第19話 鬼vsセイタカカッショク

 奈緒は規律秩序委員会室の壁に掛かっている時計に目をやった。もう30分は経っている。それでも応接ソファに座っている訪問者は、一向に帰る気配がない。


「ほんとあたしってブスでさぁ、嫌んなるよ」と訪問者。


(さっきも聞いたわアホ)と奈緒は心の中で相手をなじる。


「そんなことないですよ、越智おち先輩」と和歌はにこやかに答えた。この30分でもう10度は同じ台詞を吐いていた。


「越智先輩は可愛いです」

「えー嘘! 適当に言ってんじゃん!」


「適当じゃありません。特に眼が素敵です。知的な輝きがあって──」


「素敵じゃないって! ちゃんて見てよ!」越智はわざわざ片手で強引に眼を見開き、相手に見せつける。「マジでちっさいんだよ? こんぐらいしないと眼だって分かんないぐらい」


「大事なのはバランスだと思います。越智先輩のお顔はとてもバランスが良──」

「えーどこがー? このド真ん中にあるそばかすが見えないの? マジで嫌なんだよね。ブスすぎる、これが諸悪の根源だわー」


「そばかすはチャーミングです。チャームポイントのない顔など見ていてつまら──」


「あー早くレーザーで全部消してー」

「そんな、せっかく可愛──」


「ほんとあたしってブスでさぁ、嫌んなるよ。あーこんな顔なら生まれて来るんじゃなかった」


 奈緒は再び時計を見上げる。(あと5分や。あと5分このつまらん話を聞かされるようなら、コイツの髪を一掴みにして廊下に放り出したる)少女は固く決心した。


 ちょうどその時、奈緒は隣に立ってた紫陽里に腕を掴まれた。紫陽里は奈緒の腕を引きながら、「じゃあ私達はそろそろ行くね」と和歌に声を掛ける。


 和歌は一瞬キョトンとしたように2人を見た後で、「ああ、もうそんな時間」と返事をした。「それじゃあ、よろしくね」


「なになに? なんの話?」と越智。


「仕事の話です。お気になさらず」

「そうなんだ。でさー聞いてよ、この前もあたしって本当ブスで──」


    ◇


 廊下の端まで行った所で、「なんか知らんけど助かったわ」と奈緒は安堵の息を漏らした。「なんやねんアイツ、つまらん話を永遠に駄弁りよって。目的は何やねん」


「ただ聞いて欲しいんだよ。そういう人もいる」と紫陽里。


「んで、仕事ってなんなん?」

「特にないよ」


「は? ならなんでウチを呼んでん?」

「だって、赤間さんが越智を腹パンしようとしてたから」


「そ、そんな事思ってへんわ! ウチはただ、あいつの髪を掴んで投げ飛ばそうとしただけで…」

「ちゃんと寝た方がいいよ」


 歩き続ける紫陽里に、奈緒も何の気なしに従う。委員会棟と部室棟を抜けた先にある中庭には天蓋付きの木製テーブルやベンチが置かれ、その周りを手入れの行き届いた花壇が囲んでいた。


 相変わらず土地勘のない奈緒は、紫陽里がどこへ向かう気なのか分からなかった。(ひょっとして、こいつ)奈緒は思う。(どこか知らない場所へウチを連れて行って、そこに捨ててくつもりちゃうか…?)


「ここで待ってて」奈緒をベンチの1つに座らせると、紫陽里はそう言い残して去って行く。


(計られた! やっぱりや…!)奈緒の顔から赤色が引いていく。だが紫陽里はすぐに帰ってきた。


「はい」と背の高い少女は持っていたアルミ缶を奈緒に手渡す。『超ド級メロンクリームソーダ これを飲んでから死ね!』ラベルにはそう書いてあった。


「お前みたいな金も(金持ち)でもこんなん飲むんやな…」と呆れる奈緒に、「すんごく美味しいよね、これ」と紫陽里は眼を輝かせて答える。


 奈緒と紫陽里が並んで座るベンチを、遠巻きに眺める生徒が何人もいた。少女達は奈緒と紫陽里の方にスマホのカメラを向けては、ヒソヒソと低い声で喋り合っている。


「お前のファンちゃうん?」と奈緒に言われて、紫陽里は少女達を見遣った。するとあっという間に、黄色い悲鳴を上げながら皆走っていなくなる。


「なんだ、風が通り過ぎただけか」

「くっさ」


「学校には慣れた?」紫陽里はそう言いながら、中身の残っている缶を自分の隣にに置く。「うーん…」奈緒は飲み干した空き缶を凹ませながら両手の中で持つ。


「まー少しはな」

「委員会の外でも友達は出来た?」


「…余計なお世話や。おるっちゃおる」

「じゃあ寂しくないね」


「キモい言い方すんな! 何様やねん、お前!」

「アハハ。でも本当に良かった」


「あのさ、正直に言うんやけど、ウチはお前との距離感が上手く掴めへん。2人だけで会うのもこれが初めてやし、会話に困るわ」

「そうなの?」


「ぶっちゃけ、呼び方もまだ定まってへんし」

「前にも言った通り、呼び捨てでいいよ」


「ええんか? ほんまに」

「むしろそう呼んで欲しい。赤間さんはそっちの方が自然だから」


「ほな、松永」

「ああ、そっち…」


「そっちってなんやねん!」

「いや、それでいいよ。抜け駆けしたら怒る子がいるんだ」


「は? 何の話?」

「アハハ」


 奈緒は不満そうに口を尖らせる。やり辛いという意味で、紫陽里は和歌よりも手強い相手だった。「赤間さんがうちの委員会に来てくれて、ホントに良かった」しみじみと紫陽里は呟く。


「なんやねん、急に…。てかウチは何もしてへんやろ」

「そんな事ないよ。赤間さんが来てからというもの、和歌はすっごく楽しそうなんだ。明らかにテンションが高い」


「ホンマか? あれがいつもの調子ちゃうんかい」

「絶対に前より良くなったよ。ずっと可愛く、魅力的になった。赤間さんもそう思わない?」


「知らんわ、アホ」

「赤間さんの強烈な個性のお陰で、委員会の知名度もうなぎ登りだしね。体育大会のスピーチは感動的だった。規律秩序委員会ここにアリ!…って感じで」


「う、うっさい! 別にウチがヘマせんでも、全校生徒に面談をやった時点で悪名は知れ渡っとるやろがい。お前らは2人揃ってマトモなフリしとるけど、ウチなんかよりずっとやぞ」

「アハハ」


「笑ってごまかすな!!!」

「でも、これで安心して修学旅行に行けるよ」


「修学旅行?」

「言ってなかった? 私は来週末から、修学旅行で一週間くらい外国にいるから」


「へあっ!? この学校の修学旅行って海外なん?」

「上月が家出した時に話してたと思うけど」


「いちいち覚えてられるかい。てか、文化祭はどうするん?」

「うちの学校は人数が多いから、修学旅行に行く時期がクラス毎で微妙に違うんだ。私のクラスは早めだから文化祭は出られない。仕方ないよね」


「それは残念やな」

「私の気掛かりは文化祭じゃなくて委員会だよ。私がいない間は、赤間さんと瑞稀とで和歌を支えてあげて欲しい」


「え、あ、おう」

「自信ない?」


「そりゃお前みたいにキリッとはやれへんよ。ウチは頭も悪いし、思ってることすぐ顔に出るし、気も短いし、声もでかいし…」

「長所ばかりだね」


「茶化すな!」

「心配しなくても大丈夫。いつも通りの赤間さんで十分だから」


「ほ、ほんまか…?」

「弱虫」


「うっさいわ! さっさと外国に行って2度と帰って来んな!」

「大丈夫そうだね」


 紫陽里は缶の中身を飲み干すと、自分の分とベシャベシャになった奈緒の分とを捨てに行く。「ねえ、赤間さん」と戻って来て紫陽里は言った。


「赤間さんにとってはたかが委員会かもしれないけど、和歌と瑞稀にとっては特別な場所なんだ。もちろん私にとってもね。だからどうかよろしく。しつこいけど」

「て言うか、ウチみたいな無理くり連れて来られた奴に、そんなこと頼んでもええん?」


「無理くりじゃなくて、運命だったんだよ。きっと赤間さんが生まれた瞬間から、私達と友達になることは決まってたんだ。そう考えれば何もおかしくない」

「屁理屈の天才やな…」


「赤間さん。委員会に入れられたこと、今でも怒ってる?」


「それは…」と奈緒は一瞬眼を逸らす。「今でもお前らはクズやと思う。人間の皮を被った化物やとも思う。いつか報いを受けて、とんでもなく残酷な仕打ちを受けるべきやとも思ってる。それは変わらん」


「アハハ」


「ただお前らのやりたいことは少しずつ分かってきた。それに関しては、多分やけど悪いことじゃないと思ってる。だからウチに何が出来るか分からんけど、今の所は手伝ってやるって感じや。まー要するに、怒ってるけど怒ってへん」


 少し間をあけて、「籾木には言うなよ、絶対に!」と奈緒は付け加える。


(なるほど…)口元に笑みを浮かべながら紫陽里は思う。(和歌がガチ恋する訳だ)


    ◇


 奈緒と紫陽里が規律秩序委員会室に戻った時には、もう越智の姿は無かった。「遅かったわね」と委員長席の和歌。「ちょっと散歩をね」紫陽里は答える。


「赤間さんの禁断症状は治った?」という和歌の問いに、「なんや、禁断症状て」と奈緒は答える。


「だって越智先輩の頬を叩こうとしてたじゃない。違った?」

「ちゃう! ウチはただ、アイツの髪を掴んで投げ飛ばそうとしただけや!」


「まあ!」と和歌はわざとらしく片手を口に当てる。「ちゃんと寝た方が良いわ。赤間さん」





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