第2話 鬼みたいな転校生(後編)
奈緒がなんとか職員室に辿り着いたちょうどその時、担任の教師が部屋から出てきた。
「すいません! その、規律なんちゃらっていう変な名前の奴らに捕まっちゃって、それで遅れました!」少女は慌てて弁明をする。
「規律? えっ、あっ…もしかして理事長のお孫さんが委員長の…」
気の弱そうな若い男性教員の言葉に、背後の職員室に残っていた全ての職員が振り向いた。
(り、理事長の孫? 嘘やろ…)
奈緒の髪と眼が地の色であることは既に連絡済みだった。だが校風に似合わぬラフな制服の着こなしと自我の強そうな目付きのためか、職員達はヒソヒソと何かを話し合った。
担任は慌てて扉を閉めると、放心状態の奈緒について来るよう促した。だが行った先の教室でも、職員室での反応と大差はなかった。奈緒の自己紹介が済んだ途端に、クラスメイト達は小声で呟き始める。
「登校する時に睨んできたのってあの子?」
「そうだよ、間違いない」
「例の委員会に絡まれてたよね」
「まさかおんなじクラスなんて…」
「転校初日から遅刻ってヤバくない?」
「髪も染めてるよね?」
「あの子、鬼みたいな喋り方してた」
「鬼って縞柄のパンツを履いた、あの?」
「えっ、縞柄?」
「じゃあ、あの子のも?」
「間違いないよ」
「嘘、あの顔で?」
「これからよろしくお願いします!!!」奈緒が怒鳴ると教室は水を打ったように静まった。担任まで隣で必死に震えを隠している。
(おわったな…)教室の一番後ろ、右隅の席に座りながら奈緒は思った。
奈緒が一言「よろしく」と声をかけると、後ろの席は引き攣った笑いを浮かべ、隣の席は視線を逸らし、前の席は振り返りもせずにガタガタと震えながら小声で「はぃ…」と返事をしてきた。
なんという不条理。誰かを脅すためにこんな風貌をしてる訳じゃない。自然とそうなっただけなのに。喋り方だって誰かを攻撃するためじゃない。故郷では皆この喋り方で笑い、悲しみ、生きていたのだ。
放課後、奈緒は生まれて初めて1人で家まで帰った。帰り道で誰とも喋らないのも初めてだった。故郷では帰る時はいつも誰かが一緒だったし、老若男女を問わず、顔見知りは必ず声をかけてくれた。
少女にとってこの街は余りにも寒かった。陽はまだまだ長いし、蝉はミンミン鳴いている。でも心を暖めてくれるものが何もない。
(こんな硬くて寒いコンクリだらけの街で、人間はどうやって暮らしていけるんや…?)
◇
「おかえり。魔物の巣窟はどうやった?」帰宅した愛娘に、母親はいつもと同じように声をかける。
「まあまあ」
「友達出来た?」
「うーん」制服のボタンを外す手を一瞬止めて、少女は考える。「…まあまあ」
「なんや、曖昧やな」
「初日やもん。一言二言話すだけで友達とはまだ言えへんやろ」
「でもあんたぐらいの歳やったら、ホイホイ連絡先とか交換するんちゃうん?」
「偏見やわ。普段はアホな男に気をつけ言う癖に」
「別にええやん、女同士やし」
(連絡先)そう思いながら奈緒は眼を見開いた。(あるにはある…)
少女は制服の胸ポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出すと、書かれているものを凝視する。そこには綺麗な字でメッセージアプリのIDが並んでいた。別れ際にこの紙切れを渡しながら、あのサイコ女は言ったのだ。
「規律秩序委員会は全ての悩める生徒の味方よ。何かあったらいつでも連絡して。絶対よ、待ってるから」
(きっしょ…)
少女は自分自身に冷静になるよう言い聞かせる。今日の失態は自分のせいかもしれない。もっと気をつけていれば、そもそもあんな馬鹿2人にしてやられることはなかったのだ。
(心を落ち着かせな)と奈緒は敢えていつも通りのルーティンをこなす。
食事を済ませ、風呂に入り、髪を乾かし、肌を保湿し、スマホを片手に母と駄弁り、仕事から帰宅した父をからかい、自室に戻って明日の準備をする。
「ふう」ベッドの上に胡座をかいて奈緒は一息つく。
まるで悟りを開いた者のように、少女の心は平穏の海に身を浸していた。人を憎んでも仕方がない。今日はさっさと寝て、また明日から全てを新しく始めよう。明日は明日の風が吹く…。
と、いけばいいのだが。
「クソが!!!」
奈緒は枕元のスマホを手に取り、紙に書かれていたIDを打ち込んだ。1分もしない間にメールに返信が来ると、少女は即座にそのIDに電話をかける。
「はよ出やんかい、カス女!」
1コール半後。
「こんばんは。素敵な夜ね」
「うるせい」
「どなた?」
「朝会った女」
「待って、当てさせて」
「赤間だよ。あ・か・ま」
「マンゴープリン。あっ、『ん』がついたから私の負けね」
「舐めとんちゃうぞ!!!」
「ああ、赤間さん! その話し方じゃないと分からないわ」
「お前のクソ寒ボケはいらん。そんなことよりどないしてくれんねん。お前のせいで、こっちは最悪の1日やったんやぞ」
「そうなの?」
「そうや!!! お前マジでなんやねん。初対面で難癖付けよって、なんかウチに恨みでもあるんか? ウチはお前みたいなヤツ知らんぞ。何様や、校則違反でも何でもないのにぐだぐだ抜かしよって」
「ええと…今のは外国語?」
「どつき回すぞカス女!!!」
「ちゃんと最初に言ったわ。私たちは、生徒が楽しく自由に暮らせるように活動をしてるって」
「だったらなんでウチの格好にケチ付けんねん! こっちは面白おかしく暮らしとんねん。別に規律とち…ちつつを犯してる訳でもないやろ」
「秩序。ち・つ・じ・ょ」
「う、うっさい!!! どっちにしても邪魔してるんはそっちやろがい! 髪と目の色だってちゃんと学校に報告したのに、なんでとやかく言われなあかんねん。お前のせいで最悪や。先生には白眼視されるし、クラスメイトには陰口されるし、ウチが何してん! お前のやってることは最悪や、ただのイジメや。ほんまに、ウチがあんたに何したん…?」
「泣いてるの?」スマホの向こうの声が心配そうに尋ねる。
「な、泣いてへんわ。アホ!」
5秒ほど間があって、
「私が赤間さんに色々と尋ねたのは、何か悪いモノに影響を受けてそんな格好をしてるんじゃないかと思ったから。でも好きでしてるのなら、あなたの言う通り今回は私の落ち度だわ。ごめんなさい」
「ほらみろ」
「私の負け。完敗。おめでとう」
「ちょけとんちゃうぞ!!!」
「お詫びに反省文は無しで良いわ。先生への報告も今回は不問ということで」
「先生に報告て、お前ほんまに鬼畜やな…」
「それとお友達の件も大丈夫。私があなたの友達になってあげるから」
「は?」
「そういう話でしょ? 私のせいで友達が出来なかった。このままだと寂しくて死んじゃう。だから私が責任を取って、赤間さんの友達になる」
「アホ抜かせ! お前ホンマにイカれてんちゃうん?」
「詳しい話は明日、学校で。放課後になったら規律秩序委員会室まで来てちょうだい」
「誰が行くかい。卑怯者の話なんか聞く訳ないやろ。あのデカ女と一緒に日が暮れるまで部屋で待ちぼうけしとけ、カス」
「ウフフ」
「なにがおもろいねん!」
「だって、想像したらウケるわ」
「ほななサイコパス。ブロックするからお前との縁はこれで終いや」
「弱虫」
「明日覚悟しとけよ! この世の全ての愛と正義に誓って、お前の顔面を必ずぶん殴る。くたばれ!!!」
◇
通話が終わると、和歌はベッドに仰向けに横たわった。しばらくそうやって天井を眺めた後、再び電話をかける。
「もしもし、紫陽里?」
「どうしたの?」
「さっき、さっきね。奈緒ちゃんから電話がかかって来たの。今になって身体が震えてきちゃった」
「それは大変。どうだった?」
「心の準備はしてたつもりだったけど、やっぱり怖かった。月から飛び降りた時ぐらい」
「経験があるの?」
「ない。でもそれぐらいの怖さ」
「アハハ。赤間さんは和歌のことを覚えてた?」
「ううん」
「やっぱり言った方がいいんじゃ…」
「今はダメ。酷い再会だってことぐらい私にも分かってるから。予定通り、奈緒ちゃんには何も言わないで」
「分かった」
「明日、委員会室に来てくれるって」
「それは良かった」
「まだ分かんない、来てくれないかも。私…奈緒ちゃんのこと泣かしちゃった。き、嫌われたかも。そう思うと、怖くて眠れなくて」
「じゃあ今からそっちに行こうか?」
「良いの? もう真夜中よ」
「眠たくなるまで誰かと喋っていたいんでしょ? 赤間さんのこととか。今から行くね」
「もちろんよ。だって、だって10年振りだもの。この時をずっと…ずっとずっとずっと待ってた。まさか本当に私達の学校に来てくれるなんて。今度こそ、絶対に、もう2度と、何があっても私は奈緒ちゃんの側を離れないから」
「うん、頑張ろうね」
「待って紫陽里、誰かが玄関を開けた音がする。お父さんは今日は帰って来ないのに。泥棒かも。スタンガンはどこかしら…」
「和歌、それは私だからスタンガンはしまってね」
「ホントだ、紫陽里の声がする。早かったのね」
「隣に住んでるからね」
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