第15話 反抗する刈り上げ(中編)

 定期試験が1週間と1日前に迫った校舎。時刻は19時頃。


 かくして奈緒は和歌、そして小堀と共に、部室棟にある一室で息を顰めていた。


 小堀の提案は、大体にして以下の通り。


「実はうちの部宛に脅迫状が届いたんだ。『ヤバヤマ』の発行をやめろって。校内の風紀が乱れるからだってさ。変な話。『ヤバヤマ』が無くたって、この学校は変人ばっかだろうに(ここで奈緒が大きく頷く)


 もし発行をやめなければ部室に忍び込んで、『ヤバヤマ』の原稿を全部頂くとさ。バカだよ。何も言わず忍び込みゃ良いのに(ここで和歌が「ウフフ」と笑う)


 でも面白いから、受けて立ってやるんだ。もう原稿は出来上がってて、試験のちょうど1週間前から配布するから、多分その前日に盗みに来ると思う。うちの部はあたしも含めて皆非力な根暗だし、君達みたいなプロがいると助かるよ。


 相手は複数人で、武器を持ってるかもしれないもんね。ねえ、君達って、人を殺したこともあるってほんと?(ここで奈緒が「アホ抜かせ!」と声を荒げる)」


 3人が隠れているのは、文芸部室と同じ階の隅にある共同倉庫。ほんのちょっぴり空いた隙間に、尻を寄せ合って座っていた。


「気になったんやけど」奈緒が小声で、左隣の小堀に尋ねる。


「今日日、紙の原稿を取られたからってなんともならんくない? パソコンとかメモリーカードとかにいくらでもバックアップがあるやろ?」

「そう、そこなんだ」


 暗い部屋の中で、小堀は笑みを浮かべた。外にバレぬよう照明は付けられず、窓から差し込む月明かりだけが光源だった。


「そのバカさ加減が面白くって、ついつい自分もこんなバカをやっちゃった。可愛いよね、バカって」


「余裕ですね」和歌が言う。


「脅迫されているのに」

「まあ、犯人の予想は大体ついてるし。ねえ、あたしの推論を聞きたい?」


「別に」と奈緒。


「あのね」小堀は気にせず続ける。


「ハッキリ言って、うちの『ヤバヤマ』はかなり評判が悪いんだ。勿論、そのものは利用者の殆どから高評価を貰ってる。寧ろ逆。余りに的中率が高いので、『ヤバヤマ』を使ってない連中から不興を買ってんの。ま、当然。新聞部のバカ共とはIQが違う。あいつらは生徒会の御用物書き。権力の犬、間抜け、【自主規制】、【自主規制】」


「ウフフ」と和歌。


「だから、一番怪しいのは醜聞部(新聞部)だな。あいつらの考えそうなこと。ペンで勝てないとなれば、汚い手しかない。哀れな奴ら、涙が出る。嘘だけど。後は、そうだなぁ。生徒会か、教師連中か。『ヤバヤマ』を買う金がない生徒。他には誰だ。待てよ、G組の西島に借りた金をまだ返してないし、H組の丸山には傘を借りたままだ。あれ、理沙に借りた漫画はどうだっけな…」


「敵が多すぎる! あと、話も長くてくどい!」と奈緒。


「しょうがない。それが人生だもの」

「やかましい、知ったような口聞くな!」


「小堀先輩」と和歌。


「『ヤバヤマ』を買えない子達が犯人、という可能性は大いにあるのではないでしょうか?」

「うーん。まあ確かに、ボってるって認識は流石にあるしなぁ…」


「ウチもそれがいっちゃんあり得ると思う」と奈緒。


「そもそも、なんでそんなに高いん?」


「理由は色々。まあ一番は、部の活動費がそれだけ必要ってことかな。文芸部は毎年2、3回、大きなフリマイベントに参加してるんだ。それで、その費用がすんごくかさむわけ。印刷代でしょ、参加費、交通費、宿泊費、食費、機材費、交流費、取材費、資料費、その他諸々…」


「それを全部、部で稼いでいる?」感心したように、和歌が言う。


「学校支給じゃ足りないよ。親にっていうのもなんか違うし、外でバイトするのも面倒だし、それで先輩達が4、5年前からを初めてみたってわけ。そしたら、まあ何とかなった」


「そりゃ大したもんやけど」また奈緒。


「それでも高いわ。そんだけ優秀ななら、誰だって欲しいやん。安くしてもいっぱい売れるなら、それだけでも利益は十分やろ」


「うん。ここからが2つ目の理由。あたしらがを高額で売るのは、わざと実家が太い連中だけを相手にするため。その中でも特に勉強が苦手で、だけど金を払ってでも良い成績を取りたいって連中。


 君達2人はどう思ってるか分からないけど、あたしだって人間。少しでも良心が痛まない方を選びたいよ。うちの部がやってることは確かに際どい。の作り方も、かなりグレーだしね。詳しいことは企業秘密だけど。


 だからこそ、それを買うのが金持ちで生活に困ってない連中だと思うと、こっちも気持ちよく商売ができるわけ。卑怯はやってないつもり。そもそも定期考査に合格するだけなら、醜聞部ので十分なんだよ。


 『マジヤバ』を買える金が無くたって、真面目に勉強すりゃいくらでも良い点が取れる。だからと言って、『マジヤバ』を買う連中が悪人だって言ってるんじゃないよ。金で「解答」そのものを買わないだけ、かわいいよ」


「なるほど。小堀先輩は、いわば手助けをしているんですね」


 和歌はそう言って、目を細めた。


「君達2人がどう思うかは自由だよ。今すぐにうちに脅迫してきた奴の味方をして、今度の理事会会議の議題にあたしの名前を載せてもいい。でも言っとくけど、全ての責任はあたしにあって、他の文芸部員は無実だから」


「ウフフ。そういう話は私達にではなく、生徒会と新聞部の【自主規制】連中に言わないと」


 胡散臭そうに、奈緒は2人の犯罪者の会話を聞いていた。


(まともなんは、ウチだけや)少女は自分にそう言い聞かせる。


 小堀の方はと言うと、すっかり規律秩序委員会の2人を気に入っていた。


 片方は常に享楽主義的な表情を口元に浮かべていて、片方は『赤鬼』の渾名に違わず、表情がコロコロ変わって飽きがこない。


「ねえ、赤間さん」小堀は鬼の子に話しかけた。


「なんで『ヤバヤマ』なんか欲しいの? 醜聞部でも十分なのに」

「だ、だって、ウチ、アホやし…」


「でも、転入試験を受かったんでしょ?」

「よーわからん。ウチは、今でも受かった気してへんし。合格通知が来たから良いものの、案の定、授業にはついて行けそうもあらへん」


「そこの子に教えてもらえば良いのに」

「そこの子?」


「籾木さんだよ。知らないの? 一学期の中間期末と、学年総合トップだったんでしょ?」


「中間だけです」和歌が答える。「期末は2位でした」


「あたしが言うのもおかしいけど、『ヤバヤマ』なんかに頼らなくたって、最高の頭脳が傍にいるじゃないか」


「いや、その…」眉間に似合わぬ皺を寄せながら、奈緒は言う。


「こいつに、借りを作りたくないねん」


「借りなんて」と和歌。


「いらないわ、そんなもの。友達なんだから、幾らでも教えてあげるのに」


「って言ってるけど?」小堀は奈緒に向き直る。


「うーん」奈緒の額には、まだしつこく皺が残っている。


「嫌なもんは、嫌!」


  ◇


 花の女子高生3人が埃と干からびた虫の死骸だらけの倉庫に隠れてから、1時間が経った。


 和歌はスマホを取り出し、委員会室で監視カメラをチェックしている瑞稀にメッセージを送った。


『異常なし?』

『うすす』


 小堀が傍にいるので、いつものように堂々と通話をする訳にはいかない。犯人の動向をいち早く察知してしまえば、監視カメラの存在がバレてしまう。


「ふむ」


 小堀がそう言って月明かりが作る光の中に自分の片腕を出し、腕時計を見ようとした、まさにその時だった。


 コトン、と文芸部室の方から微かな音がしたような気がした。奈緒は音を立てずに扉に近づくと、片耳をつけ、息を殺した。


 和歌は胸元で振動を感じ、スマホを取り出す。瑞稀からメッセージが来ている。


『制服を着た髪の長い人影がいきなり部室内に出現! 例の屋上事件の犯人の可能性アリ ありえない、一体どこから!?』


 廊下の向こうで文芸部室のドアを開ける音がした。内側から鍵を開けられたらしい。廊下に足音が響く。


「えっ、なに、もう盗まれたの?」


 思わず、小堀が素っ頓狂な声を上げた。


「赤間さん!」


 和歌が言い終わるより先に奈緒は扉を開けると、勢い良く廊下に飛び出した。


「待たんかい、ワレェ!!!」


 人影は一瞬奈緒を振り返ると、すぐさま走り出した。奈緒も全速力でそれを追いかける。


 逃走者が階段を通り過ぎ、廊下の端に向かって走り去って行くのを観て、奈緒は心の中で勝鬨をあげた。


(アホ、そっちは行き止まりじゃ…!)


 奈緒が廊下の果てにあるトイレの前に立ったのは、人影がその中に入ってすぐの時だった。


 少女は自信満々、大股で部屋に入ると、1つだけ扉が閉まっている個室の前に立った。


「出てこんかい、規律ちつつ委員会や!」


 返答は無かった。


 仕方なく女子高生らしく扉をドンドンと強く叩き、2、3度蹴りを入れても、中からは何の音沙汰もない。


 業を煮やした少女は隣の個室にある便器を踏み台にすると、怪談に出てくる幽霊よろしく、隣の個室を上から覗き込んだ。


「うげげっ!?」


 少女の口から、牛蛙のような悲鳴が飛び出した。そこには、誰もいなかったのである。


 ◇


「犯人を見失った? どこで?」


 スマホに向かって紫陽里が言った。スマホが答える。


「部室棟のトイレっす。赤間っち曰く、トイレに入ったまでは確かに見たらしっすけど」

「やっぱり、屋上の鍵を開けた犯人と同じか」


「多分す。ヤバいヤバい、ちょっと目を離した隙にもう部室内にいたんすよ! まるで幽霊!」スマホの向こうの瑞稀は興奮していた。


「まあ、瑞稀の目を掻い潜って、窓から出入りでもしたんだろう。まだ校内にいるかもしれない。私も向かうから、見つけたら直ぐに連絡して」

「うすす。面目無いっす」


「気にしないで。それよりも、和歌の前で幽霊って言葉を出さないこと。夜眠れなくなっちゃうからね」


 スマホを切ると、辺りに再び静寂が戻った。紫陽里は奈緒と和歌とは別行動で、校内の見回りをしていたのだ。


 暗闇の中で少し待った後、再びスマホが鳴った。


「B棟2階っす! 今度も急に現れた。ガチ幽霊かも!」

「落ち着いて、瑞稀。すぐ向かうから、道案内を」


「うすすっす。赤間っちにも向かって貰ってるんで、挟み撃ちにしてくだすっす」


 紫陽里はスマホを仕舞うと、走り出した。


  ◇


「んで、次はどっち!」


 片手に持っているスマホに、奈緒は怒鳴った。


「もうちょい行ったら階段なんで、降りちゃってくだすっす」

「分がっだ!」


 誰もいない暗闇の校舎を、スマホの照明を懐中電灯代わりに、奈緒は暴走特急のように駆け抜けた。


 いくら走っても、少女を咎める者は誰もいない。いくら走っても、内申点には響かない。警備員のおじさんには、後でなんとでも説明すればいい。


 奈緒は段々と自分の使命を忘れ、全速で走れる嬉しさに叫び声をあげた。


「わーーー! ほっほーーーい! イェーーーイ!」

「赤間っち、頭大丈夫っすか?」


「う、うっさい! 勝手に聞いとんちゃうぞ!」

「だって通話中っすよ」


 瑞稀は監視カメラに写っている犯人と校内の地図を見ながら、奈緒にテキパキと指示を出す。


「はい、次は右。そのまままっすぐ。良いっすね。次で左。んで右っす。上手い上手い。階段を登って、また降りて。そうそう。んでまっすぐ。次でまがっちゃいまっしょ。よしよし。偉いっすねぇ」

「馬鹿にしよって!」


 そうこうしている内に、奈緒の目前に人影が再び現れた。こちらの存在に気がつくと、人影は慌てて別の方向に走りさる。そんな事が2、3回続いた。


 ある交差点で、奈緒は人影とぶつかりそうな所を既の所で止まった。犯人ではなく、紫陽里だった。


「赤間っちはそこを右、まっつんは左にお願いっす」


 奈緒と紫陽里のスマホから同時に声がした。2人は頷き、それぞれの道を行く。


 瑞稀は巧みに2人を導き、犯人をある区画に閉じ込めた。そこには、トイレが無かった。


 奈緒は再び人影を見つけた。こちらを見て逃げ出そうとするので、人影が犯人だとすぐに分かった。


「待たんかいゴラァ!」


 奈緒は怒鳴りながら、相手の背中を猛追する。


 疲れてはいたが、逃げる狼を追い詰める狩人の喜びが少女の足を前へ前へと突き動かした。


(覚悟せい、ダボ。あと少しで、お前はお陀仏や!)


 ある所で、犯人の足が止まった。奈緒とは逆の方から、紫陽里が迫ってくる。


 やむ追えず、犯人は右に曲がった。紫陽里と奈緒も相手の後を追い、そちらへと曲がる。


 曲がった先で、犯人は立ち止まっていた。行き止まりだった。


「観念せい!」


 奈緒はそう言うと、スマホの照明を相手に当てた。


 相手は振り返り、奈緒と紫陽里を睨みつけた。『ヤバヤマ』の入った封筒を持つ腕が震えている。


「あ、『赤鬼』…」犯人は言った。


「お前には悪いけど、その原稿を返して貰うで。そんで然るべき罰を受けろ。不法侵入に窃盗。流石に、これは校則違反やんな?」


 奈緒が紫陽里を振り返ると、向こうは頷いた。だが犯人は原稿を返すばかりか、封筒を自分の胸に強く押し当てている。


「しゃーない。こうなったら力ずくや」


 奈緒はスマホを紫陽里に預けると、犯人に向かって歩み出した。


「やめて!」犯人が身をよじって叫ぶ。


「来ないで、触らないで下さいまし! それ以上来るなら、わたくし、舌を噛みます! 死など怖くありません。だって、恍惚の中で死ぬんですもの。この原稿だって全部破いてやりますわ。さあ、それでも良いなら来なさい。この、野蛮人! 貴方は口だけでなく、心までも鬼なのですわね!」


 奈緒は足を止め、相手を凝視した。


(変な喋り方や…)少女は思った。


「変な喋り方や…」声にも出してみた。


 紫陽里は驚き、奈緒の後頭部に向かって何かを言おうとした。


 だが先んじて、「貴方にだけは言われたくありません!」という叫びが聞こえてきた。


 それは大体、紫陽里の言いたいことだった。


 

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