第26話 あのね、あのね
「それじゃあ土壌汚染の原因となる主な有害物質について、簡単にまとめていきましょう。まずは揮発性有機化合物から。四塩化炭素は、農薬等化学製品の合成原料に使われる。ジクロロエタン、トリクロロエタンはプラスチック合成原料、洗浄剤、有機溶剤、殺虫剤、抽出剤等の──」
コンコン。
規律秩序委員会室の扉が叩かれたのは、和歌による早めの期末試験対策によって、奈緒の脳みそが完全にフリーズした時だった。
「どうぞ」紫陽里が答える。
「すみません、ごめなさい!」外にいる訪問者は言った。
「手、空きません。ドア、開けてください!」
紫陽里が扉を開けると、1人の少女が立っていた。
横には台車があり、竹を編み込んで作った小さな籠、アルミ製の段重ねになった容器、大きな保温ジャー等が乗せられている。
「こんにちは! こんにちは!」
少女が元気よく挨拶したのとほぼ同時、南方の香りが部屋の中へと入り込んだ。
独特なその匂いに、奈緒は「はっ!」と意識を取り戻す。
(え、エスニックっぽい飯の匂いがする…)
期待に胸を膨らませる奈緒は、ガラガラと台車と共に部屋に入ってくるベルの姿を見て、「ん?」と首を捻った。
あの独特な喋り方と天使のような笑顔には見覚えがあった。あれはそう、文化祭、料理研究部のブースで…。
(た、タガメ女や!!!)
「こんにちは、ベルさん。どうしたの?」
和歌が訪問客に話しかける。
「あのね、あのね。ここって、きつつちてて委員会?」
「はい、そうです」
「よかった、死ぬまで来れない思いました! あれ? あなた、どこかで見たことあるよ。誰だったかな? かわいいね、あなた。イミグレの人?」
「前に面会をしたわ。文化祭の時にも、料理研のブースでお話を」
「そうだそうだ! すみません、ごめなさい! この学校、かわいいこばかりで、覚えられないね。お腹いたい別のかわいい子は、元気ですか?」
「元気よ。その子もここにいるわ」
バツが悪そうに、奈緒は頭を軽く下げた。
「わー、ほんとだ。元気ですか? もうお腹なおった? おいしいもの食べてる? 食べ過ぎはよくないけどね。からだ気をつける。おいしものはある? 寝てる? おいしいものは?」
「げ、元気です。はい…」
奈緒はそれだけ答えると、目線を逸らした。嘘をついた罪悪感が、今頃になって少女を苛んだ。
「すごいすごい! 2人とも、きつつちてて委員会だったですね。嬉しいな。これも運命!」
「それで、私達になにか頼みごとでも?」和歌に戻る。
「そうそう! あのね、あのね。ワタシね、自分作った料理、もっと色んな人に食べてほしい。たとえば、食堂ね。ワタシ、友達に相談しましたよ。『どすればいい?』って。そしたら友達、言いましたね。ココ頼れって」
「規律秩序委員会をですか?」
「そうです! きつつちてて委員会! それでね、それでね。ワタシ、料理持ってきましたね。おためししてほしからね。あの、食べてくれますか? へーきですか? 邪魔ちがう?」
「全然邪魔じゃありません。ちょうどお腹が空いていたので、助かりました。ベルさんのお料理を頂かせて下さい」
「ありがとね、ありがとね! 今すぐ準備しますからね! 少し待っててね!」
◇
ベルは嬉しそうに持ってきた食器や調味料を応接用の机に並べると、そこに料理を盛り付け始めた。
警戒しつつ、奈緒はすんすんと鼻を動かした。微かな刺激臭はするが、特におかしな匂いはしない。
(もっと人を信用するべきや。いくらなんでも、普段からタガメを食べる訳あらへん。あれはきっと、文化祭やったからや。大丈夫や、大丈夫…)
「これ、なんの肉っすか?」1つの大皿を指差しながら、瑞稀が聞いた。
「これね、これね、トカゲの肉を焼いたの! 穴に住んでるデカいヤツ!」
早くも雲行きが怪しくなってくる。
「これは別の肉?」他の大皿を差しながら、紫陽里。
「それはね、醤油とニンニクと胡椒で味付けして、炒めたカエルだよ! あっさりしてておいしよ!」
奈緒は目を瞑り、食卓の方を見ないようにした。
「美味しそうな匂いだわ」和歌は鍋に鼻を近づけ、匂いを楽しむ。
「おいしよ! 野菜とね、あと虫入ってる」
「へえ。どんな虫?」
「ええとね、セミとね、木の足元に住んでる虫とね、あとね、牛の【自主規制】に集まる虫!」
奈緒は耳を塞ぎ、ソファの上で身を縮こませた。
(神様、ごめんなさい。ウチがなにをしたか分からんけどごめんなさい。取り敢えず謝ります。謝るので、どうかこの悪夢から救い出して下さい…)
「炒めた虫もいっぱいあるよ! いっぱい食べて!」
奈緒は何度も太腿の内側をつねったが、悪夢から覚めることはなかった。
規律秩序委員会の他の面々は、何事もなく食事をし始めている。
「トカゲの肉って美味いっすね。思ったより深みもあるし、味付けがピリ辛なのもポイント高いっす」と瑞稀。
「ありがとう! うれしよ!」
「カエルの肉がこんなに美味しいとは思わなかった。クセも全然ないし、どんどん食べられる」と紫陽里。
「カエルは皮も剥きやすいし、オススメ!」
「虫とは言っても、お豆さんみたいなものね。出汁が効いてて、身体にも良さそう」
「おいしよね! まだまだ虫はたくさんあるよ!」
◇
奈緒は膝に手をつき、青ざめた顔でこの光景を見ていた。変人の集まりだとは思っていたが、これほどとは思わなかった。
だが嬉しそうなベルを見ると、見た目とは裏腹に生真面目な奈緒の心は痛んだ。
食べなければいけない。そういう気持ちはあっても、どうしても箸が進まなかった。
「食べれないなら、無理しなくていよ?」
そんな奈緒にベルが声を掛けた。異国の少女は申し訳なさそうに、上目遣い気味に相手を見ている。
「お腹いたいなら、無理しなくていいよ。あとでワタシが食べるよ」
「え、あ、いや、その…」
和歌、紫陽里、瑞稀の視線が、奈緒に集まった。
「いいから試しに食ってみろ」3人は、目でそう言っていた。
奈緒は唾を飲み込むと、炒め虫が乗った皿を凝視した。震える箸で摘み、口の中に放り込む。
少女は覚悟を決めて、顎を動かし始めた。
ガリ、ペキ、グシャ…。
「あ、うまい…」
頭で考えるよりも早く、胃袋が奈緒の手を動かした。今度はカエルの肉。美味しかった。
「でもどうして、こんな料理を?」
和歌が尋ねる。
「ベルさんの故郷には他にも色んな美味しい料理があるはず。どうして、こんな特徴的な料理ばかりを?」
「あのね、あのね」鼻息荒く留学生は答える。
「ワタシのふるさと、昔、国の中でも貧しいでした。食べもの少なくて、それで、カエル、トカゲ、虫とか食べるようなりました。今は食べものたくさんある。でも、虫とかも食べる」
「他に食べものがあっても?」
「うん。ワタシのおばあちゃん言ってました。ふるさとの若い人達、都会行く。都会に行ったら、そこの暮らし真似る。見分けつかなくなる。でもカエル、トカゲ、虫食べる人は少ない。食べる人いたら、その人は同じふるさと。同じなかま。遠くいても、ふるさと忘れない。ふるさとの暮らし、自然、家族、思い出、忘れずすむ。1人じゃない。さびしくない」
ベルは両手で拳を握ると、目を輝かせる。
「ワタシ、おばあちゃんすき。ふるさともすき。ここの人達もすき。みんなかわいいから! だからみんなに、ワタシの作る料理食べてほしい。カエルもトカゲも虫も、みんなワタシの一部。ワタシのこと、みんなに知ってほしい。きゃーっ! 言っちゃった!」
「ウフフ。ベルさんの熱意はよくわかったわ」
和歌はそう言うと、口元についた虫の足屑を拭いた。
「ベルさんの料理はとっても美味しいので、食堂で出してもらえるようこちらで働きかけてみましょう」
「ええ、ホント!? わーっ! どうしよう、やったー! 食材をもっと送ってくれって、おばあちゃん頼まないと…」
「食材はみんなベルさんの国から?」
「はい! この国のトカゲや虫小さいですね。それに、勝手に捕ったら悪いよ。悪いことしちゃダメ」
「分かったわ。じゃあ食材も、円滑に輸送できるようこちらで手配しましょう」
「ええっ、なんで!? なんでそんなこと出来る?」
「理事長権限を使います。でもこれは、内緒でお願いね」
「ナイショ、ナイショね。しーっ! 悪いことかもしれないけど、黙っとくよ。ああ、うれしよ! ありがと、ありがと!」
(理事長権限、か)
紫陽里は思った。
(これはもしかしたら、生徒会に付け入る隙を与えてしまうかもしれない。委員会総会まであと少し。由水が健在なら、何も言わないだろうけど…)
奈緒は無心に、ボリボリと虫の炒め物を食べていた。慣れてしまえば結構いけるらしい。
和歌と瑞稀は食事をしながら歓談をし、ベルは目を潤ませながら感謝の言葉を口にし続けている。
そんな光景を見ながら、(まあいいか。それはそれで楽しくなるし)と紫陽里と考える。
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