生き神おとない・一 作:奴

 昼過ぎに広田先生が来た。予定になく訪問した先生の顔が引戸の向こうから現れたので、一郎はちょっと驚いた。先生が用で訪ねてくるならおよそ自分宛てだろうし、もしそうでないなら、いったい家族の誰に用があるのか予想がつかない。

 「いったいどうしましたか」

 「いや、渡すものがあったから、上がるまでもないよ」

 受け取ったのは革表紙の洋書だった。一郎にはそれが近代の作家のある人のものとすぐに知れた。

 「しかし何でこれを」

 「面白いんだよ」と先生は笑った。

 「それでほんとうに用はこれだけですか」

 「うん」

 「ほんとうにこれだけですか」

 「うん、小垣くんの学習の態度は見ているとおりだろう。それにご家族はみなさん出払ってるんじゃないのか」

 一郎のほかはみなそれぞれが別個な用事でいなかった。彼だけは漫然と家にいたのだった。しかし意図していないにしても、うまく時機を見て現れたものと一郎は先生に感心した。教員と話しているところを大学に関係ない家族に見られるのはどうもきまりが悪い。

 先生はすぐに帰ってしまった。

 二階の室に上がって卓に本を広げ、一郎はページのどこそこに目を滑らしてみた。目に入る数単語から情景を考えてみても、やはり一から読み進める気にはまだなれなかった。じきに閉じるとすぐに下へ降りて庭に出た。

 庭などと書いても松の木が一本あるだけの一隅に過ぎず、また水はけの悪い粘土質で滅多に草は生えず、苔が塀のそばにむしているばかりだった。岩や木の表面に生えているさまを見たとき感じる風情をまったく見出だせないその装飾は、単にその不毛の土を彩っている一色として一郎の目に映った。しかしたとえば父などは、ああしてむしているからよいと誰に語るでもなく縁に出て話すから、無遠慮にあの苔を貶めると、いったいどうなるかわからない恐ろしさがある。苔は冬の寒いころでもしぶとく残っているのだった。

 一郎は広田先生がわざわざ洋書を渡しに来た明晰な理由をいまだにこさえられなかった。先生の住まいがそう遠くないのは知っていたけれど、だからといえこの一冊のために訪ねる気概はどこから湧くだろう。それなら、と一郎は考えた、研究室でいくらでも顔を突き合わすのに。一郎は珍しく誰も彼も出払っている家でぐずぐずやっていた。べつだん、一人で密かにすることもないけれど、その千載一遇の機会がむやみに過ぎるのは止したかった。

 「おう一郎」と呼ぶのは荻野だった。彼は塀から顔を出していた。

 「うん」

 「今から部会をやるんだ、来ないか」

 「留守番だよ」

 「お前が番をするのか」となぜだか荻野は苦笑した。「しかしそれならしかたない」

 「ときに何の部会だ」

 「また熱心な彼らの議論があるんだろう。俺は部会があるとだけ聞いたから知らんのだ」

 「国木か」と一郎は独り言ちた。

 「お前、あとから来るか」

 「まあ行けたら行くよ」と一郎は言った。「それよりさっき広田先生が来た」

 「なぜ」

 「なぜって、本を持ってきたんだよ」

 「目、つけられてんだ」

 「何でもいいよ」

 荻野は必ず来いというような文句を二、三言ってまた塀の向こうに消えた。すると以前の静寂がもう一度入りこんできて、遠くの鳥の声がふいに降りた。しかしなぜ、とまた一郎は思った。やはり先生の意図は知れなかった。



 じきに母が帰ってきたので、入れ違いに一郎は大学へ向かった。日は高く夏の複雑なにおいがあった。それが呼吸のたびに肺をさらい、彼の全身をますます熱っぽくさせた。舗装路の照り返しは顔に鋭く当たった。一郎の額には絶えず汗が噴いていた。それからすると電車内は涼しくてよかった。背中を濡らして服を張りつかせる汗がまったく消えてしまうのがわかると、一郎もいくらか快くなった。町を浸す病のような夏の熱に侵された脳がずっと明晰になって、はるかに多くのものごとを目に入れられるようになった。電車内で座席に詰めて座っている人の一人一人の顔や動作を、本棚に並んだ本の背表紙をなぞっていくように見た。彼らは厚い文庫本を読み、小さく折りたたんだ新聞の記事を眺め、ワイヤレス・イヤホンでヒッツを聴き、正面の窓の向こうを流れ去る景色を見た。目を閉じて静かにしている人がもっとも多かったように思われる。容姿について話せば、頬に大きなほくろがある、艶やかな髪をしている、ふちのない眼鏡をつけている、晩年の板垣のような髭を生やしている、等々。休日の昼過ぎに走っている電車には背広の会社員などがいないから、毎週、おおむねわずかばかりの乗客だけを乗せて走っていた。といって楽に座りこめる席はまったくなく、実に相対的に空いているだけであった。吊革を握る手を無為に垂らしていても何の恐れもなく、また視線の行き先がどこへでもあるほどにだけ、その電車は混んではいなかった。

 昼過ぎの太陽光線は弱からざる熱を持ったまま電車内に差しこんだ。

 一郎は前途ある(はずの)学生である。そしてまた革命、転回を訴える学生団体の一員である。彼自身の力能の如何によらず、避けがたく闊達な運動をその強豪な四肢によってほしいままに行うなかば義務のような権利があるにもかかわらず、またその責務をみずから引き受けに向かいながら、ほとんど部外者のようにぽかんと論争を見ているのが彼にもっとも愉快だった。今度の部会のような観念的な議論ばかりの会合はよくあったが、一郎は端に鎮座しているばかりだった。しかし荻野みたいな彼を呼びに来る友人がいるからよい。一郎は部室の隅でルンペンらしく座りこんでいるばかりでなく、そういう友人と話をした。

 しかしそこの五駅進むだけの時間のあとでは、乾いたばかりの背中がまた汗を出しはじめるのだから、いったい電車内の楽な心持がよいものかどうかもう一つわからなかった。家から駅まで歩くときのように、行先の駅から大学まで歩くときも汗を拭いつづけた。ハンカチはもう役に立たないほどで、きつく塩っぽいにおいがした。大学門までのわずかなあいだに一郎のそばを通り抜ける車の轟音や、一団の談笑が温度を持っていた。その耳につき癪に障る感触が、夏の暑さに似てわずらわしいのだった。一郎は大学門のすぐ前にある建物の一階の改装工事に目を向けた。

 (いったい何ができるだろう)

 以前は蕎麦屋があった。味は悪くなかった。蕎麦はたしか八割だった。むろん十割を要求するのは贅沢だが、いっとううまいのは十割蕎麦だ。といってその店は野菜の天ぷらがよいし、何より安かった。ただし今、その店は潰れて、とうとう次の店が入ろうとしている。店は不吉なほど入れ替わり立ち替わりした。そのたびに悪くない店だったけれどと思い返したが、一郎の脳裡に残っているのは、蕎麦屋とその前にあった小間物屋だけで、その以前にも何軒もさま変わりしたものだが、一つとして思い出せなかった。しかし当て推量が簡単に正解するほど、さまざまに店は移り変わった。

 先ほど別れた荻野が門に立っていた。

 「次はまたラーメン屋ができるんだぜ」と荻野が言った。

 「知ってるところか?」

 「そんな有名な店が出すものか。結局は良くも悪くもない安いところだよ」

 「できたら食べに行こうか」

 構内を部活動施設の棟まで行くのに二人は遠回りして、教務課の入っている建物の裏を抜けて、雑木林のあいだの散歩道に割り入って、小池のそばまで行ってから、講義棟どうしの薄暗い間隙を進んでようやく着いた。その途中で話をしておくのだった。

 「お前何の用事があって門まで来たんだ」

 「すこしあったから」

 「何が」

 「何でも」と荻野は言った。

 散歩道は葛に呑まれ葉に埋もれて、ようやくただ一本ばかり残っていた。あとはみな鬱々たる森林のなかに混雑していた。木々は川をも呑みこみ、日をも奪い去ろうとしていた。迷路問題の正しい経路だけをなぞったような林道で灌木はたとえ十四時でも日光を漏らさず吸いこみ、青いにおいを帯びていた。二人は森に溶けこむようで、葉が呼吸して発する水分みたいな汗が、一郎の身体から細かい粒としてにじみ出ている。虫の音も聞こえない森閑とした小宇宙で、二人の声は、草むらや藪へ石を投げ入れるように消える。道のほうに倒れかかって進路を塞ぐ背の低い葉を千切り飛ばすこともなく、身に触れるままにした。彼らは堅い枝が散っている土の上をうんうんうなりながら進んだ。

 林道のちょうど中間にわずかばかりの草原があるまで、意味のあることは何一つできなかった。喉から自然と発される無意味な声がようやく意味のある言語へと復するのは、森を抜け出て、一度、開けた草原へ着いたときだった。しかし、道のほかのすべてを埋め尽くしている草は、二人の背丈に並ぶほど野放図に伸びて内側に垂れこんであるから、その葉先が彼らの肩や顔をくすぐった。風は始終吹いていた。正面から当たるときもあれば不意に背中に押し寄せるときもあり、また近くの草を騒がしく波立てるときもある。ここで知れるのは太陽と風と夏草のもたらす刺激である。そこに両人のものの数にならないつきあいがうねっていた。

 室に集まった国木らの発する男の肉体に特有のいきれが、霊氛のように一郎の体に滲透して内側から彼を揺さぶっていた。一郎の心臓は不吉な拍動をしている。熱の中心は彼らのまわりになかった。それは一塊となって自由な風船のように室を漂っていて、だからこそ隅で世間話をするだけの一郎や荻野の不敏な志をときに駆り立てるだが、じきにまた、おのずから集中する興奮は、かたわらの一郎らを離れて人の円の上に帰った。荻野のやじは何の刺激ももたらさないまま、押し合いへし合いして進行する部会の波間に白いうたかたとなっていった。窓は林道の周囲にある雑木林の一面に向かっていて、そこから流れ出る蒸した空気が室内に入った。部室はつねに暑いか寒いかのいずれかで、中庸がなかった。生物の死に絶えたような秋の空気も、命が生じているさなかのようなかおり高い春の空気も、激しい議論のうちに温められる。活発に活動する人がいないときは心霊的な冷たさがあった。先にもあとにも、人が住みつくところではないというふうに。彼らの議論は代謝回路のなかでさまざまな形を取るうち、熱エネルギーとか二酸化炭素とか水とかを発散した。その機構の失せた部室は巨大な生き物の死体みたいに微動だにせず、一人でに発熱することもなく、死肉を貪りに来た蛆虫みたいな一郎たちをすんなり受け入れた。寄合のない静かな部屋でまばらに姿を見せる誰彼は、本を読むか、専攻した学問に向き合うかした。もしくは何もしないでいる者もいた。彼らはふだんそこで構築される改革主義空間の熱が抜けきった世界を大いに楽しみ、みずからの世界に改めようとした。それがたとえばジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」とかマイルス・デヴィスの「サマータイム」の軽快な音の漂流に沿って、また別の有機体の回路らしく一体感を作った。おのれの主義に敬虔な彼らとは宗旨を異にする同心が、一郎のそばにあった。いずれもある時代のはやりだった。

 しかし一郎は政治的で熱烈な宇宙へも、また趣味に走る悠然たる宇宙へも身を投じられず、そのはざまでじれったく漂っていた。あるときは荻野などの手を借りて激動の革命思想に触れてみたし、他方で互いに何の干渉もしない緩慢な結合だけの同好会で親しみやすい顔を作った。ジャズを聴いている某に「その曲は何だろう?」と尋ねもするのだった。べつだんの革新的な精神があるでもなく、といってそうしたものを嘲って小説に没頭するでもない、埒の明かぬ単振動を繰り返っているあいだは、思い切ってどちらかへと無限大に発散する勇気もない。彼は有為な部員でもなく無為な部員でもなかった。そしてその不明瞭さはどちらの派に対しても不躾である。彼は二人の男から迫られてついに決めきれない女の古い説話を思い出した。女はどちらに向かうこともできずに入水してしまうのだが、と一郎は考えた。彼の心中には大学構内にある名の知れぬ池が透明に浮き出た。なるほど自分はこの池に浮かび上がるかもしれない。

 白熱した議論が済んだころ一郎は荻野とそこを出た。あとから二人をなじるような声がしたのを聞き過ごして、彼らは講義棟のあいだを抜けて門から出た。そう時間は経っていなかった。まだ明るい夕方であった。

 「あれらはいったい話し合って何があるんだろう」

 「何もない」と荻野が言った。「彼ら自分の第一義が満足にあるから、きっと改革の話をするだけして気が済んだらそれで終わる。話が済めば飯を食って寝る。あとは恋人を作って望むだけ放蕩する」

 「あれらのどれかに彼女があるのか」と一郎は聞いた。しかし荻野はただ彼にしばらく顔を向けたばかりだった。釈然としない心持を据えたまま一郎は考えた。

 (彼らの誰であれ、恋人がいるんならそっちに目がくらんでしまってよいのに。友人と革命だのの話をしたってそう楽しくもなかろう)

 二人は部室に行くだけ行って、若い衆の会合の侃々諤々たるを楽しむ。それはある種の冷笑であり、また強いて無視しかねるがゆえの、興味の現れでもある。そんなやじ馬を差し置いてその部の多くの者は社会の転向を願う。経済学を、農学を、理化学を、英文学を学びながら。あるいは恋人とじゃれ合いながら。

 (彼らの行いは性欲の昇華かもしれない)と一郎は結論付けた。それはなおさら彼に嘲笑を催した。



 しかし革命派諸氏の話し合いを簡単にでも書いたとして何になるだろう。我々は書いてある文を一つひとつ順に追って読む。もし丁寧に書いたならば、そこあるのは堂々巡りの延々たる論争である。話はいかにもくどい。淀んでいるから読むに堪えない、聞くに堪えない。要所を取り上げてしまえば書くも読むも気楽だが、その努力をしてまで、この集団について伝えたいことがあるだろうか。彼らはあえて同じことを言い争うことで、その論の限界を測ろうと試みているのではない。むしろ純粋な満足と安全のために、およそ行きつくところを見知った道筋を好んでいるのである。だから一郎たちがところどころ耳にしている話し合いは改革信者らの怠慢そのものであって、すこしも熱烈なマルクシズムではないのだ。したがって彼らの活気ある様子をつぶさに書き出す必要はない。



 日の落ちるのに連れ立って、風もいくらか冷たくなった。帰途のなかばにある田んぼのどこそこで蛙が鳴いていた。虫の音も騒がしい。一郎はわずかばかり残っている日の光の朱がとうとう濃紺に転じてゆくのを見た。印象のまるで違う雲模様はじつに語りえぬ不思議がある。どうして夕から夜になるにつれ、あれほど色が変わるのか、一郎は妹の篠子に尋ねてみた。彼女はもう高校生のちょうどまんなかごろである。

 「それはテツガクテキな話?」

 「違うよ。気象学的な話だ」

 「それならそれで部活の人たちとすればいいじゃない」

 「あいつらはそんな話には取り合わないよ」

 「私、理科は苦手でわかんないから、お母さん」と篠子は母親を呼んだ。夕餉のにおいがあった。網戸越しに流れ入る空気の冷たさと虫の音のかすかさに溶けきらないそれは、ときに夕方の通りで嗅がれる。ただ夕餉のにおいだと言うほかに名状できない。一郎は篠子の背と母の背とを見比べた。

 結局の母の返事は「知らないわよ、そんなこと」というもっともなものだった。



 社会は部分としての「我」の総和であり、多数の自我によって成り立つ。「自我」が「他我」を思うとき、同時に社会を思う。社会はみずからの構成員によって想起されるとき、というよりはみずからの細胞的一部分の「我」に認識されるとき、はじめてその存在が実世界に浮上する。社会存在は当然として「それ(=社会)思う」ではなく「かれ(=人間)思う」ゆえに「それ(=社会)ある」枠組みであり、本来は何の意味もない大きな容器に過ぎない。その点でいえば、「我」は社会の想像によって現代的・意志的自由を獲得しているが、このすでに陳腐な議論対象は、そうでありながら自分の呼吸ほどに尋常では意識されない。社会によってもたらされる物品を手にしながら、それがほとんど間接的に社会存在を固定すると気づかずに人間が社会を完成させているのは、おそらく人間の自然である。社会に意識が向く瞬間は負的な事象がきっと裏にある。道徳規範を超えようとするとき、はじめて社会を意識する。社会内部の裁きの神としての一集合体に注視するため、すなわち木を見るためである。木を見て森を見ないときも決して森を意識していないのではない。あるいは、たとえ意識的な感覚のうちに森がないとしても、目の端にはぼんやりと森の緑が映っているだろう。同様にして制裁者を見据えるとき、背後の社会全体を目に映していることになる。そして社会は人間をかたどった姿をしている。「他我」を思うと同時に社会が静かに現れるように、社会は眼前に浮かべる「他我」とはまた別の「他我」として我々に作用している。その意味では、社会はほとんど亡霊のようでありながら、各構成員にその一端を忍ばせているから、人間理性は社会の派出所として機能していると言ってよい。だからこそ「自我」が「他我」を思うとき、社会が暗に想像されるのである。

 一郎がこの思索の道を彷徨するのは自室の卓前である。一郎は広田先生から預かった洋書を前にして、無際限の観念を部屋いっぱいに押し広げた。読む気だけはどうしても起きないから、ぐずぐずと思考を空上に展じていたのだが、そのうち表紙の革を撫でながら、しだいに上にある社会存在論がただの思考の断片でしかないのが虚しく思われた。いかに考えこんでもでき上がるのは哲学的思考ではなく、むしろ曖昧模糊とした心情やある種のメタファーだと、嫌なほど痛感した。だから意味があるかも判然としないことを考えるのは止して、その本のまんなかあたりを開いた。英文がつらつら並ぶなかの単語を取り出しながら読み進めると、どうも女学校の恋愛話と知れた。一郎には広田先生が取り分けてそれを貸し与えた事由を議論しだすと、それもまた無際限であると予見されたから、今度はおとなしく文を追った。するとそこには次のような発話があった。


    「ねえあの子とわたくしを、あなた、取りなしてくださいよ……わたくしは  

    あの子を奪い去ってしまわないと、もう保たないのよ……ええあの子はきっ 

    と臆病だから、わたくしの誘いなどどれほど優しくやっても、とてつもない

    恐怖が先立って何もできやしないんだわ……拒否することも、受け入れるこ

    とも、何だって決められやしないのよ……わたくしがあの子の肉体すら求め

    れば、それだけあの子は遠まっていくのがわかるわ……だからってじれった

    くしてられないのよ、ねえあなたなら睦まじく話しながら、わたくしとの仲

    をうまく取り持てるわ……早くあの子をわたくしのお目にしないと、きっと

    誰かが姉妹になるんだわ……そうなったら、わたくしは黙って首をかっ切る

    しかないの、ねえわたくしの血が悲嘆で冷めきる前に、情愛の熱で煮えたぎ

    っているあいだに、早くあの子を誑かしてよ……」


 人間関係とはこのようなもので、つねに間柄を念頭に置かねばたいてい過つ。過てばそのひどさの分だけ損失を取り返せなくなる。身から出た錆が多いほど金物は痩せて使いものにならない。友人に懇願しているこの女はその道理に明るいから、ほとんど直截なことばを使いながら頼みこんでいるのであって、そこに何ら不貞も不徳もなく、病的なほど貴い操をもって人に対している。人間の最高段階は彼女のいるところにある。

 彼女はまた現代的自由を有する他者を自分のものにしようと画策している。意思を自由に発展できるから以上のようにふるまえるが、つねに想像上の罰が巧みに人間を操っている圧政下でこのように言語に精神を塗抹できる姿は、社会的人間の僭主たる罰には恐ろしい反抗である。彼女のうちには自己内部に屹立する自然本性的自由に従えるだけの堅確なる理性がある。完璧な理性である。そのようなものが現にあるのかは別にして。


    「わたくし、あの子の肌に触れてみたいの……血脈の透けた肌の熱を知りた

    いの……あの子を思って何度も暴走しかけているわたくしを、あなた、よく

    ご存じでしょう……ですから私を救済するおつもりで、あの子の気がわたく

    しに向くよう、あの子を丸めこんでほしいだけよ……礼なら何だっていたし

    ますから、ねえ、ねえ……(彼女ははたはたと涙を落としながら友にすがり

    つくのであった……)」


 人の体に触れる第一義は熱を感じることにある。肌に触れて熱を感じるのは恐ろしき官能である。この官能の内側に未分化の欲と愛とが渦巻いていて、かつはそのいずれにも未達である情動こそが、とてつもない駆動力をその身にもたらす。欲に達するも愛に達するも、おのおの一つの推進である、その結果である。研ぎ澄まされた理知はこの分化に至って懊悩する。あるいは身を滅ぼし、あるいは身を助ける。飽食が代わらなければ官能が先んじて愛を汚穢に埋める。悦楽はおおむね大悪である。彼女は理知によってみずからの悦楽を自覚し格闘したが、とうとう打ち破れて欲に突き進んでいる。志を抑えられないながらに自傷し、ついに欲を極めてその行き詰まりの袋小路でやっと停止する。あとに残るのは計り知れない後悔である。

 彼女は自己をよく知悉しているから、そして一般善をよく心得ているから、エゴという特殊善を前面に押し出してしまう不手際を犯さない。しかしその独自の善、必要物の要求、利己心、関心が、容器としての理性のうちで波を作り、しだいに小波が大波に変わるさなか、とうとうこぼれだしているから、彼女は焦慮して友人にまさしくすがりついたのだった。

 しかし広田先生もまた変わった本を薦めたもので、一郎がかくのごとき順路をたどりながら、しだいに帰途の思い出せないところまで極まってしまう情景は先生の脳裡にじつにありありと現れていただろう。一郎には、年を経るなかであるころから、愛と欲が完全に分断され、ときに欲のほうはまるで消え失せてしまうことが、先日の夕空のさま変わりみたいにまとまりなく感じられた。

 いくら部屋を与えられた学生とあっても、二階の室にいる一郎にはあれこれの依頼の声が飛んできた。そしてまた部屋を与えられただけのはたらきをして見せなければならないから、一郎は自室のためにはたらいた。といって野菜の皮を剥くだの郵便受けをのぞくだの食卓上の雑具を取り払うだの、とにかく気づけば勝手にやりそうなものを一郎が気づく前にさっと頼むから、一郎は言われずともやるのだという不満顔を作ってまじめに動いた。彼はまた妹の篠子の勉強をも見た。人文学を志す一郎でも数理科学まで全部見た。そうしてあれやこれや指導してみたが、篠子は学問ができる人だから、わざと教鞭を振るわずとも自然と多くを習得した。一郎のことばはいかにも飾りだった。むしろ一連の師弟関係は父母のためにあった。二人は家庭にある種の調和を作るため、というよりは調和があるように見せるため、きょうだいに先生と生徒の姿をさせているらしかった。それは決して家族全体を外に向かって着飾りたいからではなくて、自己を満足させたいからであるようだ。一郎も篠子もこのことはよく心得ながら、父母に反抗していったいどれだけの得があるか知れないから、その意義のない教練をやるさなか、はては兄のやっている人文学の、哲学や社会学の話を俎上に載せてしまった。ここに至ればもはや父母の介入するところではなく、自発的隷従などと発しているうちは二人のうちに安息地ができるのだった。

 「ときにお兄さん」と夕食のときに篠子が口を開いた。

 「何」

 「私もうこの前借りたのは読んでしまったの。あとで次の本を借りに上がってもいい?」

 「ずいぶん早いな」と一郎は言った。「じゃああとで、好きに選んでいいよ」

 「でもしばらくは借りたままでいい? 友だちが読みたいって言うから……」

 「汚されんようにな」と母が割って入った。父は黙っていた。

 篠子はただ従順に「うん」

 「わかった」一郎の返事もじつに簡素である。

 篠子は一郎の持っている純文学を借りて読んでいた。それはしばらく前から始まった習慣で、夕飯が済んだあとで篠子はよく兄の部屋を訪ねて背の高い本棚の前に立った。そこに詰められた本は妹が読んだ順番に並んでいて、既読と未読の境界にある本立がしだいに棚の右へあるいは下段へずれていくのが、篠子にも一郎にも誇らしく思われた。むろん彼女が読み終えて一郎は読み終えていないような本もいくらかあった。

 篠子もみずから買い求めることがあったけれど、兄の棚にある本がおもしろいとわかると、町へ出向くより同じ二階にある彼の部屋へ足を運んだほうがよかった。そしてまた彼の口からあらすじを聞くのも読書にともなう楽しみであるから、本屋はなお遠く感じられた。一郎は親切な貸本屋になっていた。

 「広田先生から借りた本?」篠子が机上の厚い革張りの本を指した。

 「うん。英語だよ」

 「私だって英語くらい多少は読めるわ。ほらここだって」

 篠子は二、三行読みながらまた突然と本棚に向いた。

 「兄さんは英文学者なのに日本語の本ばっかり読んでいていいの?」

 「いつもいつも外国語を見てたら頭が痛いから、休むのにはいいからね」

 「あらそんなことで研究ははかどるのかしら」

 「進むことには進む。もう研究する相手と思ったら楽しんで読んでいられないよ」

 「研究なんて楽しんでこそじゃないの、そんな気がするけれど」

 「そうもいかない」と一郎は閉口した。

 そういうことばが飛び交うだけ飛び交ったあとにようやく彼女は本を見定めはじめた。

 「こっちはまだ友だちに貸すけど、いい?」

 「うん」

 彼はそこの窓から見える通りに自転車が通っていく姿を見送った。その明かりがある種の星のようにすうっと流れ去った。篠子がまたあの本を開いて英文を小声で音読するのを、一郎は読経のごとくに聴いていると、篠子が「文学を研究するって変ね」と言って帰るから、一郎はその背中に声をかけた。

 「友だちというのは誰?」

 「美音子ちゃん」篠子が言った。「大宮美音子ちゃん」

 床が軋む音が遠ざかると、それだけ部屋ががらんとした気が一郎にした。篠子の分だけ熱が失われたのだと、彼女の借りていった本のあった隙間を見ながら考えた。彼女の借りていったのは『古都』だった。

 文学を研究するって変ねという妹のことばばかりが置書きのように質量をもって彼に居残った。置書きは、その人の魂の断片が付着してあるようで、不思議と捨てきれない。



 借り受けたからには早めに読み終えて、感想を返礼の品に差し出す必要があるから、一郎は思い立って広田先生から借りた洋書をはじめから丁寧に読んでいった。まず理論めいたことがらが三、四行あり、次に情景の描写がおびただしくあった。人間の交際などよそに置いて先に彼らのまわりの景色を書き連ねている。それは本題に入らないでぐずぐずしているというよりは、むしろ自然物が本題で、そのうちで交際している人間たちが小さな装飾品のようだった。だから前に引用した女の独白などは異様なくらいだった。今読んでいるところからまったく違うところに目を転じても自然の様子を語っているというのは言い過ぎではない。人間は人間として、自分で思うより矮小であるし、自然は自然で、人間が思うよりはるかに雄大であると、筆者は言いたいようで、登場する人間は誰をとっても鋭い理知のなかに鈍い愚昧のある孤独な存在だった。彼らの実在を語りうるほど彼らはたしからしく存在していない。自然のありようがまざまざと言い表され列挙されるほどに、何某はかすんでしまった、というよりは、自然に溶けこんで二度と分離されないのだった。けれどもその独白した女の欲望だけは屹然とありつづける。彼女は自己が草木や枝葉に混じってしまうなかでも自分の欲求に悩まされる。しかしそこで活動する人に傲岸さがないのがよい。彼らは進んで自然物に溶け入ろうとしているし、また自分の関与できない領域へ引きこまれることに何ら恐怖を抱いてはいない。当人らの生き方が自然であるから、みずからの感情やそれをもたらしうる相手に、すなおに関心を向けている。

 このようにして書き出せば人間を描写することの蛇足が理解されるかもしれない。なるほど我々が見るべきは内側でなく外側にあるのだと。しかしこの話が言いたいのはきっとそういうことではないのだろう。自然本性的なものに抵抗してはならない、これはこの話の一般的な解釈だろう。あるいは景色ばかり書こうとするのは筆者のわかりやすい癖かもしれない。それならばこの話はほんとうに女学校の恋愛を書きたいだけになる。そのほうがかえっておもしろいのかもしれない。

 三分一ほど読み終わって一郎が早くも下したのは以上のごとき結論である。まだ彼女の肉欲は解消されないままである。

 (それほどのめりこみたい相手などいないだろう)一郎は考えた。けれどこうして考えると、文学を研究するのはやはり変かもしれない。篠子の声は本物らしく彼の心に残っていた。

 風だけはあった。だから蒸した熱があってもいくらか助かっていた。蜂が羽音を強く立てながら窓外を飛んで消えた。

 この暑い日でも働かなければ生きられないから世の中は苦しい。そしてまた一郎も午後からは講義を聴きに出ないと卒業できないかもわからないから、午前はこのようにのんきにやっても早い昼食をとってじきに大学に行くのだった。門前の店が本式に開くのはまだずっと先になる。

 講義は午後から三つあって、終わるのは夕と夜の狭間だった。盛夏だから日の光はいつまでも激しさを残しているし、そのころの西日は昼に真上から差してくるものと同じように鋭く彼らの横顔を焼いた。照らすというほど弱い光ではない。硼砂と鉄粉をまぶして鍛錬した刀のごとき日が一郎の半身に切りかかるのだった。それを避けて講義室という箱のなかで受ける講義は、太陽光線ほど彼に届かない。教員の声は恐ろしく遠くに聞こえ、黒板上の文字が実際的には何とも判別できないのは、いったい何のせいだろう。一郎はまじめらしく教員の書いたことを写しながらその意味を了解していなかった。彼の話す現象学を大事そうに聞く顔を作り、手もとの紙と黒板と彼の顔とを見比べるときに、一郎が脳裡にまとめ上げた知識はその断片ほどもない。教員も気楽な顔をして語りたいだけ語ると、時間が来ようと来なかろうと講義をいいところで打ち切ってさっさと帰ってしまう。彼にしたって自分の研究に第一義を置いているから、義務の分だけ済ませてしまったら退散して机に向かうほうが大事である。彼の小宇宙は自分の研究世界が占領している。残りのわずかな部分に講義と学生のことがある。しかしそれも何事かあれば簡単に払いのけられるから、別の関心事が湧き起こると講義を放って行ってしまう。先月の四回は全部自習となった。せんに一郎を部会へ呼んだ荻野などは一度だって講義室に来なかった。ほとんどの人が眼前の講義に力点を置かない。

 そのあとの二つもおおむね同様にして過ぎ去った。関係ないことを考えるうちに一切は過ぎて、甘い疲労感だけが時の流れの名残だった。

 (大宮美音子さんとはどんな人だろう)一郎は考えた。午前に妹篠子に聴取したところでは、彼女の姿の輪郭すら描けなかった。篠子も彼女の具体を教える義理がないから、兄に尋ねられながら彼女の顔を思い浮かべるばかりで気の利いた返事はしない。学校で彼女に会って、今度は兄の顔を浮かべるばかりである。

 「フッサールなど知らずともどうにかなる、知らずとも……」

 門前はあの店の工事の音で騒がしい。部室は誰もいないまま熱っぽくて居られなかった。一郎はもう一つ間を空けてから家に帰りたかった。そうなると広田先生の顔を見に行くほかにない。

 教員の寄せ集まっている棟はいやに冷たく静かだった。それから湿っていた。電灯もなく西日も入らない、人も廊下を通らない。それでも室はところどころ街灯がともるように明かりがついていて、それがただの白熱電灯というだけでないように一郎には感じられた。広田先生の部屋は四角な棟の三階の奥の角にあった。やはり白い明かりがついている。

 先生は一人で茶を飲んでいた。

 「先生」と一郎はどういうつもりもなく言った。

 「おお、読んでるかい?」

 「はい、何とか」

 「読むこと自体は苦労ないだろう。しかし何の用で来たのかい」

 大福をほおばっている先生のいる長机でちょうどはす向かいに彼は座った。

 「そのまま家に帰るの気分でもなかったので来たのです」

 「ふうん」と先生は言った。

 一郎は先生に勧められた大福を一個だけ食べてから論文を読んで過ごした。といって簡単に読むばかりだけれど、読んで自分が文学を研究しているんだと思うたび、篠子の言ったことがお鈴を鳴らすごとくきいんと響いて已まなかった。読んでいて何を言いたい文章なのかすこしもわからないまま数行読んで、また戻るうちに今度は読むのが嫌になった。一郎は広田先生の使いくさしの茶葉で茶を淹れて飲んだ。深みのとうに失せた色水が胃に流れ落ちるのがその熱でわかった。彼は序論に目を通したばかりでもう閉じてしまった。

 「なんだかやる気が出ないんだね」と先生が言った。

 妹が放言した字句をそのまま打ち明けると、広田先生はどういうつもりか哄笑した。それが一郎にもおかしく感じられてあとから笑った。

 先生は「そうだな」と言う。「文学をまじめぶって研究するのは、変かもしれん」

 一郎は先生と話しているほうが心地いいだろうと思ってもう先生に向き合った。先生も今日は自分のことを進めたくないのか、かえってみずから話題を持ち出した。茶葉も替えた。大福も明日の分としてこしらえたのを取ってきた。虫の音が裏手から聞こえる。

 「ときに君、下宿暮らしはせんか」

 「実家がありますから」

 「すぐそこに空きがあるらしいんだがね、兄不孝の妹から逃れられる」

 「文学研究は変だという不孝者ですか」一郎は軽く笑った。

 「私は部屋を家に与えられて、そこでほとんど十分なんです」

 「そうか。学生の今から書斎をもらったんだね」

 「しかし勉強しなければ本ごと取り払われるでしょう。そんな取り決めです」

 「なおさら家を出て自由にするといい。学ぶ一要素は自由たることにある」

 「そんなもんですか」と一郎は言った。

 「遊んで、食って、寝てからでないと何も深い思索はできない。だから大福も食うし茶も飲む。私は当分研究する気になれん」

 「学会は済んだんでしょう?」

 「何かと言われしまって本を出さないといけない。これが共著で、向こうとすり合わせる義理があるから面倒だ」

 先生の大福を食う手が止まっていた。一郎は茶ばかり飲んだから便所に立ちたい。二人はこのようにして会話に小休止を挟むと、もう椅子に座りこむ気力もないと知れたからそのまま帰った。日は落ちつつあった。

 「文学研究がおかしいと気づいた妹さんは、何ていうんだ?」

 「篠子です」

 「そう、篠子さんは、かえって文学をやったほうが得かもしれない」

 「というのはどういうことです?」

 日が山の向こうに落ちかかるころから嘘みたいに涼しくなっていた。

 「何か見抜いてるんだろう。篠子さんにしたって本を読むんだろう?」

 一郎はうなずいた。

 「なら、あとは君との交際しだいでどうとでもなりそうだ」と広田先生は言った。二人の家は近所だから、ものの数にならない話は家の近くの辻まで続いた。先生と別れて、玄関戸に手をかけながら、文学を研究するって変ねと一郎はつぶやいた。おそらくそうなのだろう。文学を研究するのは変なのだ。

 篠子がそれほどこだわりを持たずに言ったのは一郎に知れていた。彼女は洋書を音読するのと同じ気持ちで文学研究を評価した。あるいは一郎の積んでいた本だの紙きれだのに書いてあったかもしれない。「文學ヲ窮メルハ如何ニモオカシキコトナリ」。そうした文句を誰が書いていたって不思議でない。篠子自身には真意と呼べるほどの気持ちなどないはずである。

 一郎は彼女の顔を食卓で見ながら、そう思い直した。父は仕事で帰らないから母と篠子と三人で卓を囲み、魚をつついた。菜を食べた。白飯は熱く粘りがあるほどうまく感じる。魚の煮つけ方は濃すぎないほうがいい。食事が進むほど、腹を満たさない思考は消えてゆく。妹の言ったことばもしだいに意味を成さない。今度の一郎には飯が大事だった。

 彼は風呂のあとでまた洋書を読んだ。妹は部屋にこもっていた。母はようやく帰宅した父の相手をしている。ここ数日は夜になれば夏でも冷涼になってくれるからありがたい。蒸したら夜半までむざむざ本に目を落としていて、しかも眠りきれない。汗だけは出つづける。すると日が昇る。その夜は何のためにあったかわからない。熱射病で死ぬのは残酷だと一郎は思った。日差しや汗や湿気など辟易する品々ばかりの生活のなかでずぶずぶと腐っていく終焉が誰でも平等に訪れうる現況は、何と言って指弾すればいいだろう。夜に地温が下がってようやく気安くなれるならまだしのげるものを、それもなくなった熱帯夜にどうにも立ち行かずに死んでしまうのでは報われない。そうなれば記念碑的な自死もはたから見ればきっと虚しい。満足のいく死は老いて年のために生を終えることそれだけである。責め苦の絶えない世界では到底死にきれない。そこでは死など救済ではない。単に虚無である。

 夜は更けるほど冷たくなった。ごく冷えた盛夏の夜である。一郎の紙を繰る手は休まらない。彼の脳裡に打ち建てられた文学世界に、一人の女を求める女がいる。精鋭な智を抱く彼女の愛情は摩周湖のごとき清冽たりうるか。人間の持ちうる愛の念はどれほど論理として語られようか。心理を極めるうちにそれを理と捉えると冷淡になる。熱源である人間の心情を冷えた目で見据えるのはいかにも沿わない。純愛を考えるときに純粋な理によるとどうしても不具合があるだろう。心には心で接さなければ窮理できない。一郎は読みながらに自分の私情を英和辞書のように携えたままであった。けれども全体を自己のうちに再構築するさい、今度は理知によって組み立てた。心でつかんだものを脳で組成した。

 便所に降りると父が晩酌をしていた。母は風呂だった。小用に立ちながら父の前に出るべきか考える。窓の外からは花のような甘いかおりがする。父を無視して二階に上がる理由もないから、一郎は居間の卓に父と対面して座った。そこで茶を一杯飲むつもりで自分の分だけ汲んだ。

 「広田さんが来たんだってね」と父が言った。

 「はい、本を渡しに来たんで……」

 「研究は進んでいるかい」

 「まあぼちぼちです」

 「お前も篠子も本の虫になったのは、誰の遺伝だろうね」

 「俺かね」と父は言う。これにはどう答えてよいかわからなかった。

 「しかし母さんも本好きでしょう。どちらというのもないんではないですか」

 「そうかもしらん。しかし大学で研究するんだから、何だか怖い」

 父の酒瓶は日に日に水位が下がっていった。

 「篠子はそこまでに至らんでしょう」

 「子供が二人そろって文学者になったら、それはそれで困る」

 「僕にしたって大学を出て就職するかもわかりませんよ」

 「文学研究は止めにするのか」父はまったく意外な顔をした。

 「自分でもわかりません」と一郎は言った。

 切子に一杯ついでから、あと半分ほどになった酒をしまいに行って、「決めるなら早いうちにしないとあとが大変だ」

 一郎はうなずいた。

 彼が二階に上がったあとで、母が風呂から出てきた。父は二人の茶を入れた。

 「一郎も篠子もどうなるんだろうね」

 「篠子のほうは大学をどうするかわかりませんから、私は再三聞いてるんですが」

 「やっぱり文学者になるんだろうね」

 「篠子までああなるんですか」

 「一郎が大学院を止して職に就けば、二階の部屋をそのまま明け渡せばいいだろう」

 母は家計簿をつけながらしきりに父の顔を見た。

 「俺の部屋でもいいけど」

 「俺の部屋って、俺は二階に上がって篠子が一階に降りるんですか」

 「そうなるね」と父は言った。

 「それはまた……」母のことばが言い淀むのだか嘆息するのだかわからない語尾となった。父も何とも言わなくなって、とうとうそばに置いていた本を読みだしたから二人の会話はそれきりだった。父の読んでいるのは『豊饒の海』だった。自分が道楽として読書する姿が息子と娘にどう映ったか、彼らが二人とも自分のように、あるいは自分よりも本を読む人になっていた不思議は彼には言い表せなかった。親の姿がそのまま子の姿として版画のように写され、あるときには親にはない色味を発すると、彼は子らが小さいころからぼんやりと覚悟していたが、その覚悟を持ちながらどうしても一郎や篠子の現在の姿だけには驚きをもって見ないではいられなかった。子が結局は手の届かない他人であるのが、一郎が大学へ入ってからますます感じられて、自分の周囲が薄暗くなる気がした。そしてそれを名状しようと努めるほど、自己の余生の道が知らず識らず小路になっていることが感覚されて、今度のように話を打ち切ってしまうのだった。むろん篠子にしたっていくばくかの考えを持っている。一郎も何か決めようとしている。母は二人の決断が何であれ、工面すべき金を計算しなければならない。この家の財布を握っているのは母である。

 日の入りの遅い夏であっても夏至を過ぎれば漸々と早まっていく。昨日と比べれば今日は数分ばかり昼が短い、夜はそれだけ長い。そして地温の抜けた夜はなお冷えてすでに秋の感すらあった。虫の種類も何だか入れ替わったようである。この数十年の歳月のうちに気温は高まったかもしれないが、自然物は相変わらず決まったころに去り、現れる。そこらで鳴いている蝉の声が前と違うことに一郎は気づいた。前はワシワシ鳴いていたのがミンミンカナカナ言いだした。毎年のことのはずだが、次に現れる蝉が何と鳴くかは覚えていない。

 各人の周囲には生活がある、彼らのうちには生命がある。だから一個の知的な生体としての自由な活動がある。それは一郎も同じはずである。彼の外側にある社会と生活と、内側にある生命がおよそ無辺なる自己意識を養い、それがまた生活だの生命だのというものを活発であらしめている。この作用と反作用の関係がちょうど一人の構造のなかで循環的にはたらき、その勢いが他者に行き届く。そのうちに近所数軒や友人や親類の仲が温まる。社会などはほとんど意識されずに人間らによって作られているようだ。

 しかししだいに隣る御仁とよそよそしくなれば、もとより地所という形式でひとわたり人間様のものになった大地が、建築物によって簡単に分けられた感触も何だか甚だしく、アパートメントなどはことばのとおりに分離した家々の感を強めている。彼らはわかりやすい集合の姿を持ちながら一方で隣三軒どころか一軒とてその実際に触れられず、いつまでも素性の知れない影絵のままである。

 個性などがありがたがられるとその外枠たる社会はかえって亡霊のようにおぼろげで、男女とか地域とかで粗雑にまとめられたほうが経験的な精神が人びとに涵養されていた。共同体という多細胞生物はだんだんと容を保てなくなりだした。

 世間に向かって思考を押し広げると以上のようになる。一郎は広田先生に借りた本を読むときにこうした空想を流した。読みながらにふと顔を上げて、自分のなかに感情を喚び起こすと、やっぱり悲観の柱に支えられていた。健全でなければ、と思った。そのうち神経衰弱にでもなってしまっては虚しい。一郎は自己の将来が見通せないだけに、かえって死という強引な中断が彼の去就を決めてくれると考えて已まなかった。生というのは考えることのように無限で、あるときにはがらんどうで居心地が悪いから、じきに立ち去ってしまいたかった。そこで出された茶を飲んで座りこんでいる気にはどうしてもなれなかった。一郎は己の周辺にのみ色があると思った。色づいた世界がしばらくあって、そこを抜けると頽廃に行きつくのだと心得ていた。頽廃に入りこめばそこは白も黒もなくまた天も地もない虚ろのなかである。精神は何かに取りすがろうとして急いている。体はまったく漂流して、いかようにも運動できない。流されるのをよしとして耳目を絶ってしまえば、きっとその心持も失せてゆくだろう。

 漫然と考えだすと今の四、五行は目を滑らしていた。二度、三度と、そんなことをした。健全な肉体に宿る精魂から現れた恋愛が、彼の脳をどうにも揺さぶらなかった。というよりは、健全な肉体に宿る生命の熱を、一郎は避けていた。それゆえに自己の精神でもって理解するはずの彼女の精神が、今すこしわからなかった。彼にはその物語が隠然と発する体熱のようなものを毫も感知しなかった。その分だけ冷淡な目で読むのだった。このままに読んでいると白々しく、ときとして他人の体温を感じ感じするほど妙に倦まれてゆくから、一郎はじきに本を閉じてしまった。(恋愛を嫌がる人も同じ気持ちかもしれない)

 他人を嫌う人は嫌を通すからむしろ潔い。鮮やかな面をかぶってその実憎悪の熱と悲哀の涙を秘めている人はやりきれない。他人を嫌いながら瞬発する情のせいで気まぐれに人を好こうとするのもひどい。一方で教条的なやり方は柔軟でない。折衷主義とか相対主義はもっとも合理的なようで一貫した主張は得られない。文学研究はおもしろいと言いきるのもつまらないと決めこむのも全部は当人の勝手だのに、一郎は以上の混迷から抜け出せないまま、やはり仮面の下に本心を置いている。この本心というのも真なる本心かは疑わしい。

 水のように青い夕のなかへ濃やかな群青と夜とがしみこんでいくように、秋は冬すら連れ立ったような寒気を夏の夜に忍び寄らせた。目の覚める鮮烈な冷気のためにみずからの精神が変貌するのはそれと同様にして考えられた。

 一郎の精神は、というよりは一般に人の精神は、目とか肌とか耳とかから感じ入る世界の連綿たる変化にたやすく揺らされる。だから、何かがその人の励ましになる瞬間には、彼の生命はきっと温まる。涙に溶けた四辺八辺の景色は今一度清くなる。一郎の心を温めるものは何か?



 広田先生の本を止して別の本を手に取ろうしたけれど、一郎はその手が思いきりよく動かないのがわかってだんだんと趣味としての読書も敬遠された。椅子に座っているのも腰が落ち着かなかった。寝ると身体が立ちたくなる、立つと寝たくなる。歩くのは絶対に嫌だ。

 しばらくそういうことをやっていると篠子が茶と菓子を持ってきた。施しは今の彼の心を和やかにした。

 「勉強ばっかりでも神経衰弱になりそうね」微笑が絶えなかった。

 「慢性的無気力だよ」

 「何がいけないのかしら」

 「将来に対する、ぼんやりとした不安かね」

 「そんなものは誰だって感じてるでしょう。本も読めない散歩もできないような不安が兄さんにあって?」

 「あることにはある。しかし何をやっても快然としないね……暑かろうが寒かろうが同じだ」

 二人はごたごたした一郎の部屋の奥にある背の低いテーブルに向き合って座った。彼は肘かけに片肘をついてその手に頬をうずめた。

 篠子は兄の気の弱い風体がなんだかおかしかったけれど、彼もまたいよいよ未来の話をしても誰も笑わないころになった。彼の現在はしだいに将来を決定する。一郎の行く先は篠子の行くすえよりずっと狭隘かもわからなかった。

 そのうち卓の上の茶だの豆菓子だのが食べ進められた。話が途切れると豆を噛む音が静けさのなかで空耳のように聞こえた。次の話が休まると今度は鳩の声が聞こえもした。

 といって冬はまだ先か、と一郎は独りごちた。

 「前に本を貸した——大宮さんか、その人とはずいぶん仲がいいの?」

 「小説をまじめに読んでいるのは学級でも私と美音子ちゃんくらいで、ささいな文芸部みたいなものよ」

 「ささいな文芸部か。同じ趣味があると心強いからいい。何か自分で書くわけではないんだね?」

 「美音子ちゃんは何か書いているらしいけれど……」

 「読んだことはないのか」

 「日記みたいなもんでしょう? 執筆で生活するならまだしも、他人に見せたりするもんですか」

 「まあよっぽど自信がなくっちゃあ見せられないだろうね。この豆はどうしたの」

 「隣の笹尾さんからもらったって母さんが」

 「笹尾さんか、あの人は何でもくれるね」

 堅いとも脆いともない豆菓子のいくらかだけでも一郎は腹が満たされた気がした。

 笹尾さんというのは隣人で、その人の作ったものやもらったものの余りが一郎の一家にすべて送られた。だから食卓に並ぶ品目、菓子や酒は笹尾さんのものがあった。この人の施しは人によくするためよりは自分のためであった。それも情けは人のためならざるからではない。単にいらないからである。

 笹尾一家にあるのは白髪の目立ちだした笹尾氏一人と、書生の女一人の計二人だが、いかほどの徳を積んできたのか、断っても断ってもものが贈られていた。それがどうにも胃の小さい二人ではかなわないから、一郎たち小垣の四人がいただくのだった。そこには高級品もあった。

 そしてまた存外の贈答品はすべて書生の女が運んできた。いつも昏い目をしながら持ってきて「また余ってまして……」というから彼女の心持も何かとうかがい知れる。受け取るのはその時分で違うけれど、今度は篠子だったと見える。それでもらったのがこの豆菓子であった。

 その書生の女もまめやかな人でごく賢いが、何だかあってとうとう大学には落第してしまった。もう一年は試験にがんばる心づもりで笹尾の家に書生をやっているが、今は笹尾氏の世話のほうが楽しいらしい。笹尾氏は独り身で、親類もいないながら財だけはあって、それがまた当人の人徳と関係あるかもわからないが、もはや一人娘みたいになった書生の女にその人の財産が——ちょうど小垣一家に菓子などが渡るように——渡されるはずだから、それを頼りにしても悪くないだろう。といって書生の彼女にも故郷には家族がいるのだろうし、金ばかり持ってもあるときに何か起こってまったく転覆してしまっては助からないから、技能の一つは持って置かないと安心できない。そうするとやっぱり意地でも大学に行くしかないだろう。学費すら笹尾氏が出しそうな気配だった。

 書生のその人があたりを歩いているのを一郎は何度か目にした。篠子も見たという。一人で晩の食材を買いに出たり、本屋で参考書を買ったり、あるいは木橋の上で川の流れを見つめたりする細い小さな体が町のあちこちにあった。もっとも彼女の髪の艶やかなのが美しかった。笑うのは小垣の誰として見ていないけれど、声も玉のように玲瓏であった。ただ何があるのか哀しい目だけはいつまでも晴れなかった。それがかえって彼女の美を儚いような、たやすく失われて戻らぬような細工にする。

 (自分があの人を嫁にもらうことがあるんだろうか)と一郎は俗なことを考えた。そのあてのない空想にこだわると、いくらでも現実的に考えられる気がした。卓に向き合っている妹篠子がふとその女書生に見え、豆菓子が煮つけかつまみにも錯覚される。その女と新しい住みよいところに移って数年を閲し、二人で過ごす休日の晩、翌日のために風呂と晩酌を早めに済ませてから、対座するその女にもう寝ようか、お前は酒を飲まなくってよかったかいと声をかけたい気がする。現にはその女の名前すら知ってはいなかった。

 「笹尾さんのところの、あの人は何という名前なの」

 篠子もたしかにはわかっていないらしかった。



 それから数日はその女の顔が一郎に残った。彼の内側にこしらえられた座敷に女は座り、お針子をやっていた。本を読むときに浮かべる登場人物の顔はふとすると彼女の顔のようになり、将来の話をするとどういうつもりか花筵に座った彼女の顔が思いつく。その心を一郎の辞書に鑑みても恋の一字には行き当らず、それは恋よりかえって漠とした、子どもの持つような好意に近かった。慕わしいのだった。一郎は自分でそう評価してみて、ただの好奇心のようなものが、いったいなぜ激しいものとして心にあるのかだけが了解されなかった。たしかに実際問題として思ってみると彼女のことはほとんど何でもない、ものの数にならぬ人の気がする。といってよしその女から思考を離そうとすると、知らず知らずまた女のもとへ巡り戻った。それで何か考えるでもない、ただぼんやりと女のことが浮かぶ。彼女のことを、もっと知りたいと思う。一郎は国語学の講義のメモ書きに笹尾、笹尾、笹尾……と書きつづけた。彼のうちにその女はもう笹尾某と決まっていた。父母に尋ねてもわからなかったのだから、それ以上にいかようにしてもその書生の女のことは知りようがないはずだった。現実に接近するほかには、彼女の輪郭を今よりはっきりさせる方途は発見できなかった。彼はそのうち落書きをいっさい消した。

 血の巡りの盛んなうちは、肉体的な激しさのせいで女を欲望によって選ぶことがある。奔放な性のなかで相手は輝きを放っている、しかし究極的には日記の五行分にも満たないつまらない人として嘘みたいに憎悪することになるだろう。そのころあの女に向かっていた心情は全部、欲望に青年期の情熱を糊塗した赤黒いものでしかないと、気づくときが来る。しだいに誠意の愛が欲しくなる。かつて費消した女体の山の上で不可逆の愛を誓うのだ。男はまず疲労と欲念から女に進む。女はまず冒険心から男に進む。そして多半は今一つままならないまま離れてゆく。寝覚めのような感覚だけが残る。

 (それは汚れているのとは違うのだ)と一郎は思った。(誠の愛! それは衰えのすえに人間の表面に出てくる。はなから愛することなどできない。若者の口から発せられる「愛している」はまやかしだ。しかしその情けない言明がとうとう愛情へと変貌する……度重なる恋愛、度重なる絶頂のあとに残ったもの、それだけが真にきらめく)

 講義は何だかするうちに終わった。講義室の後方から、研究室棟に渡る廊下に出ると、遠くにいる学生の声の乱れ混じった音が、球をつくように弾け耳を聾する。没する太陽はそこらの雑木のあいだに落ちこむはずだった。光はだんだん青くなって廊下を流れた。さっきの講義で隣だった荻野もあとから一郎に追いついた。その顔が好奇にあふれ、始終一郎の顔を見て彼の話の着地点を見つけようとしているのがわかると、一郎はいいかげんなところで沈黙した。講義のこと、のちの論文のこと、就労のことなど取り留めなく持ち上がるはずの話はみな喉の奥へ下がった。

 「笹尾というのはどういう女だ」切りこみはこのようであった。

 一郎はその短簡なのに虚を衝かれた。

 「何でもない、つまらないことだから」

 「ならなおさら話せ。お前の家の横がたしか笹尾といったな、それか」

 「そうだから、もういいだろ」

 「それで、そこに美人がいるのか」

 「いる、いるけれど、俺はそれ以上に何も思っていない」

 「じきはたらきだせば嫁の話も出る。関係は早いうちに作って悪くない」

 結婚だなんて。一郎は全部をこの一笑で片付けようと試みた。荻野も、この会話も、あるいは当の女も。

 荻野は一郎の心が思ったほど固くはないことを理解すると、もう笹尾某について要領を得られまいと口を閉ざした。しかし彼の推察した一郎の心が実際からそれほど外れていないことは、彼の口ぶりと作られたような笑みとで把握できた。なるほどその笹尾という女は、彼の心のうちではほかの愛想よい女と大差がないらしい、だが手慰みにその名を紙上へ書きつけるくらいには好いているようでもある。ただの女の名前をふとつづることは、まずありえないだろうから。では、興味を起こすほどの人にもうすこし心が動かないのはなぜだろう。一郎は自己をまったく了解できる人のはずだから、今の感情もとうにわかっているはずだった。それは恋の萌芽だろう。その人が何となくゆかしいのだろう。一郎は今、また数にならない世間話を成して、自己のなかにちらちらする女の影を退かしている。荻野の目に、一郎の好意はだいぶ猛っていると映った。彼の燃える心が見えた。けれども彼の面には、全部打ちやってしまおうというわざとらしい微笑と、それから——もうすこし足りないという昏い目がある。(目!)荻野は考えた。(その笹尾という女人は一郎を動揺させている。けれども歩いているときに起こった地震が実より弱く思われたり、まったく揺れたとも感じられなかったりするように、彼自身が別のことに身を構えているときに女が現れたから、ほんとうは強い恋慕があってしかるべきところを、これっぽちの淡い恋情で止まっているのだ。一郎の目はその妙な差離のせいだ。恋の喪失だ)

 荻野は一郎のことをこう解釈した。証拠は、彼の話し方と目つきの二つだけである。彼は得心したようだが、さて、どれほどのことが判明しただろう。

 荻野はまた口を開いた。「このことは部の何人かにも相談してみるといい」

 季節の話をしていた一郎は荻野のことばが最初、わからなかった。それも脈絡に合わないからだが、漸々と本意が理解できて「いらん、いらん」と苦笑した。

 一郎は研究室に行きたかったが、荻野の勧めに本心をかすめ取られ、とうとう部室のほうに足が向いた。荻野には一郎の心が本式の恋愛だと察されたから、あとは彼自身の認知を明瞭にして、その笹尾某に一心に進んでほしかった。一郎はまだ不満足なのだった。彼のうちに不足する成分が満ちさえすれば、きっと彼の精神が異性愛の熱を持ちはじめる。しかし荻野にも、もう一つ彼に加えるべきものがわからないから、むしろ議論の上に載せてみようというのだった。理知に走れば情に遠い、情に走れば無秩序だ。あるべきは理知と情とを行き交う心持一つである。荻野は議論によってその器量を彼に注ぎこむつもりだった。

 棟を出る。一郎は空を見た。上空は幕を張ったようで、日が傾いてくるとかえって白っぽく見えた。そのなかにすくい取られずに残り、凝集したような雲が一点、二点、あった。

 荻野のなぜとも知れない気張りが一郎に不愉快だった。こうしてそのうち治まってくれるような己の情欲を大仰に思われてしまうのが嫌だった。けれども彼の言い分を反故にして二人の仲をすさまじくする気概はないし、またどうしても室へ広田先生を訪ねに行かねばならない当座の義理も見当たらなかったから、流れに掉さしてしまっていいかしらんとも考えた。

 一同は部室に会した。一郎と荻野のほかには、そのとき室で寝こんでいた堀と、数分経って来た志山がいた。それ以外に大宮という男もあったが、これはふだん哲学の話を議論するときだけ顔を出す者でけっしてねんごろではなかったので、彼は一郎たちが来ても、隅に押しやられた卓に向かっていた。志山が一度声をかけたきりだった。

 「恋なんかしなくたってどうにかなる、もしやるなら、行きつくところまで行き詰めるしかない」というのが志山の案である。

 荻野は「中庸は?」と冗談を言うように笑んだ。

 「まんなかは、つまり心に秘めたまま、忍ぶままというのは——おい堀、起きろ——心の弱い者がするのだ。理由をつけて、この恋はそっと隠したほうがいいかしら、黙っておいたほうが、何より私が傷つかない、相手もこんな私に告白されちゃ不快だろうからって、全部諦観しているようにふるまうんだ。なら恋愛など最初からしないか、しないで、家族愛、友愛のほかには愛という感情を持たないか、それとも社会の掟など打っちゃって、自分の生理的な欲を大事にするか、二つに一つだ」

 「『それから』だな」と荻野。

 「うん、でも代助は方々に手を尽くさないまま恋に行き詰めたから失敗した。先に手に職つけて、逃げこむところに目星をつけておいて、それからやっと三千代に走ったらああ無様ではなかったのに」

 「俺は別に相談する気はないけれど」一郎はやおら口を開く。

 「いや、まあ聞け(と言って一郎に待ったと手のひらを向ける)、これは一般論として語るのだ。こういうやつがいた——その人は俺の二つ上の人で、化学科だ。そいつは大学に入ったころから麻雀をやりだして、それで一回留年した。今はもう卒業して、もう何だかわからないが、そのころは恋人がいてけっこう仲はよかったというが、何しろ麻雀だから、ハマりきったら昼となく夜となくやるところまでハマりこんで、そのうちその人との約束も破るくらいになった」

 「デート?」と堀。

 「うん、デートだ。それを破るんだからむこうは激怒して、ここで一回誓わせた。〈麻雀はもう止めます、目の前の愛する人を大切にします〉とね」

 一郎は何となく筋が読めたので先回りして得心していた。志山は口を継いだ。

 「そうしたら、またデートというところになって、それまでにも誓いを立ててから何度かは麻雀のほうを断ってその人と食事なり買い物なり映画なり楽しんだんだが、やっぱり一度依存症を患ったのだから金を賭ける賭けない関係なく、とにかく麻雀をしたくなった」

 「誓いのあとはさっぱり止めていたのか」荻野が訪ねる。

 「うん、そうだ。彼は全部の誘いを断って恋人に向かった」

 「それじゃいかん」と口々言った。

 「〈欲望はゴム毬〉の比喩があるのに」

 「しかし彼は恋人第一主義を貫こうとした」と志山はつづけた。「それがいけなかったんだな、結局その人は何度も来る麻雀の誘いがだんだん断りづらくなってきて、自分もやりたいし、誘ってくれる友だちにも気が済まないから、病気とかハハキトクとか理由をつけてデートのほうをにわかに断った、それも約束の半時間前」

 荻野は得意な顔で「〈麻雀と恋人〉の比喩だな!」と言ってみせた。

 志山は靉靆して笑んだ。

 「しかし、一郎、お前はそういう岐路に立たされている」

 堀と顔を見合わせて苦笑していた一郎は、もとは自分のことだが他人事のように聞いていたから、虚を衝かれた気分である。彼は曖昧にうなずいた。

 「その女のことをもっと知りたいと思うなら進むしかない。愛したいと思うなら進むしかない。十分に親しくなって、お前も向こうもふとすると互いを思い返し、会えば机下に脚を交わらせるような仲になるまで根気よく情を注いで、それからようやくお前の愛を打ち明ける。いや青春の残滓とて、もはや思い出せない甘い夢のごとくに心に残そうというのなら、それはもう止せ。愛を養わないなら、その女に他人以上の心振りをしてはいけない。実らなかった過去というものは呪いなのだ、毒なのだ。自分の身体に摂取したままでいるといつか身が朽ちる。俺にはよくわかるのだ。だから一郎、お前いずれの道をか選ばないと、お前自身がきっと破滅する。恒久にありもしない口惜しさに脚をすくわれるぞ」

 「いや、まあ、そんなに思いつめなくてもいい」荻野がまた横槍を入れた。

 「しかしときに一郎、お前はその女のことを、今時分まででどれほど知っているのかい」

 堀の不意な質問で一郎の心はますます締まった。志山の口にする恋愛論がしだいに彼に焦燥の感を起こすところへ、堀のほとんど無邪気な疑いはかえって鋭利に感じられた。そのきうきう強張る心臓の感触は、むしろ堀の一声々々の針が刺さりこむ痛みのようだった。一郎はいっとき絶句した。

 そしてようやく「何も」と言った。

 志山は全部心得たという声をした。「お前のもう一つ本気になれないのはそこにあるんじゃないのか。つまりむこうのことを悉皆知らないから、いつまで経っても幻影のなかにしか彼女は立ってはいないのだ。恋一本に束ねられていないと、自分のことでも借りもののような感じになってしまう。それは相手のことがまだつかめていないからだ。今に人となりが判明して、詳しい姿というのがわかりはじめたら、お前の心はきっとその女で揺れる。これだけはどうしたって言える」

 一郎は自分の表情が昏く翳ってゆくのがわかると思った。彼女のほうへともう一歩進めない自己の不思議が他者によって卒然と照らされ、残光が女の足元まで伸びている気が一郎にした。けれども女の姿はいっこう見えない。むろん実際の素性を知ってはいないから。二人のあいだにはまだ友情と呼ぶべき親交がかけらとしても存在していないから。それはどんなにしたって四、五行書き下したらそれで済むくらいの交際でしかなかったし、また交際という字句も二人のあいだには不相応なものであった。一郎とその女では、いまだ時候の話が交わされたこともなかった。

 堀も荻野も感心した顔をしていた。これで解決かな、と荻野が言った。

 「いや、荻野(志山は首を振った)、一郎には正当な試練が今あるのだ。まずその笹尾という女についてよく知ること、それから恋路を一つに決めること」



 (一つに極めるべき道とは何だろうか)と一郎は思った。洋書の英活字を眺めながら、脳では日本語でものを考えるから、どちらも嘘らしくただぼんやりと思われた。英語の一句々々、一字々々が意味を持たない図形のようであったし、また自己の恋にかんする行く先というのも判然としなかった。(愛を育むか、打ち捨てるか)

 夏の昼は日向だけが克明に浮き上がり、それ自体発光している感すら覚えるほど明暗の切り口は鋭かった。ただ一つある、道沿いの窓からしか光の取れない一郎の部屋は、外の明るみを思えば暗くも思われたし、また外が明るすぎるのだとも考えられた。彼はそのような、外界とはまるで違う薄明るい世界で物語と恋心とを行き来した。この主人公の女は、愛すべき後輩の女にまっすぐ進んだ。まるで巨大な竜巻のように。行く手にあるものをすべて吹き飛ばし、なぎ倒しながら、一直線にその人へと向かう姿は、勇ましくもあったが、一郎には少々居丈高にすら感じられたのだった。

 (彼女はすべて投げ捨てた。まず相談を持ちかけた友人を残して他の者とは一切疎遠になり、また学業からもしだいに離れた。家族といるときだろうと、客の前でふるまうときだろうと、好いている女のことが第一にあり、自分に宛てられた手紙のうちに、あるはずがなくともその女の名がないかとかき回すほどだ。これが恋愛のあるべき姿だろうか? どうもそうとは思えない。恋愛は理性の役目ではないか? 理論ばかりでもどことなく浮世離れした白々しいものになりそうだが、といって自分の感情ばかりに頼ればそれこそ野性的になる。それではどうも文明人じゃない。下等な、第三級の人間のすることだ。しかし、しかし恋愛は、欲の一つの体現だから、いくぶんか自己の欲求で身を動かしてしまっても無理ではない。なるほど恋とか愛は、理と欲の噛み合わせなのだ、それはある種のからくりなのだ)

 一郎は自室の椅子にもたれて目を閉じて、このようなことを考え耽った。理性と欲望の兼ね合いで恋愛を推し進めるということは、もしかすると一般的な論かもしれないが、一郎はまだ完全にはこれで決着したとも断定できなかった。(もう一つ何かあるはずだ、恋愛が何であるかを決定する要素が、俺の考えついていない本質が)

 瞼を閉じてじっと闇に浸るのは海中へ沈みこむこととよく似ていた。静かな光の波が染み通る淡く黒い流体のなかで、一握の思考が漂流し、変化した。すこし前までは篠子のことばにこだわっていた。そのあと書生の女を考え、今では恋愛論みたいな思索が渦巻いている。それもじきに消え去って、それから何を考えはじめるだろう。食事か、と一郎はほのかに笑った。もう正午を過ぎた。

 篠子がちょうど来て、父が呼んでいると一郎に告げた。瞼を開いて篠子を見ると、突如飛びこんできた真昼の強い光線がなだれこんで目が痛み、薄膜が張ったような景色のなかで彼女は輪郭のない立ち姿に見えた。彼は何度か目を擦った。そうして返事した。

 「もう昼か」

 「ええ」

 「昼飯はどうするんだろう」

 「それを父さんが一案考えているらしいのよ」

 一階の奥の室へ向かい父の居り場の障子を開けると、彼は縁に座って紙たばこをたしなんでいた。庭の隅に茂った自慢の苔を見ているらしかった。苔は夏の湿気のおかげで、どことなく茶色の混じったような暗緑色になっていた。このような色を、古来、何と呼んだのだろうう。父はしばらく苔の夢のなかにいたようだったのを、気を持ち直して皿にたばこを消した。寝呆けた鈍い顔が二人の姿を認めるや、もとの厳格な目に変わった。

 「うん、座らんでいい。どこかで食わないか? 母さんはちょっと用で行ってしまったから」

 「あら、私も?」

 「そのつもりだけれど」

 「申し訳ないけど、私は友だちと海のほうへ散歩に行くの。だから二人で行ってきて」

 父は困った顔をしていた。篠子がこのように断るのはよくあった。

 「そうか」

 そしてよくこの返事をした。とうとう父と息子と二人っきりで出かけるのも、いつものことであった。

 「あれが年ごろの、ふつうの女か」

 道行きながら父は陰鬱な笑みを浮かべた。一郎もなるべく父の慰安をするつもりで話しだした。

 「まあ連れて来て三人で食べたって、あまり多くは語らないでしょう」

 「しかし外食でもいっしょにしなければ、話す回数も減るじゃないか」

 「まあそうですが」と一郎は一回黙った。そしてそれから、「どこへ行くと言ったってあれはわがままが多いでしょう。油っぽいとか、野菜の味が嫌だとか」

 「母さんの作るのはよく食うんだがね」

 「おふくろの味ですか」

 父は曖昧にうなずいた。あるいはそうかもしれない、ということだった。

 一郎はほかの理由を見つけようとしたけれど止めた。そのうち通いの料理屋のどれにするか、ちょうど道の岐路の上で話さなければならなかった。それで決まると、今度は話があちこちの料理屋のことに移った。

 父は方々の食事処を知り尽くしているようだった。委細な批評がほとんど箇条書きで述べ立てられ、一条ごと違う店の名が出てきた。一郎はそれに尊敬しきっていた。父のある種の趣味は知らぬうちにますます極まっていて、以前聞くと一言、二言、話すばかりだったのが、今聞けば十も二十も出るようである。いったいその見聞はどこから現れるものなのだろうと一郎は思った。父はけっして放蕩的の気質ではなかったし、また出不精でもなかった。といって、これほど店の名前が次々と挙げられる勘定はしていなかった。いつの間にかけっこうな数寄者になっていたようである。二人はそのうち木橋を渡り、松林のある公園を抜けて大通りに着くところだった。決まった料理屋は彼が案に出した三軒のうちではもっとも遠かったので、飯を食う前から二人はその公園の松の陰に腰を下ろした。小休止だった。

 「真夏のうちは遠出は止すべきだったね」父が言う。

 「ええ」

 一郎はハンカチで額を拭った。三十分も歩いていたから身体にすがりつくような疲労が足の底にたまった。父はよほど疲れたのか息をふいふい吹いて、しきりに自分のハンカチで仰いだ。風で揺らぐ松の葉末から日の斑が散り、父の、一郎の顔にかかった。まぶしいほどではなかった。一郎は店のある通りを見た。車の往来が激しかった。

 「もうすこし静かなところに店を構えたらよかったでしょうに」

 父は返事か否かわからない声を出した。

 汗の細かい粒が立つ頬の上に風は心地よかった。気流のわずかな変動のなかで冷涼な風が現れ、また熱気が戻ってくる。そしてまた風が吹き、快くなる。その繰り返しだった。

 影はその黒色や灰色や、もっといえば鈍色、墨色、濡羽色、紺鼠、藍墨などといった、枚挙すべからざる微妙な色調が油絵のような塗り重なりで作られ、全体は波のように揺らめいた。草花はその下でもとの小さな黄色や一面の緑色を暗く転じる。

 「お前、最近はどことなく鬱屈しているんだろう」

 父のことばはまた急に現れた。一郎はええと口にしたっきり自然の世界に心を帰そうとしたけれど、父の顔が向くのがわかったから、あらためてつづけた。

 「勉学に行くのも一つ気力が欠けますし、また遊戯に耽るにしたって精が出らんのです。それを憂鬱とか言ってみただけです」

 父はここで篠子から聞いたのだと告白した。一郎がとりとめなく声にしたものは篠子に残り、それがまた父に届いてしまったらしい。一郎は篠子のことを考えた。彼女にしたって大事と思って父に告げ口したのでもないだろうし、きっと話のついでに何とも思わず口にしたことだろう。父の顔は一郎の憂愁が伝染したようにやつれた観があった。

 「すこしは散歩でもしたら、今日みたいに半時間でも歩いたら、気分が変わると思ったんだ。快活に生きるのには運動がいるだろう」

 そして、文学や哲学はいらない、快活に生きるのには。

 一郎は反射的にそんなことを思いついたけれど言うのは止した。それはあまり父に対して怨ずる調子が強すぎたし、何より父こそが文学を愛していた。

 二人はもうしばらく話してから料理屋に行った。陽光は帰路でも二人を鋭く刺した。日の破片の作る傷から染みだすような汗が、一郎の顔から何行も落ちた。父は半分も行かないうちからふいふい言って休みたがった。けれども小休止ができるような日宿りの影はどこにもなかった。甘味処という甘味処もなかった。すべき方途はただ一気呵成に帰り着くことだけである。

 行き倒れそうな二人の顔を見て、二人を玄関に迎えた篠子が笑った。彼女もこの熱射のひどいせいで友人との散歩は打ち切って、早々と帰ったようである。

 「帰りにちょっと立ち寄ろうという場所がないから嫌だ」

 父は切口上にこう言った。

 一郎はええ、ええと賛同しながら二階に向かった。後ろから篠子が「着替えているうちに麦茶でも持って上がるから」と言うのにいいかげんな返事をしてどたどたと上がった。彼女が父に話しかける声も聞こえてきた。(篠子はどうしてああ献身的なんだろう)と思った。

 (あれでは女中か何かのようだ、それか書生か——笹尾の、書生のあの人は今時分は何をしているのだろう。暑い暑いとぼやくのだろうか。いや勉強か)

 一郎の脳裡はこのように考えが流れ去った。こうも考えた。

 (当の笹尾さんはもう古希かそれより年寄りか、どうしたってもう暑いのが危ない年にはなっている)

 水風呂に入ろうかと一郎は思い立ったが、またじきに汗をかくのだと思うと腰は持ち上がらなかった。腕の湿り気に、洋書の紙が吸いついて、借りものを傷めるのを恐れて読むのも止めた。彼は着替えたきり椅子から動かなくなった。(これが鬱屈か?)彼はまた瞑想するようにして考えだした。彼はいつ置いたとも知れない『廃市』をこだわりなく開いて、二、三行読んだ。それから本筋を思い返した。一郎はこの映画をせんに見ていたから概要はもうわかっている。けれども筆致がすばらしいから、全部知ったあとでもまた文章を読もうと思えるのだった。情緒の肉薄な文体が、まさにそこの恋慕を、憧憬を、嫉妬を、欲望を、厭世を、虚無を、映ずるのだった。しかしなぜそれを知っておきながら先に映画を見たのだろう? 彼はふとそう思い起こしながら、また全然別なことを思った。

 (避暑ができるような田舎へ行けばいいのだ。旅行でも、何でも。そうすれば、深くあてのない思索の深淵に身をうずめることができるだろう。『風土』、はまた違うけれど、ああやってどこかの海辺を見てみたい。そうして熱心に考えるのだ。哲学のこと、ある種の運命のこと、自己の生命、いまだ来たらざる先のこと)

 彼の心に旅の情景が浮かんだ。海に潜って泳ぐような快活さはなくても、ただ孤独であるだけで、小垣一郎という生命は復活するかもしれない。(白い無毒な浜の真砂と清い海、松の防風林、それから海と同じほどに青く澄む穹窿、一点から幾条にもなって差す太陽の暑熱……)一郎の思い描く世界は『廃市』のものとはまた異なっていた。それでも彼は、それを想起するだけで肉体にほんのりと血が巡り通る感じになった。(ここはまったく暗澹たる壺中なのだ! ここから這いだして、まず行くべきところ行かねばならない。いやあるいは、世界という書物に向かって!)



 暑いなかの彷徨から数日過ぎた。

 講義を受けるおり、教員の語ったことを端緒にして一郎は荻野や志山と話した。それは美しさというまた難儀な話だった。

 「いったい美の根源はいずくにありや。美の行方は、美とはどこに向かっているか」

 志山はそのようなことを、講義室を出て三人で歩くときに果敢に叫んだ。

 「『藝術ハ萬世一系ノ美之ヲ統治ス』だよ。何も美は自由なものじゃない。すべては芸術のうちに固定されてるんだろう」というのは、荻野の論である。

 「それじゃ俺たちが、ああ美しいと思って見るものは、みな芸術に定義づけられた欺瞞かな」

 「あるいはね」

 「なら俺が今、たとえば(と言って志山は窓から外を眺めたが、そこは校舎の中庭とも言うべき無骨な空間があるばかりであった)、まあ、ある女を美しいと思う、美麗だと思う。それはいっさい虚構なのか」

 「過去見てきた芸術品に鑑みて言うのだから、きっと虚構だ」

 「それでは寂しい」一郎は口をはさんだ。

 「それはむろんそうだ。『すなわ惶懼おそれていひけるはおそるべきかな此處このところこれすなわげいじゅつ殿いえほかならずこれもんなり』俺たちはすでに芸術の恩寵を受け、美の狭き道を進みはじめたのだ。美とは何ぞや、美とは何ぞや、と問えばすなわち美学の俎上にいる三尾の鯉なのだ。俺たちは芸術と美学の前に己の無知を露呈するほかない哀れな小坊主なのだ。俺たちが、既成の芸術にかたどられた美からけっして抜け出せないうちは、どうしたって芸術から笑われ、美を損失するのだ」

 「つまり、笹尾某を逃す」と荻野が得意な顔になって言うので、一郎はそのむりやりかげんに閉口した。

 そんな話をして、これという理由もなくさっさと帰路についたときのことだった。一郎は研究室へも広田先生のところへも行かずに、談論のあとはまっすぐ帰ったのだが、その途中のことである。そのとき彼は、暑気が煮詰まって、骨の髄を蝕みそうななかを、薄手のシャツなどの簡素な格好で、ただハンカチでときおりこめかみを拭いながら、いつもの通りを宅まで歩いて行った。すると郵便受けの立つ米穀屋の前を過ぎるころ、その先、三、四町の距離に、彼は思いがけない人を見た。日常のことを言えば、たしかに路傍で遭遇するのはありえたが、その時機のせいで彼は歩みを遅くした。向こうは一郎の姿をまだ認めないのか同じ歩取りで、彼の行く手から迫る。一郎は知らん顔をして行き違うこともできた。むしろ今の彼はそうしたかった。が、互いの距離が近まるほど、彼の心にはやはり今こそ彼女の目鼻立ちを見ておきたい気持ちが起こるから、いくらか人の往来があるなかで彼は過ぎしな、伏し目がちにその人の顔へ見やった。

 それが意図せず露骨だったようだ。

 「あら小垣さんのところの」と声をかけられた。

 「ああ、笹尾さんのところの」こうわざとらしく言った。

 「ええ」とその女は言った。微笑していた。

 また女はつづけて「お帰りになるところですか」と一郎に問うた。

 「ええ帰ります」

 それから二人はいっとき往来のなかに沈黙した。しかしまた荻野や志山に茶化されたあとだったから彼女のことは妙に色づいて見えるようにすら彼に思われた。すこし面映ゆくもあった。

 「また今度余りものをお分けさしていただこうと思うのですが」

 「別に構わんでしょう」

 「また菓子です。羊羹か何か」

 「私も好きで食いますから、何とか食いきるでしょう」

 彼女はふふふと笑った。「ではまたうかがいます」

 一郎はそれきり別れようとして、振り向きかげんの女にふたたび声をかけた。

 「名は何というんですか」

 「私の?」

 女は荒木千代子といった。



 一郎の頭には千代子、千代子とそればかり浮かんだ。彼の空想は前よりは鮮明になった。千代子との生活をせんに聞いた声色で想像してみると、小恥ずかしくも思われた。昵懇の仲になるにはまだ早いころから、どういうつもりか親密に会話し、体を寄せ合うと考えてみるとすこし奇怪でもあった。そのせいか彼は想像しながらに羞恥で興の醒めるような気がした。彼女と立ち話をしたのがかえって彼の醒覚を催したようだった。


    「とうとうあの子にわたくしの心持が明らかになって、ええとても嬉しいの

    よ……けれど苦しくなったようにも感じるの……だってわたくしはあの子へ

    の恋慕が弥増さって声もうまく出せないわ……それであの子は寡黙なんだか

    ら、二人きりになったって、しかたのない話をしてすぐに沈黙するの……こ

    とばの交わされないのがこんなに重たくて辛いとは思ってみなかったわ……

    わたくしときに耐えられなくって発狂しそうよ、ええほんとうよ……せっか

    くお近づきできたのに、一人で煩悶していたころがましかもしれない……」


 洋書の一場面は右のとおりである。なるほど相手を既知の光のもとに晒すくらいなら、むしろ何も承知しないまま勝手に空想しているほうが気楽かもしれない。よし対面して関係を作るとなると、その労苦や意外の失望が恐怖されることも、一郎にないこともなかった。彼の惹かれる気持ちは、すべて彼女が靄のうちの影でしかないから、蝋燭の灯を織りこんだ幕の向こうに揺らめく影でしかないから、ほしいままに空理を操作できていたが、今度はすこしずつ彼女の肉体が垣間見えてきたから、現実とあまり離れたことを考えて淫らなほほ笑みをするのはまったく不貞である。一郎はそこに徳義を見ないわけにはいかない。以前は婚約以後のことなどをあてもなく想起していたのが、だんだんと友人としてどう会話するかという卑近なものにすり替わった。しかしそれはまだ恋慕の胚胎に過ぎなかった。

 取り立てるような話はあのとき全然しなかった。だのに一郎には、あの米穀屋のそばで立ち話を交わしたのが美しく思い出される。そうしてまた顔を突き合わせたいと願いはじめる。洋卓に向かって洋書の情景を背後に浮かべているとそこに千代子の顔がちらちらする。気づくと物語の女の顔が千代子の顔にすり替わる。して自分のただならない感覚に嫌な気も起こる。彼は空想を振り払って読書に努めた。

 一郎の周囲は耐えがたい熱気が充満していた。彼の皮膚の表面に沿って流体的に流れる熱が彼を悩ますのであった。いくらうちわをはためかせても彼の気分はいっこう爽快にならない。反面、愉快な気もした。彼にはあの日の千代子の幻影がいた。今時分でもとうに薄らいで、幻よりいっそう不確かな霞に、一郎は色欲的な甘美を味覚した。むろん彼女の裸体などを想像するのはまだ気が引けた。けれども彼女と会話することじたいに一種の悦楽が見出される。それは女というものの魔力か、千代子に特有の魅惑か、一郎がたとえ、感情のみで洋書を読解するのと同じようにその快楽を読み解こうとしても、けっして分別できないのであった。理性をもってするならなおさら無理であろう。

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