第3話 ようこそ委員会へ(前編)

 転校2日目。奈緒は相変わらず周囲から奇異の眼で見られてはいたが、遠巻きに陰口を叩かれるだけで、面と向かって何かされることは無かった。


 友達がいないだけで授業を受けること自体に実害はないと、少女はいくらか自信を取り戻した。そして放課後、奈緒は逃げも隠れもせずにあのサイコ女が待つ規律秩序委員会室へ向かおうとした。


 そして1分もしない内に道に迷った。


(なんやねんこの学校、まるで迷路や…)奈緒は思う。


 黄夾竹桃学園(在学生達は親しみを込めて『ちくもも』『おうちく』『モモンガ』『恐慌』『刑務所』と呼ぶ)はまるで1つの小さな街のようだった。


 学園は円形の中央玄関を中心にして、上から見れば3枚刃のプロペラのようにそこから縦長に広がった3つの棟を中心に構成されている。棟は全て3階建てであり、学年毎に分けられていた。


 そのプロペラ棟を惑星として、衛星のようにその他大勢の建物が控えている。部室棟に委員会棟、体育館(第1〜4まで)、武道館(第1〜3まで)、グラウンド、各種運動部用の専用コート、カフェテリア、宿泊施設、ジム、図書館、屋内プール、自習室、その他4、5の利用用途の分からない施設。もううんざりだ。


 それぞれの建物と部屋の名前は全て英数字で表されていて、そういった物に疎い奈緒の脳味噌はアッという間にショートした。


 呆然と立ち尽くす奈緒を見てある人は顔を背けながら小走りに横を通り過ぎ、ある人は慌てて来た道を引き返した。職員室に行って助けを求めたくてもどこにあるのか分からない。そもそも、自分が今いる場所すら分からない。


(おわった…)奈緒は思う。


(ウチは一生ここから出られへん。食堂の残飯を漁って体育館倉庫で夜を明かす。そうして隠れながら、時々はイキった都会のお嬢様方から持ち物を奪って暮らす。そんな生活を死ぬまで続けなあかん…)


 諦めかけたその時、見覚えのある後ろ姿が奈緒の視界に入った。教室で自分の席に座っている時、顔を上げれば目の前にいる背中だった。


「あ、ちょっと!」


 奈緒が声をかけるとその背中はびくんと跳ねた。相手はゆっくりと時間をかけて後ろを振り返ると、奈緒の顔を見て「ひぃっ…!」という小さな悲鳴を上げた。


「吉野さん、だよね? ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」


 相手の身体が震えていることに気づき、奈緒はそれ以上近づくのをやめた。吉野の前髪は目元までをすっかり隠していて、殆ど表情は見えない。それでも分かる少女の怖がり様に、流石の奈緒も躊躇した。


「いや、えと、ごめん。なんでもない」

「…な、なんですか?」


「規律ちちじゅ…ちちぇ…とにかく、キモい名前した委員会室への行き方を教えて欲しかったんだけど」


 吉野は震える片腕を上げ、廊下の一方を指差して言った。


「き、規律秩序委員会室だったら、あそこの階段を1階分登って下さい。そこから左に曲がって奥まで歩くと、右手にC棟に繋がってる渡り廊下があります。そこの途中にある階段を降りて下さい。そしたら右手に2つの建物が見えてきます。向かって左にあるのが部室棟で、右にあるのが委員会棟です。す、すみません。規律秩序委員会室が委員会棟の何階にあるかまでは分からなくて…」


 吉野は顔を伏せたまま相手の返答を待った。だが奈緒が黙っていたので、恐る恐る顔を上げる。相手は左右の両眼をそれぞれ別の焦点に当てたまま、動かなくなっていた。


「あの…」吉野は震える声で言った。「い、一緒に行きましょうか?」


 規律秩序委員会室の前に着いた時、奈緒は朗らかな声で付き添い人に言った。


「ありがとう! 自分1人だったら絶対ここまで来れなかったよ。クソみたいに広いよね、この学校」

「じ、じゃあ、私はこれで…」


「ごめんね、時間使わせちゃって。今度なにか奢るから」

「そ、そんな! いいです、そんなこと」


「遠慮しないでよ。じゃないと私の気が済まないから!」そう言って奈緒は相手に笑いかける。


 吉野は呆けたようにその笑みをジッと見た後、何も言わずに後ろを向いて足早に去って行った。


     ◇


「どうぞ」その短い返答が済むよりも早く、奈緒は乱暴に扉を開いた。


「来たぞ! 覚悟せえや、サイコ女!!!」


 大股に大声で室内へと入ってきた奈緒の前に、紫陽里が立ちはだかる。


「こんにちは、赤間さん」


「どけやデカ女!」奈緒は鞄からハエたたきを取り出すと、片手に構える。

「すごい!」紫陽里の背後にある委員長席に座っていた和歌が、眼を輝かせながら言った。


「考えたものね、それなら丁度いい痛さだわ」

「やかましい! デコでも、脇でも、手の甲でも、尻でも、お前の好きなとこにアザ作ったらい!!!」


「ウフフ」和歌は小さく笑った後で言った。「かかったわね」


 紫陽里が口笛を吹いた途端、奈緒は突然何者かに羽交い締めにされて身動きが取れなくなった。


「離せボケェ! 今度は誰や!!!」


「書記のとまりだよ」紫陽里はそう言って応接ソファの背後から竹刀を取り出す。


「細かい自己紹介はまた後でね」

「アホ抜かせ、お前ら全員叩き潰したる!」


「ダメだよ赤間さん。その凶器を今すぐ捨ててくれないと」

「どこが凶器やねん! お前の持ってる方がよっぽど危ないやろが!」


「そんなことない」

「そんなことある!」


「そんなことない」

「そんなことしかないやろが!!!」


「落ち着いて、赤間さん」


 和歌はそう言いながら立ち上がると、暴れる奈緒へと近づいていく。ここぞとばかりに和歌の顔めがけて奈緒がハエたたきを振ると、微かに相手の前髪が風で揺れた。


「そんな事しちゃダメ」

「一発でもコレでお前の顔を叩けたらウチはそれで本望や」


「ダメ。そんな事をしたら赤間さんが学校に居られなくなる」

「はん、そんな脅しが効くかい」


「赤間さんのお父さんも職場に居られなくなる」


「は?」奈緒の動きが止まる。


「赤間さんのお父さん、赤間忠明さん」

「なんでオトンの名前なんか知ってんねん!?」


「『赤間忠明を解雇するように』なんて台詞を私に言わせないで」

「な、何言うてんねん。お前如きになにが──」


 奈緒はそこでクラス担任の言葉を思い出した。規律秩序委員会の委員長は理事長の孫…。もしもオトンの会社が、この巨大な学園を運営するだけの財力ある者の傘下にあったら? 


(や、やったらこのサイコ女の言うてることは嘘じゃない…)


「それとあなたのお母さん、赤間涼さん。こっちに越してからバレークラブに入ったんですってね」

「お前、まさかオカンまで…!」


「そのバレークラブが体育館を使えなくなったらどうなるかしら?」

「知るか、別に構わへんやろ!」


「日頃家事に追われるお母さんの楽しみを奪っても良いの? 赤間さん」と紫陽里。


「もっとオトンの心配もしてやれ!!!」


「さあ武器を降ろして、赤間さん。私はただあなたと話がしたいの」と和歌。


「黙れこの腐れ外道が! もうええ、殺すなら殺せ! 赤間家は一心同体や。ウチらの家族が負けても、第二第三の赤間家が必ずお前らとこの学校を滅ぼす!!!」

「漫画とアニメの見過ぎよ」


「う、うっさい!」

「赤間さん。あなたはどういう風にこの学校を滅ぼす気なの?」


「決まっとる! 校内に潜んで残飯を喰らいながらゲリラ戦をするんや。それで悪い奴らを、要するにここにおる全員をハエたたきで懲らしめる!」


 和歌は片方の眉だけを器用に吊り上げ、紫陽里と顔を見合わせる。


「だったら私達は味方よ」

「…は?」


「私達は校内を見回して、困っている子がいたら助けてるの。相談を聞いて解決策を考える。出来るだけ穏便に、ね。もし無理なら、悩みの根元を力で叩き潰す」

「こっわ…」


「私があなたを呼んだ理由はそれ。反省文と先生への報告を無しにし、お父様の仕事とお母様のバレークラブの練習場所を保証する代わり、あなたには私達の委員会に入ってもらう」

「交換条件がデカすぎるやろ!」


「けど悪くない話だよ」と紫陽里。


「この学校では生徒は必ず各クラス内の係か委員会に所属しなきゃいけない。浮いている赤間さんが入れる委員会はここぐらいだよ。真面目に活動すれば内申点も増えるし」

「ウチが浮いてるんは九割九分お前らのせいやろがい!」


「その通り。だからこれは私達の贖罪でもある。少なくともこの委員会の面々は赤間さんの味方だから。委員会活動をしていれば周囲の偏見の眼も無くなって、少しずつ友達も増えていくよ」

「味方なんやったら今すぐウチを自由にせえ!」


「だってハエたたきを持ってるんだもの」と和歌。「怖いわ、それ」


「もっと怖がれ、ダボ!」

「ねえ赤間さん、お願い。あなたのその強気って本当に魅了的だわ。どうか私達の委員会に入って」


「な、なんやねん。急に…」

「本当よ、嘘じゃないから。あなたは得難い逸材。だから絶対入って。入るというまで家には返さないから」


(こいつ『ホンモノ』や。『ホンモノ』のサイコパスや…)奈緒は目前の怪物を眺めた。よく見ると色艶の良い髪をしている。いや、外見に騙されるな。


「無理やな」奈緒は言う。


「こんな状態では絶対無理や。ウチをそこまでして委員会に入れたいんやったら、まずは誠意を見せろ。拘束を解いて一対一で向き合っても、おんなじ事が言えるか?」


「良いわ」和歌は即答する。「瑞稀、赤間さんを離してあげて。紫陽里も何もしないでね」


 ようやく解放された奈緒は腕を回し、服を整え、不機嫌そうな顔で部屋を見回す。


「赤間さん、私達の委員会に入って」


 奈緒は素早く片腕を振り上げると、和歌の頬に向かってハエたたきを打ち下ろそうとする。だが得物は直前で止まり、またもや相手の前髪を微かに揺らしただけで終わった。


 和歌は身動き一つ取らず、その場に立っていた。


「はあ…」奈緒は大きなため息を吐くと、ハエたたきを鞄の中に仕舞った。「けっ、おもんな」

「決まりね!」和歌は眼を細め、形の整った白い歯列を見せる。


「何て卑怯な奴ら。人生最悪の日や…」

「赤間さん、大丈夫。私があなたの友達になってあげるから。寂しいのは今日でおしまい」


「やかましい。理事長の孫なんかと友達になれるかい!」

「私、そんな大層な身分じゃないわ」


「は? でも担任が…」

「担任? 赤間さんのクラス担任って誰?」


「世界史の二階堂先生やけど」

「ああ、二階堂先生! あの人は歴史上の死んだ人間なら詳しいけど、生きている人のことは適当なのよ」


「うん。理事長の孫といえば私だからね」と紫陽里。

「そっちが孫なんかい!!!」と奈緒。

 






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