かどうかは実際怪しいもんだよね」


   ◇


 午後の授業を通して奈緒の怒りが収まることは無かったが、いくらかは冷静さが戻ってきた。


 青島の言う通り、梅子(道が分からないので、1人で行くという選択肢は元よりない)よりも手慣れを連れて行く方がいい。


 手慣れ。つまりは、規律秩序委員会のことだ。


「という訳でカチコミや。オラァ!!!」


 放課後の委員会室。ひとしきりの説明をした後に奈緒はそう叫び、両腕を振り回した。


「カチコミ?」和歌が答える。


「なにを凍らせるの?」

「それはカチコチ」と紫陽里。


「ああ、たぬきを燃やすのね」

「それはカチカチ」


「わかったわ、足の短い猫」

「それはマンチカン」


「すごい。紫陽里ったら、ツッコミの才能があるわ」

「和歌こそ、よくそんなにすらすらと出るね」


「ウフフ」

「アハハ」


「ええ加減にせえよ!」部屋を震わせる程の大声で、奈緒は怒鳴る。


「ウチは困ってるんや。困ってる生徒を助けるんが、きつつちつて委員会ちゃうんかい! どうなんじゃオラァ!」


「落ち着いて赤間さん」と和歌。


「血管が切れちゃうわ」

「お前らがつまらんボケかますからや! くたばれ!」


「そもそも、規律秩序委員会は活動停止中よ。委員会として動くことは出来ないわ」

「は? 停止? なんで?」


「先週末の委員会総会で決まったの。私達、弾劾裁判とやらにかけられるんですって。裁判が終わるまで、私達の活動は停止」

「は? 裁判? へっ?」


「生徒会の警告を無視してもいいんだけど、それだと裁判になる前に委員会を解散させられる恐れがある。赤間さんも気をつけて。人を怒鳴ったりしないように。赤間さんが尋問される時に不利になるから」と紫陽里。


「は? 尋問? えっ、ウチが? なんで…?」


 奈緒は口を開け、一点を見つめたまま動きを止めた。


「不味いっす。赤間っち、オーバーヒート寸前っすよ」泊が口を挟む。


 和歌は奈緒に近づくと、相手の顔近くで指をパチンと鳴らした。


「な、なんや。ここはどこや!」

「赤間さん、難しい話はまた今度にしましょ。それで、新聞部にカチコミに行くのね?」


「へ? あっ、そ、そうや! 新聞部にカマしに行かなあかんねや。けど、なんかごっつい頭が痛いな…。思い出せへんのやけど、めっちゃ重要な話してへんかった?」

「瑞稀が髪を切ったって話よ。2ミリだけ」


「そんなクソみたいな話してたんかいな…。そんで、カチコミには協力してくれるんか?」

「もちろん。『友達』として、私達も一緒に行くわ」


「よっしゃ! 記事を書いたやつと部長はウチが締める。残りの連中は、煮るなり焼くなりお前らの好きにせえ」

「赤間さん、待って。一つ大事なことを言い忘れてたわ」


「なんや」

「やっとブレザーを羽織ってくれたのね。もう冬だし、風邪をひくんじゃないかってずっと心配だったの。とても似合ってるわ。後で写真を撮らせてくれる?」


 奈緒は何も言わず、廊下へと出ていった。


    ◇


「カチコミじゃあ! 開けろゴラァ!」


 そう言いながら、奈緒は自分で新聞部室の扉を開けた。後ろから和歌と紫陽里もついて行く。


「部長出せ。お前らが出したクソ新聞について聞きたいことがある」


「な、何なの? いきなり大声出して…」部員の1人が言った。


「しらばっくれるなよ。ウチは赤間、赤間奈緒や。名前ぐらいは知ってるやろ? え?」


 部員達は言葉なく、不安そうに互いの顔を見合わせる。


「部長と、ウチの記事を書いたやつだけで勘弁したる。けどそれすら出来へんのやったら、後ろの2人が何するか分からへんで。お前らの大事な部室が、粉々になってもええんか?」


 後ろの2人、和歌と紫陽里はなにか言いたげに、奈緒の明るい後頭部を見遣った。


「早よせいやボケ共。そんなに血ィ見たいんか!!!」


「まあまあ、落ち着いて」一番奥にいた生徒が言った。


「落ち着いてくれないと、マトモに話も出来ないでしょ?」


 他の部員達とは違い、その生徒は相手を恐れることなくゆっくりと奈緒に近づくと、慇懃に相手の肩に手を置いた。


「私が部長の、2年の大羽。ここだと迷惑だからさ、他の場所に行こうよ。他の子達は関係ないんだし、いいでしょ?」

「記事を書いたダボは何処や?」


「それについてもちゃんと話すよ。まあまあ、リラックスして! 一緒に来てよ。悪いようにはしないから」


    ◇


 大羽が奈緒達を連れて来たのは、見覚えのあるF棟3階の男子トイレだった。


「はよ記事を書いた奴の名前を教えろ。そいつを連れて来た後、ウチの目の前でお前ら2人を殴り合わせる。そんで負けた方を、さらにウチがぶん殴る」


 大羽は微かに口角を上げると、スカートのポケットに手を突っ込んだ。財布を取り出し、そこからさらに1枚の紙を抜いた。


「あ、あの、これで勘弁して…」


 大羽はそう言って、紙を奈緒に差し出した。よく見ると、それは紙幣だった。


「んなもんいらん。はよ記事を書いたやつの名前を教えろ。」

「じゃ、じゃあ、これでどう…?」


 さらに数枚、大羽は紙幣を取り出す。


「これで全部だ。本当だよ。一週間分の食費なんだ。頼む、これで…」

「だからいらんて! ど、どないしたんや、お前。気色の悪い」


「どうしようもないんだ。実はあの記事は、私達が書いたものじゃない。渡された原稿を載せただけ。載せないと、部費を減らすって脅されて…」

「嘘つくな。他人にせいにしよって、そんなに自分の命が惜しいんか?」


「う、嘘じゃない、本当だよ! い、いいさ、好きなだけ私を殴れよ! でもその代わり、他の部員は殴るなよ。あの子達は無関係だから」

「よっしゃ。どこがいい? 肩。腹。顎なんかどうや?」


「やっぱり怖い! い、痛いのが怖い! そ、そうだ。う、上履きを舐めようか? そ、そういうのが好きなんだろ? あっ、そうだ! 便器を舐めるよ! な? な? お願い、それで勘弁してよ…」

「アホか! そんなことしたら病気になるやろ!」


「じゃあ他に何をすればいいの? お願い、殴るのだけはやめて。怖い、怖いんだ! 頼むから殴らないで!」


 大羽の豹変ぶりに、奈緒の怒りは急速に萎んだ。少女は困惑し切った顔で、和歌の方を振り返る。


「大羽先輩。落ち着いて下さい」和歌が言う。


「赤間さんは、人を殴ったりなんかしません」

「う、嘘だ。記事にそう書いてあるのに!」


「デマです、それも悪質な。先輩、デマを書いた犯人を教えて下さい」

「お、教えたくても出来ないよ。だって、私が言ったってバレるでしょ? 部費を減らされるだけじゃなく、他になにをされるか分からない。あ、あいつらだって人を殴るかも!」


「先輩、大丈夫です。私達が犯人と交渉をして、大羽先輩と新聞部に危害がいかないようにしますから」

「で、でも…」


「お願いです。不正を糾弾し、正義を行うが新聞の役割のはず。どうか力を貸して下さい。友達を貶されて、黙っていることなんて出来ません」


 怯えきった目で、大羽は自分を取り囲む3人を眺める。


 他に選択肢はなかったし、本当は自分でも便器なんか舐めたくなかった。


 



 


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