第11話 おにいの元カノをぶちのめせ!
天菜に呼び出されて工藤家の道場前へとやってくる。
隣では兎極が冷めた目で道場を睨んでいた。
「なあ、やっぱり帰らないか?」
このあとに起こることを想像すると、止めなければという思いが湧いてくる。
兎極は喧嘩最強。一方、天菜は空手の全国大会優勝者。
仲が良いのならばちょっとした異種格闘技な遊びで済むかもしれないが、2人は絶望的に仲が悪い。殴り合いを始めたらどちらかが死ぬまでやめないんじゃないか?
まさかとは思いつつも、そんな懸念があった。
「ダメ。やる。おにいを殴るとか許せないし」
「俺は大丈夫だからさ」
「おにいは大丈夫でも、わたしが許せないの。あいつぶっ殺してやる」
「こ、殺しちゃダメだよ」
「努力する」
「努力じゃなくて絶対に」
「おにいが言うならわかった」
と、俺を見上げて微笑む兎極。
本当に大丈夫かなと、やはり心配だった。
……道場ではすでに天菜が道着に着替えて立っていた。
「……なんでそいつもいるの?」
冷たい声が道場内に響く。
「いたら都合の悪いことでもあんのかよ?」
俺の代わりに兎極が答え、道場内に張り詰めた空気が流れ始める。
「はっ、むしろ都合が良いんだけど」
と、天菜の視線が俺へ向く。
「五貴、また恋人になってあげるから戻って来なさい」
「は? え?」
なにを急にそんな……。
天菜の意図が見えない俺は、なにも答えず立ち尽くす。
「嬉しいでしょ? あんたみたいな普通でつまらない男の彼女に戻ってあげるんだから」
「え、えっと……」
「そっちにいないでこっちへ来たら? 手ぐらいなら握ってあげてもいいけど?」
「……」
天菜と恋人同士に戻れる。少し前なら喜んでいたかもしれない。だけど、
「いや、もういいよ」
「は? もういいって?」
鋭い目で睨まれるも、俺は視線を逸らさず天菜の目を見返す。
「天菜とは恋人に戻らない。もういいんだ」
天菜と幸隆の関係を知ったときはひどく悲しかった。未練もあった。しかし今はもう悲しみも未練もない。むしろ今は天菜から解放されてスッキリしている。こういう心地になれたのは、兎極のおかげだと思う。
「なに言ってんの? わたしが戻れって言ってるの。あんたはわたしの言うことを聞いておとなしく戻ってくればいいの。逆らわなくていいから」
「だったら俺とよりを戻したとして、幸隆はどうするんだよ? 今は幸隆と付き合っているんだろ?」
「あんたとも付き合ってやるってこと。こんなこといちいち聞かなくてもわかるでしょ? あんたなんか2番目でも十分なんだからさ」
……絶句する。
あまりに身勝手で、ひどい物言いであった。
「あんたはわたしのとこへ戻って来る。これは決まったことなの。あんた程度がわたしの言うことを拒否とかありえないからさ」
「……っ」
これには俺も頭にきて言葉を返そうとするが、
「ふっざけんなよ……」
隣で兎極が低い声で呟いたの聞き、出る寸前だった声を飲み込む。
見下ろすと、鬼のような表情がそこにあった。
「てめえ、あたしのおにいをどれだけ馬鹿にしたら気が済むんだ? あ? てめえみてーなクソ女がおにいと付き合えたことのほうが奇跡だろーがよ」
「は? そいつから告白してきたんだけど? あたしは気まぐれで付き合ってやってたの。あたしがそいつと付き合えたとか、キモイこと言うのやめてくれる? それって名誉棄損だからさ」
「知ってっか? チンパンジーってのは複数の男と交尾すんだ。複数の男と平気で付き合うチンパン女に名誉なんかあんのかよ?」
「ちっ、いちいち言い返してきてほんとムカつく」
「あたしはてめえの顔を見るだけでムカつくよ」
お互いに言い合い、そして今度は睨み合う。
2人は昔からこうだ。まずは言葉で争い、それが終わると睨み合う。それで終わることもあれば、そのあとに……。
「なあ、てめえおにいを殴るために呼んだんだってな?」
「ああ。わたしの犬に戻してやるついでに、憂さばらしをしようと思ってね。だからあんたはもう帰っていいよ。あんたに用はないから」
「てめえがムカついてんのはあたしだろ? だったらよぉ、あたしを殴っていいぜ」
「あんたを?」
「ああ」
兎極の言葉を聞いた天菜の表情が邪悪に歪む。
「あはっ、別にいいけど。というか、殴りたいのはあんたのほうだしね。願ったり叶ったり」
そう言って天菜は拳を固めた。
「だ、だめだ兎極っ」
俺は止める。
天菜は強いが、兎極も強い。普通に戦えばどうなるかわからない。けど一方的に殴られるなんてダメだ。
「天菜は中学のときに空手の全国大会で優勝したんだ。殴られたら痛いじゃ済まない。だから……」
「平気。まあ見てなよ」
と、兎極は天菜の前へと歩いて行く。
「ふん。じゃあまずは一発っ!」
肩まで上がった天菜の拳が兎極の顔面を目掛けて突き出される。が、
「はん」
兎極は首をわずかに傾けてその拳を避けた。
「ちょ、なに避けてんのっ!」
「避けないとは言ってないぜ。というかてめえ空手の全国大会で優勝したんだろ? 素人のあたしが避けられるなんてことはないんじゃねーの?」
「そ、それは……」
「ああ、手加減してくれたのか。やさしいねぇ。くっくっ」
「このっ!」
表情を怒りに歪めた天菜が拳や蹴りで次々に攻撃を繰り出す。しかし兎極には当たらない。尽くを紙一重でかわしていた。
「はあはあ……」
「なんだもう疲れたのか? 全国大会優勝が聞いて呆れるぜ」
「こ、このクソ女っ!」
憎悪に満ちたような鋭い視線を天菜が向けるも、兎極はニヤニヤと余裕の笑みを見せていた。
「てめえがどれくらいおにいを殴ってきたのかは知らねーけどよぉ。とりあえず1発は返させてもらうぜ」
「えっ? ちょ……」
なにか言いかけた天菜の顔面に兎極の拳が沈み込む。
メリという音が聞こえてきそうなほどに重く入ったように見えた拳に殴られた天菜は、衝撃で道場の端まで飛ばされて壁へと激突した。
「が……っ。うあ……」
まるで軽自動車にでもはねられたかように吹っ飛んだ。あの小さな身体のどこにこれほどの重いパワーがあるのか不思議でしかたない。
「立てよ。その程度じゃおにいの受けた痛みにはぜんぜん足りねぇ」
「ぐ、うううっ」
立ち上がろうとする天菜だが、脚を震わしすぐに膝をつく。
「そんな程度かよ」
近づいた兎極が天菜の首を掴んで立たせる。
「う、うう……も、もう許して……」
「許してだ? てめえはおにいの身体も心も傷つけたんだ。これくらいで許されるとか思ってんじゃねーよ」
「ひぃっ!」
拳を背後まで振りかぶる兎極。その手を俺は掴む。
「もういいよ。兎極。それ以上は危ない」
「は、ははっ」
止める俺を見てなにを思ったか天菜が笑う。
「さ、さすがわたしの犬。なんだかんだ言って主人は大切……」
「違う」
別に天菜の心配をしたわけではない。
病院送りにでもなったら兎極が学校を退学になってしまう可能性がある。俺が心配したのはそれだった。
「天菜、俺はお前のことなんかどうだっていい。もうなんとも思っていない」
「なっ……」
もう完全に吹っ切れた。土下座されたって元の関係に戻る気は無かった。
「行こう兎極。天菜はもういいから」
「けど、おにいはもっと傷ついたんだしこれくらいじゃ……」
「俺は大丈夫だから。もう帰ろう」
「……おにいがそう言うなら」
と、兎極は天菜の首から手を離す。
「うう……く、くそ……」
倒れ伏した天菜が恨みがましい目で兎極を見上げる。
「二度とおにいに近づくな。わかったな?」
「……っ」
「わかったな?」
「……わかった」
その言葉を聞いた俺たちは道場を出て行く。
……途中で振り返ったときに見た天菜の目。それは憎悪に満ち溢れたもので、これからもなにかしてくるであろうことは明白であった。
その対象が俺ならいいのだけど……。
「本当にあんなもんでよかったの? もっとボコボコにしてやってもよかったけど?」
「あんな力で何度も殴ったら警察沙汰になりかねないよ。そんなことになったら最悪、刑務所行きになる」
「そ、そっか。確かにそうかも。怒りで興奮しててそこまで考えてなかったよ」
そう言って兎極は無邪気な笑顔を俺へ向ける。
そのかわいらしい笑顔と、さっきまでの凶暴な雰囲気のギャップが激し過ぎて俺はなんだか困惑してきた。
「お前、俺以外の人と話すときと今じゃ別人みたいだけど、どっちが本当の性格なんだ?」
「うん? そんなの決まってるじゃん、おにいと一緒にいるときだよ」
と、兎極は俺の腕へギュッと抱きつく。
「おにいのことはわたしがずっと守ってあげる。だから安心してね」
「えっ? あ……う、うん」
そう返事はするも、やはり守られているわけにもいかない。
兎極に負担をかけないよう、もっとしっかりしなきゃダメだなと俺は自分を戒める。
「天菜の奴、きっとまたなんかしてくるぞ」
「だろうね。けど大丈夫。おにいにしてきても、わたしにしてきても返り討ちにしてやるから」
「たのもしいな」
真っ向からの喧嘩ならば負けはしないだろう。天菜も殴り合いでは兎極に勝てないことを今日で思い知ったはず。だからこそどんな手を使ってくるかわからず、それが怖かった。
――――――――――
お読みいただきありがとうございます。
兎極ちゃん強過ぎ! 一撃必殺で空手全国大会優勝経験者の天菜をのしてしまいました! 殴り合いじゃ絶対にかてないですねこれは。
☆、フォローをいただけたら嬉しいです。
感想もお待ちしております。
次回は天菜が卑劣な手で兎極ちゃんを嵌めようとします。
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