第25話 そういう時代(後編)
翌日の19時、奈緒と湯浅、そして梅子は正門前で落ち合った。
奈緒は瑞稀に引き続きメールを送り、見聞きしたことを口外しないことと、門の開錠を頼んだ。
何故門が空いているのか、湯浅と梅子にどう説明したものか悩んだが、2人とも心ここにあらず。全く気にするそぶりは無かった。
「梅、ほんまにええん?」
目的地へ向かいながら、奈緒は梅子に耳打ちをする。
「別に大丈夫やで。ウチ1人でも」
「し、心配だよ。幽霊?の人に取り憑かれちゃうかも。夜中の学校で迷っちゃうかも」
「だ、大丈夫やって。知らんけど」
「迷惑かもだけど、傍に居させてほしいな。それに、加奈子さんの話も気になるよ。不謹慎かもだけど、湯浅さんと加奈子さんがどんな話をするのかも」
「まあ、それは確かに」
少し間隔を空けて歩く湯浅の方を奈緒は向いた。嫌な匂いがする。
それもそのはず、湯浅はニンニクで作ったネックレスを首から下げていた。
右手には銀の十字架、左手にはペットボトルに入った透明な液体。容器には「聖水」とラベルが貼られていた。
「霊を呼び寄せるため」と湯浅は説明する。
(逆効果やろ…)
奈緒は内心思う。湯浅という少女は、絶望的にその手の才能がないのではないか。
広大なグラウンドの隅っこに、1本の木が立っていた。その根元が、ぼんやりと光っているように見える。
遠くから奈緒は目を凝らした。誰かが立っているらしい。
「あれって…!」
湯浅はそう言うなり、奈緒と梅子を置いて駆け出した。
木の下の人は、背を向けて立っていた。湯浅は呼吸を整えると、ポップコーンのように何度も弾ける心臓を、服の上から抑えた。
「加奈子さん、ですよね…?」
相手がゆっくりと振り向いた。身体の輪郭がぼうっと光を放っているので、余計に綺麗に見える。
「ヵはっ…」そんな言葉にもならないような音が、湯浅の口から出た。
「す、すんごい可愛い…」
「あー、あー、あめんぼ赤いなあいうえお。聞こえる?」
「聞こえます、聞こえます! 嬉しい、夢みたい!」
「よかった。だったらその首のものを外してくれる? 臭くてたまらないわ。十字架と、汚い水も置いてちょうだい」
「は、はい!」
湯浅は即座に霊媒グッズをその辺に打ち捨てる。奈緒と梅子もようやく追いついた。
「直接話すのは初めてね。こんにちは。違った、こんばんはだわ。貴船加奈子です。よろしく」
「こ、こんばんは! こんばんは! ゆ、湯浅喜帆です。「喜」びに、帆船の「帆」です!」
「良い名前ね。どう? 幽霊さんとお話をしてみて」
「こ、興奮してます! ずっとお会いしたかったんです。ひいおばあちゃんから話は聞いてました。写真も見せてもらいました。でも、リアルの方がお綺麗です。とっても可愛いです!」
「それはどうも。ところで、昨日言ってたわね。私に会うためにこの学校に来たって。本当なの?」
「はい! あ、でも、最初はただ、ひいおばあちゃんと加奈子さんの母校って理由だけだったんです。入学して少ししてから、怖いもの好きの友達から聞きました。この学校には沢山の怪談話があるって。花子さんに口裂け女。てけてけ、ターボババア。それで思ったんです。もしかしたら、その中に加奈子さんもいるかもしれないって。だって、加奈子さんは自殺したから。ご、ごめんなさい。でも、自殺したんなら、未練があるんじゃないかな、って」
「別に謝らなくていいわ。というか、その怪談話は全部私よ」
「えっ! そ、そうなんですか!」
「ごく稀に、私のことが見える子がいるの。それでその時々の流行りに合わせて、こんな化け物がいたって周りに話すわけ。失礼しちゃう。ババア呼ばわりなんてあんまりよ」
「イヒヒ」と笑う奈緒を、「な、奈緒ちゃん」と梅子が注意する。
「あの、質問してもいいですか? 答えにくいかもですけど」
「なんでもしなさいな」
「あの、な、なんで飛び降りなんてしちゃったんですか…?」
「聞いてないの? 千代から」
「聞いてないです。色々説明はしてくれたけど、納得できないので聞いてないのと同じです」
「真実を聞いてもいいの? 夢が壊れちゃうかもよ?」
湯浅が頷いたので、加奈子は話し始めた。
「私、千代のこと愛してたの。好きとは次元が違う。本当に、愛してたんだから。もちろん、添い遂げるなんてのは無理だと知ってたけど、死ぬまで仲良く出来るもんだと思ってた。千代には許嫁がいて、時々、その男の話もされたわ。千代がそいつに惚れてるってことも知ってた。やれやれ、という風に私も聞いてた。そこまでは良かった。
悪いのは戦争、全部戦争が悪いの。いや、違った。悪いのは私。だからあんなことをしたんだわ。千代の許嫁も兵隊に行った。あの子、泣かなかったのよ。私の前でもね。戦争が終わって1年経っても、許嫁は帰ってこなかった。あの子、諦めた気でいたの。少なくとも、表面上は。
私は少しホッとしてた。これであの子の口から、あいつの話が出ることもない。戦争も終わって色々変わったし、もしかしたら2人だけでやっていけるかもしれない。そんな矢先、許嫁は帰ってきた。千代ったら大泣き。『あの人のお嫁さんになれる』ときたもんよ」
少し間を空けて、
「私、心底あの男を恨んだわ。どうして死ななかったのって思った。殺してやろうとも。ひどい話よね。生きて帰ってきた人間に思うことじゃない。私、急に自分が小さく萎んでいくような気がしたの。それで、自分が許せなくって、千代と許嫁に示しがつかなくって、飛び降りちゃった」
「クフフ」と加奈子は笑い声を添える。
「私、悪霊よ。他人を呪った挙句に死んじゃった。どう、幻滅した?」
湯浅は俯き、考え込んでいた。だが覚悟を決めたのか、顔を上げた。
「しません。むしろもっと好きになりました」
「へ?」思わず、加奈子は素っ頓狂な声をあげる。
「私、ひいばあちゃんのことが今でも大好きです。でもでも、ひいばあちゃんには鈍感な所がありました。勿論、それは長所でもあるけど。私はひいばあちゃんの昔話を聞いていて思ったんです。加奈子さんはきっと、ひいばあちゃんの事を愛してたんじゃないかって。それで思い詰めた挙句、飛び降りたんじゃないかって」
「とんでもない洞察力ね…」
「ありがとうございます! あの、加奈子さんは、私がどうして加奈子さんに会いたがっていたか、お分かりですか?」
「え? そりゃあ、ええと、私を成仏させるとかそんな──」
「嫌だ! 成仏なんてしないで!」幽霊を遮って、湯浅は言う。
「私、そんなことしてほしくないです。だって成仏したら、加奈子さんと会えなくなる! 私は、加奈子さんと友達になりたいんです」
「は? あ?」
「あ、あの。私、ひいばあちゃんに似てるってよく言われるんです。どうですか、加奈子さんもそう思いますか?」
「え? ああ、ええと…」
先程とは打って変わって、しどろもどろになった加奈子が答える。
「か、顔の形が似てると思うわ。鼻筋も面影があるかも…」
「ありがとうございます! でもでも、あの、ひいばあちゃん関係なく、私ってどう思いますか。加奈子さんから見て」
「…ええと、可愛いと思うわ。元気な所も見ていて楽しいかも。声は大きいけど」
「本当ですか! だったら、是非ともお願いします! 友達になって下さい! 友達から始めさせて下さい!」
「と、友達から始める?」
奈緒は、幽霊の頬が赤く染まる様を生まれて始めた。いや、幽霊自体初めてなのだが。
「なに言ってんの、このおたんこなす! 幽霊と生身の人間が、そんなことできるわけないでしょう!」
「ええっ!? なんでですか? どうしてですか?」
「だ、だって。手も繋げないし、一緒にご飯も食べれないじゃない。膝枕することも出来ないし、額同士で体温を計ることも出来ないし…」
「ひいばあちゃんとはしてたんですか?」
「た、例えばの話よ!」
「お話するだけじゃダメなんですか? 一緒に同じ時間を過ごすだけで十分です。校内を散歩するだけでも楽しいと思う…」
「落ち着きなさい! 私は90越えの婆さんで、あなたはまだ女子高生なのよ。しかも、親友のひ孫と来た。な、なにかが間違ってるわ」
「構いません。加奈子さんは死人じゃないですか。道徳とかルールとか、そんなものは生きている間だけです。誰も気にしませんよ! そういう時代だし!」
「そ、そういう時代…」
「私、本気なんです。お願いします! ひいばあちゃんの代わりになれるとは思えないし、なりたいとも思いません。私は自由意志で、加奈子さんとお近づきになりたいんです! お願いします! もうはっきり言います! 好きです!!!」
助けを求めるように、加奈子は奈緒の顔を見遣る。相手が視線を逸らしたので、加奈子はいくらか悪霊らしい顔つきを取り戻した。
「あ、あの!」梅子が代わりに答える。
「わ、私はいいと思います。無責任かもですけど、試してみればいいんじゃないかなって。い、生きてる人間同士でも、不思議な組み合わせってあると思うんです。でも、上手くやれることもあると思うから…」
梅子はチラと奈緒の方を見る。
視線に気づいた奈緒は、相手に微笑みで返す。見られている理由はよく分かってはいない。
「せやせや、やってみればええやん。満月の夜にはこうやって話せるやろ? ずっと漂ってるだけでも暇なだけやし、お喋りしてればええやん。誰も気にせえへんし」
加奈子は使えない助言役共から、湯浅へと視線を戻した。湯浅は懇願するように、相手を見返している。
「…【自主規制】だわね、最近の子は」加奈子は言った。
「だったら好きになさい。知らないわよ。祟られても」
「構いません! じゃんじゃん祟って下さい!」
湯浅はそう言いながら、加奈子の手があるあたりの空間を握った。
冷え冷えとした空気に負けるものかと、少女は暖かい手のひら同士を重ね合わせた。
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