枯れかけた木に花は咲くか.3


 ゆらぐ生体を維持するだけでいっぱいいっぱいに思えた白髪の青年――


 以前は、束ねられてはいても、伸びるままにされている印象だった頭髪が、こざっぱりと切り整えられ……。すじと骨格をはじめ、たけが、もしかしなくても、けっこうな長身といえるくらいに伸び……、

 不健康にふくらんでいたどうまわりが、若い人間的な輪郭を形成し、かつての半分はんぶん以下にひきまっている。


 成人そこそこの壮健そうけんそうな均衡きんこうを保持し、表面的にはすっきりして見えたが、存在感はいまも自然にはありえないほど型破りなゆがみ方、よどみ 方、魂魄こんぱくから成るだ。


 正直なところセレグレーシュは、その人物がこの場にいるとは思っていなかった。

 最初はなからそう告げられたとしても、信じなかっただろう。


 三年前の初夏。セレグレーシュが受けた印象では、その存在は、可変かへん的で、ひとつきもつかもたないか、ややもすれば、その日のうちに息絶えてもおかしくない状態にあったのだ。


 生きてここにいるのが不思議なくらいなのに目の前のは、椅子に深く身を預けている状態とはいえ、起きていて目をひらき、たしかな意識をたもっている。

 外見的な変貌もとげていたが……それでも。


 !! という――確信的な思いを胸に。

 認識常道はんする事象じしょうを前にしたセレグレーシュのふたつの目が、その理由を無意識にさぐり、その胸元より下…。

 おなかの前。その人物の脚……大腿だいたいの上に鎮座ちんざしている細工におりたところで、ひたととどまった。


 セレグレーシュの多色のきらめきがらばる赤ワイン色の瞳が、大きく見開かれる。


(なんで…。なんで、こいつがっているんだ?

 ヴェルダは……ヴェルダは、自分のいのちのようなものだって…。

 命……。ヴェルダの命――…)


 疑念を胸に立ち止まった彼のくちびるに力がこめられ、かた真一文字まいちもんじむすばれた。

 そんなセレグレーシュをよそに。

 ともにある二者の会話——情報のやりとりは継続されている。


「――東の《地境ちざかい》と呼ばれるおかの途切れめや、そこからこちらの噂は、わずかながらここにも届いているが、そういった集落の話は耳にしたことがないな」


「うん。《地境ちざかい》の向こう。あいだ大海おおうみ(内海)の先だ」


 先行していた講師はもとより。

 セレグレーシュが足を止めたことで、となりにあった白い少年、アレンの肩も彼のさきを行くになる


「北側はとおれないけど、南は人が住まない土地さえけられれば、渡れないこともない――」


「それは…《不破ふわの大地》のことだね」


「ふわ?」


「東の地にいたる北側の大地を〝人には越えられない、踏破とうはできない地域〟という意味で、我々はそう呼んでいる。

 周辺の海や空もふくむから、この表現が適切とは言えないが……。まぁ、(事情……様相ようそう条件がちがおうと)南も《地境ちざかい》の向こうは、似たようなもののようだけれどね」


「あぁ、うん。(オレの里から見て)西な。こここっからは、東で北…(に)なるのか? たぶん(そうだな)。

 あそこは、南の方とはわけが違う。北にあるのにかわいていて雪も降らないって。オレの里では、ずっと西には《デス》……《死の荒野》があるんだって言われていた。

 むかしはその先にも人の住む町があって、オレの里みたいに雪が降ったって…。

 でもいまは、命をいとる魔物がいるとか、地面そのものが命をうとか言われててとおれないんだ。

 あったっていう町がどうなったのか、わからない。

 誰が言いだしたのかもわからないけど、地続じつづきなのに向こうにはぬけられないんだっていう。

 高い所~山~から、その方向ほうながめたことあるけど、よくわからなかった。ほんとなのか知らないけど危険みたいだから、こっち(西に)来るには、ふつう、南から西、目指して、海峡かいきょうわたって《地境ちざかい》っていわれてるこっちのそのへんの突端とったんから入る。

 南側も高い山脈とかわいた荒野があるから、ぐっと回りこまなきゃならなくて……。南下しぎてもあぶなくて…。

 《しゅろ》とかいう里、出てから《地境ちざかい》まで(は)道も人里ひとざともなかった。

 じめじめして、嫌な虫も狂暴なやつもいてひどくて……。

 変なものばかりで、なにが食べられるのかもわからなかったけど、そのへんは、スミレがいたから……。妙なものもよく食わされたけど、探せば、けっこう、食べられるものもあって…。

 でも、あんなところ、フツー一般の人間は越えられないかも。

 寄生されたら命とりになる、わらわらいたからな。とにかく! 来ても行っても、それっきりで、戻るやつはほとんどいない。

 交流なんて無いようなものだ」


 しばし、じっと耳をかたむけていたアロウィースは、感慨かんがい深げに目を細くした。


「うん。人にとって、危険なもの……(妖威まがいの)寄生生物が多いことは聞いている。(それにしても…)内海ないかいのさらに東の土地か……」


 青い双眸をじぬまでもせ、嘆息たんそくする。


「存在することは言われているが、やはり、違うな」


「違うって…――オレ、うそついてないぞ!

 セレスだって、むこうから来たんだ(ひひらでも余所者よそものみたいだったけど、むこうから、こっちに渡ったんだ…※1)」


 ソファの間に配置されているテーブルを前に。その横合いまで進んだことで、自然、足を止めていたアレンの注意が、自分より遅れたセレグレーシュに流され、ちらとそのようすを捉える。

 車椅子の男に気をとられている当人とうの彼は、もう、ほとんどふたりの話を聞いてはいない。


「実際にそこに居たと主張する人間に会うのはこれが初めだからね(――冗談めいた虚構きょこうなら耳にしたことがあるが、向こうから来たというの~これ~が事実なら実に興味深い)。〝見ると聞くのは違う〟というのといっしょで、受ける印象がね……。

 不思議はない。虚偽きょぎと否定するほどの思いもない。ただ、この目で見たわけではないから、非常に奇天烈きてれつに感じられるんだよ。

 いま目の前にいる君が、向こうでは多くの人間が生活しているようなことを言うからさ」


「ん。人間(は)しぶといからな。ピンチになると、子供もできやすくなるっていうし。ネズミやネコほどではなくても、繁殖力が違う――けっこう、あっけなかったりもするけど……。

 でも、人里自体、そんな(に)多くないし、たぶん、こっちほど数はないと思うよ? 里の外は、なにが出るかわからないから内にこもりがちで、用もなければき来なんてしないしさ。

 こっちみたいに大きいのも、悠々ゆうゆう(と)して見える町も、あまり見ない」


 アレンがもっともらしくうなずいて、彼なりの意見を展開していると、ソファのほうからつっこみが入った。


「あまりじゃなくて、あったとしても知らない、でしょう? (聖城市ひじりじょうしは、それなりに大きな街だっていうもの)」


「うるさい。オレは主観で話してるんだからいいんだよ! スミレは黙ってろ」


「その呼び方、やめろって言ってるのに、いいかげんにしてよね」


 返された抗議要求を意識的に無視したアレンが、車椅子にした青年に視線を移す。


「シナ、それ、はずしててもいいけど、誰にも渡すなよ?」


 その言葉に、セレグレーシュがぴくりと反応した。

 彼らをまとめて警戒するような、むっとした表情だ。


 とうのアレンは告げるともなく、声をかけた青年と旧知きゅうちの女性の前を横切って、そのとなり。いている座面ざめんの真ん中あたりに、どっかり腰をおとした。


 ぎしり、めきめきっと、彼が腰をしずめたソファがしなる。


「ちょっと! すわるなら加減して座りなさいよ。椅子が壊れるわ。

 だいたい、あんた、いつからそんなに口が軽くなっちゃったの?

 (舌噛みそうになるとか言って、いつだって話したがらなかっただんまりだったのに、よく口が回るじゃない。情報提供なんて、地境からこっちで充分なのに…――)

 もう少し、慎重しんちょうになるべき…――」


「うるせ。聞かれたから話しただけだ」


「そこまで聞かれてなかった(と思う)よ?」


 ロイスアドラー(アロウィース)が、テーブルをさかいに客人と対面する位置にあるソファへ移動する。その彼の注意が、客人を視界に不満そうな顔をして棒立ちしている門下生へと向けられた。


「レイス。――君はすわらないのかい?」


 講師の問いかけにセレグレーシュは、わずかに視点を浮かしたが、車輪のついた椅子に腰掛けている青年から目を離すことはしなかった。


 口は閉じたまま、真顔まがおで対象を正視せいししている。


 不躾ぶしつけなまでの視線に相手も気づいたようで、そのおだやかなライムグリーンの瞳が、もの問いたげに秘色ひそくの髪の少年をうつした。


「紹介が必要かな?」


 講師が確認するようにたずねると、一度は、ソファに腰を沈めていたアレンが、こうしてはいられないとばかりに立ち上がった。


「そうだった! 、シナをて!」


 いきおいのままにあゆみ寄り、セレグレーシュをかしたが、とうの彼は、それまでかたくなに否定していた呼ばれかたも無視して、いま、がしっと自分の腕をつかんだアレンを一瞥いちべつし…、

 視点をもどすともなく、緊張きんちょうしたおもちで言葉をくりだした。


「それは、どこで手にいれたの?」


 問いが向けられているのは、車椅子に腰掛けたシナと呼ばれる青年だ。


「いつ? どこで?」


 かさねて詰問されたシナの着眼ちゃくがんが、セレグレーシュの目の動きから、自身が首からはずして大腿だいたいの中ほどに乗せている細工さいくに移動する。


「なんで、おまえがって……」


「…――わたした」※2




※2 すでに出演済みですが、新手の登場です……と、いえば、おのずと対象はしぼられてきますが、発言者の正体は次回に——さほど、意外な結果でもないはずです。


※1 大陸の西側への行程——アレンらは、比較的無難にやり過ごせた方です。

 と主にその同行者のうちのひとりは、東の南部を抜けるさい、彼らよりはるかに悲惨な目にあっております。彼らの場合は、アレンらと違って、はじめから大陸のこちら側を目指したわけでもない(連れは他にもおりますが……/初期~生後から~のセレスの背景メンバーで、その時同行しているのは、ルーシィのみ/ルーシィは〝さいどすとーりぃ〟の三話目で、ちらっと登場済です)。

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