規律秩序委員会
二六イサカ
第1部
第1話 鬼みたいな転校生(前編)
「言葉遣いには気をつけんねんで。バカにされるからな」
慣れないローファーをようやく履き終えた奈緒は、そんな母親の声に振り返った。
「分かってるよ。上手くやる」
「なんやねんその喋り方、きっしょ」
「オカンが言葉遣いに気をつけろ言うたんやん!」
「今度親にそんなロボットみたいな口の聞き方してみ、晩飯抜きやからな。さあ、早よ行き」
引っ越して約3週間。少女はまだこの街に慣れなかった。「ここは郊外やからまだマシや」と父は言う。
確かに悪魔の象徴たるコンクリートジャングルは家からまだ遠い。それでも奈緒が生まれ育った街より緑は少なく、空は狭く、なのに人だけは虫のように沢山いた。
不機嫌な顔して歩く奈緒の右隣、柵を挟んだ向こうの線路を電車が走り抜けていく。滑らせた少女の眼に、人間でぎゅうぎゅう詰めの箱達が一瞬映った。
「はあ…」奈緒は大きく溜め息を吐く。
夏の暑さがしつこく残り、蝉がまだまだ元気よくやっている中を2駅分歩くという自分の判断が正しかった事を、少女は嫌々ながら再確認した。
(ニュースでよく見る痴漢の話はホンマなんやろか)奈緒は思う。
あれだけの人混みで本当に身体を触られるだけで済むのだろうか? 降りる時にはきっとハンカチも、制服も、鞄も、貴重品も、下着まで全部剥ぎ取られているのでは?
◇
額と脇から流れる汗が気になり始めた頃、奈緒は学校に着いた。
『
アーチを支える門柱に彫られた名前を奈緒は立ち止まって見つめる。止まらぬ汗は暑さのためか、信じられぬ程に『きしょい』学校名のためかは少女自身にも分からない。
澄まし顔で校門を通り抜ける生徒達を見て、奈緒は息をのむ。彼女達が動く度、襟元で桃色や水色、薄紫色の大きなリボンが揺れた。あんなモノが現実にあっていいのか?
どいつもこいつも歩き方はヒラヒラと蝶のよう。スカートは前掛けと一体化(ジャンパースカートなんて小洒落た物を奈緒は初めて見た)している。目につく限りで派手な髪色の者は誰もいない。
笑う時に口に手を当てる奴までいた。(おえっ)奈緒は校門前をウロウロと鎖に繋がれた犬のように歩き回る。
(今この瞬間、ここに隕石が降って来たらええのに。いや、普通にバックレたろか。後で訳を聞かれたらこう答える。「えらいすんません。この街は大きいさかい、迷ってしまいましてん。へへへっ…」)
そんな少女の隣を、他の生徒達は怪訝な顔をして通り過ぎていく。内の何人かが声をかけようかと近寄ってくるのを、奈緒は母親譲りの眼光で押し留めた。哀れな生徒達は恐れをなし、振り返りもせず足早に去って行く。
(ビビんな、お前ならやれる! 温室育ちで女子校通いのお嬢様共なんかいてこましたれ!!!)
深呼吸をしてから、奈緒は胸を張ってアーチをくぐった。吐き気を催すほどご立派な花壇もすぐに通り過ぎる。なんのことはない、ただの学校だ。すぐそこに正面玄関が見えた。
そこから堂々と入り、遅刻することもなしに職員室へと挨拶に行く。転校初日に遅刻するバカがどこにいるのか。そして涼しい顔して教室で自己紹介だ。
(大丈夫、お前ならやれる。さあ、入るぞ。アホみたい小綺麗な校舎やな。おえっ。入るぞ、入るぞ、入るぞ…)
「ストップ」
綺麗な指の形をした手が奈緒の前進を遮った。目を見開き、奈緒は手の持ち主の顔へと視線を滑らせる。背中まである長髪の上半分を編み込みにした少女が、目を細めて奈緒のことを見ていた。
「着衣が乱れています」
「はい?」
「そんな可愛い顔してもダメなものはダメ。こちらへ」
奈緒より頭半個分は背の低いその少女は玄関から少し離れた場所へと転校生を歩かせると、胸ポケットから小さな手帳を取り出して何かを書き込み始めた。
奈緒はなんとなく状況を理解すると、自分が出来うる最大限の穏やかな口調で言う。
「えっと、転校生です。ウチ、あ…いや私。それで、校則に疎くて。ごめんなさい」
「道理で見ない顔だと思った。それにしても、すごい」
少女は相手の姿を上から下まで眺めると、感嘆(?)の息を漏らした。気恥ずかしくなった奈緒が目線を逸らすと、不思議そうにこちらを見ながら登校する生徒達と目が合う。
(何見とんねん!)奈緒が目でそう言うと、相手はみんな小走りになった。
「まず、髪色が明るすぎ。頭に絵の具でもぶち撒けてきたみたい。毛もふわふわ。パーマなの?」
「ああ、これは元々で──」
「眼もすごく明るいわね。コンタクト、それともハーフ?」
「それも元か──」
「首元にあるはずの可愛いリボンはどこ? え?」
「あ、あの──」
「インナーが透けていて刺激が強すぎる。私と同じようにジャンパースカートを着なさい」
「話を──」
「スカートも短すぎ。風邪をひくわよ」
「…」
「靴下も派手。綺麗な肌の色に合ってない」
「やかましい!!!」
周囲にいた者全ての視線が奈緒に集まる。だが全身の血を頭へと昇らせた少女には、そんなことはどうでもよかった。
「うだうだうっさいんじゃボケェ!!!」
「あら、鬼みたいな喋り方」
「
今度は奈緒より頭一つ分は背の高い、小麦色の肌をした少女が何処からか間に入って来た。髪を頭の高い位置で一纏めにしている。
「赤間奈緒さんだよね? 今日転校して来た」
「知ってんなら先言えや!」
「分からないわ、名乗られなかったし」和歌と呼ばれた少女は不満そうに答える。
「お前が聞かんかったんやろがい!」
「そっちが名乗るのが先」
「シバくぞ!」
和歌に掴みかかろうとする奈緒を、背の高い少女は片腕で押し留める。奈緒が顔だけを近づけて猟犬のように唸っても、和歌は静かに微笑んだまま。
「お前ら生徒会かなんかやろ? 校則破りなら後で聞くから早よそこ通せや!」
「いや、私達は──」
「失敬な!」背の高い少女に代わって和歌が答える。「私達は規律秩序委員会。生徒達が楽しく自由に暮らせるように、規律と秩序を守る組織よ」
「なんや、てことは風紀委員会か」
「漫画とアニメの見過ぎ」和歌はわざとらしくため息を吐く。「風紀委員会なんてものが現実にある訳ないでしょう?」
「このアマァ!!!」
後ろに回り込んだ背の高い少女が奈緒の腰を持ち上げたので、間一髪で
「離せやこのデカ女!」
「赤間さん。あなたが冷静になるまでは離せないよ」
「だから言うてるやんか! 反省文なり何なりは後でやるから、はよここ通せって!」
「それ、本当?」和歌は目を輝かせる。「ホントに反省文を後で提出してくれるの?」
「何回言わすねんアホ!」
「嘘じゃないとたこ焼きに誓える?」
「ふざけんな、なんやねんそれ!」
「じゃあお好み焼きでもいいわ」
「お前、そんなに血が見たいんか!!!」
「良いわ。その健気さに免じて赦しましょう。
息を整えながら奈緒は恨めしそうに2人の少女を見遣った。1人はサイコパスで、もう1人はゴリラ。
(だからこんな学校になんか来たくなかったんや…)奈緒は思う。
「赤間さん、良いの? 反省文を書くなんて言って」紫陽里と呼ばれた背の高い少女は尋ねる。
「だって、校則破りは反省文やろ」
「それはそうだけど、赤間さんは別に校則を破ってないのに」
「は? でもこいつが…」
「言ったじゃない」自信満々というように和歌は胸を張る。
「私達は規律と秩序の下で生徒達が美しく暮らせるよう活動をしているの。ただ規則で縛るだけの生徒会みたいな人達とは一緒にしないで。でも、反省文を書いてくれるというあなたの意思は尊重します。ああ、楽しみ! だってそんなことしてくれた人なんてあなたが初めてだから。赤間さんって優しいのね」
(どうなっても構わへん。こいつらをぶん殴り、校舎もぐちゃぐちゃにしてやる。ついでに、いけ好かないこの街も全部や)
そう決心した奈緒の頭上で、無情にもホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。
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