Failure Mode ~フェイルモード~.5


(トラウマ……なのかなぁ? たしかに自分でも、なんでとは思うけど……)


 左には、こざっぱりと整理された小規模の園庭。


 カフルレイリ講師に指摘されたことを思い返しながら、渡り廊下を歩いていると、前方に広がる視野の外。

 後背こうはいのどこかで、大きな声が上がった。


「あっ! 居ったぁーっ!」


 子供……。若い男子のものと思われる叫び。

 ともなく、タッっ…――と。


 あるともなしの足音。

 忍び寄るようでありながら、迅速な気配が背後からせまってきた。


 ん? と思ったセレグレーシュが、ふり返るよりも速く、がしっと。


 突進してきた何者かが、彼の右肩から胴を後ろから羽交い締めにして、勢いのままに前方へと押し倒した。


「う……わわっ!」


 ばたっと。その場にうつぶせに倒された後も、加えられ続けた重圧。


「もう逃がさねーぞ!」


(お……重っ…っっ)


 床に強かに打ちつけたひざひじと腕の痛み。


 直後に押し潰された転倒時の衝撃もさることながら、背中から腰にかけて、乗りあげた存在の重量にあえぐ。


 そうして身動きがとれなくなったセレグレーシュが、捕まれている肩越しに頭をあげて確認したところには、わずかに灰色かかった象牙色の髪に庇われた真白な造作があった。


 なにがなんでもという意思の表れた鈍色にびいろの双眸が、爛々らんらんとセレグレーシュを捉えている。


(…なんだろう…――この感じ……)


 瞬間、変になつかしいような……。


 なにか失われたものを見つけたような瞬間的な懐古……走馬灯のごとく展開しながらも明確につかみ切れない気配のようなもの。

 それは形にならない記憶直観か、勘違いか……。

 なにかもわからないのに泣きたくなるような感傷が生じて、つかの間、ぼうっとしてしまったセレグレーシュである。


 しかし、そうありながらも彼は、不思議と〝それ〟と〝これ〟はという確信めいた認識を携えていた。


 いま覚えた感覚これは、きっと、あくまでも錯覚……やはり擬似的な想起に過ぎなくて――…


 ここにあるもの。背中に乗っているは、比して、はるかに若く元気なように思えた感じられたし――


 だと、決定的にも思える相違を感じとり、見ぬいてもいた。


 それに、

 彼が知っているかも知れない過去のそれは、こんなふうに攻撃的でせっぱつまったものではなく――好戦的ではあっても、強者の余裕と情愛を感じさせるものだった……気がする。


 近似感をもたらしたその性質……能力も、いま身近にあるは、外へ外へとではない。


 ほとんどが内や表面付近に留まり飽和しがちで、加圧として発揮されることでとどこおることはあっても、やすく外部へ発散散逸はっさんさんいつされる仕様ものではなかった。


 その方向に利用できる可能性はあっても、規模や感度、反応幅に明瞭な格の差……容易には成しえない決定的な違いがあり、これと表現される仕様も似ているようでいてことなる。


 そう。


 表出のしかた、使い方や癖、感度・規模はそれぞれでも、基軸を備えて周囲に影響をおよぼすたぐいの能は、彼ら眷属けんぞくにあって、めずらしいものではない。


 環境へ対する感受性……干渉力の一端いったん、手段にすぎないのだ。


 だが、ここにあるものよりはるかにきめ細やかで柔軟で……。

 その肉体の負担になるほど饒多じょうただった——そんな……。似て否なる資質を備えた存在もの相対あいたいして、よく組みあったり、きたえられたりしたことがあるような……。


 心が熱く踊る毒のない抗争を、身をもってくり返し体感したことがあるような……。


 一度も勝てたためしがないのに、それが時には、しつこく迷惑なほどでもあり、楽しくもあったような……。


 過去にそんなふうに他者と接する機会などなかったので、それはやはり、錯覚……思い違いに違いないなのだ。


 現に、彼の背中に片膝をついて、どっしりと乗りあげているのは、十三、四くらいにしか見えない小柄で俊敏そうな少年だ。


 スリムな軽量級体型に見えて、到底、その圧力を維持できるとは思えない姿をしていたが、なにかされていることでもあるのか、セレグレーシュは、どうしようにも身動きがとれなかった。


「あ……あの、重いんだけど」


「うん。だろうな。オレ、ふつうより、かなり重いから」


(重いって……)


「骨は折れなかったな? 肋骨とか、小骨折らないよう加減したつもりだけど」


 たしかに床に激突する間際に、ぐいと後ろへ引かれて勢いを緩和されたような感覚があった。

 それで、より強く、膝や肘や腕を打つことになり、あごひたい、顔面、胸部や腹などをぶつけることにはならなかったわけだが……しかし。


 その後、どっしりと背面から潰された時の衝撃は半端なものではなく、いまも乗られたままなので、床に押さえつけられている右の肩と腰が、ぴくりとも動かせない。


 力が強いというより、これは、

 文字通り――重い……。


 とにもかくにも圧迫されて息苦しい。

 意識して負荷に抗わないと、呼吸もままならないほどで…――


 自然、抗議する彼の声が掠れがちになった。


「加減もなにも、いきなり過ぎだろ。どけよ」


「逃げないなら、とりあえずどくけど?」


 どうする? と。


 威嚇いかく脅迫的きょうはくてきな意思が顕著けんちょな視線で選択をせまられたセレグレーシュは、ふいっと相手から顔を背けた。そして、

 ひとつ、大きく息を吐いてから吸いこみ、がっくりと寝かせていた腕にひたいあずけたのだ。


「どいてもらわないと困る。オレ、この後、講義(が)あるんだ」

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