そこはかとなく氷解.2



 ――《アシュヴェルダ》…



 闇人による名乗り。


 闇人自身の口からなされたその者の《しん》をあらわす音。


 それを告げたのが、闇人……もしくはそれに近い真名まなを備えた亜人・妖威の類——その方面の要素が相応に濃いものであれば、不思議と直感が働くセレグレーシュにも、それとして……。


 いま目の前にいる闇人の真正しんせい

 魂と魄の結びつき——不足のない重量ウエイト、奥行き、響きとして知覚できた音。


 それは、その存在の本質を知らしめる調和音ちょうわおんであり。

 光のなかに見いだせる色彩のように印象的でありながら、きりかすみもやのごとくあっさりき過ぎてもゆく……そこかとはなしに明瞭めいりょうでもある霊的れいてきふくみ。

 とらえどころがないようでありながら、たしかな深みとかろやかさをそなえたその存在の現身うつしみ/げんしんの表出。


 ゆがみとも指摘しきれないゆらぎ……

 広く拡張かくちょうされた不可思議なはばもうけとれたが、そうありながらもという生きものを有態ありていに表現する共鳴。精緻せいち手応てごたえが感じとれた。


 なぜ、……

 セレグレーシュ自身が、こうして耳にするまでそれと気づけなかったのか…——

 微妙な違和感。

 腑におちない部分もあったが、そこにうそいつわりの余地はない。



 ――〔《アシュヴェルダ》〕…



 ……「《ヴェル》」……



 あとのほうは、ずっと捜し求めていた人物が彼に呼び名それとして告げた音だが、いま耳にした闇人の名には、彼が知っている響きと表層の音が重なっているだけではなく、その一部であるような……。

 ぶれ無く、きっちりそろう同一のものでもあるような余韻よいんが存在する――

 そんな、予感がした。

 

 いっぽうは、あくまでも人が使う音のいきなので、霊的な広がり……深意しんいなど、ほとんど帯びてはいない。

 そういった霊威れいいは、あってもないようなレベル。かすみていどのものだ。

 だから錯覚さっかくで。

 セレグレーシュ自身がそう思いたいだけなのかも知れなかったが、彼が知っている《ヴェルダ》のほうが、たまたま同じ音を具えていたか、わけあってそう名乗ったか、偽装ぎそうしたのでなければ――


 その人に相違そういない。


 この流れで白状するという前置きのもとに明かしたのだから、きっとそう。同一なのだ。


 まちがえたくなくて、慎重しんちょうに受けとめようと感情を制御するなかにも、記憶の中で、うやむやになっていた人物像が目の前にいる少年と重なり、ぴたりと一致いっちしたように思えて……。


 飛びつきたい衝動しょうどうがあったのだ。


 けれどもそれが、あまりにもこともなげに…――

 心なしか、嘲笑ちょうしょうともとれる微笑びしょうのもとにげられ……突き放そうとする意図いとがあるようにも感じられたので。


 その時、セレグレーシュの両足は、地面にはりついたように動かなかった。


 そうして思い返してみれば、無視できない事実……この状況にいたる流れもあったのだ。


(……そうなら……。そうだったのなら、どうして…!? ……)


 自分がここに来たとき、なぜ名乗り出てくれなかったのか?


 ずっと、そこに居たのなら…――


 へらへら、らしくない笑いを浮かべて、遠巻きに姿を見せながら話しかけて来ようとしなかったのは?


 自分がヴェルダを捜していた事実を——…


 それと見いだせずに葛藤かっとうしている有様さまを、その目で見て、知っていたはずなのに…――!!


 セレグレーシュがこの家に住むようになってから、二年あまり。

 その男は、承知しながら、ずっと観察していたのかと。


 じわじわと疑念がふくらむなかに、不平も不満も一塩ひとしおだったが、セレグレーシュは、口に出しそうになりかけたその思い……苦情まがいな糾弾きゅうだんを腹の底にしまい込んだ。


 なにより、こんなふうに名乗られるまで自分が気づけなかったこと……確信できなかった現実が不可解に思えていたし、

 きっと、いまくべき……明らかにすべきなのは、もっと根幹こんかんの部分。


 すでに、かなりまで改善されていて、その気になればいつでも詮索せんさくできそうな、そんな瑣末さまつなことではないのではないかと。


 むろん、それらも無視できない過去で、なじりたい思い、めたい心意しんいも湧いた。

 少しでも気がゆるめば、口に出してしまいそうだったが、いま対峙たいじしている闇人がその人なら…――この状況から考えても、一筋縄ひとすじなわではいかない。


 いま、まっこうから責めたてると、変な方向にかわされてしまいそうな……。

 場合によっては、その一手いって見限みかぎられてしまいそうな予感をおぼえた。


 きっと、闇雲やみくもにあたり散らしたのでは、あきれられる。


 自分のことしか頭にない甘ったれ。

 とりあうにあたいしない向こう見ずな子供とわらわれてしまうのではないだろうか?


 こんな状況にあってもセレグレーシュは、大切に思っていた友人――ヴェルダに避けられたり軽視されたくはなかった。


 未練……なのかも知れなくても、その人には、これと一目いちもくを置かれたい。


 尊敬されたいわけではないが、自分がそのとなり~そこ~に居ていいのだという認識、確信がほしい。

 存在としての価値を認められたいのだ。


 なにより彼は、さほどに、その友人の事情を知っていたわけではなかったから……。

 終わったことを責めるより、知るほうが先だ。


 そう。


 いま向き合っている相手がヴェルダその人で、大事にしたいと、得難えがたい存在だと主張するなら……したいなら――そうするべきだ。


 ただの知己ちきではなく、友人だと言いたいなら……きっと、それが正解だ。


 特別を言うには自分は、彼のことを知らなすぎるのだ。


 それにいま。セレグレーシュがおかれている状況は、あたらずさわらずそのまま受けいれるには、気味が悪くなるものだった。


 相手は闇人で、ありがちな人間が持ちない可能性――そのなかでも、強大なのうをその身に秘めた存在だ。


 信じたい……信じようとは思うのだが、その人の過去の行動…――セレグレーシュへの接しかた、そのあたりに秘められているだろう真意・思惑が不透明過ぎて、いつなにをされるかわからない危険性をはらんでいる。


 ずっとかくしていたのなら、かしてくれるとも限らない。

 それでも信じたかったし……。


 少なくとも、ここでしんの名を明かしてくれた――


 闇人にとって、その事実は、決して軽いものではないはずで……。


 狂いやゆがみのない正気の闇人――真名まなといえるレベルの調和を備えている者が、その名を明かす……ゆだねるのは、相手に相応の好感を……信頼をいだいている場合か、または降伏する時だから。


 反意があるなら、なおさらで。容易たやすく明かすものではないのだ。


(だから…。きっと、大丈夫だ……)


 暴走しそうな感情を、ようよう抑えつけたセレグレーシュは、いま目の前にいる彼を捜していた人物だったと想定し、八割方そうだと受け容れたことで、その時、頭に浮かんだ疑問をぶつけてみることにした。


 めいいっぱい背伸びして、

 れる感情をおさえつけ、

 やらかさない失敗しないよう、極力きょくりょく努力しながら…。


〔――そうなら…。…そうだというなら、なんで人間のふりをしていたんだ~してた~?〕


 言葉にしてみると、こころもちまとはずしたような感覚を覚えたが、そのまま追究行動を継続する。


 白い少年。アレンもそんなことを言っていたし、事実、彼がその人なら、気になる行動でもあったのだ。


〔オレ、(そう思いたくはないけど、甘ったれで…)ガキだったから。

 闇人が嫌いだなんて言ってたけど、そんなのは、……思うようにならない苛立ちから出た底の浅い逆恨さかうらみだ。

 どんなヤツかも知らないうちから嫌うなんてするわけないし、くつがえすことなんて簡単だったんだ。

 (おまえが)…オレの知ってる「ヴェルダ」が闇人だったら……。そのまま受けとめるくらいの度量どりょうはあったと思うのに…。……〕


 ヴェルダは彼を助けてくれた恩人で、まともにできたと思った人間ひとで最初の友人だ。


 つねに背中を追いかけていた感があり、

 ふり返ってみれば、一方的になついていたようにも思う。


 ふってわいた安全そうな存在……。

 夢を現実にしたような救済主きゅうさいぬしに、どっぷり依存いぞんしていたのかも知れない。


 それと現実をつきつけられると、不本意なだけに反駁はんばくもしたくなるが、そういった症候しょうこう微塵みじんもなかったのかを問われれば否定などできない。


 敵か味方かの見定めをはか分別ふんべつがあるなかにも存在した闇雲にも思える信頼……依頼心いらいしんは、せい執着しゅうちゃくして有用ゆうようそうなものに飛びつくおさない動物の本能だったのかも知れない。


 相手にとって、未熟な自分がしんをおけるほど有益ゆうえきな存在だったとは、とても思えず……。

 ねつけ、差し引きたくとも、対等とはほど遠い関係――当時から自覚はあったのだ。


 それでもヴェルダは、彼にとって気をゆるしてつき合えた三人目の他人。


 それも人間だと思っていたから、初めてできた人間の友達で……兄貴分としたう大事な存在であることに違いはなく――


 大丈夫だと信じた……信じたかった――いや、、かけがえのない存在なのだ。


 その彼が、闇人であったなら、

 はじめから、わかっていたなら、


 近づいてきた理由に疑問をおぼえて、真意・目当てをたずねただす場面があったかもしれない。

 

 そのうえで、目的や悩みを教えてもらえなくても……。答えてくれなかったとしても、きっと…。

 そんな好奇心まがいのこだわりなど、時機が来るまで放置できたはずなのだ。


 相談する内容も変わっただろう。


 たびたび姿を消すことがあっても、彼が強いと……。

 人間のわくおさまる存在ではないことを知っていたら、少しは安心していられた。


 その干渉かんしょうに動機――向こう側に大切な人がいて呼びたいとか、帰りたいという思いがあるなら、すぐにはこたえられないまでもかたむける耳だって持ったはず。――かなえる努力だってしたかもしれないのに……。


 そうして思案する中に、ふと——セレグレーシュの内側うちに生じ、ざわざわとその意識を占めきたったのは、強烈な違和感だった。


 正しくは、相手の真名を聞いた時にはすでに覚えていた奇妙さ。

 その事実の裏側に、ひそんでいた不可解……いびつな現実……事態を再認識したのだが…――。


 相手が人間ではなく、闇人だったなら、どうして、人間それ


 だまされたのだろう? と。


 でも、本気で向き合っていれば、ありないことのような気がして……


 ふつうに考えても大切に思っていた存在の姿形すがたかたちを思い出せなくなるなんて、やはり、おかしいのだ。


 さほどに遠い過去というわけでもなく……。


 たとえ、その彼相手が、そういった種類ののうを備えているのだとしても——…


 直感的には、持っているとそうとは思えなかったりもしたが、ともあれ——。


 それはきっと、もとからものではない。

 なんらかの干渉かんしょうすえしょうじた後天的こうてんてきな変化。

 真名と照らし合わせてみても、後付あとづけ。添付。もしくは成長発展の成果にのだったし……。


 過去の発言から考えても、相手はだ。

 多少、おかしな〝ゆらぎ〟があろうと〝確かな真名〟をそなえた存在で、混ざりの強い亜人や妖威、こちら産まれのその係累けいるいではないのだ。


 ならば、は、確実に識別できる——なのだ。

 それなのに、みすごした。

 無自覚なうちに気をらされていたのだとしても、その事実が不可解で……


 どうしても合点がてんがいかなくて事実関係に、再度、探りをいれようとしたセレグレーシュの脳裏に、例の琥珀色の石の印象、面影がぎった。


(――…そうだ。あれは…)

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