第12話 怖かったんだよ!(後編)
次の日の放課後。奈緒は集合場所である1年G組の教室へと向かった。「赤間さん、こっち」廊下にある柱の陰に隠れていた和歌が声を掛ける。
「なにしとん? お前…」と奈緒。
「見張ってるのよ。犯人が教室から出て来るのを」
「出て来るのを待つんか? 中に入って捕まえたらええやん」
「人が大勢いる中で私達に連れて行かれたら、変な噂になるでしょ? 容疑者と言えど同じ学校の生徒。尊厳は絶対に守らないと」
「あっそ。それはええけど、大丈夫なん? めっちゃ目立ってるけど」
廊下を行き交う生徒達は、奈緒と和歌が隠れる柱を大回りに避けて行った。
「赤間さん、また誰かを殴った?」
「殴るかい! 避けられてるんはお前の方やろ! ほんで松永はどこやねん?」
「紫陽里の柱は向こうよ」
そう言って和歌は、廊下を真っ直ぐ行った先にある柱を指差す。なるほど、紫陽里本人の姿は見えないが、柱の周りに大きな人だかりが出来ている。
「これ、ウチらは隠れてるんやんな?」
「しっ! 大きな声を出さないで。犯人にバレちゃうわ」
「ウチはちゃんとツッコんだからな」
「所で、日吉さんの配信は見てみた?」
「え? うーん…まあな」
「歯切れが悪いのね」
「一応見てみたけど、よー分からんかった」
「そうなの?」
「ASMRってヤツの良さがよー分からへん。2、3本見てみたけど」
「2、3本も?」
「耳の穴を撫でられてるみたいで、ただただこそばゆいだけやったわ。それよか日常生活の愚痴ばっか言う雑談とか、罵詈雑言だらけのゲーム実況の方が面白かったな」
「ふうん」
「お陰で寝不足や。ま、今晩もクソゲー実況の続きを見るんやろうけど」
「ハマったのね」
「は? 別にハマってへんし」
「ウフフ」
1日と経たずに瑞稀は犯人を特定した。直近で、学内の無線LANを利用して九代九十九関連のサイトにアクセスしていたのは5名。
その内、頻繁にアクセスしているのは3人。1人は日吉本人。あとの1人は生徒で、もう1人は若い男性教員だった。
「教員の方はニケードーっす」朝、瑞稀は電話で和歌に言った。
「ああ、二階堂先生」と微笑みながら和歌。「二階堂先生は外して良いわ。あの人はただのマニアでしょ?」
「瑞稀もそう思うっす。他にも色んなバーチャル配信者のサイトを見てたんで」
「でしょ? 変なことをしたら、そもそも先生の奥さんが黙ってないもの」
半日PCに齧り付き、瑞稀は残りの1人の動向を追った。容疑者は日吉に非常に近しい存在で、監視中にも九代九十九関連サイトにアクセスしていた。
容疑者がSNSを開くと瑞稀は更に踏み入ってスマホをハッキングし、アカウントを特定した。結果は、ドンピシャだった。
「アカウントを特定したってことは伏せておいてね」と物陰に隠れながら和歌。
「言われんでも分かっとるわ。そんなこと」と奈緒。
「メッセージ内容を細かく分析した結果、何となく分かったという体でお願い」
「へいへい」
「無理に問い詰めたりしないこと。穏便にね」
「わーってるって」
「そんな風に睨んじゃダメよ」
「これは生まれ付きや!!!」
下校のピークは過ぎ去り、廊下を行き交う少女達の姿もまばらになる。瑞稀の報告によれば、犯人はまだ教室に残って友達と談笑しているらしい。さらに待つ事5分、和歌のスマホに電話が入った。
「ターゲットが席を立ったっす。1人だけなんで、多分トイレっすね」とスマホの向こうの瑞稀。
「好都合ね」和歌がそう言った矢先、1人の少女が教室から出て来た。その少女は和歌達が待つ方に背を向けると、紫陽里が待つ柱の方へと歩いて行く。
和歌はなるべく足音を立てずに、小走りで容疑者へと近づく。紫陽里が自然な形で取り巻きと共に廊下の中央に出てきて道を塞ぐと、犯人は立ち止まった。
「こんにちは」方向を変えようと振り返った相手に、和歌は微笑みながら声を掛けた。
◇
日吉はスマホの液晶画面へと落としていた視線を上げた。外の廊下から聞き覚えのある声がしたからだった。少女は立ち上がって扉の所まで行き、外に出て廊下の様子を伺う。
すると見覚えのある背中達が、廊下を遠くへ歩いて行くのが見えた。
(規律秩序委員会の人達だよね?)日吉は去り行く背中達をジッと観る。(なんで、みゆが一緒にいるの…?)
◇
「熱田さん。あなただったのね」規律秩序委員会室の応接ソファに座った和歌が言う。「な、なんの話?」向かって正面に座る熱田は答えた。
「昨日伺った迷惑メッセージの件よ。調査した結果、犯人は熱田さんだということが判明したの」
「は? なんでそうなるわけ?」
「調査したからよ」
「ち、調査ってなに? もしかして、私のスマホをハッキングした…?」
(ヤベッ…)紫陽里と共に部屋の隅に立っていた奈緒は、思わず唾を飲み込む。
「あんたら、ヤバいじゃん。マジで頭おかしい! 勝手に人のスマホを覗き込んだんでしょ? クソ犯罪者! 警察に言ったらあんたら終わりだからね!?」
熱田は慌てて立ちあがる。奈緒と紫陽里は素早く熱田の傍へ走り寄ると、逃げられないよう相手の肩を掴んだ。
「触んな、マジきもい! ここから出せ!!!」
「熱田さん、落ち着いて」と和歌。
「うっせえよ! 犯罪者の言うことなんか聞くかバカ!!!」
「私達はただ、日吉さんに貰ったメッセージのスクショを丹念に読んだだけ」
「嘘つけ! そんなんで犯人が特定出来るわけない!」
「出来るわ。文章をよく読めば分かる。こんな思いやりのこもった、相手に寄り添うような文章を書く人間なんて、1人しかいないもの」
そう言って和歌は微笑む。
「書き方は少し個性的だけど、中身はマトモだわ。早く寝ないと明日の小テストに支障が出るよとか、風邪を引かないように暖かくしようとか、安易に下着の話をしないでとかね」
「…あんたみたいなお嬢様には分かんないだろうけど」と日吉は和歌を睨み付ける。
「この手のメッセージを送ってくる連中の魂胆は、相手にそう思わせることにあんのよ。『あいつら』は優しいフリして、虎視眈々とこっちの隙を伺ってる! こっちが抵抗しないと、すぐ図に乗る!」
「『あいつら』って?」
「決まってるでしょ! 相手が萌え声の若い女だと分かれば、すぐに寄って来るようなヤツら! 本当にイタい目を見てからじゃ遅いんだよ。だから気をつけなって、いっつもまーには言ってんのに…」
「日吉さんのことを思ってるのね」
「あたりまえじゃん、親友なんだから! 私があの子を守ってやんないと!」
「なるほど。熱田さんが『あいつら』のフリをしたのは、日吉さんに注意喚起させる為だったのね」
「そうだよ!!!」
熱田は目を見開き、自分の失態を即座に理解した。少女はヨロヨロと椅子に腰を下ろすと、顔を両手で覆った。「お願い…」くぐもった声で熱田は言う。
「まーには言わないで。罰は受けるから、あの子には言わないで。じゃないと、もうまーと一緒にいられなくなる」
「罰だなんて」和歌は立ち上がると、熱田の真横へと席を移動する。「日吉さんにはあなたの名前は伏せて、犯人はもう2度としないと反省してるって伝えるわ」
「ありがとう…」
「熱田さんの気持ちは分かるけど、日吉さんを怖がらせたのも事実。きっと相手を思うエネルギーの大砲が、別の方角を向いてしまったのね。エネルギー砲を正しい方角へ撃てるように、しっかりと照準を合わせてね」
(キッショい例え)奈緒は思う。
しばらく熱田は両手で顔を隠していたが、突然手を退けると、誰もいない正面を見据えて言った。
「…やっぱダメだ。私に、まーの傍にいる資格なんてない」
「どういう意味?」と和歌。
「距離を取るんだよ。私がいると、あの子がやりたい事の邪魔になるから」
「熱田さん、そんな事言わ──」
その時、バタン!と扉が開いて、1人の少女が風のように部屋へと入ってきた。少女は熱田の許へ駆け寄ると、自分の両手を相手の両頬に強く押し付ける。
「なんなの!? なに勝手に決めてんの!?」
「みゃ、みゃあ…!(ま、まー…!)」
「一部始終、全部廊下で聞いてたよ!」
「ぐぉめん、みゃあ。わらひぃ、みゃあひぃほぁひぃふぇひぃふぁっへほふぃふぅふぁひぃへぇ…(ごめん、まー。私、まーに怖い目に合って欲しくなくて…)」
「余計なことして! こっちはキモい変態に好かれたと思って、すでにめちゃくちゃ怖かったんだよ!」
「ぐぉめんぬぇ…ぐぉめんぬぇ…(ごめんね…ごめんね…)」
「そんな辛い目に合ってるあたしから離れるって言った!? 信じらんない!」
「いひゃい…しゃへれひゃい(痛い…喋れない)」
「辛い時に一緒にいてくれるのが親友でしょ!!!」
日吉は相手の顔から両手を離すと、今度は片手だけを振り上げた。バチン!と、派手な音が部屋の中に響き渡る。
奈緒と和歌と紫陽里は部屋の隅で息を殺し、瑞稀は自分の机の下へと身を隠す。規律秩序委員会の面々はあっという間に空気と化した。
「これでおあいこ」と日吉。熱田は真っ赤になった自分の右頬を、泣きながら手で抑えている。
「聞きたいことは山ほどあるけど、今はそれで勘弁したげる」
「でも…でも…私…。でも…でも…」
「私の言うことが信じらんないの?」
「だって…私…。まーに…ほんとに酷いこと…」
「うるさい!!!」日吉は怒鳴りながら、泣きじゃくる熱田を抱き締める。
「じゃあ罰としてみゆには私の配信を手伝ってもらう! 2人でバーチャル配信者界の天下を取るまで、絶対に許さないから! あと、2度と私から離れようなんて考えないで。分かった? 返事は!?」
◇
「なんやったんや、今の…」日吉と熱田が仲良く手を繋いで帰った後、奈緒は言った。「アレで解決出来たん?」
「赤間っちって、マジで情緒ってものが分かんないんすねー」と瑞稀。
「うっさい!」
「そうやってすぐ誤魔化すのも悪い癖っす」
「り、理解出来るか。あんなベタベタするん…」
「赤間さんは、ああいうのは苦手?」と和歌。
「ああいうのって?」
「ハグとか」
「苦手やな」
「じゃあ、手を繋ぐとかは?」
「それぐらいはええやろ。知らんけど」
「ふーん」少し間があって。「…そうなんだ」
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