第4話.実 相 ~じっそう~

実 相.1


 講習が終わると、授業を担当していた女講師の足が生徒の方へ向いた。

 彼女が目指す白い個体は、前から二列目の机の教壇正面付近ふきんにあったので、さほどの歩数でもない。


「来談者のレン君、で……まちがいないと思うのだけど……」


(らいだん?)


 顔をあげた白い少年が不審そうに視線を返すなか、用件が告げられる。


「《天風てんぷうの間》で……、ご友人が待っているそうよ」


 日頃から、ゆっくり話す女性なので、のんびりした言葉なりではあったが、それは提案というよりは、一方的な行動提起。

 相違なければ行きなさいという通告だった。


「ごゆうじん? (オレを待ってるって、誰が?)」


「おまえの連れじゃないか?」


 そばににいた青白い髪の少年が予測を口にして、それとなく行動をうながした。

 そこで状況を理解した白い少年が、うつむきがちに思案する。


「(てんぷー…?)――それって、どこ? …あぁ、いいや。おまえ、連れていって」


 矛先を向けられた青白い髪となりの彼。セレグレーシュが、えっ? とアレンに目を向ける。


 そうして見ると、相手の少年の黒に複数の色彩を混ぜこんだような鈍色にびいろの双眸が、逃がさないとばかりにおどしをかけていた。

 示された対象がアレンひとりだったからだろう。


 しかし、《天風の間》と呼ばれる建物は、次の講義が行われる場所と、ほぼ対角といってもいいような位置にある。


 《家》と一括ひとくくりに呼ばれることが多くても、ここの敷地は多分に緑地・広場を内包していて、けっこうな規模の市街地や都市、自然公園並の広さがあるので、行きだけならまだしも、その後の自分の予定を考えれば、むしろ遠い。


 講義もふくめ、合間合間に置かれている休み時間は、移動距離や教え手のスケジュール、授業の方向性や下準備など、諸々もろもろの要因から、あたりまえのように長さが変化する。

 学ぶ者の調整の仕方やこれと提起されたカリキュラムによっても違ってくるが…――この時のセレグレーシュの手持ちは十五分ていど。


 直線的に進めるわけでもない。


 はぐれたり、邪魔が入るような事があったりして手間どれば、片道行きだけでも危うくなりそうなので、もしかしたら挑戦するだけ無謀な賭けなのかも知れず——。

 いずれにせよ、そんな方面に足を伸ばしたりなどしたら、参加を予定している授業に間に合わなくなりそうなのだ。


「オレ、次の講義が……」


「案内してあげなさいな。いずれ、あなたもいろいろ聞かれそうだから、手間もはぶけるでしょう」


(でしょうって……。そんな悠長なこと言われても)


「ほんと、いい迷惑よねー」


 いつもどこか眠たげで、おっとりとかまえて見える女性なのだが、話す速さは、そのまま退屈そうでも、言葉数がいつになく多い――


 セレグレーシュとは深く関わる機会も少ない講師と受講生という関係なので、そう感じるのは、たんに言葉をかわす場面が限られていたからなのかも知れないが。

 ともすれば厭世的えんせいてきにも見える寡黙かもくな人で、講義中も特に変わったようすはなかったのに、いまはかなり苛立っている。


 どう差し引いて見ても、目つきが険悪だった。


 上に見積もっても二十過ぎ……二二か二三歳くらいの外見様相でも、じっさいは、三十路も遠くない二八のきれいな人で、いまは、すわりがちなその碧色の瞳に、ふつふつとした怒りが宿やどっている……ように見える。

 いずれにせよ、機嫌が悪そうだ。


 目と鼻の先にありながら授業に身が入らなかったのは確かだが、そんなのは彼個人の事情である。

 一生徒のそんな態度に頓着とんちゃくする人ではなさそうだし、騒いで授業を妨害したわけでもない。

 なんだろうと、セレグレーシュが成りゆきをいぶかしく思っていると、うやむやにされることなくその由縁が明かされた。


「今日はこれでの予定だったのに、アドに講義のめ合わせを押しつけられたの。他人ひとの都合をなんだと思ってるのか……拒否し蹴ってやろうかとも思ったけれど、そういうそうゆうわけにもね……。

 そういえば、あなただったよねー? あのお嬢さま稜威祇いつぎが審査に入ったのは。ほかに補佐もなかったみたいだし、……道中、苦労したでしょう?」


 〝アド〟というのは、とある男性講師の通名だ。


 その講師に頼まれてその女人ひとの予定が狂ったのだろうことは理解できたが、その後に提起された話題の経過理由が解せないわからない

 問われれば、否定まではできなかったので、思わず、うなずきそうになりながら微妙なまなざしを向ける。


 彼の審査……監査についた稜威祇いつぎといえば、つい先日、《月流し》こと一次考査で行動をともにした女のことだろう。


 それと指摘した女性講師と同色系の髪(いま目の前にいるその講師よりは、いくぶん明るい色調で、一本一本が細くやわらかそうな金髪)の持ち主で、いくつかの青系の色相を虹彩に宿やどした女稜威祇いつぎ――プルーデンス。


 ほかには、思いあたらない。


 その稜威祇いつぎ……闇人の横槍で、けんとう違いな方面へ誘導された彼の試験は結果的に保留となり、遠くない再試行を匂わされながらも、公的には、三年も先。十八歳まで延期された。


 それを通過しなければ、学べない知識・技能が存在するそうなのに。


「あの女、手がかかるったらない……。守りが薄いと言ったって、ファーネスもいないのに、どうして、あの店にしたんだろう? ハナは一般人だから、手におえるわけがないのに……」


 〝ファーネス〟や〝ハナ〟は、その女性の知人か友人だろうことが推測される――セレグレーシュにとって未知の存在なので、そのへんは聞き流すとしても。


 志願しながらひとりの生徒(セレグレーシュ)の試験をだいなしにした例の女稜威祇いつぎは、二年間、法具をあつかう店の守護者こと《もり(慣れるまでは見習い)》として勤務することを義務づけられたのだが、やはり、そのひとのことのようだった。


「プルーのこと?」


「…。彼らのことは、人称代名詞で話しなさいねー……。けっこう、はじめに教えられたでしょうぅ?

 霊音はぶこうと、偽名ぎめいだろうと…。それがその個体の呼び名で、任意がないなら、知らない相手には口にしないこと……偶然ぐうぜん、耳にして把握はあくできたとしても忘れること……。

 覚えていてもおもてには出さないこと。

 真名まなが明確でない稜威祇いつぎも多いけれど、名は、妖威闇人稜威祇いつぎにとって重要で、誰にでも明かすものではないの。

 それが彼らの名なら、霊威をはぶいて口にしようと、トラブルになることがある。

 明確に掌握しょうあくできようとできまいと、相手をはだかにするようなものと心掛けなさい――…」


 のんびり苦言をべたその口から、ことのほか重々しいため息がこぼれた。


「…リーデン・シュルトでは、〝ドゥオディーウィギンティー〟とか名乗ってる……。

 なにをこだわっているのか、省略すると怒るのよ。

 〝ドゥティー〟…でも〝ウィギー〟でもぅー——〝ディー〟でも〝ティーちゃん〟でもさぁ……。どうでもいいと思わない?

 面倒めんどーくさいったらない…」


 よほどまいっているのか、〝ルツ〟ことファイルーズ講師は、話す対象を知っている相手に不満をうったえることで、ストレス解消をはかりながら、さして効果もなかったように肩を落として、彼らの横を通りすぎていった。


 ふってわいた仕事もその気疲れの一因なのだろうが、どちらかというと、セレグレーシュも知っている女の稜威祇いつぎの行状のほうがネックなようだ。


 教え子に禁じておきながら、仮名なりとも、ここには居ない稜威祇いつぎの名を示すという意図的な冒涜ぼうとくまでおかして行った——事実、作為さくいがあったのかはわからないが、そんな印象だった。


 はじめのうちは大変だろうなという予想なら、彼にもつけられるが……。


(……本人は〝順調〟とか言ってたけど……ぁあ、でもあれは、行く前の話か。そういえば、あれから会ってないな。赴任ふにんしてから半月くらいだったか…。また、問題起こしてるのかな……)


「――…おまえ、稜威祇いつぎが審査につきそったのか?」


 ぼんやり思案してると、前列にいた二つほど年上の門下生に問いかけられた。


 肩をかすめる長さのざんばらな黒褐色の髪に、茶目っけのある茶色の目……。

 いま、とり組んでいる実技講習で見かける顔で、たしか《ロジェ》とか呼ばれている男子だ。


 セレグレーシュは、《家》に来たばかりのころ。そのくらいの年齢を中心にたずねて歩いたことがある――後に家に入った人間でも、確認できなかった顔でもないので、初対面でこそなかったが……。

 それ以降は、ほとんど言葉を交わす機会もなく。当時は、それなりの数をあたったので、いま彼の頭に思い出せたのは、講習中、耳に入ってくることがある〝ロジェ〟というその通名だけだった。


「うん…」


 《家》では、学力もふくめて、個人の試験の諸事情など、目撃者か当事者……事情を知る者がばらまかないかぎり広まらない。

 とっている講義から進み具合をさっすることはでき、授業を共にしていれば、成績や得意項目、能力を予測することくらいは可能ではあったが……。


 品行方正(身のこなしというよりは、気風や性根重視)を指針とする組織なので、問題行動に発展することはそうあることではないが、必ずしもさとりきれているとはかぎらない老若ろうにゃく混在こんざいしているのは、そのへんの人里といっしょである。

 トラブルが、まったく起きないわけではない。


「おかげで、試験が流れた……」


 この場は波風なみかぜがたたないよう、事実を盾にしてかわしておく。

 すると、その男子は、これ見よがしな——。伏目ふせめ加減に細くした視線をアレンにそそいでから、そっけない感想を口にした。


「ふぅん。ただのうわさだと思ってた。《稜威祇いつぎき》というのも、伊達じゃなさそうだな。機会があったら、適当テキトーなの紹介してくれ」


 さして深みのない揶揄やゆがふくまれた社交辞令だ。


 さらっとべられた、からかい調子のそれは、どこかしら冷めた印象もあわせそなえていた。冷静さを維持するなかにおもしろがっているふうにも、感心しているふうにも受けとれ…――さほどの悪意は感じられなかったのだが——…。

 セレグレーシュとしては、あまり触れられたくない部分だったので、それを指摘した相手にいい印象を持てなかった。


「おまえ、稜威祇いつぎが憑いてるのか? どんなやつ?」


 そこで頓着とんちゃくなくたずねたのは、アレンだ。

 机に両手をついて、立ちあがっていたので、まだすわっているセレグレーシュを見おろすかたちになる。


いてないから。興味持たれやすいみたいなだけで」


「なんか、わかるな、それ」


「なんかって、なにが?」


「おまえのそばって居やすいっていうゆーか、落ちつく……ていうか(違和感がないっていうか、くつろげるっていうか……)うん。こう……さ」


 なにやら、うめきながら、考えを言葉かたちにしようとして目を泳がせている。


「触ってみるまでそうでもなかったんだけど、たぶん、それとわかって近いと、ほっとする。

 気がゆるむっていうか、なじむっていうか、安心する? 話しやすいっていうかな。なんだろ?

 強いとか、頼りになるとかいうゆー、あるとかじゃないのに…――

(解放された感じっていうゆーのか…。捜してて…――見つけたわけだから、こんなの、気のせいかもしれないけど、でも、なんとなく、気がラクで……話しやすくて、かなりまで、考えなくても言葉がまとまって先に出る感じでもあって……思案しないことも迷わないわけでもないけど……。安心して話せるっていうか……認められてる感じというか…)——変に居心地いいからさ」


 解答もなかばに、より近い右の肩のあたりをぱほぱほと。確認するようにつかんでは放された。


 受けとめる側のセレグレーシュとしては、そっと溜息をついて、いまの一連いちれんのやりとりを(先の門下生の発言もふくめて)忘れることにした。


「行く。走るよ?」


 行動を告げるともなく、多くもない荷物――筆記用具のたぐいは、自由に利用して良いものが最低限、机に常備されている。この日の彼は、紙面が数十枚かさねて留められた表面ガード付きのクリップボードのみ――を片手に、さっと席をたつ。


「あ? わ、待てよっ」


 アレンが、あわててその後に続いた。

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