第20話 美しいそばかす
文化祭まであと一週間に迫った日の放課後。
規律秩序委員会の扉を叩いた少女は、目の下に大きな隈を作っていた。
「頼める?」
和歌はそう言った少女を応接用のソファに座らせると、「1年F組の安岡さん?」と尋ねる。
「うん」と隈の少女は答えた。
「それで、頼みというのは?」
「この委員会って、斡旋もしてくれる?」
「斡旋。なんの?」
「人の。人を探してるんだ。絵のモデルになってくれそうな人」
「ああ、安岡さんは美術部だったわね」
「うん。それで、文化祭に出す作品のモデルを探してるの。初対面の人が良くて。その方が第一印象だけで描けるから。でも私、友達も少ないし口下手だから、自分で探せなくて」
「なるほど。モデル、モデルか…」
和歌はそう言って、部屋の隅に立っている奈緒に視線を滑らせる。奈緒は嫌な予感がし、口元を歪ませた。
「うちの赤間なんてどうかしら? 魅力的な顔立ちでしょ? とても絵になると思うけど」
「赤間? ああ、『赤鬼』か」
安岡は奈緒を振り返り、隈の出来た目でジッと相手を眺める。
「申し訳ないけど、ごめん。赤間はちょっと顔立ちが派手すぎる。絵になりすぎてつまらない。それに、校内じゃ有名だし」
「そう。赤間さん、残念ね」
(なんやこれ)奈緒は思う。(なんでウチがフられたみたいになってねん)
「それじゃ、私や泊なんかはどう?」
「うーん、その2人も色々と評判だしなぁ…。言い忘れてたけど、出来るだけ普段は地味で、自分のことをブスだと思ってるような娘が良い。なんか悩んでて、それが顔に出てる奴。それだと、自分が求めている画題になりそうな気がする」
「嫌な選び方や…」と奈緒が呟くと、「まあ、確かに」と安岡は頭をボリボリと掻きながら言った。
「それやったらアイツがええんちゃうん?」和歌の方を見ながら、奈緒が言う。
「アイツ?」と和歌。
「アイツや。この前来て、訳わからん話ばっかしてたやつ。ほら、自分がブスで辛いとかほざいてた」
「ああ、越智先輩のこと」
和歌は「ウフフ」と笑うと、安岡に向き直る。
「良い人がいたわ、安岡さん。1個上の先輩でとってもお喋りだけど、安岡さんのお眼鏡に適いそうな人。どうかしら?」
「その人、自分のことをブスだって?」
「ええ。本当はそんなことないのに」
「良いね。面倒くさそうで気に入った」
「顔は見なくてもええんか?」と奈緒。
「いい、もう文化祭まで時間ないし。ダメだったら、絵の代わりに自分の身体を展示すればいい。裸になって、『神の御業』ってキャプションカードを持って」
「こっっっわ…」
◇
翌日の放課後、越智はとある教室の扉を恐る恐る開けた。
「…あれ?」誰もいない部屋の中を見回しながら、少女は呟く。
「D113で間違いないよな?」
越智はスマホを取り出し、昨晩届いたメッセージをもう一度確認した。差出人はなく、文面は以下の通り。
『初めまして、越智先輩。積もる思いを堪えきれず、メッセージを送らせて頂きました。明日の放課後、D113でお待ちしております。どうしても伝えたいことがあるからです。必ず来てください。待ってます。 影の崇拝者より』
「間違いない」越智はスマホを仕舞うと、「ふん」と鼻息を吐いた。
クラスは文化祭の準備で大忙しだったが、好奇心には勝てなかった。
今までそういう趣味はないと思っていたが、同性というのも悪くないのかもしれない。
しばらく待ち、(女同士でキスをしたら、どんな味がするんだろう?)と考えていた頃に教室の扉が開いた。
目の下に隈を作った少女が、脇に巨大な袋を抱えながら入って来る。
「こんにちは、初めまして。越智先輩ですか?」
「えっ、あっ、うん!」
慌てて越智が返事をすると、その少女は袋を床に置き、後ろ手で扉の鍵を閉めた。
「良かった。私、1年の安岡です。今回はありがとうございます。お忙しいだろうに、すいません」
安岡は言いながら、廊下に面しているもう一つの扉を閉めに行く。
「え、あっ、なにしてるの?」越智が言う。
「なにって、外から入られないようにです。邪魔されたくないので」と安岡。
「えっ? えっ? えっ?」
安岡は袋を置いた場所に戻って来ると、中に入ってるものを取り出し始めた。
先の尖った、金属製の棒が顔を出す。
(あっ)越智は思った。(これ、もしかして殺されるんじゃ…?)
「ちょっと待って下さい。準備するんで」
越智の顔から血の気が引いていく。
ガクガクと震える足を支えるため、両手で机の縁を持った。声を出そうと思っても、喉に力が入らない。
(し、知ってる。これ、好き過ぎて相手を殺しちゃうって奴だ。嘘、なんで私? い、嫌だ。死にたくない。死にたくない…。 お父さん、お母さん…!)
「し、死にたくない…!」
「はい?」
安岡は顔をあげ、越智の方を見遣った。1個上の先輩は、いつの間にか床に座り込んでいる。
「大丈夫ですか?」
安岡が駆け寄ると、相手は「ひぎゃあっ!」という悲鳴を上げ、這いつくばってその場から逃げようとした。
「あの…」
「お、お願い。殺さないで! ね、ね? 私達、まだ知り合ったばっかじゃん。もっと、ノーマルな関係から始めようよ!」
「は?」
「ご、ごめん。ごめんなさい! お、怒らないで。殺さないで。食べないで。わ、私、美味しくないから!」
「聞いてないんですか? 規律秩序委員会から」
「な、なに? わ、私なにかしたの? ごめんなさい! 謝るから、お願い…!」
「謝らなくていいですよ。ただ、絵のモデルになって欲しいだけなんで」
◇
安岡は金属製のイーゼルにキャンバスを固定すると、椅子に座り、越智の顔を観察し始めた。
越智は目を真っ赤に腫らし、肩を小刻みに震わせながら、安岡から離れた椅子に座っている。
「その変なメッセが多分、規律秩序委員会から送られたものだと思います」と安岡。
「知らない、知らないよ。馬鹿じゃない? 死ぬほど怖かったんだけど…」と越智。
「すいません。絵のモデルになるのは初めてでしたか」
「そうじゃなくて、殺されるかと思ったんだよ! あんたがサイコ気取りのビアンだと思ったの! バカ、死ね!」
「なるほど。それは面白い」
「面白くない、死ね!」
「じゃあ、モデルにはなってくれませんか?」
「なるかよ! もう帰る!」
越智はそう叫ぶと、鞄を持って立ち上がり、扉に向かって歩いていく。
「残念です」
安岡はデッサン用の鉛筆を傍に置きながら、呟いた。
「すごくいい絵が描けそうだったんですが」
「んな訳ないでしょ!」越智は立ち止まり、答える。
「こんなブスを絵に描こうなんて思うなよ。馬鹿にしてんの?」
「泣き止むまで待ちますよ」
「な、泣いてない! てか、泣き顔がブスなんじゃない。素の顔がブスだって言ってんの!」
「ブスなんですか?」
「ブスだよ! 目は小さいのに口はデカいし、鼻は変な形してる。おまけにこのそばかす。インクでも撒き散らしたのかってぐらいの! よく見なよ!」
「それって、ブスなんですか?」
「ブスだろうが! 頭使え!」
「分かんないです。そもそも、ブスかどうかなんてどうでも良い。私は、良い絵が描けるかもって思っただけなんで。良い素材だから」
「うるせーよ! 皮肉言ってんの、お前?」
「皮肉じゃないです。どうしてそうなるのか分からない。私はずっと本音です。良い絵を描きたいんです。人の感性をぶち抜くような。それでいて他人が描くものとは違うような。誰も気づいていない『美』を、発掘するような。難しいんですけど」
「ひょっとして…」越智は身体を、少しだけ安岡の方に傾ける。
「かわいく描いてくれんの? 画像加工みたいに」
「俗っぽいですけど、まあそんな感じです」
「なあんだ、それを先に言いなよ」
越智はそう言うと、そそくさと座っていた椅子に戻った。越智に細かいポーズの指定をすると、安岡は作業に入る。
鉛筆のカリカリという音と、遠くから時たま聞こえる生徒達の喧騒以外、なんの音もしなかった。
「あ、あのさ」たまりかねた越智が口を開く。
「今更だけど、ホントに私でいいの? ほら、他にも可愛いやつはいっぱいいるけど…」
安岡は作業の手を止めずに答えた。
「大勢が知っていて、綺麗だなって思われているようなものを描いてもしょうがないと思うんです。芸術って、美しくないものの中に美しさを見つける作業だと私は思ってるんで」
「そ、それって、私が醜いって言いたいの?」
「自分で、ブスだって散々言ってるじゃないですか」
「そ、それはそうだけど、でも、もっとこう、なんと言うか…」
「『ブスじゃない、可愛いよ』って、相手に言って欲しいんですか? それとも、自分がブスだってことをちゃんと理解してる自分、賢くて可愛いって感じですか?」
越智は黙って下を向いた。
「顔を動かさないで下さい」と安岡が言う。
「さっきも言った通り、どうでも良いんです、私には。自分の描きたいものか、そうでないかとしか思わない。でも私は、一目見て越智先輩の顔が好きになりました。今私の頭の中は、越智先輩のそばかすをどう魅力的に描こうかってことで一杯です」
越智は恥ずかしそうに、顔を上げた。
「良いです。ありがとうございます」と安岡が言った。再び、部屋の中に沈黙が戻る。
「あ、あのさ」上目遣い気味に、越智が言う。
「ふ、服とか脱がなくていいの?」
「はい?」作業の手を止めて、安岡が言った。
「い、いや、こういうのってさ、ヌードとかにするんじゃないの? ほら、曲線美? 腰とか、足の…」
「自信があるんですか?」
「や、や! そういう訳じゃないけどさ。あ、あんたから見たら、どうなのかなー、って…」
「今回は胸元から上で良いです。勿論着装で。でも、またモデルになってくれるって言うんなら、考えてみます」
「う、うん」
「申し訳ないんですけど、静かにしてもらっていいですか? せっかくの良いモデルなんで、良い絵にしたいんです」
「…うん」
部屋の外、何処か遠くから、また生徒達の喧騒が聞こえた。
ほんのりと染まった越智の頬を見ながら、どの色を使ったものかと、安岡は考える。
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