伍
-7月某日-
『コハル、いつまで部屋に閉じこもりそうしているつもりだ。いい加減にしろ。今日なんだぞ。』
御屋敷の中、シゲカズの怒号が響き渡る。
部屋にこもったままコハルは返事すらすることがない。
嫁入り準備で大忙しの中、怒号に驚き皆の手が一瞬止まる。
『トミ、貴様は女中頭でコハルの側近だ。何をしておるか。早くこの馬鹿娘を部屋から引きずり出し準備させよ。』
シゲカズはトミに命令する。
トミはその命令に従い、コハルを説得しようと試みる。
だがコハルは反応せず、トミは他の女中数名を使い、無理矢理コハルの部屋へと入る。
『お時間が迫っておられるのでしょう?さあ、参りましょう。』
トミと女中数名が部屋に入るとそこには、嫁入り支度を自分で済ませ、どこか悲しげな雰囲気が漂うが覚悟や決意が伝わる凛々しく堂々としたコハルがただ美しく座っていた。
トミたちは、そんなコハルに声もかけれず、ただ準備を進める事しかできなかった。
お姉ちゃん、今日私は嫁入りします。
覚悟はできています。
でも、この一族この世界の親が決めた嫁入りは、私で最後にさせます。
もう誰も、傷ついてほしくない。
私以降の子たちにこんな思いをしてほしくない。
もっと自由に生き、世界を知り、
私はそんな気持ちでいっぱいだった。
お姉ちゃんの見た夢を私には叶える力がないから、きっかけを作り、後の者に託したかった。
そして、その頃陽日はバイトを終え、帰る所だった。
陽日は、狐の嫁入り話をした喫茶店で夏休みの間だけバイトをさせてもらっていた。
『はるみさん!今日はこれで失礼します!』
はるみとは喫茶店の美人店員でありオーナーだ。
歳は不明だが二十代後半くらいだと思う。
『はい、今日もお疲れ様です。帰り気をつけてね。あ、そうだ陽日ちゃん』
はるみは優しく陽日を送り出そうとしたが急に何か思いついたかの様に奥の部屋へと行った。
少し待つと奥の部屋からはるみが戻ってきた。
はるみは陽日の前に立ち、陽日に何かを差し出した。
『このハンカチ、使って。本当は傘を渡したいのだけれど、今無くて・・・これから少し雨が降りそうだから・・・』
そして、ハンカチを陽日に渡した。
外は雲ひとつ無く快晴で、雨は降りそうになく、ニュースでも降水確率0%だったので不思議に思ったが、陽日は受け取った。
そのハンカチは薄いオレンジ色のハンカチで、模様や刺繍はなく、仄かに金木犀の甘い良い香りがした。
『ありがとうございます!それじゃ、お疲れ様でした!』
ハンカチを受け取った陽日は元気いっぱいにお礼を言い店を後にした。
店を出た陽日はハンカチの匂いを嗅ぎながら河川敷沿いを歩き家に向かっていた。
すると、はるみの言った通り、ポツポツと雨が降ってきた、晴天にも関わらず。
陽日ははるみの予想が当たって雨が降った驚きよりも、これから目にするであろう狐の嫁入りに心はずませていた。
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