第16話 反抗する刈り上げ(後編)
少しして、文芸部室。
「ヌフフ」椅子に座った犯人を前にして、小堀は口元の緩みを抑えきれずにいた。
「わざわざメモリーカードまで置いておいたのに、取ったのは紙だけか。余りにもロートルだ。蒸気機関の時代からやって来たのかな? ヌフフ」
「何とでもおっしゃい」と犯人は小堀を睨み付ける。
彼女の正体は2年J組の田野原花蓮。父親は大資産家であり、どこに出しても恥ずかしくない太い実家を持っていた。
「田野原。君の家は十二分にお金を持ってるし、君自身の成績も悪くないって聞いている。どうしてこんなことを?」
「わたくし、ちゃあんと脅迫状に理由を書きましたわ。読まれませんでしたの?」
「読んだよ、穴が開くほどね。こう書いてあった。『ヤバヤマ』の発行を続ければ我が学園の民度は地に落ち、やがては社会、人間文明そのものが滅びる、って」
「イヒヒ」と笑った奈緒の肘を和歌が小突く。小堀に戻る。
「でもまさか、アレはあくまで建前でしょ? そんなご立派な志を持った生徒がこの学園にいるとは思えな──」
「おだまらっしゃい!!!」田野原は相手を遮る。
「これは我が家の哲学の問題なのです! 『人に恥じることのないように生きる』『言葉遣いは丁寧に』『悪人をぶっ潰せ』『ご飯は残すな』『挨拶は大声で』わたくしはそれらの家訓に従ったまでのこと」
「驚いた、君みたいな人間もいるんだね」そう言いながら、小堀は規律秩序委員会の面々に視線を滑らせる。
(この子、イカれてる。すっごく可愛いと思わない?)小堀の目はそう言っていた。
「でもさ、今回のは完全に校則違反だよ。あたしが先生達にチクったら、君は罰を受ける。家名にもヒビが入るんじゃない?」
「そんなことは重々承知の上。ですがわたくしは、どう考えても正しいことをしたのです。ですから両親も分かってくれることと思います。『正しいと思うことをしろ』です。それにもしこの事を報告すれば、貴方達が隠そうとしていたことも全てバレます。そうすれば、貴方達の立場だって危ういのでしょう?」
「別に、あたしらのやっていることは校則違反ではないよ」
「違反でなくても、どうせ際どい事をやっているのでしょうよ。わたくし、何か間違ってまして?」
「お手上げだね」わざとらしく、小堀は肩をすくめる。
「状況が理解できたのなら、疾くわたくしを解放してくださりませんこと?」
「解放したら、またあたし達の邪魔をするんでしょ?」
「当然。『粘れ。とにかく粘れ。勝つまで粘れ』ですわ」
「それならしょうがない」小堀はカーディガンのポケットからスマホを取り出すと、田野原の足元近くにしゃがみ込む。
「な、何をしていらっしゃいますの?」という相手の言葉には答えず、小堀はスマホを弄り続けた。カシャッ! 続けてカシャッ! も一度カシャッ!
「おやめなさい! なにをしているの!!!」と田野原は椅子から飛び上がる。
「おや、上履きに埃がついてるぞ。一体誰の上履きだ?」小堀は先ほどスマホで撮ったばかりの写真を見ながら、意地の悪い笑みを浮かべた。
「名前が書いてある。えっ、田野原花蓮? 信じられない、あの田野原の上履きがこんなに汚れてるなんて…」
「さっき走ったからですわ! 卑怯者、わたくしの許可もなく写真を撮りましたわね!? 今すぐお消しやがれ!!!」
「ダメだね。君があたし達の邪魔をするんなら、こっちも反撃してやる。これを拡大コピーして、学校中に貼り付けてあげよう」
「ひ、酷い! あんまりだわ! 人でなし! 悪魔! 鬼! 排気ガス、プラスチックゴミ、アスファルト!」
「何とでも言いなよ。先に脅迫してきたのはそっちだからね。こっちは同じ事をしてるだけさ」
田野原は泣き崩れ、「正義の神よ、貴方はいずこ!」と床に突っ伏した。小堀は「ふん」と勝利に鼻を鳴らす。
「田野原先輩、よろしいですか?」と相手の背中をさすりながら和歌。
「お泣きになっている所、ごめんなさい。お聞きしたいことがあるんです。どうしてあの日、B棟屋上の扉を開けたんですか?」
「びっ、B棟屋上?」田野原は涙でくしゃくしゃの顔を上げ、真っ赤になった目で和歌を見つめる。
「何のこと? ひぐっ。わたくし、んぐっ。そんなことっ、ぐっ。知りませんわ」
「始業式があった週の出来事です。何者かによって、B棟屋上へと出る扉の鍵が開けられていました。犯人は髪の長い生徒だった事が目撃情報で分かっています。田野原先輩じゃありませんか?」
「一体全体、ひんっ。何の話です? うぐっ、知りませんわ。だってわたくし、んぐっ。しっ、新学期が始まっていっ、一週間は、ひぐっ。まだ海外でしたもの」
それを聞いて、和歌の眉がピクリと動いた。少女はスカートのポケットからハンカチを取り出すと、田野原に渡す。
「敵から、んぎっ。施しを受けるなんて…」田野原はジャスミンの香りがする和歌のハンカチで涙を拭き、鼻をかんだ。
「失礼しました、人違いみたいです。話は変わりますが、今回の件は先輩が1人でやったことですか?」
「ど、どうしてそんな事をお聞きになりますの?」
「気になっただけです。どうやったら部室棟からB棟まで、あれだけ素早く移動出来るのかなと思いまして」
「そ、それぐらい余裕ですわ。『早く走ろう。走れる時は』ですもの」
「うん?」と小堀が割って入る。「なにか隠してるな?」
「失敬な! わたくしが嘘つきだと? あなたのような、ゲスの中でも最底辺にいるような人間にはわからないでしょ──」
「写真をバラ撒かれても良いのかな?」
「さ、誘われたんです! 文芸部が『ヤバヤマ』なるものを発行していると知ったのも、その時が初めてです。その人が原稿を取ってくるから、わたくしは受け取るだけでいいと言われたんです。トイレで待っているだけで済む、と…」
「なるほど」と和歌。「それで、それは誰なんですか?」
「分かりません、初めて会った人です。クラスの当番でゴミ捨て場に行った時に知り合いました。下の名前は分かりませんが、1年の本間という方です。わたくしが彼女のことで知っているのは、それだけです。今日も私が『ヤバヤマ』も受け取ったらすぐ、まるで霧のようにいなくなってしまいました」
和歌の表情は曇った。1学期に規律秩序委員会が発足した時、少女は紫陽里と手分けをして、2000人にも及ぶ生徒達と面談を行なった。
全員と十分に話し合えた訳ではないが、最低でも顔と名前と学年と組とを、和歌は全て頭に叩き込んでいる。勿論、奈緒のような転入生も含めて。
だがその記憶の中に、本間という名前の1年生は存在しなかった。
◇
数日後。放課後の文芸部室。
試験期間中で部活は無かったが、殆どの部員は気にする事なく顔を出していた。大人しく試験勉強をする者もいれば、いつもと変わらず創作活動に現を抜かしてる者もいる。
「そういえば、部長」部員の1人が言った。「赤間には『ヤバヤマ』を渡したんですか?」
「いや、渡していない」小堀は答える。「向こうから断ったんだ。やっぱり知り合いに教えてもらうって。『正々堂々頑張りたい』ってさ」
「見た目の割に真面目なんですね」
「うん。かわいいよね」
それから数分後。小堀はノーパソのキーボードを打つ手を止め、メガネを外すと大きくため息を吐いた。
「あたし決めた」という部長の言葉に、何事かと部員全員の視線が集まる。
「今度のフリマはやっぱ百合で行こうと思う。全部書き直す。口は悪いけど情に熱い奴と、可愛いけど頭のネジがブッ飛んでる奴のラブコメでやってみる」
「ええっ!?」と部員の1人。「今度のは王道にするって言ってたじゃないですか! 根暗の陰キャと、自分だけに優しい巨乳ギャルのヘテロだって」
「うんざりだ。そんなもの」
「うんざりも何も…」と別の部員。「まずは売れる作品を書いて金を貯めて、それから自分の好きな作品を書くって話だったじゃないですか。金が貯まれば『ヤバヤマ』を作らなくても済むって」
「確かに言った。でも気が変わったんだ。あたしは転向する! 何が売れる作品だ。何が巨乳だ。何がヘテロだ。あたしは自分の書きたいものを書く。それが主流じゃないなら、むしろ好都合だ。あたしは主流に抗い続ける。あたしは歩道の真ん中で寝てる犬だ。あたしは林道の真ん中に巣を作っている蜘蛛だ。あたしは高速道路の真ん中に置いてあるカラーコーンだ。私は『反抗する葦』だ! ヌフフ、ヌフフフフ!」
部員達は互いに視線を交わした後、「やれやれ」という風にそれぞれの作業に戻る。
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