第2話提案

 彼女の提案は有り難くはあったけれど、現実問題そう簡単にはいかない話だった。


 僅かに高圧的な態度で、普段はクラスで人気者の彼女がこうして僕に話しかけてきた訳は果たしてなんだろうか。


 真正面からジッと此方を見つめてくるミナちゃんは、堂々とした立ち振る舞いで、周囲の注目などなんら意に解す様子を見せない。


「その‥ゆうくんはいつもエマちゃんのお世話大変そうだから‥」


 所々言葉に詰まりながら、何故か罪悪感を滲ませた表情で言葉を続ける。


「だから‥わたしにも何か手伝えることあるかなって思って‥」


 ミナちゃんは最初は、はっきりとした声で、その可愛らしい薄桃色の唇から言葉を発していた。


 しかしながら、語るにつれて次第に言葉が尻すぼみになっていく。


 可憐な美声である高音も、可愛らしい小さな声量に変化していく。


「えっと‥」


 彼女の健気な姿勢に気圧されて、思わずエマちゃんに視線を送ってしまう。


「どーしたのー?」


 彼女はくりくりとした、瞳を此方に向けて、可愛らしく小首を傾げる。


 金糸の如き美しい金色の髪が頬を流れて、座っている椅子の背もたれに垂れる。


 サラリとした金糸の如き長髪の穂先は、今にも床へと至ってしまいそうにさえ見受けられる。


「どうもしないよ」


 思いがけず見咎めてしまった僕は、これを受けては窘めずにはいられまい。


「エマの髪‥?」


 しかしながら、言葉にしたところでエマちゃんに通ずるとは限らないが故に、垂らされた長髪を掬い取る。


「うん」


 五指に絡めたそれを彼女の手中へと握らせて軽く頷いて見せた。


「大変‥なんだね」


 どうやら一連のやり取りを眺めていたらしいミナちゃんが、傍らで呟いては表情を引き攣らせて見て取れる。



「別に‥」


 その面持ちが何処か陰鬱な感慨を孕んでいる様に垣間見受けられて、思わず冷たい声色で受け答え。


「あ‥ごめんね、ただ本当に大変そうだから‥。‥もし怒ったなら謝る。‥ごめんなさい」


 そんな体たらくの僕の様子を見て取っては、ミナちゃんは困惑も露わに頭を下げる。


「あ、いや‥怒ったわけじゃなくて、ただ‥」


 彼女のうなじを見て取っては二の句を継ごうとはしたものの、続く言葉が浮かばない。


「わかってる。先生からも頼まれてるんでしょ?エマちゃんのこと」


 だがしかし、僕が何かを語る間も無く、これに応じたミナちゃんが、返答の代わりとしての言葉を紡ぐ。


「優くんはさ、大人の人たちにいい顔したいの?それともエマちゃんが好きなの?」


 更に繋いでみせた彼女の言い放った言葉の内容を耳として、平静だった思考が乱れる。


「‥そんなこと知ってどうするの?」


 これを聞き取った途端に思わず口としていた言葉の声色は、自分でも驚く程に冷えている。


「‥それは」


 問いかけを受けたミナちゃんは、幾度か唇を閉口して見て取れたけれど、続く言葉は形にされなかった。


「ゆうくん、おなかすいた」


 不意に響いて聞こえたエマちゃんの声が、言葉を交わしている最中に乱入する。


「わたしはただ、優くんが大変そうに見えたから、手伝ってあげようとしただけ」


 しかしながら、これを掻き消す様にして続けられたミナちゃんの言葉が殊更に鮮明に聞き取れる。


「手伝うってどうやって?」


 平素と調子を異して見受けられる彼女の勢いに気圧されて、思わず問いかけては見つめる。


「だからそれは、例えばわたしが皆んなに頼んでエマちゃんの面倒を見てもらうとか。勿論女子にだけだけどね」


 これに対して即座に与えられた返答を受けて、その意味を咀嚼する。


「どうして男子達には頼まないの?」


 思ってもみなかった提案を示されたために、自然と呈する疑問も愚かしい。


「だって、エマちゃんは女の子なんだよ?本当なら優くんが面倒見る必要ないのに‥。だから同じ女の子に頼めばいんだよ」


 言及するまでもなく理解していた返事を答えてみせたミナちゃんは、苛立ちも露わに義憤する。


「‥でも、他の子が良いって言うかな?」


 普段よりも勢い付いた調子で応えてくれるミナちゃんの言葉を受けて、再度問い返す。


「大丈夫だよ。だってわたし達のグループ仲良いもの。だから心配しないで」


 与えられた疑問に対して、間髪さえ入れることなく、語ってみせるミナちゃん。


 意気揚々といった具合に微笑を称えて見受けられる彼女は、傍らのエマちゃんを一瞥。


「よかったね、これでもう大変じゃなくなるね」


 そして此方へと視線を移しては、笑みも深くしてクスクスとした可愛らしい声色で語る。


「‥ありがとう。てっきり僕って嫌われてると思ってた」


 鮮やかな唇が吊り上がる光景を見て取ったからか、焦燥も露わに口とする。


「‥んーん、わたしは別に優くんのこと嫌いじゃないよ。ただ他の子がね」


 不安から溢してしまった呟きに対して応じるミナちゃんは、満面の笑顔で独り言ちる。


「そうなんだ、でもそれならエマちゃんは大丈夫だよね」


 予期せずして与えられた返答に対しては特に言及することなく受け答え。


「うんっ、じゃあちょっと今から皆んなに話してくるから、優くんはここでまっててねっ」


 しかしながら繰り返して返答した僕の言葉を聞き流して見て取れるミナちゃんは、そのまま駆けていく。


「あ‥」


 これを追うことも憚られるは、思わず漏れ出てしまった呟き。


「エマちゃん?」


 しかしながら硬直していたのも束の間で、痛い程の視線を感じては振り向くと、エマちゃんが此方を見つめている。


「どうしたの?」


 何処か恐怖を煽る様なその眼差しに思わず問いかけてしまう僕だった。


「‥」


 珍しくもこれに返答を返さないエマちゃんは、そのまま僕を一方的に見つめる。


「え、エマちゃん?」


 煌めく碧眼に囚われてしまった心地を覚えては、再度に渡り疑問を呈する。


「‥」


 しかしながらそれでも与えられない返答に苛立って、僕は彼女へと近づいてみる。


「どうしたの?エマちゃん」


 後ろに回り込んでは普段通りに、金色の長髪を結えてあげるべく手を伸ばす。


 そうして不意に覗き込んだエマちゃんの面持ちを見て取って僕は思わず硬直する。


 本来あり得ない理性を垣間見せるエマちゃんの碧眼の眼差しが僕を射抜いている。


「ぅ‥」


 これまでに幾度か目にしたことのある奇妙なエマちゃんの様子を視界に納めて、思わず気圧される。


「あれ、どうしたの?」


 しかし次の瞬間に、身体を硬直させたままに身動きすらままならない僕に声が与えられる。


「‥ミナちゃん」


 声が発せられた方向に視線を向けると、そこに見受けられたのは、友達を引き連れたミナちゃん。


「ちょっとミナ、やっぱりアタシ‥」


 彼女に誘われてこの場へと訪れて見受けられるのは、ミナちゃんと同様に人気者のレイナちゃん。


 エマちゃんに一瞥を寄越す彼女は、露骨に嫌悪を露呈させては、心底から拒絶を露わとする。


「何かな?レイナちゃん」


 これを受けたミナちゃんは、しかしながら平素通りの可愛らしい笑顔での受け答え。


「あ、いや、でも‥。だってこの子ガイジンでしょ?」


 クラスの男子から一番人気がある彼女の微笑を受けたレイナちゃんは、表情を引き攣らせて窺える。


 彼女も可憐な顔立ちをして見受けられるものの、皆無な愛想のお陰で嫌わせている。


 悪い噂しか聞き及ばない程には、普段からの傲岸不遜極まる態度が目に余る様だった。


「じゃあレイナちゃんはしないってこと?」


 だがそれも鳴りを潜めて窺える現在の彼女からの問いかけを受けたミナちゃんは、笑顔のままに小首を傾げる。


「‥わかった‥。やるわよ」


 クラスで大人気の綺麗な見目を向けられたレイナちゃんは、渋々といった面差しを浮かべては頷いてみせた。


「じゃあ、今日はレイナちゃんにお願いしようよ優くん」


 ことの成り行きを眺めるしかなかった僕は、未だにエマちゃんから向けられる視線から堪え兼ねて受け答え。


「う、うん。でもいいの?」


 極めてしどろもどろと相成った問い掛けを受けたレイナちゃんは、視線を彷徨わせては頷いた。


「いいわよ別に」


 その様子に違和感を見て取ってミナちゃんを視線で見遣ると、依然として笑顔がそこにある。


 花開く様にして浮かべられたそれが延々とレイナちゃんに向けられいる。


「‥じゃあ、ついてきて」


 眼差しを逸らした途端に、眼前のレイナちゃんがエマちゃんの腕を掴む。


「‥待って」


 それを視界へと納めたら、勝手に動いて伸びた五指がレイナちゃんの腕を握る。


「‥何よ」


 思わず掴んでしまった僕の予期せぬ行動に対して、怪訝な面持ちとなるレイナちゃん。


「あ、いや、ただ‥」


 自分自身ですら思いがけずして引き留めてしまった後悔に五指の力を緩ませる。


「フンっ」


 何処か焦燥すら垣間見て取れる苛立ちを露わとして鼻を鳴らすレイナちゃん。


「よかったね優くん」


 与えられた悪意に思わず呆気に取られていると、続いて耳としたのはミナちゃんの声。


 甘ったるい様な耳触りのする心地の良い響きを聞き取って、曖昧に頷く。


「うん、でもこの後どうしようかな‥」


 恐らくヒロトくん達の遊んでいるグループは、僕の事を嫌っているに違いない。


「それならわたし達と遊ぼうよ」


 思わず溢れてしまった、誰からしても知ったことじゃない呟きに、ミナちゃんの返答が与えられる。


「え‥でもいいの?」


 予期せぬ再三に渡る提案に対して、心底からの驚きを伴っての問いかけ。


「うん、大丈夫だからこっちいこ」


 驚愕すら露わとしたこれに構うことのないミナちゃんは、僕の手を引いて歩む。



「でも女子達の中って大丈夫かな?」


 与えられたミナちゃんの柔らかなすべすべとした肌触りに思わず問い掛けを呈している。


「うん、本当に大丈夫だから。だって、皆んなに言ってあるもん」



 気を逸らすために繰り出した言葉に対しても、快く応じては受け答えてくれるミナちゃん。



「じゃあ、お願いねレイナちゃん」



 花が咲き誇らんばかりの微笑を称えて見て取れるそんな彼女は、過ぎる流し目でレイナちゃんを捉える。


「わかったわよ‥」


 何処か意気消沈した様にも垣間見て取れる彼女は、小さな嘆息混じりの返答で応じて窺える。



「じゃ、優くんいこっか。みんなもほら、今日はレイナちゃんに任せようよ」


 エマちゃんの傍らへと佇んだままのレイナちゃんの、能面の如き表情を見て取っても、ミナちゃんの笑顔は崩れない。


「‥うん」


 依然としても判然としないレイナちゃんの立ち振る舞いを受けてしかし、手を引かれて先導されたら追従する他にない。



「やあッゆうくんッ」



 しかしながら、踵を返したその瞬間に与えられたのは、悲鳴の様な叫び。



「‥うるさいわね」



 響いては聞こえた方向へと自ずと視線が向けられては、エマちゃんを捉えて硬直。



「レイナちゃん?その‥できれば口は抑えないで欲しいな‥」



 先程の叫びを聞き取ったレイナちゃんは、エマちゃんの口元を掌で無理矢理抑えて見受けられる。



 これに抵抗を示して窺えるのはエマちゃんだ。



 彼女は必死に圧迫してくるレイナちゃんの五指に爪を立てるものの、一向に離れる兆しがない。



「はぁ‥だってこうしないとずっと騒ぎ続けるでしょう?だからしょうがないじゃない。それにアンタだって同じ様なことしてたじゃない」



 咎める様な声色での僕の要求にしかし、レイナちゃんは忌々しげにエマちゃんを見つめるばかり。



「‥大丈夫だよね?レイナちゃん?」



 すると背中に浴びせられたミナちゃんの明るい調子の声色が、異様に響いては耳に残って聞こえる。



「‥ええ‥」



 そんな彼女の明朗快活とした機能美が窺える発声を受けては、これとは対称的な様子のレイナちゃんの受け答え。



「だって、ほら一回だけでもいいから、任せてみようよ?ね?」



 レイナちゃんが頷くに応じては、これを見て取ったミナちゃんは笑顔のまま僕に語る。



「わかったよ‥」



 彼女の言葉通りに緩慢な頷きを返しては、後を追う様に手を引かれてされるがままだ。



 先程とは異なり未だ押さえつけられた口元が窺えるエマちゃんからの呼びかけはない。



「ッ」



 しかしながら、その宝石の様に透き通る碧眼だけが、唯々煌々と此方へと視線を注いで見受けられる。



 瞬きすらも窺えないそれは、ジッと僕だけを射抜いて、一向に離される様子が見られない。



「どうしたの?」



 思いがけずしてこれ以上は躊躇いを覚えた僕に対して、疑問の眼差しを向けてくるミナちゃん。



 可愛らしくも小首を傾げた彼女は、怪我な面持ちを浮かべているのが見て取れる。



「‥ううん、行こう‥」


 感じた罪悪感を誤魔化すべくして自ずと吐き出された受け答え。



「うんっ」


 これに花が咲き誇らんばかりの、可憐な微笑を称えて応じてはみせるのがミナちゃん。



 極めて明るい調子での返答が見受けられる彼女の立ち振る舞いは、幾分か僕の心を軽くする。



 すると腕を伝ったミナちゃんの五指に手の指を絡め取られては、握られてしまう。



「行こうっ、ね?」



 大いに華奢な印象が窺える彼女であるが、存外のこと力強く引き寄せられる。



「うん」



 その言葉に迎合した僕は、女子グループへと歩むミナちゃんの後に追従する。



 今度こそ僕は後ろを振り返ることなく、彼女の後を追うことができた。


自らに唯一課せられた役割である、エマちゃんのお世話を言われるがままに託す。


そうしてこの場へと彼女の身柄を残したまま教室を後とした。

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