崩壊 作:金絶

 パスッ

 ビルが立ち並ぶ歓楽街。人々が日常を過ごすそこから僅かに離れた場所に、気の抜けるような軽い音が鳴る。しかし、その音がもたらす結末は軽くなかった。一つの人影が倒れる。その肉体は、生命活動をやめ、只の肉袋になっていた。その原因である男――ヘルバ・セン――は、しかし自らの指で人を一人殺してしまったというにも関わらず、微塵も慌てた様子を見せなかった。だからといって、その身を高揚感に震わせることもなかった。ただ、彼は、光すらも吸収できそうなほど真っ黒な瞳でその光景をスコープ越しに眺めていた。男が倒れたことを確認すると、彼はただ淡々と、まるで何事もなかったかのように、自分の銃を片付け始めた。最中、その唇からは言葉が漏れていた。

「まったく。なんであんな奴がのうのうと生きていたんだよ。存在そのものが、社会に害しか与えてない害悪の分際でよ。ま、ここで殺せてこれ以上の被害を防げたから良しとするか。さてと、あとは報告すれば、この仕事は完了だ」

 狙撃をしたビルからセンが出てきて、そのまま暗殺対象のいたビルへと向かう。エントランスから中の人物に連絡して開けてもらうシステムだったため、携帯していた拳銃でガラスを撃ち抜き無理やり中に押し入る。目的の部屋へ向かうも、鍵がかかっていた。仕方なく、拳銃を使用しようとするも、それを見ていたのか、警備員らしき人物が「おい、君!」と呼びかけながら、センへと向かってくる。(うわ、めんどくさい……)そう思ったセンは、拳銃の弾を麻酔弾に入れ替えて発砲することで、警備員を気絶させた。そして、堂々と部屋の中へ入り込む。暗殺対象の近くで座り込み、脈を確認することで暗殺対象の死亡を確認した。

 その後、センはマンションを出てきた。殺した時と同じ真っ暗な瞳で、通りを歩いていく。その姿は、近づいてくるものすべてを切り裂いてしまいそうな、抜身のナイフのような鋭さを持っていた。

 やがて、大通りを歩いていたセンは小さい路地へ入っていき、さらに普通の民家に入っていった。

「何用のものでしょうか?」

 民家の中から、中年のおじさんの声が聞こえる。

「センだ」

 一言、センはそう発する。

「なんだ、センか。で、ここに来たということは、あの依頼は無事に達成できたということで、間違いないんだな」

 そういいながら、足音と共に裸足でアロハシャツ、半ズボンの男が出てきた。その男は、センの最も信頼する情報屋であり、今回の依頼を仲介したケイトウであった。

「ああ。胸元に風穴一発、ちゃんと開けたよ。死亡も確認してきた」

「それは良かった。にしても、あの男も児童売買なんてやってなきゃ、依頼した殺し屋に自分が殺される、なんて間抜けな事態にならなかっただろうに」

 ケイトウは、あきれた様子でそう漏らした。

「ちゃんと条件は言ったんだろ?『殺害する前に、こちらであなたと、依頼の対象について調査を行います。殺害対象がセンの信条を満たしていればきちんと殺害を実行しますが、逆にあなたが信条を満たしてしまった場合には、あなたが殺害の対象になります。センの信条は、社会に甚大な悪影響を与えている人物のみ殺害する、です』って」

「ちゃんと代理人に伝えて一回持ち帰ってもらったよ。それでも依頼してきたからな。多分、お前の、ひいては、お前とつながりがある情報屋をなめてたんだろう。『どうせ、ばれることはない』って感じで。それに、そのリスクを負っても良いと思えるほど、お前の腕は魅力的なんだろ。『ヘルバ・セン』の腕はな」

 ケイトウは、怒りをにじませながらそう話した。

「まあ、とりあえず仕事は完了させたから報酬は振りこんでおいてよ。いつもの口座でいいから」

「わかってるよ。そっちは、これからどうするんだ」

「家族サービスだよ。と言っても、俺がサービス受ける側だけどね」

 そう言いながら、センは扉を開けて大通りへと戻っていった。

 大通りに出ると同時、センは自身の心の中に意識を向ける。その中で、これまで自分が居た仕事用の部屋から、家族と一緒に居るとき用の部屋へと移動した。その途端、センの姿からは先ほどまでの、抜身のナイフのような鋭さは消えた。それのみならず、金曜日の仕事を終え、家へと帰るお父さんのような幸せな雰囲気がにじみ出ていた。

 それからしばらくして、センの姿は自宅の前にあった。その家は、大きくもなく、かといって小さくもない、路地裏の奥まったところにあるわけではなく、高級住宅街にあるわけでもない、「普通」としか形容できない家であった。

「ただいま」

 そう声を出しながら、扉を開ける。すると、

「おかえり。お仕事、お疲れ様」

 と言いながら、エプロンを着た女性が玄関まで出てきた。

「いや、お前たちがいるからこそ、こんな仕事をやれるんだよ。それで、私たちの宝物は、どこにいるのかい? 今日は家に居るって言ってたと思うけど」

「ちゃんと居るわよ。そろそろ気づいて、こっちへ来るんじゃないかしら」

 エプロンを着た女性――ヘルバ・プラム――がそう言うと同時に、

「パパ、帰ってきたの!」

 と嬉しさをにじませた声音で言いながら、女の子が姿を現しセンのもとへと走って向かっていった。

「おお、帰ってきたぞ!」

 センは、勢いの良すぎる抱擁を軽々と受け止め、宝物である愛娘――ヘルバ・パール――を抱きしめた。

 その後、ヘルバ家では家族三人でプラムが腕を振るってつくったご飯を食べながら、パールの学校での話をセンとプラムが笑顔で聞く楽しい時間が過ごされた。さらには、センはパールと一緒にお風呂に入り、そして寝かせた。仕事を終え、愛娘と触れ合うセンの姿は殺し屋という特異な仕事をしているとは思えないくらい、普通の子煩悩な父親であった。

 パールが寝た後、リビングには夫婦水入らずで机を挟んで向かい合う二人の姿があった。しかし、そこには先ほどまでの笑いながらパールの話を聞いていた二人ではなく、険しい顔で互いを見つめ合う二人がいた。

「あなた、今の仕事をやめてくれない? もちろん、殺し以外で私たち三人を養うことのできる職が少ないのはわかっている。でも、あの子も学校に通うようになって、私も働ける。あなたがけがをしたり、死ぬかもしれない仕事をしてるのがつらいの。私も同じ仕事をしてたから、その危険性はわかっているつもり。それに、パールのこともある。私にいつまで『パパのお仕事はね、街のお掃除屋さんなんだよ』って嘘をつかせるの」

 そう言ってくるプラムの瞳を見ればかすかにうるんでおり、この言葉が彼女の本心であることを何よりも雄弁に物語っていた。それでも、センはプラムの言葉に対して首を横に振ることで端的に答えを示した。しかし、その動作を最後にセンは動きを止めた。プラムも口を開かず、重い沈黙が場を支配する。

 しばらくして、センが重い口をゆっくりと開けて言葉を発し始めた。

「そうだな。お前になら言っておくべきか。まず、最初に謝罪させてもらう。多分、俺が殺し屋をやめることはない」

「なんで!」

 プラムはたまらないという様子で、センの話に口をはさむ。それに対しても、センは冷静さを保ったまま話をつづけた。

「まあ、聞いてくれ。俺だって、できることならこんな仕事じゃなくてパールに誇れるような、社会にもっと直接的に貢献できる職に就きたいよ。でもな、それはできないんだ」

 悲しさと悔しさの間のような雰囲気を醸し出しながら、センはそう言葉を紡いだ。

「できないって……どういうこと……」

 呆然とした様子で、プラムはそうこぼした。センもここで説明を止めるつもりはなかったのか、スムーズに説明を再開した。

「簡単に言うとな、お前たちを殺さないようにするためだ。お前も知っているように、俺は長い間殺し屋として活動してきた。期間はもちろん、殺した量でもそこらにいる殺し屋と比べて倍では聞かないと思う。だからなのか、いつの間にか、殺しの依存症のようなものを発症していた。一定期間人を殺してないと、周囲にいる目に入る人を殺してしまいたくなるんだ。そして、間違いなく俺の最も身近にいる人間はお前たちだ。だから、俺がお前たちを殺す可能性を零にする最も確実な方法は、殺し屋として定期的に人を殺すことなんだ。だから、いくらお前の頼みでも、殺し屋だけはやめられない。ごめんな」

 そう言うセンの顔からは申し訳なさがにじみ出ていた。何かを言おうとしていたプラムであったが、その顔を見て口を閉ざした。代わりに、テーブルに身を乗り出してセンへと抱き着いた。

「ありがとうね。私たちの為に、そんなことになってまで頑張ってくれて。そして、ごめんなさい。あなたがそんな風になってただなんて私、気がつかなかった」

 センの耳に届いた、プラムからの言葉は震えていた。センはプラムの肩に腕を回した。二人は、しばしそのままでいた。

 ベッドに入り、愛しい二人の寝息を聴きながらセンは覚悟を改めていた。

(この二人を守る。何を犠牲にしても、どんなことをしてでも)

 しかし、センの思いとは裏腹に、この誓いは破られることになった。それも、最悪の形で。



 仕事を終えた直後のセンにケイトウから連絡が届いたのは、センとプラムがセンの仕事について話し合ってから、しばらくしてからのことであった。

「どうした。ちゃんと仕事はやっているぞ」

 いらだちを抑えるような声で、そう応答したセンに返ってきたのは

「いいか、落ち着いて聞けよ」

 と、大真面目に返答する声であった。声音から、ただ事ではないと察したセンは、一息入れてからさらなる説明を求めた。

「お前の家が燃えている」

 端的な一文の返答は、しかしセンの思考を止めるには十分すぎるほどの威力を持っていた。センもケイトウも、両者共に何も言葉を発さず、重苦しい沈黙が二人の間に漂った。

「プラムとパールは…………どうなった…………」

 ケイトウの耳に、何とかそれだけを絞り出したようなセンの声が響いた。

「俺が見つけた時には、家にもう火の手が回っていて、確認できていない」

 その声を聴きながら、センは自宅へと走り出していた。自分が行っても、何もできないかもしれない。いや、火の手が回ってしまったなら、ただの人間にできることの方が少ないだろう。それでも、自宅へと向かう足を止めることはできなかったし、止めようとも思わなかった。走りながら、センの胸中に存在する思いは、ただ一つだった。(二人とも……頼むから、無事でいてくれ)この一つだけであった。街を駆けるセンは、いつかの抜身のナイフのような雰囲気がかわいく思えるほどの、地獄の悪鬼が現世に降臨したような雰囲気を纏っていた。

 この世で最も長い十分を経て、センは真っ赤に燃え上がる我が家をその目に入れた。消防隊が必死に火を消そうとしているものの、火の勢いが小さくなっているとは思えなかった。立ったまま呆然としていると、その姿を見つけたケイトウが野次馬の中からセンのもとへとやってきた。そこで直接、プラムとパールのことをセンへと伝える。

「……人に確認……ど、二人は保……れて……らしい」

 ケイトウの言葉ですら、一部しか聞き取れなかった。それでも、言葉の端々から、プラムとパールは保護されているわけではないことが分かった。(もしかしたら、あの中にプラムとパールは……)思ったら、止められなかった。後のことを考えず、炎に包まれたわが家へ突入した、いや突入しようとした。しかし、実際には首に衝撃を感じたかと思うと、足を踏み出せなかった。

「すまな……あのひとた……ために……しなせる……いかない……」

 自身を気絶させた犯人であるケイトウを睨みながら、センは意識を手放した。

 センが気絶から目を覚ました時、両手を拘束されたうえで椅子に座らされていた。

「気づいたか。気分はどうだ」

 ケイトウがそう声をかけてきた。どうやら、自分がケイトウの隠れ家に連れてこられたのだということをセンは察した。

「最悪だよ。二人はどうなった?」

 そう答えながら、センは拘束を外そうともがく。

「無駄だよ、その拘束具は特注だ。外せない。それに、今からする話でお前が暴れるかもしれないからな。外すわけにはいかない」

 その返答でセンは、自身の質問への回答を自分で導き出した。

「死んだのか……?」

「いや、生死不明だ。少なくとも、家の中には二人の死体はなかったらしいな。そして、今まで見つかってない。状況的には攫われたと思われる」

 ケイトウの答えは、最悪ではないものの、それに近いものではあった。(早く二人を見つけないと、殺されるかもしれない。探しに行かないと……)そう思うものの、自分一人で人を探すことがいかに難しいかをセンはわかっていた。そして、目の前にはそれを最も得意とする職種であり、かつその技量に最も信頼をおける人物がいた。

「ケイトウ、頼む。プラムとパールを見つけるのを手伝ってくれ。報酬はそっちの言い値で支払う」

「わかったよ……というか、こっちからもそれを依頼しようと思っていたけどな。俺一人だと、二人の居場所が分かってもそこから奪還することは難しいだろうし」

「それはありがたいが、なんでだ? 別にお前が動く義理はないと思うが」

 そう疑問を呈すセンに対して、ケイトウは笑いながらこう答えた。

「お前から二人の話を聞く中で、俺もあの二人に情がわいたんだよ」

 こうして、この件に関して二人は協力して動くことが決まった。

 早速動き出したものの、何をするにしてもプラムとパールの居場所か敵の本拠地を見つけないことには何もできなかった。

「ただ、こっちは二人だ。それに、敵の全容が分かってない以上、下手に他の情報屋を頼るわけにはいかない。だから、人手を頼りにする作戦を行うわけにはいかない。そんなことできないし、やれたとしてもこっちがばれる可能性も決して低くないからな。そうである以上、その道のプロに依頼するぞ」

 ケイトウは、センにそう説明して、センも同意した。その後、ケイトウが間に人を挟んで、自身の知る中で最もその手の潜入捜査に長けた人物に依頼をした。

 一週間後、その人物から報告を受けるはずの場所にその人物の首から下は現れず、代わりに相手組織からの刺客はたくさん現れた。

「これは……やっちゃったかな……」

 センがそうこぼすと、ケイトウが

「そうだな……どうしようか。俺、戦闘はからっきしなんだけど……」

 と冷や汗を流しながら答えた。

「まあ、逆に考えれば相手さんがわざわざこっちに来てくれたんだ。こいつらを捕えて、拷問にでもかければ何かは分かるだろ。こんな奴ら、俺だけで十分だからお前は俺の後ろに隠れてろ」

「そうですね。でしたら、俺はあなたの邪魔にはならないようにしますよ」

「お話は済みましたか?」

 センとケイトウが今後の方針を決めるのと同時に、襲撃者のリーダーらしき人物がセン達に話しかけてきた。

「ああ、済んだよ。待たせたのならすまないね。ただ、その分お前達が現世で自由にできる時間が増えたから、許してくれよ」

 その発言に、センが煽りを交えながら返すも、話しかけてきた人物に効いた様子はなかった。

「そんなことを仰らないでくださいよ。記念すべき、あなた方二人と自分たち『リ・ゾンネ』の初遭遇なのですから」

 その名前が出たとき、かすかに、しかし確実にセンの動きは止まった。後ろから見ていたケイトウはもちろんとして、刺客たちもそれに気づいたのか、男の話が終わると同時に二人へと襲い掛かってきた。こうして、戦闘が始まった。結果として、その者たちを撃退することに成功するも、自決してしまい捕えることはできなかった。結局、戦いの中でも終わった後でもセンの顔にはずっと驚愕の表情がかすかに残っていた。

 三か月が経った。いまだに捜索は小規模ながら続けている。しかし、めぼしい情報を得ることはできず、それどころか、捜索の人員が首から下と合わせて帰ってくることは無かった。センの元にはリ・ゾンネからの使者が訪れていたが、センは「どうせこっちが欲しい情報を持っているような幹部を捕まえようとしても自決するし、使者の話の正誤を判断する手段もこっちはないから」として、自身の元を訪れたリ・ゾンネの使者を撃退していた。よって、そこから新しい情報を得ることはできなかった。

 不幸はそれのみにとどまらなかった。最愛の家族に会えておらず、それどころかその家族は死んでいるかもしれないという状況がセンの心に大きすぎる負担をかけていたのだろう。加えて、センは二人を捜索するための費用を稼ぐために殺しの仕事を受けるしかなかった。たとえ、殺しに依存していたとしても、心の中には黒い澱みがたまる。これまでセンは、その澱みを家族と触れ合うことで消してきた。しかし、それは今できていない。その結果、これらによるストレスの二重苦でセンの心は壊れ始めた。

 最初の変化は口数の減少だった。もともと、センは口数が多い方でないとはいえ多少はケイトウに冗談を言ったりしていたのだ。それがめっきりと減った。その程度ならば、些細な変化であった。だが、次第に大きな変化が起き始めた。まず、「本名にこだわりがあるから」と言ってそれまではかたくなに使用を拒んでいた偽名を使い始めた。それでも、この程度ならば単なる心変わりで済ませていいかもしれない。ただ、これに加えて、これまでだったら受けなかっただろう仕事も受けるようになったのだ。具体的に言うと、大事にしていたはずの流儀を蔑ろにし始めた。今までは、依頼を受けたとしても依頼者と暗殺対象の両方を精査していたのに、最近は依頼者側の話のみを聞いて依頼を受けていた。報酬が大きい場合には、話すら聞かず依頼を受けることすらあった。この変化によって、裏社会ではかつての呼び名である、自身の流儀に則り社会に害なす人を殺す『執行人ヘルバ・セン』の名に代わり、金さえ積めばどんな殺しも行う『狂犬ヘルバ・セン』の名が囁かれるようになった。

 こうして少しずつ、しかし確実にヘルバ・センが変わりケイトウが恐怖を感じていたとき、センに一件の依頼が入った。その頃には、常時センの瞳から光は失われており、さらには、かつてはあった抜身のナイフのような雰囲気もなくなり、その場にいるはずなのに、ふと目を離したすきにいなくなってしまいそうな不安定な雰囲気を纏うようになっていた。家族殺害の依頼は、多少報酬額が大きいものの、それ以外には特に変な要素の無い依頼であった。センはもはや依頼者や暗殺対象を調査することは完全に無くなっており、この依頼も調査を行うことなく受諾することを決めた。普段なら、ほっとした様子の依頼者の後を追うようにして仕事に向かうが、この日は珍しくケイトウがセンを呼び止めた。

「……なんだ」

 言葉短く返答するセンに、少し怯えた様子でケイトウは言葉を紡いだ。

「そういえばさ、お前昔は自分の名前をとても大事にしてたよな。普通、こんな仕事をするなら偽名を使うのに、昔は本名で仕事を受けてたしさ。なんでだ」

 センは、そんなことを言われるとは予想してなかったのか、ケイトウからの質問に一瞬驚いたような表情をすると、

「……そうか、お前は知らないよな。じゃあ、せっかく家族殺害の依頼をうけたことだし、お前には話しておくよ。俺と、あの最愛の二人の話を」

 そう、最近のセンにしては珍しい長文で、瞳に光をともしながら返すと、センの過去語りが始まった。

 ――俺は昔、孤児でな。あの頃はこの街の治安も今と比べてとても悪くて、孤児として生きていくためには何でもやらないといけなかった。だから、何でもやった。盗みもやったし、ガキの頃から殺しもやってた。そんな状況でも、いや、そんな状況だからこそか、孤児同士でつながりができるもんなんだ。それで、「誰々の店は盗みがばれても、数発殴られるだけで許される」、みたいな話が伝わってくるんだよ。ただ、皆孤児だからな、一日一日を生きるだけで必死なんだよ。だから、孤児だったころから俺にとって死は身近なことだったんだ。なんせ、昨日話した奴が翌朝死体で見つかるような環境だったからな。そこから、俺は気づいたんだ。死んだら何も残らない、死体なんてただの肉袋、ってな。俺の中にある、強迫観念にも近い「絶対に死にたくない」って思いは、原点を辿ればここに行き着くだろうな。

 そんな生活をしていた時のことだな、俺は攫われたんだ。後になって分かったことだったが、どうやら「洗脳を受け入れて、警戒されにくい」ってことで、殺しに抵抗がない子供を探して子供の暗殺者を育てようとした、ゾンネっていう組織が犯人だったな。そこからは、暗殺者としての訓練だったよ。血反吐を吐くくらい厳しかったけど、どうやら俺には暗殺者としての才能があったみたいでな。何とかこなすことができていた。で、訓練が終わったら仕事だ。ただ、この仕事をするのに、いくら自分たちで育てたとはいえ、子供一人に任せるのは不安だったんだろうな、一緒に仕事する相棒を付けられたんだよ。その時付けられた女の子に俺は恋してしまったんだ。彼女はハニートラップを多用していてな、その中で使う近接戦闘の腕は目を見張るものがあった。幸いにも、それを俺が狙撃でサポートするって作戦が成功しやすくてな、俺とその女の子はゾンネの中でも比較的高い地位に就いていたんだ。その地位をフル活用して彼女にアプローチをかけて、無事に付き合えたんだ。

 ただ、ゾンネでは「人の情を知ると、暗殺に差し障りが出る」っていうことで、構成員、特に暗殺者の恋愛を固く禁じていてな、ばれたら即殺害だったんだ。俺たちの地位は高かったが、だからこそ組織内の風紀を乱さないためにも、見逃すわけにはいかなかっただろう。それを防ぐために、俺と彼女は組織を抜け出した。高い地位で、比較的自由があったから、比較的簡単だった。

 そこからは、まあ、大変だった。俺らを殺そうとしてゾンネの刺客が毎日のように襲ってきてな。死なないためにも刺客を全部返り討ちにしてたよ。それでも、刺客たちはゴキブリみたいに湧いてきたからな、もう嫌になってゾンネの本部を叩きに行ったんだよ。その頃には、ゾンネは街で一番大きい裏組織になってたからな、拠点の移動も簡単にはいかなかったんだろう。本部の場所は変わってなかった。俺はそこで全力で暴れてな、ゾンネを壊滅させたんだ。

 そんな生活をしている中でも、俺は彼女と結婚を約束してな、その記念として、彼女が俺と自分自身に名前を付けたんだ。俺には『ヘルバ・セン』って名を、自身には『ヘルバ・プラム』って名を、な。プラムはさっき言ったように、ハニートラップを得意としていたからな、贈り物に使うための花言葉や宝石言葉、話のタネにするためのいろいろな教養も教えられていたんだ。苗字になったヘルバは「植物」って意味で、これからは心穏やかに暮らように、って願いが込められていた。俺の名前のセンは、ヘルバと合わせて「千日草」、一般的には「千日紅」って花のことらしくて、その花言葉は「死なないでほしい」、ちょうどこの頃の襲撃が一番激しくてな、それもあってこんな名前にしたんだろう。襲撃の後も、殺し屋を続けていたからその意味でもぴったりな名前になってしまったけどな。彼女の名前のプラムは「梅」を意味していて、その花言葉は「忍耐」、これからの生活がつらいものになるだろうけど、それでも耐えるっていう覚悟を示したって言ってたな。

 そんな風に、ゾンネを壊滅させて平穏を享受していた時、彼女の妊娠が発覚したんだ。ただ、彼女は産みたいと思ってはいたようだったが、同時に「これまでたくさんの命を奪ってきた自分が新たな命を育ててもいいのか、育てられるのか」って随分と悩んでいてな。夫婦でさんざん話し込んだ。それでも、俺の「だからこそ、新たな命を俺たちの手で育てるんだ」って言葉が決め手になったのかな、産むことを決意してくれた。

 ただ、そうなると生活が大変になる。家族三人を養えて、かつ俺にもできる仕事っていうと、殺ししかなかった。幸い、「一人でゾンネを潰した」っていうことで、裏の世界では少しは名が広まってたからな。プラムも最初は反対していたが、彼女も選択肢がないってことはわかってたんだろう、最終的には受け入れてくれた。ただ、その代わりに「あなたが大事にしてくれている私がつけた名前と、生まれてくる子どもに恥ずかしくない仕事だけを引き受けるようにして」って言われてな。その条件をのんで、仕事を認めてもらった。だから、俺は自分が「この殺しは社会に良い影響を与える」と思った殺ししかやらなかった。

 それからしばらくして、無事に娘が生まれた。本当に娘はかわいくてな、俺の生涯の中で間違いなく最も大切なものになったよ。ただ、だからこそ、俺の仕事のような社会の汚い部分には触れてほしくなくてな、自分の仕事を「おそうじやさん」と説明してるんだ。同時に、妻との約束が強化された。「世の中のごみを掃除する」と認められた仕事、即ち俺の流儀に合わない仕事はしないと、覚悟がより強固になったんだ。

 その後は、お前も知ってる通りだ。仕事をしては、家族との触れ合いでそれを癒す、その繰り返しだった。

「結局、俺が本名を使ってたのは、自分への戒め、『本当にこの仕事は名前とパールに恥じるところがないか』を忘れないためのことだったんだ。そんな中で、あの事件があった。もう、あいつらはいないのに、それを気にする必要はないだろ」

 そう言い終えるなり、センはこの話をしたことの遅れを取り戻そうとするかのように早足で出ていった。

 ケイトウは、センの話を聞き様々なことが理解できた。なぜ急に偽名を使いだしたのか、なぜ自身の流儀に反する仕事もするようになったのか、なぜ敵組織の名前が「リ・ゾンネ」であることが分かった時に驚いた反応を示したのか。それでも、ケイトウはセンの話に納得はできなかった。

「センよ、お前はそうして仕事をして、帰ってきたプラムとパールに普通に接することができるのか。そんな理由で生まれた自分の流儀を捨てるってことはお前、二人が帰ってくることはないってお前自身が諦めてるってことではないか」

 その声は誰にも聞かれることなく、空気に溶けて消えていった。

 一時間後、センの姿は殺害対象の家族が見えるビルの十階にあった。スナイパーライフルのスコープを対象に向ける。笑い合う女性と女の子が見える。なぜか、頭の中で「撃つな」という声が響くが、その声を気にすることはなく、人差し指が引き金を引いた。

 パスッ パスッ

 軽い音が二回続いて響く。女性と女の子が倒れこむ姿がスコープに写った。

 二人が倒れこんだマンションへと向かい、中に入る。エントランスから部屋に連絡を入れて扉を開けてもらう仕組みであったので、携帯していた拳銃でガラスの扉を撃ち開ける。マンション中にアラームが鳴り響くが、そんなものを気にせず目的の八階へと向かう。部屋の扉もロックが掛かっているので、ロック部分を撃ち抜いて破壊する。センが拳銃を使用したところを見て、警備員らしき人物がこちらへと向かってくるので、拳銃で胸元に風穴を開けて、行動を止めさせる。その後、落ち着いて部屋の中へと入り、倒れこむ二人の姿を見つける。いつも通り脈を確認すれば、すでにない。無事に仕事ができたと、安堵して部屋を立ち去ろうとした時、倒れこむ二人の顔に違和感を覚えた。興味本位で、女性の顔に手をかける。

 ペリッ

 皮膚の下に手が入った。驚きで一瞬腕が止まる。怯えながらも手を動かすと、顔の上にもう一枚皮が重ねられていることが分かった。それを剝がすと、下には見覚えのある、ありすぎる顔が存在した。

「プラム……」

 思わず声が漏れる。(まさか……)脳裏に現れた予感を否定したくて、女の子の顔にも同様に手を当てる。女性の時と同様に、皮の下に本当の顔が存在していた。それは、否定してほしかった予感を、最も残酷な形で示すものであった。

「パール……」

 そこにあったのは、この世で最も愛しい、宝物である愛娘の顔が存在していた。

 しばらく何もすることができなくて、ただ床に座り込む。部屋の中を重苦しい沈黙が満たす。こんな時に限って、いや、こんな時だからこそか、頭の中に在りし日の二人の記憶ばかりが浮かんでくる。新たな記憶が浮かんでくる度に、こんな日々は、自分が破壊してしまったからもう訪れることはない。この事実が胸にずどんと響く。頭の中では、彼女たちが「あなた」「パパ」と親愛を込めた声で呼びかけてくれる。頭の中の、これまでの楽しい日々の中の二人は、決してセンを詰ることはなかった。責めることはなかった。

 これまでの生活の中で積み重なった心を最後に完膚なきまでに破壊するには、二人の死と、その死をもたらしたのは自分であるという事実は十分すぎるものであった。座り込んでいたセンは、立ち上がると同時に拳銃の銃口を自分の口に咥える。そして、人差し指を引き金にかける。しかし、いつまでたっても、そこから人差し指が動くことはなかった。

 動かそうと思うたびに、頭の中でプラムが、仕事に出る朝のように「今日も無事に帰ってきてね」と呼びかけてきた。パールが、仕事から帰ってきた夜のようにこちらに勢いをつけて抱擁してきた。それらの行動をされてしまって、自分の指を動かすことができるはずはなかった。

 やがて、センは

「つらいよ。これ以上、俺を生かせないでくれよ。お前たち二人のいない、地獄の現世から離れさせてくれよ」

 そうこぼすと、部屋の中を探索し始めた。もう、二人と会話することはできないけれど、触れ合うことはできないけれども、現世の残り香をできる限り堪能したかった。

 日記を見つけた。どうやら、住まいをここに移してからの日々についてプラムが記録を残していたようだった。その中には、二人が「センの知り合い」だと名乗る人物に「センから頼まれた」としてここまで連れてこられたこと、「命の危険があるから」としてプラムの技術で変装をしていたこと、「センに会いたい」という要求は「センの方が断っている」として面会が断られていたことが書かれていた。そのほかにも、パールが九九を覚えるのに苦労していること、国語の文章が面白いこと、プラムが新しい料理にチャレンジしたところ、美味しくできてパールに好評であって、いつかセンとも一緒に三人で食べたいなどの、日常の小さなことも書かれていた。読んでいくと、会えなかった期間の二人の日常が分かっていった。だからこそ、「その二人の日常を自分が壊した」ということの重荷が自分の中で増していくのを感じた。

 昨日書かれた部分まで読み終えたとき、これ以上壊れようがないと思っていたセンの心は、さらにボロボロになっていた。

 センがマンションから出ようとするとき、待ち構えていた警察をセンは手にしているスナイパーライフルや拳銃を用いた、変則的なガンカタで撃退した。その後、幽鬼のような足取りでその場から立ち去って行った。

 それから、三年が経った。裏社会の中に『狂犬ヘルバ・セン』の名に代わり、『災禍ヘルバ・セン』の名が囁かれるようになった。曰く、意思なき災害であるかのように、ランダムに襲ってくる、襲われたなら、何人も逃すことなく、全員を殺してしまうという。

 そんな噂を弱者の戯言だと切って捨て、もしも本当だったら俺らがそいつを殺してやると意気込んでいる集団がいた。皆で、その噂を恐れ、縮こまっている集団を嘲笑していた時、部屋の扉が開き、ナイフを持った男が入ってきた。

「お前、何者だ。門番がいたはずだが、どうなった」

 男はそれに答えず、ぶつぶつと何かを呟きながら部屋に入ってきた。その陰から、倒れている門番が見えた。首元が血で濡れており、生きているようには見えない。しかし、そのことに部屋の中にいる誰も気づかなかった。襲撃者の技量が尋常でないことを皆が察して、部屋の中に緊張感が走る中、男はそれを気にすることなく、一定のペースで部屋の中へと歩みを進める。

 両者の距離が縮まると同時に、部屋の中の緊張感も増加していく。両者がある程度の距離まで近づいた時、部屋の中の男たちが一斉に攻撃を始めた。それを襲撃者は涼しい顔をして対処し、逆に攻撃を加えていく。

 二時間が過ぎた頃、部屋の中には多数の男の死骸と襲撃者の男――ヘルバ・セン――のみが残っていた。静かな空間に、センのつぶやきが響いた。

「殺してくれよ。この、勝手に動く憎らしい体の反射を超えて、だれか俺の心臓を潰してくれ。目玉を……はらわたを……俺の体から引きずり出してくれ。……俺に……苦痛を与えてくれ。俺に……償いをさせてくれ。あいつらを殺した……この、ゴミみたいな、ゴミそのものな、俺を……殺してくれ。誰でもいいから……誰か」

 そう言いながら、亡者のような足取りで部屋から出ていき、また別の組織の本拠地へと向かっていった。その途中でセンは水連の花を踏んだが、そのことを気に掛けることはなった。

 歩いていくセンを、踏まれた鈴蘭の花が見つめていた。

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