第10話 よき学(以下略)

 『よき学園生活を作るのが我らの務め』


 生徒会室の壁には、そんな標語が額縁に入れて飾られていた。一体いつからそこに飾られているのか、それは誰にも分からなかった。


 ある生徒は建校当初からあったと言い、ある生徒はかつて生徒会が理事会を相手に、学生による自治権拡大を認めさせた際に記念に置いたのだと言う。


 別の生徒は少なくとも自分の親がダサい服を着て、ダサい音楽を聴き、ダサい踊りを踊っていた頃にはあったと考え、また別の生徒は少なくとも、昨日にはあったと確信している。


 またとある生徒によると、実は猫は地球外生命体であり、その可愛いさを持って人間を籠絡して、この世界を支配しようと目論んでいるらしい。


 ともあれ決して短くはない時間を経て、その標語は生徒会役員達の血肉となっていった。


 夾竹桃学園に通う生徒達にとって、生徒会は正義と権威の象徴であった。


 役員は皆成績優秀、品行方正で、決して不義を行わず、真面目で勤勉、物腰は丁寧で、廊下は走らない…のが望ましいとされた


 生徒達は敬意を込めて、そんな彼女達を『学園の守護者』『無敵艦隊』『体制』『地獄耳』『普段なにやってるの?』『誰?』『ぺっ』と呼んだ。


    ◇


 ある日の放課後、生徒会室の会議用スペースにて。


 先程まで激しく咳き込んでいた少女は何度か喉を鳴らすと、最後に大きく深呼吸をした。


「大丈夫?」少女の右隣に座っていた、首の長い生徒が心配そうに尋ねる。


「ぜんぜん平気。甘利さん、ごめんね。続きを」

「はい」


 甘利と呼ばれた少女は、再び手元のメモに視線を落とした。彼女は小柄で線が細いので、襟元のリボンは他人より一際大きく見えた。


「会長の提案通り、佐々先輩の処分は3日間の自宅謹慎としました。反省文も提出済です。アレを反省と言うのであれば、ですけど」

「読んだ読んだ。あれは反省文というより、ただの詩だよねぇ」


「追加の処分を検討しますか?」

「私はいらないと思うなぁ。3日でも重いよ。生徒会の役割は、生徒の自由を邪魔することじゃないし」


「はあ」


 甘利は視線を横に滑らせた。その視線の先、副生徒会長は腕を組み、どこか一点を見つめている。


「甘利さん、不満なの?」

「いえ。会長の決めたことですので…」


 生徒会長は僅かに口角を上げると、叱られた小さな子供のように口を尖らせている甘利を見つめた。


「甘利さんと薬師寺さんの報告書はちゃんと読んだよ。事件が起こったのは放課後で、場所は校門前のギリ敷地外。犯行時間は10分ちょっと。罪状は許可なしの音楽活動と、近隣への騒音。そしての、学生に相応しくない言動。全部ひっくるめて、処分は3日間の謹慎! 加えて反省文と、近隣に住む方々への謝罪。あいつは成績も内申点も凄く良いし、今回が校則破りの初犯だから、私はこのぐらいで十分だと思うけどなぁ…」


「薬師寺はどう思う?」生徒会長の左隣に座っている、目つきの鋭い会長補佐が言う。


「報告書に書いた通りですよ」


 薬師寺と呼ばれた少女が答える。甘利と違い、こちらは上背があった。


「雛が…。あーいや、甘利が勝手に大声で騒ぎ立てただけです。私はキチンと、彼女に注意をしました。佐々先輩は敷地外にいるんだ、と。私達が校門に着いた時には、もう先輩はいませんでしたし」

「も、桃香…! てめぇこの野郎!」


 甘利が薬師寺の袖を掴もうとした、その時。


「問題はそこじゃない」


 その場にいた全員が、一斉に声の主の方を見た。


 副生徒会長は組んでいた腕を解くと、机に身を乗り出す。


「佐々先輩の話はもう終わったこと。最も重大な問題は甘利と薬師寺、そして先生方が校門に行くことを妨害した連中がいる、という事です」


 ゴホゴホと生徒会長がまた咳き込んだ。右隣に座っていた会長補佐が、咳き込む少女の背中を優しく


「ごめんごめん。祝園いわいそのさん。続きを」


「はい。報告書には、甘利と薬師寺が正面玄関に到着した時、ある生徒と一悶着があったことも書かれていた筈です。1年D組の、赤間奈緒です」

「ああ、『赤鬼』さん」


「そうです。赤間は甘利と薬師寺達の前に立ちはだかると、図書室への行き方を教えるよう執拗に迫った。甘利によれば、こちらが懇切丁寧に事情を説明しても相手は聞き入れず、最後には脅迫まがいのことまでして、頑なに道を開けなかったそうです」

「あれま。それは怖いねぇ」


(懇切丁寧。こいつが…?)


 祝園の話に満足気に頷く甘利を横目に、薬師寺は眉を顰めた。


「もう1つ。先生方が遅れたのは、脇玄関周辺の人だかりが余りに酷かったからです。調べた所、原因は2年H組の松永紫陽里先輩。人だかりは、先輩を見るために集まった生徒らによって出来たものでした」

「そうそう、松永って人気なんだ」


「最後に、重大な目撃情報がありました。正面玄関近くの建物の陰に、1年L組の籾木がいたとのことです」


 途端、生徒会長の口角がさらに上がった。


「祝園さん、まさかぁ…」

「その、まさかです。この事件には、規律秩序委員会が関与している可能性が非常に高い」


「ただの偶然でしょ?」生徒会長の右隣、首の長い会長補佐が言う。


「違います。奴らは偶然を装い、佐々に協力したのです。おそらく佐々の凶行は突発的なものではなく、規律秩序委員会との綿密な協力の元、行われたものでしょう」


「何か証拠が?」今度は生徒会長の左隣、目つきの鋭い会長補佐。


「あります。まずは松永先輩について。当時刻に校門当番であった南先生の代わりに、先輩は校門に立っています。松永先輩は南先生に『シドニー先生が呼んでいる』と告げて、代わりに自分が校門に残ることを提案したそうです。ですが南先生が行ってみると、シドニー先生は自分を呼んではおらず、ただお茶を飲んで世間話をしただけだったそうです」


「南先生はこの前、ハンバーガーを食べる時に口を火傷しちゃったんだってさ。今でもまだ痛いって」と生徒会長。

 

「そうですか。次に、松永先輩に群がった学生達の件。報告によると、犯行時刻に部室棟付近にて、『みんな、聞いて! 松永先輩が校門に立ってんだって! きゃー、ヤバすぎー! ヤバ越えてサンバ!』と言う声が突如聞こえたそうです。結果、校門に殺到した運動部の生徒達を、松永先輩は脇玄関前に移動させました。極めて重要な証言もあります。部室棟付近で起こった謎の声は、籾木の声に非常に似ていたそうです」


「んな無茶な」呆れたように、薬師寺が言う。


「松永先輩は兎も角として、籾木に関してはただの言いがかりじゃん。玄関付近に立ってたとか、似た声がしたとかさ。それに、赤間のことはどう説明すんの? まだ転校したてだし、迷うこともあるでしょ。確かに、口は悪いけどさ」

「いや、あれも確信犯に違いない」


「しょーこは?」

「あの髪に、あの瞳に、あの眼に、あの着こなしに、あの口ぶり。あいつは確実に不良です。単独でもやりそうですが、ゴロツキ集団の規律秩序委員会のこと。きっとあいつに命令したに違いない」


「偏見が過ぎんでしょ…」


「いや、祝園の言う通りだ!」椅子から立ち上がった甘利が言う。


「会長! 奴は、赤間はあだ名通りの人間です。いや、人間ですらない。正しく『赤鬼』です。口を開けば、やつは罪のない人間を傷つけるのです。やつは危険なんです。大体、自分が履いているパンツの柄を公言するような奴に、碌な奴がいる筈がない。やつも、やつを飼っている規律秩序委員会の連中も、この学校を破壊しようと目論むテロ集団なんだ!」


 薬師寺は椅子に深く腰掛けると下唇を前に出し、溜息で前髪を揺らした。


「ンフフ」と、生徒会長は笑った。


「笑い事ではありません、会長」


 副生徒会長は瞬きもせずに、生徒会長を見据えて言った。


「甘利の言う通り、あいつらは危険分子です。理事長権限を後ろ盾に学校を混乱の渦に落とし、生徒会を攻撃し、最終的には自分達が支配者になろうとしているのです」


「そうだ!」と甘利。


「このまま、野放しにしてはいけません。生徒達の安全と学校の秩序のために、我々生徒会が戦わなければならない」


「その通り!」甘利は副生徒会長に拍手を送る。


「速やかに行動を起こさねばなりません。今この瞬間、あいつらは学校を破壊するための恐るべき計画を練っているに違いないんです」


   ◇


「だそうっすよ」


 規律秩序委員会室にて、モニターを見ながら瑞稀が言った。


「心外ね。これだから生徒会は」


「はあ」とあからさまに和歌は溜息を吐く。


「お、お、お前らなにやっとんねん」


 遅れてやって来た奈緒が、真っ青な顔で言う。


「なにって、生徒会の会議を聴講してるのよ」

「アホか! お前ら、生徒会の部屋にまでカメラ置いてんのか!」


「マイクもね」

「ちょっとは悪びれろ!」


 奈緒は両手で顔を覆うと、鎖に繋がれた犬のように、その場をぐるぐると歩き回った。


(終わった、終わった…)奈緒は考える。


 このとこが警察にバレたら? 進学も就職もパーだ。いや、それだけで済むものか。


 きっと逮捕だ。なんやかんやの賠償金は? 顔も、学校の成績も、趣味も、好きな俳優も、下着の色まで晒される。


 親も仕事を辞めなければならないだろう。赤間家は、終わりだ。


 (いや。この委員会に入った段階で、ウチの人生は詰んでいた…)


「大丈夫よ」和歌が言う。


「絶対にバレないし、外には漏らさない。ネット上に漏れても瑞稀が全て情報を消してくれるし、紫陽里のお爺様に頼めば、出来事そのものを揉み消しくれる。とにかく、この学校の学生と職員のプライバシーは何があっても守るから」

「こっっっわ…」


「でも和歌、どうするの?」項垂れる奈緒を横に、紫陽里が言う。


「佐々さんの件、私は全く後悔していないし、むしろ誇らしい。でも生徒会に目をつけられたのも確か。これからの活動に支障が出でるのでは?」

「大丈夫よ。いずれこうなることは分かってたもの。副生徒会長のカバは鬱陶しいけど、会長の方はマトモだから。あの人が元気な限り、大きくは出ない筈」


「でも、由水よしみずはもう7日も連続で学校に来てる。そろそろ反動が来るよ」


「なんなん? 反動って?」少しは元気になった奈緒が間に入る。


「生徒会長の由水は虚弱体質なんだ。成績も良いし、人望もあるけど、とにかく体が弱い。比率で言えば、3日学校に来れば、2日休む感じ。だからそろそろ危ない」

「この学校、変な奴しかおらんのか…?」


「今は暖かいからマシだけれど、寒くなればなるほど、登校頻度が落ちてくる。体育祭と文化祭が過ぎれば、半年に一度の委員会総会がある。その時に由水がいなければ、権限を持つのは副生徒会長。そうなれば…」


「大丈夫、大丈夫よ」委員長席に座った、和歌が言う。


「先のことを心配しても仕方がない。私たちの仕事は、困っている生徒の側にいてあげること。考えるべきはまだ見ぬ生徒達の事であって、自分達のことじゃない。でしょ?」


「そうだね」紫陽里が頷き、瑞稀も「すっすね」と相槌を打つ。


(生徒会が勝てば)奈緒は1人部屋の隅に立ちながら思った。


(ウチはこのあたおか連中から逃げれるんちゃうか…?)


 


 

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