第7話 お泊まり会(後編)
3時間に及ぶ講習会によって、レクリエーションの大半は終わった。
部室棟でシャワーを浴び、食事を済ませて規律秩序委員会室に戻る頃には、奈緒はへとへとだった。
「あー、しんど」
布団の上で大の字になりながら、奈緒は言った。
「もうウチは寝るで」
「ダメ。起きて」奈緒を見下ろしながら、和歌が言う。
奈緒と紫陽里が学校指定のジャージを寝巻き代わりにしているのに対し、少女はワンピース型のパジャマを着ていた。
「これから皆で映画を観るの。チームフィロソフィーを高めるためにね。あなたも来なさい」
「勝手に見てろや。ウチはしんどいねん」
「あなたのお父お母──」
◇
「何観るっすか?」
応接テーブルに置かれたノートパソコンを操作しながら、瑞稀が言う。
「『凶王ハインリッヒ』を観ましょう」と和歌。
「素晴らしい映画なの。実在した王様の話で、主人公は精神的に不安定な青年。でもとても美しい感性を持っていて、芸術家に頼んで、素晴らしいお城を作ってもらうの。ある日、そのお城に、とっても綺麗なお姫様がやって来て──」
「モミモミ、そんな高尚な映画嫌っす。5分で眠くなっちゃう」
「瑞稀、あなたも観れば分かるから。いい? そのお姫様はもうすぐ他の国に嫁──」
「赤間っちは何かあるっすか?」
「ウチ? 何でもええけど、こういう時はホラーやない?」
「ほ、ほらー?」綺麗な形をした和歌の眉が、微かに動く。
「モミモミはホラーが嫌いなんすよ」
「そうなん? ほな、ホラーで決まりやん」
「じゃあ、瑞稀が選んでもいっすか?」
「ええよええよ。好きなんにしな」
「だったら、ソンビかなあ」
「ええやん! 久しぶりに観たいわ」
「ぞ、ぞんび…」
映画を選ぶ2人の背中で、和歌は唾を飲み込んだ。紫陽里は、ただ微笑んでいるだけ。
「これがいい!」
瑞稀が映画の再生ボタンをクリックしようとした、その時だった。パソコン画面に、何かの通知が入った。それを見て、瑞稀は手を止めた。
「どしたん?」奈緒が尋ねる。
「ちょっとヤバめかもっす」
そう言って瑞稀は立ち上がると、自分の机に戻り、デスクトップのパソコンを開いた。
「あー、やっぱ」
「何か異常?」と和歌。
「ぽいっす。場所は第二体育館。暗いっすけど、人影が映ってます。今映像の明度を上げてっす」
「紫陽里は直ぐに警備の方を呼びに行って。瑞稀、風貌はどんな感じ?」
和歌もモニターを覗き込む。
「よく見えないんすよね。下はスカートだと思うっすけど」
「確かにそう見える。うちの生徒ね。もしかして、屋上事件の犯人?」
「どうだろう。顔が不鮮明で、誰かはまだ分かんないっすね。髪は長くなさそうっすけどね」
「瑞稀はここで監視を続けててちょうだい。赤間さん、私達で体育館に行きましょう」
「ええんか? ヤバい奴やったらどうするん?」
「大丈夫。これがあるから」
和歌は部屋にあるロッカーから、長い棒を取り出した。
「なんやそれ。物干し竿?」
「違うわ」
和歌が棒の柄についてあるボタンを押すと、棒の先がバチバチと音を立てた。
「槍状のスタンガン」
「こっわ…」
◇
体育館の扉が開くと、すぐさま奈緒が槍の切先を中へと差し込んだ。
「ずるいわ。それ、私のなのに」
「うっさい。危ないからお前は引っ込んでろ!」
「いや、それはおじさんが持つよ。危ないから、2人は僕の後ろにいてね?」
困ったように、鍵を開けた警備員のおじさんが奈緒から槍を譲り受ける。照明を付けてみても、中には誰もいなかった。
「ええと、誰もいないな」
「いるって、おっちゃん。絶対に」
「どうして分かるの?」
「え、ええと…」
「物音を聞いたからです。あれは人の足音でした。多分、生徒です」と和歌。
「きっと、倉庫に隠れているんだと思います。赤間さん、お願い」
奈緒は頷くと、前に歩み出る。そして息を吸い込み、叫んだ。
「出てこい、お前は包囲されとる! お前の両親は、お前が夜中に学校に忍び込む不良になったゆうて、泣いとる! 母ちゃんと父ちゃんを悲しませたくなければ、はよ出てこい! じゃなきゃ、こっちから突っ込む。このおっちゃんがな!」
「え、ええ…?」
警備員のおじさんは抗弁するように、勝ち気な少女の顔を見遣る。
奈緒がおじさんの背中を押し、無理矢理にでも倉庫へ突撃させようとしていた時、体育館倉庫の扉が内側から開いた。
1人の少女が中から顔を出すと、両手を胸の前で控えめに上げ、とぼとぼと3人に向かって歩いて来た。
「降伏します。だから、撃たないで」
「お見事ね、赤間さん」
和歌は眼を細めると、小さく拍手をした。
(なんだこれ…?)
警備員のおじさんは少女達を見回し、思った。
◇
「2年I組の、上月先輩ですね」
委員会室の中、応接ソファに座った少女は、和歌の質問に頷いた。
「どうして、あんな所にいたんですか?」
「言ったら多分、笑われるから…」
「笑わない、約束します。だから教えて下さい。言える範囲でいいので」
「家出」
「家出? 学校に?」
「普通なら、友達の家とか、ファミレスとか、ネカフェでしょ? でも、誰も学校にいるなんて思わないじゃん」
「そうでしょうか。いや、そうですね。でも、どうして? 理由は何ですか?」
「笑われる…」
そう言って、上月は俯いた。和歌はしゃがみ込むと、下から相手の顔を覗き込む。
「笑いません。この場にいる誰も」
少女は和歌の顔を見るとすぐに眼を逸らし、ため息を吐いた。
「バカだって分かってる。だって、自分なんかより酷い思いをしている人間は沢山いるから。2年の今頃って、そろそろ修学旅行でしょ? 行き先が海外だから、お金とか書類とか準備するものが沢山あって、それをまとめたプリントを今日先生からもらってさ、それをお母さんに渡したんだ。そしたらお母さん、ため息吐いて、『この忙しい時に』って言うんだもん。それで何というか、面倒くさいというか、疲れたっていうか…」
「寂しい?」和歌が言う。
「分かんない。私、頭悪いから何も分かんないんだ。馬鹿だから、こんなことしたんだ思う。笑いたいなら、笑っていいよ」
「笑いません。約束したし、それに笑い事じゃないし」
「全部私が悪いんだ。うち、共働きでさ。父さんは忙しいし、母さんも働きながら家事とかしてくれてるの。2人とも、最近は余計に忙しくなって、私のことなんか構ってらんないんだ。2人とも頑張って働いてんのにさ、あたしだけ浮かれてたら、そりゃあ母さん腹立つよね」
和歌は黙って、相手の言うことを聞いていた。
「でも悪いって思いつつも、やっぱり辛くてさ。もういいやって思って。怒られるよね、学校にも、親にも。校則違反だもん。もう自分なんていない方がいいんだって飛び出しちゃったけど、これで本当に愛想尽かされちゃうかも。どうしようね…」
「ご両親から、連絡はないんですか?」
「来てるよ、いっぱい。スマホの画面に通知が重なり過ぎてて、全部は見てないけど。怖くて1つも開けてないんだ。途中で電源も切っちゃったし」
「1つでも、開けてみたらどうですか?」
「絶対怒ってるもん。正直に言っちゃうけど、多分今そんな文章見たら、2度と立ち直れないと思う」
「大丈夫。何があっても、規律秩序委員会が先輩の味方をします。居場所が無くなったら、隣の部屋で寝起きして下さい。1週間でも、1ヶ月でも、半年でも」
「いいの?」
「はい。その代わり、委員会活動を手伝って下さいね」
弱々しく、上月は笑った。
そして立ち上がると「ごめん、隣の部屋借りるね。メール見てくる」と言って、布団が並べられている部屋に入っていた。
約10分後、上月は戻ってきた。両眼を真っ赤に腫らしながら。
「ごめん、迷惑かけちゃって。私、帰るから」
紫陽里がティッシュの箱を持って来て、上月は涙を拭いた。
「ありがと。ごめんね…」
「大丈夫でしたか?」と和歌。
「うん。母さんなんか10回も電話してきてんの。すんごく震えた声で、『あんたがいないと、私の人生は真っ暗』だってさ。大袈裟だよね」
「それは良かった」
「ごめんね。委員会活動は手伝えないや」
「一向に構いません」
「それで、今日のことなんだけど…」
「私達は何も見ていません。警備の方もです。今日、先輩はここにはいませんでした。お気をつけて」
「ありがとう、本当に。規律秩序委員会って、こんなに良い人達だったんだ」
◇
「やるやん」
一仕事終わった後に、奈緒は和歌に言った。
「当然よ。これが規律秩序委員会の仕事なんだから」和歌は答える。
「あの人が、屋上事件の犯人やないん?」
「分からないわ。でも、上月先輩じゃないと思う。確証はないけれど」
「ふうん。てか、ええんか? こんな遅い時間に1人帰して」
「大丈夫」紫陽里が代わりに答える。
「お爺様に頼んで、家まで車を出してもらったから」
「そこまでされると、逆にドン引きやな…」
「いいんすよ、それぐらいで。夜はお化けが出るっすからね」と瑞稀。
「瑞稀、良い? この世にお化けなんてものは存在しないの。分かった?」と和歌。
「あっ、思い出した!」今度は奈緒。
「今度こそゾンビ映画や!」
「そうっすよ、赤間っち!」
「ああ…」
と和歌が絶望に身を震わせたかと思えば、紫陽里は微笑むだけ。
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