第5話:劣等竜
爺さんが中庭を出て行くのを見届けてすぐに、俺は
俺は鎧という形に囚われすぎていた。霧で鎧を作ろうとしすぎていたのだ。俺がすべきは鎧を作ることじゃなかった。霧の魔術を全身に纏うことだったんだ。
霧球を作ったときと同じ要領で、腕を中心に霧が螺旋を描くように強く念じる。
(霧よ、守れ)
すると霧は右腕の周りでゆったりとした螺旋を描きながら、そのまま安定した。試しに腕を振り回してみるが、霧が散ってしまうようなことは無かった。
言いようのない興奮が全身を駆け巡る。
感覚を忘れないうちに胴体、腰、右足、左足と全身に霧の魔術を纏わせる。試しに立って歩いてみるが、鎧が置いていかれることは無かった。
走っても飛んでも、細かいステップを刻んでも、
心なしかいつもより体が軽い。試しに池の端から飛んでみると、優に5メートルはあろう池を軽々と飛び越せた。どうやら
そして何よりこんなに激しく動いても
「やった、やったぞぉおおおお!!!」
喜びで爆発しそうな心臓が落ち着くまで、中庭を走り回った。しばらく走ると段々と喜びは落ち着いてきたが、それに伴ってこの力を試してみたいという気持ちが、抑えようも無く溢れてくるのを感じた。
よし、山に行こう。山へ魔物狩りに行こう。
日はとっくに暮れていたが、俺はそのまま山へ向かった。
*
木が生い茂る山の中をしばらく探すと、目当ての魔物が見つかった。
月明かりに照らされて白い鱗が輝いている。
劣等竜だ。
体高3メートルほどの竜で、竜と呼ばれる生物の中では珍しく翼がない。その代わりに信じられないほど発達した後ろ足と強力な顎を持ち、
森の深くや山などの比較的人里に近いところに住み着くことも多く、定期的に人が食われる。劣等とは言われているが、それはあくまで竜の中でだ。正面から戦えば普通の人間に勝ち目はない。
そのため目撃報告があれば十人規模の討伐隊が組まれ、綿密な準備の元で討伐される。しかし剣の達人や魔術師であれば一人で討伐することも可能らしい。
当然挑戦した事はある。
14歳の頃、師匠から裏手の森に劣等竜が出たらしいと聞いたその日に山に向かった。俺なら勝てるだろうと思っていた。
結果は惨敗。師匠が助けに来てくれなければ今頃あいつの腹の中だったと思う。
霧の魔術を試すのにこれ以上の相手はいない。
右手に魔力を集中させ、周囲に霧を発生させる。辺りが濃霧に包まれたのを確認し、両手を合わせて意識を集中する。足から順に
濃霧で1メートル先も見えないが、霧の中の状況はなんとなく分かった。劣等竜の警戒したようなうなり声が聞こえる。
間合いに入るまであと5メートル、4メートル、3メートル……
最後の何歩かは走った。右足で踏み切って一気に劣等竜に接近する。
劣等竜の姿が視界に入った瞬間、思い切り剣を振り抜く。剣の軌道にそって霧が裂け、それに続いて首が落ちる。勢いよく血が噴き出した。
なんとも呆気なかった。凄く物足りない。もっと霧の魔術を試したかったのに……そんな風に思いながら霧を晴らす。
「イヤァアアアア!!!!」
霧が晴れた瞬間、森の奥から大音量の悲鳴が聞こえてきた。
俺は剣に付いた血を払うと急いで声のした方に走った。
悲鳴の聞こえた方に走って行くと、毛皮のベストを着た少年が頭を抑えていた。薄茶色の髪をした少年の隣には、黒髪を一つにくくった細身で背の高い女性が立っている。
どうしたんだろう?
頭を抱えていた毛皮の少年は、立ち上がって細身の女の襟を掴むとブンブン振り回した。
「てめえよくもやりゃがったな! 俺の大切なピーちゃんを!!」
「いいだろう別に、あんな知性の欠片も感じられないようなペット逃がしたって」
「よかねえわ! それからペットじゃねえ!! あいつは俺の使役獣だ! あいつがいなきゃ俺は何にも出来ねえんだぞ!!」
「それは都合がいい。お前がいなきゃ私の報酬は倍だ」
「こ、この野郎」
よく見れば少年の立っている場所のすぐ傍の木から繋がれた紐が、途中で切れている。きっと女の方が少年のペットだか使役獣だかを逃がしてしまったことで喧嘩しているんだ。ピーちゃんなんて名前だから多分、鳥なのか?
まあ俺には関係ないな。
しかし、振り返って町に帰ろうとした俺の耳に、引っかかる言葉が聞こえてきた。
「劣等竜がこんな田舎の山で野放しになってたらヤバいだろ!! 野生化したらどうするんだ! 劣等竜だぞ!! 人を喰うんだぞ!!」
「知るかボケ。あたしはお前と仲良しこよししに来た訳じゃねえ」
細身の女はそう言うと森の奥へと歩いて行った。
残された少年は呆然と立ち尽くしている。
俺はしばらく悩んでから、立ち尽くす少年に声をかけた。
「おい少年」
「っ!!?」
少年は心底驚いた様子でこちらを見ると、慣れた手つきで腰に刺していた短剣を抜いた。
「戦うつもりはないし、襲うつもりもない」
「嘘つくな! その赤い血は何だ!! 人を刺した返り血だろゴミ山賊が!」
「この血は、あれだ、……魔物を倒したときの返り血だ」
「嘘つくんじゃねえ!!」
「お前に攻撃するつもりなら最初から声なんてかけない」
「……まぁそうか」
少年はそう言うと剣をしまった。まだ剣の柄には手をかけたままだった。
「こんなところで何してるんだ? ここは魔物も出るし危ないぞ?」
「俺はプロの
「
「それなのに――」
少年の話をまとめると
目的が同じだったので協力することにした。しかし作戦から戦い方まで全く以て合わず、どうやって魔物を倒すかで口論になった。
埒があかないので一旦小便をしにいくと、使役獣のピーちゃん(劣等竜)が居なくなっていた。
ということらしい。
それから少年はエリアル族という魔物やなんかを使役することに長けた種族で、年齢的には50歳らしい。どう見ても13歳とかそこらにしか見えないが、50歳らしい。
少年、もといおっさんはそこまで言うと悔しそうに顔を顰めた。
「まぁピーちゃんは一応ドラゴンだから、死んでるって事は無いだろうけど……」
「そ、そうだな……」
「取り敢えず今は帰るしかない、か」
「そうか、じゃあ町まで送るよ」
さっき真っ二つにした劣等竜が、どうかピーちゃんで有りませんように。そんな風に祈りながら町に向かって歩き出した。
しかし歩き始めてすぐ、エリアル族のおっさんが立ち止まった。
「ん? どうした?」
「魔物の気配がする」
「……なにも感じないけど」
「強いぞ、それに怒ってる」
「場所が分かるなら避けよう。サッサと帰ろうぜ」
子供みたいな見た目のおっさん(以下こどおじ)は目を閉じると静かに首を振った。
「だめだ。もう相手にこっちの場所がバレてる。ッ! 来るぞ! 構えろ!!」
こどおじがそう言うのとほぼ同時に、目の前の木々が揺れた。鈍色の肌をした巨体が目の前に現れる。巨人だ。見上げるほど大きなその巨人は、頭に何かしらの頭蓋骨を被り、右手に巨大な棍棒、左手には首の無い劣等竜の死骸を持っていた。
「ピーちゃん!!!」
劣等竜なんてそんなに沢山いないし、あの切り口は剣で切られたものだ。多分、俺がさっき真っ二つにした劣等竜だろう。
すまん、こどおじ。
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